第8話

 翌日の早朝。病室で寝ている颯太は、思い切り扉が開いた音で目を覚めた。

 扉の前に涙目をした花音が立っていた。

「こんな朝から、なんの用だ?」

 颯太はいつも通りに会話しようと試みるが失敗だった。花音は崩れ落ち、泣き始める。

「えーとどうしたの?」

 颯太は花音の近くに寄り添うと彼女が震える声で話す。

「お、お姉ちゃんが、し、死んだ」

 生きている感じが湧かないとはこのことなのだろうか。

 颯太は急いで、凛花の病室に向かう。


 凛花の病室で彼女の母が涕泣ていきゅうしていた。

 颯太は凛花の顔を確認すると、顔が真っ青になっていた。昨日までとは雰囲気が全く違う。颯太は床に崩れ、慟哭した。

 昨日までの時間が一瞬にして、夢と化ける。笑う顔、怒る顔、泣く顔、喜ぶ顔。すべてが愛しいかった。彼女のそばにこれからもいたかった。しかし、叶わぬ夢となり果てる。

 柊が凛花の部屋に現れた。

「柊先生。なんで凛花が死んだんですか」

 颯太は涙声で問いかける。

「お母さまは別室に案内します。こちらへ」

 柊は颯太を無視する。

 そのまま、立ち去ろうとする柊の袖を颯太は掴む。

「無視しないでください」

 強く袖を握る。

「君には関係ないことだ」

 突き放すように柊は言う。颯太の手を払い、本当に立ち去った。

 今の颯太はただ、泣くことしかできない。


 その後、颯太は三週間で退院した。凛花の葬儀には出席出来なかったことが心残りだ。

 高校では2学期が始まり、一週間経った。颯太は未だに欠席で、悠斗は退学していた。ここ最近、颯太の感情は死んでいた。まるでロボットのような状態になっていた。

 刻は夕方。6時になったばかりだ。何をするにもやる気が起きず、ベットでうつ伏せになっていた。気まぐれに、近くの机の引き出しを開けると、中に水瀬先生からもらったお守りかあった。ふと、先生の言葉を思い出す。

『もし、耐え切れなくなったら、役にたちますよ』

 お守り袋の中を開けると、一枚の紙きれがあった。開いてみると、誰かの電話番号が書かれていた。ここに電話しろということなのか?

 颯太はスマホに電話番号を打ち込み、着信をかける。3コールで出た。

『はい、もしもし。水瀬です』

 電話越しからは担任の先生声が聞こえた。

「もしもし、桜井です。お守り袋開けたら電話番号が書かれた紙があったので、電話しましたけど」

 淡々と颯太は喋る。そこにはなんの感情も入っていない。

『ああ、桜井君ね。今から学校に来てもらえるかしら?私服で構わないわ』


 学校は閑散として、闇に包まれている。生徒はおろか、教員すらいない。しかし、職員室には明かりがついていた。

「失礼します」

 颯太は職員室に顔をだす。

 中を見渡すと奥に、水瀬先生が一人いる。

 スーツ姿の彼女はメガネをかけ、パソコンとにらめっこしていた。

「桜井君は、晩御飯たべてきた?」

 手を止め、水瀬先生がこちらに声を投げる。

「いえ、まだ食べていませんけど」

「そう」


 何故こうなった。颯太の向かい側には水瀬が座っていた。生徒と先生が向かい合い話すことはよくある事だが、場所がフレンチ料理専門店と、イレギュラーなのだ。

「好きな物を注文して結構よ」

 水瀬はそのまま視線をメニューに落とす。

 颯太はメニュー表を開くと、目を疑った。値段が高すぎる。メニューの中には、福沢諭吉が飛ぶ値の料理もあった。

「こんなの頼めませんよ」

 困惑が隠し切れず、颯太は煮え切らない態度を取ってしまう。

「そう、なら私と同じ料理を注文するわよ」

 水瀬は店員を呼び注文を済ませる。

「そもそも、生徒をこんな場所に連れてきていいのですか?」

 雰囲気に慣れはじめ、颯太の緊張がゆるむ。おもむろに、颯太は水瀬に質問をした。

「ええ、もちろんよ。これは進路相談ですもの。万が一の時に備え録音をさせてもらうけどね」

 すらりと颯太の質問を受け流す。

 いざという時まですでに考えられていた。颯太は流石だと心底そう思った。

「桜井君は私に何か聞きたいことがあるかな?」

 水瀬が口を開く。颯太には意味深な発言だと聞こえた。そもそも偶然に電話番号が記された紙を見つけ、現在に至る。だから聞きたい事があるのは先生の方だと思っていたので、颯太は戸惑ってしまう。

「えーと。特には…いえありました。先生があのお守り僕に渡したのは偶然ですか?」

 颯太が質問を絞りだす。

 そういえば、水瀬先生には不可解な事があった。それは、颯太からの電話に驚かないことだ。一般の先生に生徒がプライベートで電話がくることは、多少なりとも動揺するはずだ。しかし、水瀬先生はそれを見られないどころか、スムーズに進みすぎている。

「そうね、結論から言うと、私の思い通りです」

 颯太は驚愕した。開いた口が塞がらない。ここまで予期しているとは思わなかった。

「なら、先生は凛花についてどのくらい情報を持っているのですか?」

 仮に颯太がこの状態に陥ることをあの時に予期していたのなら、有力な情報を持っていると確信した。

「そうね。凛花さんが亡くなった背景とかはね」

 緊張がはしる。

「なら、教えてくれませんか」

 淀んでいた目に生気が蘇る。背筋を伸ばし、話を聞く姿勢を取る。

「目が変わりましたね。いいでしょうお話しましょう」

 颯太はつばを飲み込む。

「凛花さんの死因は尊厳死です」

「え?」

 思わない単語が出てきて、颯太は声を上げる。

「凛花さんは自ら死を望んだのです」

 理解が追いつかない。凛花が自ら死を望むなんて考えられない。颯太は否定したくなった。

「そんな、訳、ない」

 颯太が言葉を絞りだす。ありえない事実に震撼してしまう。

「先生は、今年の六月に初めてこの話を凛花さんから聞きました」

「先生は止めなかったのですか」

「はい。彼女の状態を踏まえ、死を望むなら希望通りにするべきだと。そして、凛花さんのお父さんと議論をし、最終的に今に至ると」

 淡々と衝撃の事実を語る水瀬。

「どうしてだよ」

 それを聞いた颯太が机を叩き、勢いよく立ち上がる。コップに入っていた水がこぼれる。

「凛花の担任だろ。なんで止めないんだよ」

 颯太が赫怒かくどする。

 周りの視線がこちらに集まる。

「一回落ち着いて、渡したいものがあるわ」

 颯太は水瀬になだめられ、落ち着きを取り戻す。

 水瀬は鞄から一通の手紙を取り出し、颯太に渡す。

「これは…」

「凛花さんから預かった手紙よ。読んでみて」

 

『颯太君へ

 この手紙を読んでいるということは、すでに私は死んでいるのね。何も相談せず、何も知らせなくてごめんね。心配をかけたくなかったからが理由なの。本当にごめんなさい。

 今日は本当に楽しかった。アクシデントがあったけどこれもよい思い出です。体がボロボロになり果てるまで、私を守ってくれてありがとう。助けてくれてありがとう。もうダメだと思ったときに、いつもソウ君は駆けつけてきてくれるよね。そんなあなたが好きでした。笑う顔、喜ぶ顔のあなたが好きでした。何事にも全力で挑戦するあなたが好きでした。素直なあなたが好きでした。あなたのすべてが私の生きる気力なのです。今日まで、ずっとありがとう。

 私からの願いです。私を忘れないで下さい。そして私を忘れ、別の誰かと付き合い、結婚して、素晴らしい家庭を築いてね。私はあなたの心の中にいるから。だから、泣かないで。落ち込まないで。くじけても、諦めてもいいです。だけど前に進むこと忘れないでください。自分の歩調で人生という名の道を進み続けてください。私の分まで生き続けてください。 

                                 凛花より』


 読み終わる頃には、颯太は号泣していた。

 無意識に大粒の涙が流れる。

「忘れない。忘れないよ」

 体を抱えこむような腕組みをしながら、涙声で呟く。

「凛花さんはね。あなたの事を忘れたくないから、死んだのよ。いずれ死ぬなら、あなたのことを思っていたいからと。私は言葉を返せなったわ。」

「簡単な問題ではなかったはずよ。凛花さんも沢山悩み選んだ結果が残念な結果になってしまったけど。彼女の考えを尊重するべきだと私は思ったわ」

 静観していた水瀬が言葉を紡いだ。

 ただ、颯太は泣いている。子供のように、涙が枯れはてるまで。


 落ち着きを取り戻した颯太は食事には手をつけず、手紙を黙視していた。そして、

「先生、僕決めたよ、前に進むよ。凛花の分まで生き抜くよ!」

 颯太が水瀬に決意を見せる。目の周りは赤く腫れているが。どこか頼りなく、どこかしっかりとしている。

「そう。それなら明日からしっかり登校してくださいね」

 穏やかな口調で水瀬が喋る。

 その声に温もりを感じた。


 駅のホームにて。

 水瀬と進路相談を終えた颯太は電車をまっている。辺りには、帰り際のサラリーマンがたくさん見られる。中には慌てている人もいる。

 館内放送が聞こえた。

 まもなく電車が到着するみたいだ。

 颯太は点字ブロックよりも下がって電車を待っている。不意に電話が鳴った。取り出してみると画面には「非通知」と書かれてあった。

 電車の光が右側から見えてきたので、着信を拒否しようとした。

 不意に後ろから誰かに押された。颯太の体が宙を浮き、線路に飛び出す。振り返ると見覚えのある男がそこにいた。

 刹那、電車のブレーキ音が鳴る。

 女性の甲高い声が夜の静寂を切り割く。

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残酷な現実に優しい願いを PenName @kouty17

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