第5話 ほっといて

「…で、なんでアタシは東京じゃなくて、埼玉に住んでんやろ?」


 狭いベランダで独りごちるツキは、青空は仰いで深いため息をつく。周りの建物に囲まれた四角い青空には、白い雲が浮かんでいる。今日も天気は良い。


 敷金礼金なし、月三万円の六畳のワンルームアパート。オートロック付きで、猫のひたいほどの広さとはいえ、ベランダまで付いている。おまけに最寄り駅まで徒歩五分。破格の物件だ。

 強いて、問題点を挙げるなら、半地下のような造りになっていることぐらい…。あり得ないくらい破格の物件には違いないのだが、大都会東京での生活を期待していた彼女は少し不満だった。


******************************


 上京して初めての夜。

「あははは!!東京のホテルや!!

 ベッドでっかー大きい!!

 おー!!窓ちっちゃっ小さい!!

 けど、外見えるで!!うっわ!!たっか高い!!

 ムギ姉ちゃんにも写真送ったげる送ってあげるわ!周りも高い建物ばっかで別に景色良くないけど!あははは!」

『…めっちゃテンション高いな』

 年甲斐もなく、はしゃぐツキにスマホの向こうから呆れた声を返す紬希。ツキも旅行が好きというわけではないのだが、いや、普段は旅行へ行かないからこそ、舞い上がっているようだった。

「じゃあ、まず住む場所についてだけど」

「アタシも東京都民になるってこと?

 あ!!そういや、京都弁はモテるって誰か言ってたな!!これは…これはアタシのモテモテ東京ライフ始まっちゃうんちゃうか始まってしまうんじゃないかー??」

 興奮冷めやらぬツキに、夫人はくすっと笑うと、少し申し訳なさそうに言った。

「来る前にも説明したつもりだったんだけど、住むのは東京都に決まってるわけじゃないのよ」

「え?」

『…お給料がそんなにようけたくさん渡せへんから、都内に拘らず近郊で探そうってゆったはった言われてたやん!』

 キョトンとしているツキに、スピーカーホンで紬希の声が飛んだ。

『もう!すぐぼんやりするんやから!

 はぁ、ご迷惑かけてしもてしまって、すいません…』

「あらあら、気にしないで。

 ちょっとワクワクし過ぎちゃっただけよね」

 少しむくれたツキに夫人は優しく微笑むが、紬希はキツい口調を緩めない。

『もう自分のことなんやから、もっとちゃんとせなしないと。これからはひとりで何でもせなアカンねんでしないといけないんだよ

あたしも側におらへんねんし…』


「あー!!!もうっ!ムギ姉うっさい五月蝿い

 アタシかってだってもう大人なんやから、そんなにうるさ五月蝿く言わんでも、何とかしますぅーっ!!!」

 癇癪かんしゃくを起こしたツキはスマホからバッテリー引っこ抜いて、通話をぶち切った。

「……」

 静まりかえった部屋に、空調の音が低く響く。

「…どうしようか?

 今日は疲れてるみたいだし、もう寝る??」

 肩で息をするツキに、夫人は相変わらず、穏やかに語りかける。

「……はい」

「じゃあ、私はシャワー浴びて来るね…。

 …先に寝ててもいいからね」

 そう言って、夫人はツキを部屋に残し浴室へと向かった。


 扉が閉まると同時に、ホテルの部屋の香りが鼻につく。

 うつむいていたツキは小さく息を吐いて、ベッドに倒れ込む。パリッとしたシーツは優しいけれど、どこか他人行儀に感じた。

 ベッドに横になると、窓から夜空が見えた。星の見えない黒の空。

 独特の香りが何だか外と切り離されたようで、彼女はぼんやり窓の外を見つめているうちに、眠りに落ちた。シーツの上に沈んだまま。バッテリーを握りしめたまま。

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