第189話 異世界の王女

「……ここは、どこなのかしら?」



「デナーリス様、あきらかに滅びる寸前だったベスターランドでなく、別の世界だと思われます」


「この世界は、随分と自然が豊かなのね。その代わり人が見当たらないけど」


「デナーリス様! この世界にはダンジョンがあります! デナーリス様の移転魔法は成功したのです!」


「よかった。少なくとも、これでしばらくは生き残れるわ」




 私たちが住んでいた世界は魔王の侵攻を受け、すべての人間が滅ぶと思われた時、巫女である私が召還した異世界の勇者が見事魔王を倒し、世界を救ってくれた。

 勇者は望郷の念が強く、再び私の魔法で元いた世界へと戻っていき……本当は残って私と結婚してほしかったけど……これで世界は復興へと進む。

 そう思った時、異世界から勇者を召還する決断をした王……私の兄が急死してしまった。

 そして兄の跡を継いだのは、彼の異母弟にして私の異母兄だったのだけど、彼……クシュリナが王となってから、私たちの世界は魔王の侵攻を受けていた時以上の混乱に陥ってしまう。


『人は、ダンジョンと魔法を捨てなければならない。あんなものがあるから、世の中には貧富の格差が存在し、貴族や王族、大商人たちが傲慢になり、魔王は侵攻してきたのだ。そんなものに頼らず、みんなで畑を耕して生きていけばいい』

 

 新王は魔法や魔導工学の使用を禁止し、ダンジョンに人が入ることを禁止した。

 そのせいで魔石と資源、ドロップアイテムが手に入らなくなり、人々の暮らしは貧しくなっていく。

 これでは庶民も貧しくなってしまうと新王に抗議した貴族もいたけど、『みんなが等しく貧しくなるのはいいことだ』とまったく聞き入れず、その貴族を牢屋に入れてしまった。

 処刑されなかったのは、新王が死刑を廃止しようとしていたから。

 それを憂いて密かにダンジョンに入った人たちが多数出たけど、新王は激怒して彼らも牢屋に入れてしまい、さらに軍隊でダンジョンを囲んで見張るようになってしまった。

 さらに、ダンジョンがなくなれば決まりを破ってダンジョンに入る者たちはいなくなると、ダンジョンをこの世から失くす作戦を実行。

 この時ばかりは例外として、優秀な魔法使いや魔導工学の技師を多数動員し、私の転移魔法を強化、コントロールして、すべてのダンジョンが他の世界へと飛ばされ、世界からダンジョンはなくなってしまった。


『これでいいのだ。ダンジョンは富の偏在を生む。人々は畑を耕し、穏やかに暮らせばいいのだ』


 世界中からすべてのダンジョンが消えたことを確認した新王は、自分の理想が実現してご機嫌だった。

 だけどすぐに、大変な事態に陥ってしまう。

 その年の作物の収穫が劇的に落ちたのだ。

 特に天候不順というわけでもなく、適切な量の水と肥料を与えても、なぜか作物が育たない。


『こうなれば、自然の恵みに頼るのだ!』


 新王はそう臣民たちに命令したけど、農作物が育たないのに、自然の山菜、キノコ、動物が育つわけがない。

 それに、元からそれらの産物はダンジョンから手に入れていた量の方が圧倒的に多く、ダンジョンがなくなれば不足するに決まっている。

 とにかくダンジョンをなくしたかった新王が、そんな忠告を聞くわけがないけど。

 世界中が大飢饉に陥り、飢えた人たちがわずかな獲物や採集物、備蓄作物を奪い合い、ついには争いで命を落とす人が続出する事態にまで発展した。


『ええいっ! 臣民たちが農作業の手を抜くから悪いのだ! もっと真面目にやれ!』


 自分が正しく賢いと思っている新王が自分の失敗を認めるわけがなく、取り巻きたちから天候不順でもないのに農作物が不作なのは、農民たちが手を抜いているからだと吹き込まれ、それを信じてしまいまった。


『農地をやる気のある者に与え直す!』


 新王は、長年その畑を耕し、その畑を熟知していた農民たちから農地を取り上げ、それを失業対策として流民たちに与えてしまった。

 流民たちには農業の経験がない人たちも多く、そんなことをすればますます収穫量が下がってしまう。

 実際翌年の収穫も、去年以上に落ち込んでしまう。


『陛下、飢え死にする者も出始めましたぞ』


『これは、増えすぎた人間に神が与えた試練だ!』


 自分の失敗を認められず、飢饉に有効的な対策が打てない新王は、こうなったのは人間が増え過ぎたからだと言い始める始末。

 以前から、魔法や魔導工学で人々の生活が良くなりすぎると、自然が破壊されるのでよくないなどと言っていたけど、ダンジョンが消滅してからというもの、草木や動物も急速に減少を始めていたのは皮肉な話だと思う。

 当然そんな新王についていけない者たちは多く、食料不足もあって王国では内乱が頻発してしまう。


『この私が実現しようとしている、素晴らしい世界を否定するのか? ええいっ! そんな輩は討伐してやる!』


 激高した新王は反乱勢力の討伐に乗り出しますが、元々軍事的な才能に乏しく、その渦中で討ち死にしてしまいまった。

 新王……多くの人たちに憎まれていた私の異母兄クシュリナは、その死体を切り刻まれて家畜の餌にされてしまったとか。

 昔から王政や貴族に批判的で、みんなが平等に暮らせる社会を目指していたのに、こんな結末になってしまうなんて……。

 そして、新王の死で王国は崩壊した。

 王女である私では跡を継げず、多くの傍流王族や貴族が新たな王を名乗り、他の王を名乗る勢力と血みどろの戦いを始める。

 実は、彼らが戦う理由の最たるものは、すでにほほ手に入らなくなった食料を他の勢力から奪うことだったのだけど。

 ダンジョンが消えた三年目の秋、収穫はほぼゼロとなり、人々はわずかに残った食料を手に入れるべくさらに多くの血を流し、飢え死にする人たちも増えていった。

 噂では、死体を食べるために戦をしているなどという話も……。

 残念ながら、それは事実だったようだけど。

 殺されるか、飢え死にするか。

 そんな悲惨な状況のなか、私は城内のメイドや女性騎士、魔法使いなど。

 王女である私に同行したいと希望する女性たちを連れて、これまで住んでいた王城から脱出した。

 もし王城に留まっていたら、私たちはすべてを奪われ、酷い目に遭いながら殺されていたはず。

 実際私たちが逃げ出したあとの王城は、次々と王を名乗る者たちが入っては、他の王を名乗る者の軍勢によって落城し、次々と持ち主が変わっているとか。

 かつてはその美しさを誇っていたお城が、今では床や壁にこびり付いた血を掃除する者もおらず、完全に荒廃しているという噂が流れてきた。

 結局ダンジョンがなくなったこの世界はもう滅びるしかなく、ただ逃げ惑う私たちが生き残るためには、私が使える召還魔法を用いて他の世界に脱出するしか手がなくなってしまった。

 異世界から勇者を召還する魔法を逆転させ、私たちが異世界へと転移する。

 だいぶ工夫が必要だけど、私についてきた女性ばかり286名で大規模な円陣を組んで魔法陣の代わりとし、彼女たちの魔力も用いれば、理論上は異世界へと転移できるはず。

 もしそれに失敗して死んでしまったところで失うものはなにもなく、私たちは覚悟を決めて異世界への転移を試みたのだ。




「そして見事に成功したけど、ここはどこなのかしら?」


「デナーリス様、ここは人が住んでいない世界なのでしょうか?」


「わからないけど、そうと決めつけるのは早計よ。周囲を探索しましょう」


 未知の異世界転移だったけど、私にはリョウジ・フルヤを召還した経験がある。

 だから、かなりの確率でリョウジが暮らしている世界に転移できたはず。

 リョウジから聞いていた『チキュウ』は元いた世界よりも圧倒的に人口が多く、文明も進んでいると聞いていたけど、ここには自然しかない。

 段々とリョウジに会えないのではないかと不安が増してくるけど、離れた場所に町があるかもしれない。

 彼を探すべく、私たちは移動を開始する。


「デナーリス様、この世界にはモンスターがいませんね」


「ダンジョンも見つからないです」


「まだ広い範囲を捜索していないので、そう決めつけるのは危険……戦闘準備!」


 モンスターの気配を感じたので私たちが身構えると、一匹のコカトリスが確認できた。

 コカトリスはさほど強いモンスターでもなく、石化にだけ気をつければ私でも倒せる。

 コカトリスは私を守る女性騎士たちによって、一瞬で倒されてしまった。


「デナーリス様、こいつはダンジョンから外にハグれたモンスターだと思われます」


「ということは、この世界にもダンジョンがある証拠ね」


「捜索を続けましょう」


 またもしばらく歩いていると、なんと今度は広大な小麦畑が見えてきた。


「随分と、小麦の粒が大きく、数も多くて中身も詰まってますね」


「それに、辺り一面がすべて小麦畑です。地平線の先まですべて畑で終わりが見えませんよ。私たちの世界にこんなに広大な畑はなかったです」


 みんなで農業をやれと言う割には、クシュリナは農業に全然詳しくなかったしね。

 結局彼は、家族で狭い畑を懸命に健気に耕し、貧しくても文句を言わずに暮らす従順な民たちが大好きだったから。

 魔法や魔導工学の否定は、自分が魔法を使えなかったからで、自分が王の座から追い落とされるのではないかという恐怖から。

 みんなに農業をやらせたのは、民たちの生活をよくする自信がなかったから。

 王でない頃は、そうすれば本当にみんなが貧富の差もなく暮らせると能天気に思っていたんだろうけど、王になってから彼の本心が露呈した形ね。

 みんなで広大な小麦畑を見ていると、またもこちらに接近してくるものが……。


「デナーリス様、この気配はモンスターでも魔族でも人間でもありません」


 宮廷魔法使いの娘で、自身も優れた魔法使いであるマリアが、私に何者かの接近を『探知』したと教えてくれた。

 騎士たちが警戒していると、なんとその正体は……。


「ゴーレムか!」


「すみません、ここは古谷企画が経営している農場なので、これ以上立ち入らないでください。それと、農作物泥棒は容赦なく捕らえますので悪しからず」


「……生意気なゴーレムめ! 姫様がそんなことをするはずなかろうが!」


 私の幼馴染で優れた騎士であるアリスが、私たちに小麦を盗むなと忠告したゴーレムに激昂した。

 王女に作物泥棒するなと注意するなんて、不敬罪と思われても仕方がないのだから。

 相手はゴーレムだから不敬もクソもないのだけど、それよりも一つ気になったことがあった。


「フルヤキカク? リョウジ・フルヤが経営する商会ってことかしら?」


「はい。古谷良二は古谷企画の会長です」


「やったわ! 私は異世界転移に成功したのよ!」


 それも、リョウジが住む世界に。

 彼が私と結婚してくれなかったことは悲しかったけど、ようやく彼に会うことができる。


「お願い、リョウジに会わせて」


「会長にですか? 会長はお忙しいので、アポイントメントを取っていただく必要があります」


「なんだと! 王女殿下であるデナーリス様がお会いしたいとおっしゃっているのだぞ!」


「そう申されても、それがルールですから。まずは、プロト1社長に連絡させていただきます」


「お願いね」


「デナーリス様、こんな無礼が許されるのですか?」


「リョウジはこっちの世界で成功しているのね。それなら忙しくて当然でしょう。それに私たちの身分なんて、異世界では通用しないものなのだから。ここは安全みたいだし、待つくらい構わないわ」


 リョウジがこの世界にいる。

 今はそれだけで十分よ。







「会長、アナザーテラの北米エリアで小麦畑を管理している、ニュー58から、人間と遭遇したって報告が入ってるけど」


「えっ? そんなことありえるか?」


「実際に会ったらしくて、それもかなりの大人数だって。さらにその代表者が、会長に会いたいと言っているのだ」




 今日も予定のスケジュールをこなしていると、プロト1から有り得ない報告があった。

 なんと、無人のアナザーテラで農場を管理しているゴーレムが、人間と遭遇したというのだ。

 いまだ、富士の樹海ダンジョンの二千階層からアナザーテラに辿りつけた俺たち以外の冒険者はゼロだし、今の地球にアナザーテラに辿りつける宇宙船を作る技術は……もしかしたらあるかもしれないけど、建造しているって話もなかった。

 なのでアナザーテラに人間が、それも大勢がいるなんてあり得なかった。


「誰なんだ?」


 もしかして、人間型モンスター……そんなものこれまでに遭遇……ドッペルゲンガーのハグレモンスターか?


「その集団のリーダーはデナーリスと名乗っていて、会長との面会を希望しているって、ニュー58からの報告なのだ」


「デナーリスだって! その名前に聞き間違いがなければ……しかし、どうして彼女がアナザーテラに? 『テレポーテーション』!」


 俺はいても立ってもいられず、『テレポーテーション』で現地へと飛んだ。

 すると、農場管理をしているゴーレムたちと、その近くに冒険者の装備に身を包んだ若い見慣れた女性が。


「本当にデナーリスだ」


「リョウジ……本当にリョウジなのね! リョウジぃーーー!」


 やはり俺のよく知るデナーリスで、彼女はそのまま勢いよく俺の胸に飛び込んできた。


「私、リョウジに会いたくて、召還魔法を逆転させたの」


「無茶をするな。失敗していたら、永遠に異次元空間の迷子になったかもしれないのに……」


 召還魔法の効果を真逆にする。

 説明すると簡単に聞こえるが、召還魔法自体が非常に複雑な仕組みで構成されているから、デナーリスが俺を召還したことがあるとはいえ、そう簡単に地球に転移できるって話ではない。

 失敗して発動しないくらいならまだマシで、次元の狭間に飛ばされ、永遠に閉じ込められていた可能性だってあるのだから。


「デナーリス、どうしてそんな無茶をしたんだ?」


「リョウジ、残念ながら私たちの世界は滅んだの。せっかくリョウジが魔王を倒してくれたのに、私の愚かな兄が王になったら、貧富の差をなくすんだって、ダンジョンを他の世界に飛ばしてしまって……」


「ダンジョンなら、すべてこっちの世界に飛ばされてきたよ」


 地球にダンジョンが飛ばされてきた原因がようやく特定できた。

 バカ王子のクシュリナめ! 

 ルナマリア様から奴が新王になったと聞いてたけど、本当にやらかしやがったんだな。


「だからこの世界にダンジョンがあるのね」


 やはり向こうの世界は滅んだのか……。

 まだ完全に滅んだわけじゃないけど、デナーリスたちが命を賭けて他の世界に逃げ出したくらいだ。

 ダンジョンがなくなった影響で、向こうの世界の生態系が完全に崩壊したのだと思う。

 ダンジョンあっての世界だったのに、ダンジョンがなくなれば滅んで当然だ。


「そりゃあ、ダンジョンがなくなれば世界を維持できなくて当然よね」


「ええっーーー! ルナマリア様?」


 突然ルナマリア様が姿を見せたので、俺は驚きを隠せなかった。

 さすがは女神というか、まったく気配すら感じられないまま、突然姿を現すのだから。


「しばらく姿をお見せにならないと思ったら、こちらの世界にいらっしゃったのですか?」


「だってあのバカ王が、『神様なんていない!』ってうるさかっし、『宗教は麻薬』だっけ? 教会まで壊しちゃうし、いられないわよ」


「愚兄が大変申し訳ありません」


「私はこっちの世界で、気楽にダンジョン神をやってるからいいけどね。それにあいつも死んじゃったみたいだし。それよりもさぁ。こっちにもクシュリナみたいな政治家が出ちゃったじゃない。そっちをなんとかしないと。リョウちゃんは対策があるの?


「あるのとかと問われればありますよ」


「どんな対策?」


 俺が獅童総理への対策があると答えると、ルナマリア様が身を乗り出してきた。

 ルナマリア様は、獅童総理を危うい政治家だと思っているのか。

 確かに自分の理想に向かって突っ走るところは、クシュリナに似ているよな。


「暗殺?」


「まさか。あのぅ、仮にも女神様が暗殺なんて口にしていいんですか?」


 というか、神様が口にしていいのか?

 そんなこと。


「別にいいじゃない。実際に殺したわけじゃないんだから」


「ここで獅童総理が変死したら、彼を支持する人たちが冒険者による謀殺を疑いますし、下手をすると、獅童総理が反冒険者を主張する人たちの象徴になってしまうかもしれませんから」


 その気になれば今すぐにでも暗殺できるけど、もしそれをすると、今後ますます冒険者が世界中の人たちに怖がられ、警戒されるようになってしまう。

 それはできるだけ避けないと。


「確かにそれは困るわね」


「特に変わったことはしませんよ。とにかくデナーリスとみんなには休んでもらうとして、アナザーテラに大規模な街を作っておいてよかった」


 今後のことは、他のみんなも集めて離さないといけないから、まずはデナーリスたちを連れて『フルヤシティー』に戻ることにしよう。







「……リョウジさん、そちらの方は?」


「ええと、俺が異世界で魔王を倒していた時にお世話になった、デナーリス王女です」


「ふーーーん、とっても綺麗な人だね」


「別の世界の王女様がこのアナザーテラにいらっしゃったということは、向こうの世界でなにかあったのでしょうか?」


「異世界の人を『召還』できるなんて凄いわね。あっでも。レベルは1で、ジョブの表示もナシなのかぁ。リョウジと同じだから、本当に異世界の人なのね」


「今度、みんなでダンジョンに潜りましょうね」


「……」


「(良二、どうした? そんなに不安そうな表情を浮かべて)」


「(イザベラたちがなにも責めてこないのが怖い)」


 デナーリス一行を連れ、俺たちはアナザーテラ、ハワイ地区のある屋敷に戻った。

 なお、ハワイには数万人が暮らせる街が建設中であり、彼女が連れてきた286名の女性たちは完成した街の家屋で暮らしてもらう予定だ。

 それにしても、見事に全員が女性とは。

 王女にして優れた巫女で、召還魔法が使える特別な魔法剣士であるデナーリスに仕えるメイドや特別な技能を持つ使用人、護衛の騎士、魔法使い、僧侶、情報収拾を行う間諜までいて、クシュリナが新王になってから困窮していた若い娘たちを集めて面倒を見ていたそうだ。

 全員が若い女性で未婚者なのは、未婚の王女であるデナーリスの傍に男性を置けなかったから。

 それは別にいいのだけど、イザベラたちがデナーリスに怒らないのが逆に怖い。

 だって彼女は、ずっと俺と腕を組んでいたのだから。


「(その程度のことで怒っていたら、良二の奥さんなんて務まらんのと違うか?)」


「(剛、これは浮気じゃないんだ。まだ……)」


 向こうの世界では色々とお世話になっており、俺が魔王退治で死なずに済んだのはデナーリスの手助けのおかげだった。

 魔王を倒したあと、彼女と結婚して王国の貴族になるという話を断ってこっちに戻って来た負い目もあって、俺はデナーリスに組まれた腕を解くことができなかった。

 もし俺が向こうの世界に残っていたら、滅ぶなんて結果にはならなかったかもしれない。

 そんな風に思うと、申し訳なさから余計にデナーリスの好きにさせてしまうのだ。

 妻のある身としてどうかと思うけど。

 だけどそれは妻であるイザベラたちを怒らせることにもなり、でも表面上は怒っていない彼女たちが怖くもあって……。


「リョウジさん、おわかりいただけませんか?」


「なにをかな?」


 わからない。

 イザベラたちの心の内が。

 いくらレベルが高くても、妻の考えていることまでは読めないのだから。


「確かにこの世界では、芸能人が浮気をしてバレたら仕事を干されますし、政治家なら役職を失うこともあるでしょう。ですが、そんなことで仕事を干されてしまうのは小物の証拠。あまり表立って報道はされませんが、世界のセレブの大半は複数の恋人や愛人を複数抱えていますから、リョウジさんの妻がもう一人増えたぐらいで 私は気にしません」


「そんなこと気にするような人に、リョウジ君の奥さんは務まらないものね」


「昔の武家や公家も、側室がいるのは当たり前でしたから。平等に愛してくれるのであれば私も気にしませんよ」


「リョウジ、 こういう時は堂々と『妻が一人増えるから』って報告すればいいのよ」


「そこがリョウジさんのいいところですから。それにしても、貴族や王族、旧華族、大統領の孫娘と、昔に戻ったかのようなお話ですね。。女王である私が言うのをどうかと思いますが、私は長年一般庶民として暮らしてきたので」


「俺たちは今、色々と懸案事項を抱えているからな。デナーリス王女もリョウジと結婚して、彼女と286名を保護すればいいじゃないか。良二にはその財力があるからな」


「みんな、ありがとう。リョウジなら沢山奥さんがいても当然よね。ちゃんと序列は守るから」


「そんなものありませんが」


「それでよく、後宮が崩壊しないわね」


「デナーリスさん、確かに私たちはリョウジさんの妻ですが、リョウジさんの国は一夫一妻制しか認められておらず、男性が複数の女性とそういう関係になると、マスコミや世間に大きく叩かれるので、あくまでも秘密の夫婦関係なのです」


「マスコミ?」


「ええと、号外みたいなものだよ」


 向こうの世界は紙が貴重だったので新聞はなかった。

 木製の立て看板にニュースを書き、街角で解説をする人たちがいたのだ。

 立て看板に書かれている内容を読み上げるのは、向こうの世界は庶民の識字率が低かったという理由もあるのだけど。

 最新のニュースを聞き、解説をしている人にお金を払う。

 これが号外屋の仕事であった。

 魔王討伐の進捗状態が定期的に号外として出ていたのを、俺自身も街角で目撃したことがあった。


「号外って、もっと重大なニュースを伝えるものじゃないの? 男の人が複数の女性とつき合っただけで大騒ぎになって世間で大批判されるなんて、この世界は平和なのね」


「世間に影響力がある人限定だけど」


「リョウジに嫌がらせしていたモントン公爵なんて、他人の奥さんばかりに手を出すどうしようもない男だったけど、別に罰せられたりはしていないかったけど」


 向こうの世界でも不倫は存在したけど、それで仕事を失くす人なんていなかったからなぁ。


「この世界の詳しい事情についてはあとで教えるよ。それよりも、剛。飯能総区長と岩城理事長はもう来ているのか?」


「来てるぜ」


「やあ、古谷君」


「君が異世界に召喚されて魔王を倒した話は本当だったんだね。しかも、召還されていた世界の王女様と大勢の美少女ご一行が、このアナザーテラに辿り着くとは」


 岩城理事長と飯能総区長もやって来て、まずはある程度の情報交換を行ってから話し合いを始めることにする。


「獅童総理対策がメインだったんだけど、デナーリスさんがこのアナザーテラに姿を現したことにより、当初考えていた計画を軌道修正することにしたよ。デナーリスさんが王女だからこそ、この手が一番いいだろうね」


「岩城理事長、獅童総理対策ってなんですか?」


「それは勿論、我々冒険者たちが逃げ込むことができる、新しい国をこのアナザーテラに作ることさ」


 岩城理事長はとんでもないことを考えていた。

 なんと、冒険者による新しい国を作るというのだ。


「日本は民主主義の国だからこそ、時折獅童総理みたいなのが出現して、我々冒険者を面倒事に巻き込む。ダンジョン出現以降、冒険者は日本の経済成長と発展に大きく貢献してきたけど、それが気に食わない人たちも多いのさ。私と岩城理事長を嫌う人も多い」


「経済成長と技術発展を進めれば進めるほど、貧富の差が広がるからね。当然、仕事がなくなる人たちが困窮しないように最低限の保障はするんだけど、不満を持つ人は多い。働かずに最低限の生活ができることを素晴らしいと考える人たちもいるけど、自分が無職なのが嫌で、社会で大活躍して多額の報酬を貰い、世間から称賛されなければならないって思う人たちだっている。残念ながらそういう人たちの大半は、ゴーレムでもできる仕事しかできなかったり、それすらできない人も少なくないんだけど……」


「バカほどプライドが高いとも言う」


 事実だけど、飯能総区長、言い方!

  ただ元々ダンジョンが存在しなくても、ロボットやAIの進歩により多くの人間が仕事を奪われると言われていた。

 そこにダンジョンが出現してさらに技術が進んでしまったので、多くの人たちが自分たちの仕事を奪うゴーレムと、それを作った冒険者たちに恨み向けたわけだ。


「そしてそんな人たちが、獅童総理と日本再生党に投票したのさ。人間全員になにかしらの才能とそれを生かした仕事がある。そう考えるのは自由だけど、現実はそうでもなかった。ダンジョンがなくても、じきに大勢の人たちが仕事を奪われるはずだった。ベーシックインカム制度というのはとどのつまり、仕事の邪魔をする無能たちは、頼むから遊んでいてくれってことなのだから」


 働かずに暮らせてラッキーと考える人たちはいいけど、そうでないとベーシックインカムって新時代の奴隷制度みたいなものかもしれない。


「実際のところ、我々が作ったゴーレムを排除しても、日本の企業はここ数年、儲けをAIとロボットの開発に投じていたから、日本の就業率は大して上がっていない。イワキ工業も新型ロボットの開発に莫大な予算を投じていたから、実は今日本国内で動いているロボットやAIって、イワキ工業製が多いんだよ。それを知った獅童総理は『冒険者資本に日本が支配される!』と激怒したらしいけど、ロボットとAIまで禁止にしたら、科学技術を否定することになってしまう。だから嫌々黙認している」


 獅童総理のせいで、日本の将来が暗いのはよく理解できた。


「他にも、ダンジョン封鎖を解いて海外に魔石や魔物の素材、ドロップアイテムの輸出を許可する羽目になってしまった件とか。獅童総理は、ますます冒険者を嫌うようになった。冒険者のせいで政治的な妥協をしてしまったからだ。まだ彼を支持する熱狂的な有権者がいるから大丈夫だけど、じきに化けの皮が剥がれ、とりあえず支持率を上げるために無茶をするかもしれない。 それも、冒険者に対しなにかをしてくる可能性が高い。冒険者の数は少なく、普段を冒険者に押し付ければ支持率も上がりやすいからね」


 同じ政治家だからこそ、飯能総区長は獅童総理の暴走に警戒してるのか。


「再びダンジョンと冒険者特区が狙われるかもしれない。だからこそ冒険者たちが逃げ込める場所、独立した国があった方がいいと判断した。イギリスとドイツも、今は獅童総理と同じような政策を掲げている人物が政権を担っているからね。これは日本だけの問題じゃない」


 多くの人たちの生活が豊かになるように努力しても、必ずみんなに評価されるわけではないどころか、最悪憎まれてしまうこともあるということか。

 ダンジョンなんかがあるから、冒険者ばかりが儲かって、自分たちは最底辺の生活に追いやられてしまう。

 そう思い込み、ダンジョンを否定する政治家に票が集まってしまった。


「グランパが言っていたけど、アメリカにも反ダンジョンを掲げる政治団体があって、日増しに支持者が増えているって、頭を抱えていたわ」


「イギリスも、じきに今の政権がダンジョンを封鎖するなんて話があるそうですわ。エネルギーと資源をどうするつもりなのかはわかりませんが、 それを考えられない人たちがそういう政治家を支持するので、こればかりは止めようがありません」


「ダンジョンこそが貧富の格差を生むと言って、ダンジョンを自分たちの世界からこの世界に飛ばしてしまった新王は、 私たちの世界を滅ぼした罰を受けて反乱者たちに殺されてしまったわ。世界は違えど、同じ過ちをする政治家がいるのね」


 デナーリスは、自分の異母兄と同類がいるのかと、その表情を暗くさせていた。

 せっかく滅びゆく世界から逃げ出したのに、移転先の世界でも為政者が同じミスをしていたのだから。


「だからこそ、このアナザーテラに冒険者の国を作るのさ。そしてその国家元首なんだけど、最初は古谷君に頼もうかなと思っていたんだ」


「嫌です」


 たとえお飾りでも、俺に政治家なんて務まるわけがないのだから。


「実は今日、岩城理事長と二人で古谷君が首を縦に振るまで説得しようと思ったんだけど、まさか適任者が現れるとは。冒険者の国の国家元首は、デナーリス女王ということで」


「私?」


「冒険者の国は王政国家にして、選挙でアホな政治家がおかしな真似をしないようにする予定です。普段はビルメスト王国やイギリスみたいに、『君臨するど 統治せず』の立憲君主制にしますけど」


「助かったぁ、デナーリス女王。お願いね」


「この世界に到着早々、私が女王だなんて……」


 突然新しい国の女王ですと言われたデナーリスは、かなり驚いていた。


「普段の政治は私や冒険者の中で政治家や官僚に特性がありそうな人たちに任せますので、普段は王配である古谷君と仲良くしていて問題ありませんよ」


「引き受けた!」


 飯能総区長が俺をデナーリスの王配にするという条件を出すと、彼女はその話を受け入れた。


「そんな条件で女王になっていいのか?」


「それこそが一番大切な条件じゃない。リョウジ、私はもうあなたと離れたくないの。私が奥さんになったら迷惑?」


「そんなことはない! すでに奥さんが五人いる俺でもいいのなら結婚しよう」


 デナーリスが目に涙を溜めながらそう聞いてきたので、俺は男は思い切りが大切だと思い、彼女のプロポーズを受け入れた。

 

「リョウジ、私、幸せよ」


 デナーリスと抱き合い、俺は数年前から抱えていた課題を解決することができた。

 実は、置いてきた彼女のことがとても気になっていたからだ。


「ところでハンノウさん、冒険者の国では一夫一婦制なのですか?」


「いえ、そういう制限を設けるつもりはありません」


「それでしたら、私も冒険者の国の国民になります。そうすれば、リョウジさんと正式に結婚できますから」


「イザベラ、それはいいアイデアだね。ボクも冒険者の国の国民になろうっと」


「私も冒険者の国の国民になって、良二様と正式に結婚したいです!」


「私もリョウジと結婚するためなら、冒険者の国の国民になるわ。グランパも反対しないでしょう」


「ビルメスト王国って、実は一夫多妻制の国なの。だから私も、リョウジさんを正式に王配として迎え入れます。仲間ハズレは嫌だもの」


「これで決まりだね。とはいえ、いきなり冒険者の国を作ったと宣言すると、特に日本なんかは反発が大きいだろう。その前に色々と仕掛けをするんだけど、古谷君はプロト1の言うとおりに頑張ってね」


「プロト1が?」


「冒険者の国を作る計画には、プロト1社長も絡んでいるからね」


 あいつ、どんどん有能になっていくな。

 そのうち、政治をゴーレムに任せる国が現れるかも。  


「どんなことをやらされるのか、大体想像つくけどね。じゃあ、インフルエンサーとして頑張りますか」


 デナーリスと再会できた俺は彼女とも結婚することになり、さらに冒険者の国を作るべく行動を開始するのであった。

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