でかいの。
山野わぐり
本文
勉強机は、私の部屋で一番大きい窓の真正面にある。
数年前に隣の家が取り壊されて、その跡に建てられたアパートは私の部屋に入る日光を遮った。あのせいで一番大きい窓は、ほぼ一年中カーテンが閉めっぱなし。
そんな開かずのカーテンの前にあるのが、私の勉強机。その勉強机に向かってると、いつからか、妙なことが起きるようになった。妙なことは、不思議と雨の日にしか起こらない。
雨音のなか勉強したり、本を読んだり、ダラダラしていたり。とにかく勉強机でなにかしていると、こんこんと音がする。何の音かと思っていると、再びその音が鳴り、また何の音かと思っていると、再び鳴るの繰り返し。そうこうしていると段々音が気にならなくなってしまって、雨が止むとその音も消えているので、その正体は随分と長い間はっきりしなかった。
けど最近、ふと窓に何かがぶつかってる音なんじゃないかと閃いた。なぜそれまで気づかなかったのか、私も知りたいぐらい普通の発想なのはよく分かってる。
そして、雨の日。
こんこん。
きた。
これ、すこし怖くなってきた。万が一、知らないオジサンがはしごに跨がってノックしてたらどうしよう。いや、可能性は低いけれど、ないとは言えない。かわいい小鳥であってほしい。切実に、スズメでお願いします。
カビくさいカーテンをつまむ。カーテンがそれまで触ったことのない、濡れてるような濡れてないような、布のような肌のような触感だった。
すぐそこに、知らない何かがいるかもしれない気持ち悪さが無理。
早く安心したくて。おそるおそる、開けた。
窓の向こうには知らないオジサンもスズメもいなかった。そこには上下逆さまになった部屋と、その中の私がいた。いた、っていうのは外の風景を見た瞬間の感想で、すぐに水晶玉のようなものに映った私の部屋なんだと理解できた。よく占い師が使ってる、あれ。あれが窓枠いっぱいの大きさで、外にあった。
でも分からない。この「大きな水晶玉」がなぜこんなとこにあるのか。どう考えても、家の庭には「大きな水晶玉」なんてなかったし、ましてやフワフワ飛んでくるようなものでもないはず。
すると、突然「大きな水晶玉」がこっちに向かってきた。ゆっくりだけれど、その巨大さが醸し出す迫力は、ふつうに、人生で一番恐ろしかった。
じりじり、じりじり、じりじり。
まずい。イスの足につまづき、よろけながらも、すこしづつ後ずさった。
じりじり、じりじり、じり、じ。
ついに窓を突き破るかと思った。が。水晶玉は窓ガラスを、コンと叩いた。息をのんだ。次はコンコンと叩く。
迫力の割に拍子抜けする高音が鳴るので、おかしい気もした。きっと、恐怖で感覚が麻痺してたんだ。
それから雨が止むまで、ずっと、等間隔のノックが続いた。次第に私も慣れちゃって、ぼうっと体育座りなんかして眺めてた。
次の雨から、私はカーテンを全開にして「大きな水晶玉」を待つようになった。何回も観察しているうちに、「大きな水晶玉」は、更に大きな何かのほんの一部分でしかないことに気づいた。
「大きな水晶玉」は普通の何十倍は大きい、真っ白なハニワ頭(目と口に穴が空いてる、マヌケなやつ)についていた。そして「大きな水晶玉」は、実は合計三つあって、ハニワ頭の目と口にあたる穴に、それぞれ半分埋まったような状態だった。頭があるからには胴体もあって、それは普通の何十倍は大きくて真っ白な、けれどチンパンジーそのものだった。
人形を応急手術して、頭を移植したような風貌だけれど、妙に「なるべくしてなる」というか「そうだからそう」という感じの説得力があって、自然と受け入れられた。
私は「大きな水晶玉」の持ち主を、「でかいの」と呼ぶことにした。ひどいネーミングだと思うけれど、かっちり命名しても、ゴロゴロ鳴いたり、お手をするようには見えなかったので仕方ない。
「でかいの」は雨が降れば必ずやってきた。小雨だったり、ほんの一瞬の雨では現れないけれど、そうでもなければ必ずやってくる。
「でかいの」は恐らく、雨宿りをしているんだという推測を私は立てた。「でかいの」はぴったりバルコニーの下に収まりきってて、その場所から絶対に動かない。ひどく雨が苦手なんだろう、と思う。私も小学校のプールの授業は、顔を水につけるところから始まったし。
だんだん「でかいの」と呼ぶには惜しくなってきた。こんなにも、頻繁に私の家を訪れてくれるのは宅急便のお兄さんか、名前も知らない英語塾のパンフレットか、「でかいの」ぐらい。それに、最初はおっかなかった見た目も可愛くみえてきた。ずぼらな顔はチャーミングポイントだと、真剣に思う。
なので、「でかいの」から「だいふく」に改名させようと思う。真っ白だから「だいふく」。べつに名前を変えても、呼びかけに応じなくなるとかはないから楽。
初めて遭遇してから、ずっと観察していて、「だいふく」たぶん部屋に入りたいんじゃないかなと思うようになった。「だいふく」は礼儀正しいから窓を突き破ったりはしないんだ。窓開けといてあげようかな。いや、しっかり躾けないとママが嫌がるだろうから、窓越しに名前を覚えさせてからにしよう。あれ、窓越しでも私の声は聞こえるのかな。やっぱり開けなきゃ聞こえないか。でも、開けたら勝手に入ってきちゃうかもしれないな。でも礼儀正しい「だいふく」なら大丈夫な気もする。いやぁ。
そんな風に行き詰った。「だいふく」を部屋に入れる方法をどうにか考えようとして、思いつかないまま梅雨は去った。夏はそのことで頭が一杯で、宿題に集中するのも一苦労。いつの間に秋が来た。
ある日、動物園に行った。
弟が行きたいってうるさいから、家族で行くことになった。私は実をいうと、満更でもなかった。最近、秋晴れで雨が降らないから「だいふく」にぜんぜん会えなくて、ちょうど癒しが欲しかったところ。
弟はすばしっこくて、ゾウを見てると思ったらワニを見てるようなやつだから、目が離せない。個人的にチンパンジーが「だいふく」に似ていて、可愛かった。しばらくして、アフリカゾーンみたいなところを一通り見終わって、爬虫類館へと進んだ。
爬虫類館は、生き物たちのためなのか、照明が薄暗いオレンジでワクワクするような感じだった。弟は食いつきが凄くて、端の飼育ケースから順に観察して、いるはずのトカゲやクモが見つからないと不満を漏らしたりしてた。私は、こういうゲテモノは得意じゃないから、遠目に様子を見て、はやくヨチヨチ歩くペンギンを見たかった。
ただ、弟は一向に爬虫類館から離れないで、これを飼いたいとかこいつは庭で見たことあるとか、よく分からないことをずっと言ってた。流石に、一人でペンギン見に行っちゃおうかと思った。
そしたら、がんがん音がした。弟がケースを叩いてみたらしい。中の生き物の反応が面白かったのか、けらけら笑いながら、またやった。今度は親に注意された。随分と野蛮なことするな、と思ったけれど知的好奇心だからしょうがないとも思った。親も、たぶん同じことを考えてたと思う。
だから三回目以降は、そこまで注意されなかった。ただ、全部のケースでおんなじことを何回もするので、中にいるトカゲやらなんやらが可哀想だった。
がんがん、けらけら。がんがん、けらけら。がんがん、けらけら。
弟を見ていると、不意に「だいふく」を思い出した。きっとケースをたたく弟と窓をノックする「だいふく」のイメージが重なったんだ。
がんがん、けらけら。がんがん、けらけら。がんがん、けらけら。
そのとき、不意に口角がこわばった。頭がぐるぐるした。
がんがん、けらけら。がんがん、けらけら。がんがん、けらけら。
驚いた。なんで。なんでだろう。急に心に小さな風穴が空いて、そこからぴゅーっと、どす黒い不安の煙が侵入してきた。この事態を、私は理解できなかった。
ただ、形の無い不安の煙は少しずつ少しずつ固形化した。遂には言葉で表せるような確かな不安の実体となって私を襲う。
「だいふく」と「私」の関係は、本当に私が思ってるようなものなのかな。
「だいふく」をあんなに家に入れたかったのは、なぜだろ。
「だいふく」って一体なんなの?私の常識じゃ理解できない。
私の心は、不安の煙で満ちた。重くて苦しくて、目はうつろになる。
ひとまず強張る顔を見られないように、母に「気分悪いから休む」とだけ伝えた。
そうして、すぐそばにベンチを見つけて座り込んだ。
その日はもう、「動物園の動物」を見たくなかった。ろくに直視できたのは、そこら中にいるハトとガーガーわめく治安の悪いカラスだけ。
あれ以来、私は「でかいの」を見ないようにしてる。いまだにノックはしてくるけれど、あの日、私と「だいふく」の関係は崩れた。
でも、動物園に行かなきゃよかった、とは思わない。「なるべくしてなる」というか「そうだからそう」という感じが、するから。
きっと、世の中はそんなことで溢れてる。
でかいの。 山野わぐり @WAGURI-02
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