密会
一刻ほど経った頃、一人の若い女が阿片窟に息せき切って走り込んだ。
黒羊が面会を要求した阿片窟の元締めはどこか遠くにでも出掛けていたのか、連絡が付くまでが随分と長かった。彼女は心底怯えた様子で、店の奥に鎮座する黒羊と目が合うやいなやその場に跪いた。
「お待たせして申し訳ありません、黒羊様! 今、頭領と話が付きました!」
「おお、随分待ったよ。で、親分さんは何処にいるんだ?」
「私が案内します!」
「ありがとう。任せたよ、姉ちゃん」
黒羊は床几から腰を上げると、立ち上がりかけた女をじっと見つめた。よく見ると、左の袖の振れ方が少々不自然だ。彼は少し考え込んだ。仕込んでいる物をこの場で捨てさせても良いが……いや、ここは敢えて乗ろう。
「……あの、どうかされましたか?」
「いや、何も? とにかく行こうよ」
黒羊にとって、それは懐かしい景色であった。彼が案内されて辿り着いたのは、阿片窟が建っていた場所よりもさらに人通りの無い場所。街路は見るからに凹凸が激しくなり、夕方の暗さも相まってこの世の果てのようにさえ感じられた。ここは誰にも顧みられない場所なのだと、黒羊は直感した。
悲しいかな、斯様に栄えた街にも、いや大都市だからこそ、貧民街が存在する。
「いました。あちらにおられるのが、私らの頭領です」
女が指さす先には、この黄昏時にも一目で分かるような美人が立っていた。
小柄な体は子供のように愛らしく、氷のように透き通った肌と夜闇のように黒い髪の両方が夕日を反射して輝いている。なるほど、古来より花になぞらえて語られる訳だ。
「
「ん? おお、ご苦労だったな、
芍薬と呼ばれた頭領が朗らかに返事をすると、女はなるべく音を立てぬように後ろへ下がった。
「で、黒羊さんよ、あんたほどの人がどんな用だ?」
「いやあ、オレとしては旅行気分で来たんだけどさ、この街でも阿片を捌くってんならご挨拶くらいはしないといけないよなって」
「そいつはありがてえな。で、用事ってのはそれだけか?」
「他にも色々話したいことはあるんだけどさ、それはちょっと後にしないと──な!」
その瞬間、黒羊の右足が背後に立つ海棠の顔面を捉えた。彼女は今の一撃で失神し、その場に崩れ落ちた。同時に、その左手から細長い何かが滑り落ちる。
「左利き……それに骨製の暗器か。左に隠し持ってたから右手で取り出すもんだと勝手に思ってたけど、中々賢いやり方だな」
「クソっ、役立たずが」
呪詛を吐き捨てる芍薬の方へ向き直る。敵意があるのはどちらも同じ。
ならば、迷うことは無い。黒羊の体から黒い靄が立ち昇る。
「で、芍薬さん。いや、男の名折れって呼んだ方が良いか。女に先駆けをさせるなんてな。色々と教えてもらうよ、話しにくいだろうから吐かせてやる」
「吐くのはテメエの方だろうが、ああ? 教えてもらおうじゃねえか、死んだ人間がどうやって旅行なんてすんのかをよ!」
倫書官吏列伝 張龍伝 鮎川剛 @yukinotama
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