第6話 ホテルご飯

「おはよう」


 目を開けると、目と鼻の先にはヌメっと湿った壁。ツキは寝起きのぼんやり眼で見つめる。その緑のヌメヌメにも鼻の穴。そぉーっと視線をあげると、ボヤっとした瞳がこちらを見つめていた…。


「……っっ!?!?!?」

 彼女は声も出せずに飛び退いた。ベッドのヘッドボードベッドの頭側の板に頭をぶつける。

「あららら。うふふ、大丈夫?

 寝起きに見慣れない顔だとびっくりしちゃうわよね、ごめんね。…頭のお皿は割れてない?」

 ヌメヌメ顔のぬらりひょん夫人は平凡な人間の中年女性へと変化し、明るくニコニコ笑った。

「おは…よぅござ…ぃますぅ…」

 穏やかに微笑む彼女に、消え消えの声で挨拶を返す。後頭部に小さなこぶは出来たけど、とっぺん頂上※のお皿は無事だった。

 ※『とっぺん』は関西の方言ではありません。

 スズメの遊び声に振り向くと、嵌め込み窓から隣のビルの影が射し込んでいる。


(…そうやった。

 昨日、アタシはぬらりひょん奥さんと東京に来て、ホテルに泊まって、こっちで部屋を探す話になって…)

 紬希と喧嘩したことを思い出す。


「朝ごはんは食堂のビュッフェなんだけど、お腹減ってる?食べられそう?」

 起きだちにもかかわらず、ツキのお腹はキュウーッと鳴った。


******************************


 ビュッフェ。食べ放題。

 女の子とはいえ、大食漢のツキもしょっちゅうお世話になっている店舗スタイル!ウッキウキで向かった彼女は驚愕した。

 何か…シェフが立っている……。


 食べ放題といえば、誰もが元をとろうと必死にお腹へ詰め込むものだが、お店としても赤字にするわけにはいかない。

 なので、大容量系格安商品を販売するスーパーの店頭に並んでいる出来合い既成ものや冷凍食品のオンパレードとなってしまうのも当然である。大型スーパーの店頭でスイーツビュッフェで見たことのあるケーキを見つけてしまったツキも多少ショックではあったが、いろんな味が楽しめることや、食事の準備・片付けをせずに済むことを考えれば損はしていないし、当然だと思っていた。

 …のだが、さすがはホテルのビュッフェ。それだけではないらしい。


 チェーンの丼屋さんのカウンター席のように、U字に突き出したコーナー。そこに白い帽子のシェフがふたり。他のお客さんも数名集まっている。

 何があるのかと、ツキも野次馬根性でそぉーっと近づくと、温かい香りが鼻孔をくすぐった。

 何とそこには、揚げたての天ぷら!

 エビにカボチャ、ナス、オクラ…。様々な具材が手際よく揚げられ、並べられていく。そして、あっという間に無くなっていく。

 そりゃ、当然。揚げたての天ぷらなんて、そんなに再々さいさい食べるものではないですもの。後片付けはめんどくさいし、食べる頃には冷めてしまう。母のしかめた顔を思い出し、ツキは心の中でニヤついた。

 何とか、サツマイモとカボチャを手に入れ、席に戻ると、夫人はバターたっぷりのトーストをかじっていた。

「あら、今朝は天ぷらがあったのね!あとで私も行こうかしら。

 …ツキちゃんは天ぷらに何もつけないの?」

 彼女の言葉にハッとして、慌てて天ぷらコーナーに戻る。早くしないとアツアツじゃなくなる。

 めんつゆ、塩、岩塩、柚子胡椒、七味…。意外と豊富な品揃え。どれにするか迷うツキ。しかし…。

「…あっ、すみません」

 だんだん人が増えてきた。邪魔にならないように、目についた個包装のものをサッと取って席に戻る。

 席で待っていた夫人は、今度はスクランブルトーストを頬張っていた。コーヒーを一口飲んでから、首を傾げる。

「何にしたの?」

 手のひらにチクチク刺さる四角いそれを摘まんで、ツキは眼を細める。


『お肉とか揚げもんとか…。脂っこいのには、やっぱりワサビが合わへん?』

 不意に、紬希の笑顔を思い出す。

 そう言って、お皿の隅にチョコっと付けてくれた黄緑色。うっかり付けすぎ、顔をしかめたツキを包む明るい声…。


 ツキは絞り出した黄緑の山を、お箸でつついて、ちょびっとだけアツアツの衣に付けた。

 大きな口で頬張ると、ホクホクの芋としっかりした衣が口を満たし、ツーンと刺激が鼻を抜ける。

 目頭を抑えながら、ツキは口を開く。

「こっちで住むための物件紹介、お願いします!」

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京の化け蛙、埼玉へ! おくとりょう @n8osoeuta

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