テンプレート・コメディー

テンプレート・コメディー

作者 おろしちみ

https://kakuyomu.jp/works/16816700426132138819/episodes/16816700426132813786


 タガを外した僕は「今日、死ぬ覚悟」を脚本に書いて自殺し、幼馴染の加弥子は彼の残した作品から永遠を生きようと思った物語。


 タイトルが作品全体を象徴している。 

 訳すと、型通りでつまらない喜劇といったところだろうか。テンプレートには雛形や定型文、量産型、あるいはありきたりなというイメージも持っている。どんなありふれた喜劇なのか、「読んでからのお楽しみ」ということだ。

 サブタイトルの「エピソードタイトルを入力」は、カクヨムで作品を作るときに初めに表示される「エピソード文章を入力」から来ていると推察する。


 主人公「僕」の一人称。後半は幼馴染になり「私」に変わる。だが、作品の流れとしては自然で、違和感なく読める。

 作者が書きたいことを書いた、と感じられる意欲作。

 よく出来ている。

 クラスで行う劇の脚本を書かされることになるシーンからはじまったあと、「僕が犯した大きな過ちは二つ」を説明しながら主人公の置かれた状況を語り、他のクラスにいるが心配してくれる加弥子が登場、その関係性がわかる。

 この前半の流れがいい。ある意味、理性的で状況をテンポよく語りながらも、一気に読ませてくれる。

 後半は、「僕」の感情的な行動が描かれ、いきなり視点かわる。そしてクライマックスを迎える。

 最後の一文は、この一連のお話を書いたのは彼女が書いたことを意味しているのかしらん。だとすると、彼の生き方も彼女の行動もクラスメイトたちの態度もすべてが「テンプレ―ト」だったという、メタネタ的なオチか。

 

 主人公の僕には片思いの幼馴染、加弥子がいる。彼女のために小説を書いてきたが、どれも量産されて世にあふれる誰かが作ったテンプレートをつかって作ったものだった。なので彼は、自分で作ったけれども、ストーリー展開まで自分で生みだしたわけではないため、自作小説を愛していない。

 なのに、そんな作品を唯一褒めてくれる彼女。

 だから彼は、彼女の感想も、「偽物テンプレートの感想なんじゃない?」と疑っている。

 おそらく加弥子は、彼が作ったものだから、褒めているのだ。その後の彼の行動から察するに、そんな彼女の気持ちにも気づいていなかっただろう。


 加弥子は、主人公が嫌いだった。

 自分のことを好きなのに、恋だとわかっているくせに「いつもうじうじしていて」「変な言葉でごまかして」いたからだ。

 ずっと伝えてくれないもどかしさに耐えられず、「他の適当な男」を作って自分を慰めてしまう。


 臆病な主人公の僕は、幼馴染に彼氏がいることを知って以降、彼女のことが好きな気持ちは変わらないまま、「フラれるのが怖くて」なにも行動に移すことができなくなっていた。


 主人公の僕は、バレることはないだろうとネットに小説を投稿し、自分は小説家だと名乗っていた。

 自分の将来のために真面目に受験勉強に勤しむ周囲の人達からすれば、社会にとって必要ないものとみられる「芸術を生業にしようとしている者は煩わしく」思われていたところに、小説の投稿と宣伝をしているツイッターのアカウントに電話番号を連携していたため拡散され、痛い小説だらけでろくに読まれていないことが学校中に知れ渡ってしまい、クラスの連中からは「小説家様」と揶揄され、いじられる日々を過ごしていたのだ。

 そんなときに舞い込んでくる文化祭で発表するクラス劇。クラスメイトに「脚本を書け」といわれ、嘲笑されながら引き受けざる得なかった。


 ネットカルチャー発のバンド、ヨルシカの『爆弾魔』をイヤホンで聴きながら、檸檬を爆弾に見立てる想像上のテロリスト、梶井基次郎の『檸檬』を読んでいるシーンは「僕」の心情がよく表れている。この先の彼の行動を暗示しているかのようだ。

 読了した二番のサビは、


  あの夏を爆破して

  思い出を爆破して

  酷いよ、君自身は黙って消えたくせに

  酷いよ全部


  この街を爆破したい

  このままじゃ生きられない

  だから今、さよならだ

  吹き飛んじまえ


 書き上げた脚本を、違うクラスの幼馴染、加弥子に読ませるも冒頭の言葉に怒って「僕」の頬を叩く。

 主人公は臆病で、勇気と無謀をはき違い、挑むべき方向に向かわず、歪み、足掻き、惑い、墓穴にはまり、最期に挑む勇気だけが残された夢として自殺を選んでしまった。


 小説と脚本は書き方が違う。それくらい主人公もわかっていると思う。小説にしてから脚本に落とし込んだのだろうか。彼がなくなったあと、「彼の作品は、文化祭で最優秀賞を取ったのはもちろんのこと、コンクールでも賞を受賞した」とある。

 なので、いままで主人公をいじり続けてきたクラスメイトは、自殺した主人公がかいた脚本を、文化祭で演じたということだ。

 また、脚本の最後には幼馴染に対する気持ち、「僕は加弥子のことが、本当にずっと、好きだった。今まで嘘吐いててごめん」を読んで、彼女は心が壊れた。

 ある意味、主人公は自分を傷つけた相手に復讐した形となった。彼が自殺するときに意図していたものかはわからない。少なくとも、賞をとれるかどうかわからなかったはずなので、そこまでは考えてはいなかっただろう。


 主人公のかいた小説は痛かったかもしれないけれど、今回書いた彼の作品は、出来がよかった。

 これを読んでいて、『まくむすび』という漫画をおもい出した。

 漫画は面白くないけれども、戯曲にしたら素晴らしいものに化ける。土暮咲良とおなじく、主人公の「僕」にも脚本の才能があったのかもしれない。


 心の壊れた加弥子だったが「自分の心が治るまで、生きてみよう」「永遠に生きようと思った」という。それが彼が本当に伝えたかったことだったのではないか、と信じて。

 

 鬱蒼というのは、草木が薄暗くなるほどたくさん茂ってる様子をさす言葉で、「ふと空を見上げると、酷い鬱蒼が広がっている」というのは、空を見上げると、木々が混み合って茂っている様子が広がっていたという、蜃気楼的な幻想風景がみえたとなるかしらん。

 気が滅入るような曇天に覆われた鬱々した空がみえた、ことを作者はいいたいのかもしれない。きっと、「鬱」と「蒼」という漢字を使いたかったんだと思う。


 傷つこうが砕け散ろうが、「若者は行動することしかできない」ということに気づいたときにはとっくに大人で、後の祭り。あとで悔やんでも時は戻らない。いい加減、先人たちの失敗から学ぶべきなのだけれども、だれも教えてくれないから悲劇は起き、くり返されてしまう。

 悲劇も喜劇。

 これもまたテンプレであり、タイトルの「テンプレート・コメディー」を指しているのかもしれない。

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