でかいの。

でかいの。

作者 和栗

https://kakuyomu.jp/works/16816700426039473358/episodes/16816700426039547138


 窓の外に現れた、真っ白なハニワ頭の目と口が水晶玉の真っ白なチンパンジーの姿をした得体のしれないものに「でかいの」と名付けた私が、見ないようになるまでの物語。



 最適なタイトル。

 タイトルの「でかいの。」とはなんだろう、と読み手に思わせることで、その気持ちを持ったまま本文を読ませていく。

 私の一人語り。内容が軽めのホラーなので、ホラーの文体がもちいられており、シチュエーションが具体的に説明されてはじまる。


 部屋にある大きな窓は、数年前に取り壊されたあと立てられたアパートのおかげで日光が入らなくなり、「ほぼ一年中カーテンが閉めっぱなし」である。

 読者にイメージしやすい導入のあと、「いつからか、妙なことが起きるようになった」しかも「妙なことは、不思議と雨の日にしか起こらない」と、状況をイメージしやすいようにゆっくりと語られていく。


 ホラー小説を意識してか、「こんこん」「じりじり」「がんがん」「けらけら」などくり返す言葉が多用されている。

 効果音は三回くり返すのがいい。

 なので、


  そして、雨の日。

  こんこん。

  きた。


 ここの「こんこん」のあとに、「……ごんっ」とつけると、そのあとの、「これ、すこし怖くなってきた」がより怖さを感じるかもしれないけど、この辺りはまだ怖さよりも好奇心が勝っているのだろう。


  じりじり、じりじり、じりじり。


 窓ガラスに迫ってくるところの表現には、恐怖を感じられる。

 大きな水晶玉の正体が、真っ白なハニワ頭の目と口で、体も真っ白でチンパンジーみたいな姿をしていることがわかるのだけれども、明らかに通常のチンパンジーよりも巨大なのが想像できる。

 机の前の部屋の大きな窓がどのくらいなのかは、読者の部屋にあるだろう窓の大きさを想像してもらえればいいのだろう。

 ベランダに出るような窓ではないはずなので、90センチ×170センチくらいの引き違い窓と仮定すると、窓いっぱいに「大きな水晶玉」がみえているわけだから、実際は窓の大きさ以上の大きさがあるということだ。

 この水晶玉が二メートルあるとする。

 目が丸いハニワの顔の比率を参考に考えると、単純に顔の横幅は十メートル、顔の縦幅はおよそ十五メートルくらいに想像。頭部だけですでに巨大だ。

 チンパンジーは小柄に見えるが、立ち上がると人の身長と同じくらいある。

 なので、進撃の巨人にでてきた超大型巨人並がいることになると、マンションに住んでいない限り無理がある。

 ということは、部屋にある大きな窓は、もっと小さい。それと、「でかいの」は顔だけ大きく、体は小さい二頭身かもしれない。

 一メートルの水晶玉をもった、ユミルの巨人くらいの真っ白なチンパンジーに似た得体のしれないものが窓の外から覗いているのを想像するだけで、すでに恐怖だ。

 

 アパートと「私」が住んでいる家との間は、どれくらい距離があるのだろう。


 部屋の大きめの窓は南側につけられている。なので、机の前の窓は南向きのはず。そこに隣家が立っていて、数年前に取り壊されてアパートが建ってしまったのだから、隣家が建っていた頃から、日当たりはあまり良くなかったというわけだ。おそらく、住宅密集している狭量地域に住んでいるのだろう。

 どの程度、境界線があるのか。

 民法第234条では「境界線から五十センチ以上の距離を保たねばならない」とあるし、民法235条では「窓から境界の距離が一メートルない場合、目隠しをつけなければならない」、となっている。

 カーテンをしめて目隠しをするのは「私」ではなく、あとからアパートを建てた向こう側に責任がある。そういう描写がないということは、建築中に注意しなかったか、それ以上離れているのだろう。

 仮に二~五メートルくらいまで離れていても、夏は日が高いが、秋冬になれば日陰になってしまう。「でかいの」が現れる前から年中カーテンを閉めていた理由は、夏の日差しと外からジロジロ見られたくないからだと推測する。

 そんな地域に、真っ白なハニワ頭の巨人が窓の外から覗いているとしたら、アパートの住人をはじめご近所さんたち、住んでいる家族は気づくと思う。

 その描写がないのは、みえてるのは「私」だけかもしれない。


「『でかいの』は恐らく、雨宿りをしているんだという推測を私は立てる。『でかいの』はぴったりバルコニーの下に収まりきってて、その場所から絶対に動かない。だいぶ雨が苦手なんだろう、と思う」と主人公の「私」は考えている。


 バルコニーはベランダとは違い、室外の専用スペースに出て上を見たときに屋根がなく、解放された空間のこと。その下に収まって雨宿りをしていると「私」は推測を立てているようだ。

 ということは、「私」の部屋は一階にあるのか。あるいはバルコニーのある三階建ての二階に住んでいるかもしれない。

 家の庭に、「でかいの」は雨宿りをするために立っているのを想像すればいいのだろう。部屋の中を覗き、中に入ろうとしてきている。そして「私」はそれを受け入れようとしていた。


 後半の家族で動物園に行き、弟の行動を見ていたときに気づく。いつの間にか家の中に入れても大丈夫じゃないか、と思っていた自分に。

 ひょっとすると「でかいの」の能力によって、私の警戒心を解き、部屋の中へと招かせようとしていたのかもしれない。

 以後、ノックされても関わらないようになる。世の中には説明も理解もできないことは存在しているし、「きっと、世の中はそんなことで溢れてる」と幕を閉じる。


 そもそも「でかいの」とはなんだろう?

 アパートが建つ前は、住宅が建っていた。そのときには「でかいの」を見ていない。おそらく、主人公は向かいの家の人とは交流があったか、挨拶程度だけれどだれが住んでいるのかを知っていた。なので、家の前に隣家があってもさほど気にしていなかった。

 だが、アパートになった途端、「でかいの」をみるようになったということは、だれが住んでいるのかわからないアパートの住人にジロジロ見られているのではないか、という不安の象徴としての化け物が「でかいの」だったのではないだろうか。

 そう考えると、「でかいの」を見えているのは「私」だけなのもうなずける。

 途中、「だいふく」と呼び名を変えようとしている。

 アパートの住人からの視線に慣れてきたのかもしれない。あるいは、挨拶程度だけど顔を合わせた人ができたとも考えられる。

 だが、動物園に行き、爬虫類をみていた弟がケースを叩くのをみていて「だいふく」が連想される。弟が見ている爬虫類は、「私」にはゲテモノで得意ではないもの。

 ゲテモノの爬虫類=だいふく=だれが住んでいるかわからないアパートとすると、相容れないものだと思えたのだろう。そして、「その日はもう、『動物園の動物』を見たくなかった。ろくに直視できたのは、そこら中にいるハトとガーガーわめく治安の悪いカラスだけ」と続く。

 動物園の動物とは、アパートの住人のことかもしれない。

 直視できたのは、「ハトとガーガーわめく治安の悪いカラス」のような住人が、アパートの前で揉めていた光景だったのだろう。

 以降、アパートを見ないようにしている。ノックとは、実際通りすがったときに挨拶されるのか、ただ騒音のような物音が聞こえてくるのか。

 子供のうちは、好奇心で変な人を見つけたら指差したりちょっかい出してくる相手に反応したりしていたけれど、大人になると無視して関わらないようにやり過ごす術を身につけていく。

 最後の「きっと、世の中はそんなことで溢れてる」を読んで、そうだねと腑に落ちた。




 

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