第159話 古谷証券
「では、会議を始めようと思う。議題はこの前メールした通りだ。いかにして、古谷企画を上場させるべきか。大飯君」
「はい。まずは念のためですが、古谷企画の概要について……」
私は入社二年目の証券マンで、大学卒業後、この証券会社に入社した。
このところ日本は好景気……徐々に失業者の増加は問題になっているが、企業の業績は上がり続けており、その株や債券を扱う我が社の業績は悪くない。
世の中が好景気なのだから、業績は好調なのではないかと思われるだろうが、様々な要因によって、我が社の売り上げと利益は微増に留まっている。
その原因だが、まず大幅な税収増のため、日本政府はそれを用いて国債の償還を行った。
国債が国民の借金であり、このまま国債の発行額が増えるとハイパーインフレになるという説には異論もあるが、私は経済に詳しいわけではないので評価は避ける。
ただこれまで、マスコミやメディアで散々煽ってきた影響もあって、田中総理の国債の償還という決断は、国民たちの大きな支持を得た。
現在の日本国債の長期金利の推移を見ていると突然日本円がハイパーインフレになることなどまずあり得ないのだけど、この国は民主主義国家であり、国民が国債の償還に賛成ならば今後もそれは続く。
テレビをつければ、田中総理の決断を褒め称える論調が多い。
その副作用として、世間に流通する日本円が減ったので大幅な円高となり、今では一ドルが二十五円前後をウロウロとしているし、日経平均もダンション出現による大暴落からようやく回復したところだ。
国債の大量償還により日本円の量が減ったのに、平均株価が大暴落前を超えたのだから、むしろ健闘しているといっても過言ではないだろう。
だがその副作用で、日本は大幅なデフレとなった。
さらに円高により、日本の国内産業……主に製造業は壊滅……とはならなかった。
以前なら安い輸入品に駆逐されてしまうところだが、経済安全保障の観点からも国内の生産量を落とすわけにいかず。
かといって、今の日本の財政状況を考えると、安易に企業に補助金も出せない。
そこで各企業は、製造業の大幅な生産性の向上……ゴーレム、AI、ロボットの導入、工場の集約と地下の安い地方移転で対抗した。
そこで製造したものの輸送も、このところ自動運転技術が大幅に進歩したので輸送コストが大幅に落ち、販売方法も無人・省人店舗とネットの販売サイトが中心となっているので、ますます安く販売できるようになった。
そのせいで失業者の増加が問題になっているが、景気はいいので新しい事業を立ち上げる人が増えた。
新しい事業は人を雇うケースが多いし、人間しかできない仕事、人間にやってほしい仕事というのがあるからだ。
それでも、これからは仕事にありつけなくなる人が続出するだろうが、日本が人口減、労働者減社会なので助かったのと、いよいよ日本でもベーシックインカムの導入が始まるという。
働かなくても最低限の生活ができる社会というのは、人類の夢だと思うのだ。
こんなことが可能になったのは、間違いなく古谷良二を筆頭とする冒険者のおかげだろう。
冒険者のおかげで日本は、魔石、資源、モンスターの素材、ドロップアイテムの輸出国となり、大量の外貨を稼ぐようになったし、彼らの税収で国債の大量償還までできるようになったのだから。
だがそのせいで、我が社の今すぐ潰れることもないが、長期的にはかなり危ういのではないかと、世間から言われるようになってしまった。
そしてその一番の原因が、古谷企画であった。
古谷企画は古谷良二の一人法人であり、人間の従業員は一人もいない。
彼が一人で百パーセント株式を握っており、グループ子会社では人を雇っているが、彼らですら正社員ではなく、業務を請け負っている個人事業主扱いであった。
彼らは一年毎の契約で、ノルマを達せられないと契約を切られてしまう。
厳しいと思われるかもしれないが、古谷企画のグループ企業では労働力であるゴーレムが多数いるので、労働時間の管理はしっかりしており、福利厚生も万全。
古谷良二のネームバリューで売り上げも右肩上がりで、彼らは節税用の法人を作るほど報酬を得ていた。
もっとも求人は滅多にないし、あっても真の優秀な人しか採用されない狭き門であったが。
そんな超優良企業である古谷企画だが、なんと非上場のままであった。
古谷企画は事業展開のために資金を集める必要もなく、銀行からの借り入れもないから、株式を上場する必要がないからだ。
だが、今や世界で一番稼いでいる企業の上場引き受けをできれば、我が社にどれだけの利益がもたらされるか。
古谷企画が上場する必要はないが、世界中の多くの投資家たちは古谷企画の株を上場して欲しいと真に願っている。
評価額もそうだが、持ってれば必ず高額の配当金が貰える会社の株だ。
欲しいに決まっているのだ。
だから我々は、こうして対策会議を開いている。
このところ様々な事業を展開し、その勢いが止まらない古谷企画だが、証券会社を持っていなくので、証券会社の人たちは全員安堵していた。
ただ古谷企画は仮想通貨の発行と管理をしているから、将来はわからないけど。
「資金に不足がないどころか、膨大な内部留保がある古谷企画か、株式を上場する必要はないと思うのです」
我が社のご歴々の前で、パワーポイントで作った古谷企画の概要や決算……合同会社である古谷企画は決算を公表する義務もないので、あくまでも我が社で調べた推測にしか過ぎないが……について説明するのは、まだ若手である私の仕事となっていた。
我が社のオジさんたちは、パワーポイントで作った資料が大好きだからな。
もっとも、稼ぎに稼ぎ、生産性を重視する古谷企画にこんな仕事は存在しないけど。
私が思うに、こんな会議も無駄でしかなく、我が社の業績を上げるには、まずはこんな無駄な会議をやめるべきではないのだろうか?
それを口にできないのが、この世のサラリーマンの現実なのだけど。
「献金を出している政治家に圧力を加えさせるか?」
「そんなことをしたら、その政治家の方が死ぬぞ。政治家の代わりなどいくらでもいるが、古谷良ニの代わりなどいないからな」
我が社で、一匹狼のアウトローと称される向井専務がニヒルな笑みを浮かべながら珍しく意見を述べた。
彼はほとんど会議になんて参加しないし、まれに参加しても発言なんてせずにスマホばかり見ている。
それでも専務になれるのだから、とてつもなく優秀な人だとわかる。
「古谷企画が上場するなんて、天地がひっくり返ってもあり得ないな。そんな夢の話よりも、他に話し合う議題があるだろう。古谷証券と、イワキ証券の件だ」
「古谷証券? イワキ証券?」
「知らなかったのか? もう金融庁の認可は降りているぞ。店舗もなく、ゴーレムとAI、ロボットだけで経営し、手数料も激安だ。もし営業が始まったら、多くの証券会社が潰れるだろうな」
「なんだと!」
「ついに、冒険者資本が証券会社にまで……」
会議室内の空気は一気に重くなった。
いかに古谷企画を上場させるかなんて夢を語っていたら、もうすぐ黒船が来航して我が社も経営危機に陥ることが確定したからだ。
「人間を使わない証券会社だと……」
「そんなことが許されていいのか?」
「店舗、飲食店、受付、コールセンター、建設作業員、工場労働者、会社の事務、各種運転手、清掃員、駅員、介護、医療、等々。多くの会社が極限まで人間の従業員を減らし、大幅に収益を上げることに成功して、企業の株価は維持か微増を保っている。国債の大量償還のせいでデフレ状態なのに、これだけ株価が健闘できているのは、省力、無人化のおかげだろう。そして、我々証券会社はそれをいいことだと思っている。それなのに、どうして証券会社だけがこれまで通りだと思えるのか、俺は不思議で堪らないよ」
「向井専務、その情報はどこから?」
「色々なところからのツテで知ったのと、もうそろそろかな?」
向井専務が会議室の大型インジェクターをネットニュースに切り替えると、古谷証券とイワキ証券が開業、人間を使わない証券会社の誕生、さらに古谷銀行、イワキ銀行も開業予定だと表示されていた。
「なっ!」
「ついに、証券と金融にまで……」
「俺たちはどうなってしまうんだ?」
みんな、古谷企画の上場なんてどうでもよくなり、自分たちは職をこのまま保てるのか不安に苛まれ、会議室内は大騒ぎとなった。
「今のうちに、我が社もリストラをしないと生き残れないだろうな。黒字の今なら、退職金も割り増しにできるのだから」
「こっ、この会議はそんなことを決めるためのものではない!」
小心な三条常務が狼狽えているが、もし我が社がリストラする場合、責任者は彼になる。
リストラなんて恨まれる仕事、やりたくはないだろうけど、役員なら仕方がないだろう。
「(二年目の新卒でも、リストラの対象なのだろうか?)」
そんなことを考えていると、突然向井専務がスーツのポケットからなにかを取り出し、狼狽えたままの社長の前のテーブルになにかを叩きつけた。
「向井君、それは?」
「辞職願いです。引継ぎはしっかりとやらせてもらいますが、来月一杯で辞めさせてもらいます」
「向井君、うちを辞めてどうするのかね?」
「転職します」
「まさか……」
「その時がくればわかりますけど、大体想像がつくのでは?」
「……」
向井専務の返答で、全員が黙り込んでしまった。
彼はきっと、古谷証券かイワキ証券への転職を決めたのだと思ったからだ。
「向井君、転職は考え直してくれないだろうか? 君に我が社の立て直しを頼みたいんだ」
社長が、これまでに見たことがない卑屈な態度と猫なで声で向井専務に頼んでいた。
だが、すでに転職を決めている彼を翻意させるのは難しいと思う。
それに向井専務はこれまで、その実力に見合わない待遇でこの会社に縛られ続けていた。
なんでも彼は奥さんが大病をして療養中だそうで、だから自由にやっても成果さえ出せばクビにならないこの会社に転職した。
ところが、そんな向井専務を嫌う幹部たちは多い。
だからその働きに見合わない待遇だったし、会議に呼ばれない嫌がらせを受けたこともあると聞く。
昔ながの証券マンである社長以下の古い幹部たちかたら、向井専務は異端なのだ。
成果を出しているから会社に置いてやるが、待遇は最低限だし、専務とはいっても名ばかりで部下もいない。
だから彼は、社内で一匹狼扱いされているのだから。
「残念ですが、すでに転職は決めたことなので。それに、俺にリストラをやらせて社内の恨みをかわそうって策にはのりませんよ」
社長たちの手など、お見通しというわけか。
我が社はこれから、大規模なリストラとゴーレム、AI、ロボットの導入による生産性の向上から逃げられない。
もし旧態以前のやり方を続ければ、古谷証券とイワキ証券に勝てずに倒産してしまうからだ。
「社長、あなたが社長なのですから、会社を生き残らせたかったら、心を鬼にして社員のクビを切るしかありません」
「……」
それを向井専務に押し付け、自分は社員たちから恨まれず、そのまま社長を続ける。
そんな都合のいいシナリオを考えていた社長だったが、優秀な向井専務がそれに気がつかないわけがなかった。
「ところで、古谷企画を上場させ、第三証券が上場引き受けを担当できるようにする方法でしたか? 古谷企画が上場することはデメリットしかなく、なぜなら株主が余計な口を挟んで、かえって業務を落とす可能性があるからです。なにより、資金が有り余っている古谷良二が、株を売るわけないではないですか」
お金に困っていない古谷良二が古谷企画の株を他者に売るなどあり得ず、多分これからも優秀なプロト1社長が新しい事業を続々と展開するだろうが、自己資金でなんとかしてしまうだろう。
下手に株を他者に持たれると余計な口を出されるから、彼がわざわざそんな面倒なことをするわけがないか。
「世間では、貧富の格差を広げる冒険者を嫌い、冒険者を銃撃したなんて事件もありますが、これからの時代は否が応でも冒険者が経済でも主役になるでしょう。好むと好まざるとに関係なく魔石、資源、モンスターの素材、ドロップアイテムを手に入れられ、法人化して資本を蓄えた冒険者たちが世界を大きく変えるのです。ゴーレム、AI、ロボットによりさらに生産性が上がり、経済成長が加速されますが、同時に人間が働けることは特権になりつつあります。個々が努力しなければ、これから配られる予定のベーシックインカムで暮らさなければならなくなる。どのみちダンジョンがなくても、時間はかかったでしょうがそんな世の中になっていました。人間の仕事は、AIとロボットに奪われていたのです。それを嘆いても意味はなく、俺は仕事をしたいので、転職させていただきます。他に議題はありますか?」
「いや、ない……」
「では失礼します」
向井専務が会議室から退出したあと、社長以下全員が一言も発せず、お互い伺うように視線をチラチラと送っていた。
みんな、これからこの会社が苦境に陥ることが容易に理解できたからだ。
「はんっ! 我々プロの証券マンを舐めるなよ! ネットなど使えない老人相手に足で稼いでやる!」
と、息巻いていたが、多分今あるすべての証券会社がそれを目論むはず。
老人が証券会社の食い物にされることの賛否は別として。
当然証券会社間の競争は過酷になるし、ネットを使えない老人はこれからどんどん死んで減っていく。
なにより、他のネット証券もそうだが、古谷証券とイワキ証券は、手数料がかなり安いはず。
ネットが使える若い客は、ますます既存の証券会社から離れていくだろう。
「(困った……転職すべきか?)」
若くて人件費が安い私がリストラされる可能性は低いが、このままこの証券会社で働き続けると、中年になった時に詰むかもしれない。
なぜなら、その頃にはさらに元証券マンの転職先なんてなくなるだろうからだ。
「(……転職かぁ……)」
思わず転職を意識してしまう会議であったが、あれだけの出来事があったのに、社長は早期退職者の募集だけして、他はなにも新しいことをしなかった。
「社長や爺さん幹部たちに意見して嫌われた結果、左遷されたり、クビになるなんて嫌だからな」
「言うことを聞いていれば給料が貰えるんだ。その方が大人の選択さ」
もうすぐ世の中が劇的に変わるのに、会社の言いなりになっている同年代の社員もいる。
彼らはリストラの対象でないので、今日も老人に対面で株や投資信託を売り付けている。
「(転職しよう……)」
そう決意した私は、運良くとある証券会社に転職できた。
そしてそこには、あの人物もいた。
「向井専務!」
「岩井君、私は今は、古谷証券の社長だよ」
「そうでした」
「この古谷証券には人間の従業員が二人しかいないが、ゴーレムとAIは多数配置されているから、働き手の不足はないと思うよ」
「そうみたいですね」
「俺は古谷会長に、奥さんの病を治す魔法薬を融通してもらった恩もあって、古谷証券の社長を引き受けたが、なるべく早く引退して自分で証券会社をやりたくてね。岩井君、なるべく早く仕事を覚えてくれ」
「わっ、私が社長?」
まだ二十代前半の私が社長?
そもそも、この会社に応募して採用されたのも不思議だったが、向井社長の他に私しか社員がいないし……そうか。向井社長が独立して私が社長になると、この会社から正社員は消滅するんだな。
古谷企画及び、その関連会社、子会社は正社員を雇わないので有名だからな。
「そのつもりで君を採用したんだ。君は中堅で安定している第三証券から転職する決断力があったから採用した。だから頑張ってくれ」
「はい、頑張ります!」
せっかくのチャンスを生かさなければ!
「第三証券、生き残れるかな?」
「わかりません」
わかりませんとは答えたが、それはわかりきっている結末を口にしたくなかったのだろう。
それからわずか数年で、第三証券は大手証券会社に吸収合併されて完全に消滅した。
結局日本の証券会社は、どうにかゴーレム、AI、ロボットを導入し、容赦のないリストラをした大手数社と、優れた個人が起業した小規模な会社しか残らなかった。
その中でも、古谷証券とイワキ証券は大きく台頭し、向井社長も数年後、私に社長職を譲って退職後、自ら立ち上げた向井証券で大成功を収めた。
私も最年少社長だなんて言われて大変ではあったが、無事に古谷証券を大きくすることができ、後進に社長職を譲ることができたのは幸運だった。
なかなかに波乱万丈な人生だったけど、あの時に第三証券を辞める選択ができてよかったと思う。
「プロト1、俺って全然株とか債権に詳しくないんだけど、古谷証券って儲かってるのか?」
「儲かってますよ。だって、オラがコントロールしてるから」
「まあ、赤字じゃなきゃいいけど」
突然プロト1が証券会社だの銀行を作りたいっていうから任せてるけど、赤字になっないからいいのか。
俺は全然興味ないから、プロト1にお任せだけど。
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