第144話 インフルエンサーと難病の少年(その2)
「古谷君、みなさん、本当にありがとう! これでジョージ君は治ります」
「よかった……ジョージの病気が治るんですね。みなさん、本当にありがとうございます。日本までやってきて本当によかった」
「お兄ちゃん、僕、本当に治るの?」
「そのための魔法薬を調合しないといけないから、ちょっと君の診させてもらうよ(しかしまぁ、よくこの先生は魔法薬なんて調合する冒険者に怒らないな。聖人と違うか?)」
難病の子が今にも死にそうだという話を聞いたので、急ぎ彼が入院する病院を訪れ、 その子の診察を始めた。
その結果を踏まえて特別な魔法薬を調合するのだが、今回は剛に任せようと思う。
魔法薬師としても活動するようになった剛だが、既存の魔法薬の調合は完璧に近くなったけど、希少な難病や奇病の患者を診て、その病状に合った魔法薬を独自調合した経験はないから、これからはそれを覚えてもらわないと。
「俺からしたら、どうして良二がそんなことできるのか不思議でたまらないけどな」
「それはだな……」
魔王とその配下たちとの戦いのなか、彼らは通常の状態異常攻撃では、俺に簡単に回復させられてしまうことに気がついた。
そこで、独自に研究した様々な呪いや奇病、難病、死病を付与した攻撃を仕掛け、俺を殺そうとしてきたのだ。
この特殊攻撃ならば、俺が懸命に上げていたレベルに関係なく、容易に殺せると踏んだからだ。
「そんなわけで、俺は色々な不思議な病気にかかってな。何度か死にかけたけど、その病気を治す魔法薬を調合することができたので、死なずに済んだってわけだ」
「なるほどな。しかしまあお前も、色々と大変だったんだな」
「では早速。ジョージ、病気を治すための診察の時間だ。少し我慢してくれ」
「わかったよ」
「では……」
とはいっても、やったことは問診と触診ぐらいだ。
一緒にいる先生によると、ジョージの病気は原因がわからないまま体が衰弱していってしまうものだそうだ。
病院は色々手を尽くしてはみたけど、なにしろ原因がわからないので対処療法しかできず、このまま衰弱していくとあと一ヵ月の命というところまできてしまったらしい。
「……本当にこれは珍しい病気だなぁ。治療する魔法薬の作り方はわかるけど……材料の中に滅多に手に入らないものがあって……在庫あったかな? 前に手に入れた時は、すぐに魔法薬の調合に使ってしまったんだっけ? いや、一個だけ在庫があったような……」
記憶の糸を手繰りながらアイテムボックスの中から、 その特殊な材料を取り出そうとする。
すると運よく、本当に一つだけ在庫があったので 、俺は安堵のため息をついた。
「運よく材料はあったんで、明日までに剛が調合したものを持って来ます。それまで我慢してくれよ」
「大丈夫だよ、お兄ちゃん」
「男はドンと構えていた方がいいかな。さて剛、俺の部屋で魔法薬を調合するぞ」
「ああ、プレッシャーだけどな」
「剛なら大丈夫さ。俺も手伝うから」
「ああ、頑張るぜ!」
運よく材料は揃っていたので、俺たちは裏島にある工房へと移動し、そこで魔法薬を調合しようとジョージ少年の部屋を出た。
すると、俺たちに勢いよく別の医者が駆け寄ってくる。
「古谷良二だな。ちょうどよかった。こっちに来い!」
「急になんなんです? あんたは?」
「あんただと! 野蛮の冒険者は、目上の者に対し口の利き方も知らないのか?」
「口の利き方を知らなくはないけど、野蛮な物言いをする人間には、野蛮な言葉で返すようにしているだけだよ」
「胡散臭い魔法薬を作る、インチキまじない師のような輩に見せる礼儀などない!」
「(なるほどね。 どうやら自分の財布を冒険者に奪われて怒っているようだな」
この医者は、さっきの先生とは大違いだな。
きっと心の底から、俺たちのことが嫌いといった感じだ。
怪我人と病人の治療で魔法薬を使うことが増えたが、このことに反発している医療関係者はとても多い。
ごく稀に、魔法薬という未知のものを警戒もせずに使いすぎだと考えて反対する医療関係者もいたのだけど、大半は魔法薬のせいで自分たちの仕事がなくなってしまうのではないかという危機感からであった。
当然日本政府は、また突然ダンジョンがなくなってしまった時のことを考えて、科学的な医療技術の研究に手を抜いていない。
新しい薬やワクチンの研究も進めているし、税収が上がったおかげでむしろ研究費は増額しているくらいだ。
それなのに、このカマキリのような初老の医者が怒っているのは、無保険で高度な治療を受ける患者が、冒険者側に流れてしまったことに対する恨みからであろう。
「聞け! なんと、あの井原先生の治療をする許可をお前にくれてやる。 しっかり診察して、ちゃんと効き目がある魔法薬を作ってくるんだな」
「はあ?」
突然、こいつはなんなんだ?
俺はジョージの病気を治す魔法薬を作るためこの病院を訪れたというのに、突然上から目線で、政治家の病気を治す魔法薬を作れと言われてしまったのだから。
「俺は他に魔法薬を作らないといけない人がいるので、どうせ政治家はお金が有り余っているでしょうから、無保険で魔法薬の投与を受ければいいじゃないですか」
どう言い繕っても、魔法薬はほぼ富裕層が独占してしまう。
たまに魔法薬の代金を支払えない難病の人たちに手を差し伸べるケースもあるけど、それで全員を救えるわけでなく、まさか俺たちも全員を無償で救うわけにいかない。
誰が救われるかなんて運次第なところがあり、ジョージのようにニュースにでもならなければ、俺たちはその存在に気がつきもしないのだから。
だとしても、あきらかにお金と権力の力でこの病院に入院してきて、挙句の果てに俺に治療させてやると腰巾着の医者に言わせるのだから、井原とかいう政治家は相当傲慢で性格が悪いのだろう。
ベテラン政治家にありがちな、選民思想が服を着ているような奴だと思われる。
「ただの高価な魔法薬では、井原先生は治せないという診察結果が出たんだ! いいか! 井原先生は日本政界で大きな影響力をもつ重鎮なんだ。必ず治せよ! もしできなければ、あの外人のガキをこの病院から追い出すぞ!」
「わかったよ」
ジョージが本当に病院から追い出されると困るので、俺たちは仕方なく井原とかいう政治家の病室に入った。
大変豪華な個室であり、さすがは政治家といった感じだ。
「最近有名なガキらしいな。田中とばかり組んで気に入らないが、ワシの病気の治療をさせてやるからありがたく思うんだ。もし無事に治せたら、ワシの手下にしてやろう」
「「「「「……」」」」」
俺たちは、ただ呆れることしかできなかった。
すでに八十歳は超えているように見えるので、この井原とかいう政治家は多選していて、政治家としてはベテランらしい。
だが閣僚にこんな名前の政治家はいなかったと思うので、その地方では大物政治家なんだろうが、国会では目立たない存在なんだと思う。
年を取って認知能力が落ちたために無礼なのか、元からの性格なのか。
どちらにしても、俺たちはこいつに言い返すだけ無駄だと理解して黙り込んでしまった。
静かに老政治家の問診と触診を行い、俺は衝撃の事実を知る。
なんとこの井原という政治家は、ジョージと同じ病気にかかっていたのだ。
滅多にかからない難病の同時期に二人現れる。
なんという偶然だと。
「滅多にかかることがない奇病の類で、特別な魔法薬を投与しないと直りません」
「エリクサーとやらはどうなんだ?」
「残念ですか、その病気には効果がありません」
「で、その魔法薬は調合してくれるんだろうな?」
「材料の一つが滅多に手に入りませんから」
実は一人分の材料を持っているが、先にジョージの魔法薬を調合しないといけないので、この井原とかいう政治家に回す分はなかった。
それを言うと間違いなくこの老政治家は、自分が最優先だと激高するに決まっている。
だから黙っていたのに、 あの同じく偉そうな医者が余計なことをしゃべってしまった。
「同じ階に入院している外国人のガキが同じ病気で、こいつはそのガキを治す魔法薬を作る約束をしていましたよ」
「……(まさかこいつ、ジョージ君の部屋での会話を盗聴していたのか?)」
「なるほど。ならわかっているな? これまで日本のために尽くしてきた、日本政界、与党の重鎮であるワシと、外国のガキ。どちらを優先するべきかを」
「ええ、勿論わかっていますとも」
「わかればいいんだ。もしこのワシに逆らったら、お前は日本に住めなくなるんだからな」
こういう老人を見ていると、年は取りたくないものだなと思ってしまう。
確かにこれまで、選挙区では当選に当選を重ねてそこの王様のような存在なのかもしれないが、この冒険者特区の中でもそれが通用すると本気で思い込んでいるのだから。
認知機能に問題があるのだろうが、加齢が原因なのか、元からそうなのか。
「では、急ぎ魔法薬を調合しますので」
「頼むぞ。ああ、魔法薬の代金だが、ワシがこれから色々と便宜を図ってやるから、当然無料だぞ」
「……」
「お前、随分と金持ちだと聞くぞ。ちゃんとワシに上納するのを忘れるなよ」
急ぎ病室から立ち去るが、まさか今の世にこんな政治家が生き残っているとは、日本の地方は闇が深いと思う。
「あんな奴を政治家にしてしまうんだから、そりゃ日本の地方は衰退するよな」
「世界の先進国は、どこの地方も一部を除けば人口が減って衰退しています。なにも日本だけの問題ではありませんわ」
「アメリカの田舎なんて、日本の田舎が可愛く見えるレベルよ。政治家も、あんなお爺ちゃんが無視できないぐらいいるしね」
「で、リョウジ君。あの政治家の言うことを本当に聞くの?」
「まさか」
「確かにあの手のタイプは、一度言うことを聞くと徐々に要求が釣り上がってくるタイプですから、要求は受け入れない方がいいと思います。地方の政治家には多いですよ。政治家なのかヤクザなのかよくわからない人って、国から予算を分捕ってくるのには最適ですから、ああいう人が地方では当選しやすいんです」
「世の末だが、俺もあの爺さんのために魔法薬なんて作りたくねえからな。良二、すぐに調剤を始めようぜ」
魔法薬に関しては、特別な材料さえあれば難易度はそれほど高くないので、剛は無事に魔法薬の調合を一時間ほどで成功させた。
「さてと、早速ジョージに魔法薬を投与してくるかな。あの主治医の先生にお願いしないといけないこともあるから」
「お願い? なんだそれは?」
「とても簡単なこと」
魔法薬を投与するのは明日の予定だったが、明日バカ正直に病院を尋ねると、あの井原とかいう政治家とその手下たちが、なにをしでかすかわからない。
なにしろ、冒険者特区内の病院に勤めている医師の中にも、井原の犬になっている奴がいるのだから。
まあ、腐ってもベテラン政治家ってことだな。
「じゃあ、早速始めようか」
当然井原は、俺が先にジョージ君を治療したら激昂するに決まっている。
なぜなら、次に彼がかかった奇病の治療薬を作る材料がいつ手に入るかわからないからだ。
井原は年寄りなので、この体が衰弱していく病気が早く進行していくリスクもあった。
「(まあだとしても、まだ長い人生があるジョージの方を優先するに決まってるだろうが)どうも」
病院内にいる井原の言いなりになっている医者や看護師たちに見つからないよう、姿を消してジョージ君の病室に入ると、彼らはとても驚いていた。
俺が魔法薬を持ってくるのは明日の約束になっていたからだ。
「色々と事情があって、これから魔法薬の投与をするんだけど、ええと……向井先生、今すぐジョージ君のニュースを流したテレビ局のプロデューサーを呼んでください」
「彼をですか? でもどうして?」
「向井先生は知っているんでしょう? 井原という政治家が、ジョージ君と同じ病気にかかっていることを。そして今は一人分しか用意できない治療薬は、自分に投与されるべきだと思っていることを」
「……今、 ついさっき、大森院長から聞きました。そして暗に、政治家の井原が最優先だとも。もしお前がおかしなことを考えた場合、この病院に居場所がなくなるぞとも」
「あの医者、大した腕前はなさそうだけど、政治的に立ち回るのだけは上手で出世できたタイプかな? ところで向井先生はどう思っているんです? やはり井原が最優先だと思っているんですか?」
向井先生はいい医者だと思うけど、彼にも生活というものがある。
時には自分を殺して、井原への魔法薬投与を最優先せざるを得ないと考えているのかもしれない。
だとしたら、今すぐにでもこの病室から出て行ってもらうけど。
「どうなんです? 向井先生」
「……今年八十八歳で、与党の引退勧告を無視して選挙に出続けてるような老害よりも、私は未来のあるジョージ君の治療を優先します。なあに、働ける病院はここ以外にも沢山ありますから」
「わかりました。それなら俺の補佐をお願いします。ほとんどすることはないと思いますけど」
魔法薬の投与後、ジョージ君が健康体になったか確認するだけだ。
「テレビ局のプロデューサーが来てから、魔法薬の投与を始めることにしましょう」
「古谷さんはなにを企んでいるのですか?」
「井原を無視してジョージに魔法薬を投与すること自体は簡単なんですけど、あのジジイの人間としても器はとても小さそうだから、あとで色々と嫌がらせをされるのを防ぐためですよ」
「古谷さんがなにをしようとしているのか、なんとなく想像できましたけど……」
しばらくすると、向井先生の知り合いであるテレビ局のプロデューサーが顔を出した。
「本当に古谷良二がいる!」
「時間がないので早速交渉です。引き受けてくれるのなら、これからすぐに生放送でテレビに出てもいいですよ。どうします?」
「当然答えはイエスだ! 高勝率を取るチャンスだからな」
「俺もこの様子は動画で流しますけどね。とにかくいつ妨害が入るかわからないので、こっそりと急いで準備して欲しいんですよ」
「了解した! ちょうど夕方のニュースの時間だな。どうせこの時間は、デカ盛り食堂の紹介ぐらいしかやってねーんだから、ここに差し込んでしまおう。ちょっと待ってくれ。『局長、夕方のニュースに生放送差し込むから、急いで用意してくれよ。えっ? 無理? 古谷良二が生放送で、昨日ニュースでやったジョージ君の病気を魔法薬で治すんだがそれでも駄目か? 駄目なら、知っている他のテレビ局のプロデューサーに回すけど。えっ? それも駄目だって? じゃあ、すぐに用意してくださいよ。用意する? ありがとう、局長。じゃあ、あとで祝杯あげようね』ようし、すぐにカメラマンがやってくるから、俺がレポーター役をやるよ」
このプロデューサー、かなりぶっ飛んだ性格をしているようだ。
有言実行とばかりにカメラマン呼びつけ、リハーサルもなしに生放送を始めてしまった。
『緊急で生放送が入ります! 昨日この番組で放送した、難病と懸命に戦っているジョージ君ですが、なんとあの古谷良二さんが希少な魔法薬を調合して、ジョージ君に投与してくれるそうです。世界的に有名な冒険者であり、動画配信者、企業経営者、投資家でもある古谷さんです』
『こんばんは、古谷良二です』
『ジョージ君の病を治す魔法薬を調合したと聞きましたが』
『この病気は、俺も世界で二例しか見たことがないとても珍しい病気です。滅多なことでは手に入らない特殊な材料が運良く手に入ったので、これを使って魔法薬を調合することができました。ジョージ君、これを飲んでみて』
『……あまり美味しそうじゃないね』
『『良薬は口に苦し』って言うことわざが日本にはあるんだよ。さあ。あとで甘いお菓子をあげるから』
『うん……うわぁ、苦いね』
『味の改善ができるほど調合できるものじゃないから、どうしても苦くなってしまうんだよねぇ。体の調子はどうかな』
『あのね、ずーーーと体がダルくて歩くことができなかったのに、今はとっても体が軽いんだ』
『上手く効いたようでよかった。あとは、向井先生からちゃんと完治したか検査してもらってね』
『ありがとう、兄ちゃん。僕、大きくなったら冒険者になるよ』
『そうか。それならこれから一生懸命体を鍛えて、好き嫌いなく食べるようにしないと』
『うん、絶対にそうするよ』
『無事に治ったようでよかったです。ジョージ君の主治医である向井先生。よかったですね』
『正直なところ、古谷さんが調合した魔法薬がなければ、ジョージ君は助けられなかったでしょう。従来の科学的な医療も必要ですが、これと治癒魔法と魔法薬を組み合わせた柔軟な医療が発展することを祈っています』
『魔法薬も保険が適用されるようになるといいですね。それでは、現場からの中継を終わります』
短い時間だったが、生中継は無事に終わった。
そういえば初めてテレビに出たけど、あまり実感もなく終わってしまったな。
「古谷さん、うちの局の番組に出演してもらって本当にありがとうございます。おかげで視聴率を取れそうですよ」
「プロデューサーさん、なにを言ってるんです。視聴率が取れるスクープ映像は、むしろこれから撮れるんですよ」
「これから?」
「ええ、もうすぐ……」
「向井ぃーーー! 古谷良二ぃーーー!」
ちょうどタイミングよく、ジョージ君の病室に怒鳴りながら飛び込んできた人がいた。
あの井原の主治医にして、この病院の院長である初老のヤブ医者大森だ。
どうやら、ちゃんとテレビの生中継を見ていたようだな。
俺が一人分しか作れない魔法薬を井原に投与すると思っていたのに、なぜか俺がジョージに投与してしまったので、激怒した井原にせっ突かれてやって来たのだろう。
あの井原にどれだけの力があるのかわからないけど、そんな時間があるのなら大森も患者を治療すればいいのに……。
やっぱりヤブなんだな。
「ああ、院長さんですか。お年なのですから、勢いよく走りすぎると心臓が止まってしまいますよ」
「ガキぃーーー! どうして一人分しかない貴重な魔法薬を井原様に投与しなかったんだ? そもそも、魔法薬の完成は明日と言っていなかったか?」
「教え子が思った以上に優秀だったので、予定よりも早く完成したんですよ。だから一刻も早くジョージの病気が治るように、一秒でも早く魔法薬を投与した方がいいなと思いましてね。無事にジョージが治ってよかったですよ」
「よくない! そんな外人のガキよりも、〇〇県の希望の星! 戦後最大の功労者にして、田中総理も一目置く大政治家、井原新五郎先生に先に魔法薬を投与するのが常識だろうが!」
「えっ? そうなんですか? だって、その井原せんせーは、もう八十八歳じゃないですか。まだこれからの人生があるジョージを先に治療するのは当たり前だと思いますよ」
「貴様ぁ! 目上の年寄りに敬意を表し、優先するのが日本人ではないのか?」
「ええ。ですから俺は、目上で年上の井原せんせーに敬意を払い、若くて未来があるジョージの治療を優先したんです。日本が誇る尊敬すべき井原せんせーなら、老い先短い自分の治療よりも、ジョージの治療を優先すると言うに決まっているじゃないですか」
勿論そんなことは微塵も思っていないので、俺の言い方はとてもわざとらしいものになっていた。
プロデューサーはとんでもないスクープがやってきたと笑顔を隠し切れないまま、カメラマンに院長の醜態を撮影させている。
俺がもっと凄いスクープがあると言ったのは、大政治家を自称する井原と、井原に忖度するヤブ院長大森の件があったからだ。
「あれ? 日本が誇る大政治家である井原せんせーはそうおっしゃると思ったので、俺はジョージの治療を優先したんですけど、もしかして違うんですか?」
「当たり前だ! 外国人のガキと、井原先生を比べるバカがいるか! そんなガキが死んでも世間になんの影響もないが、井原先生が病死してしまったら大変なことになるじゃないか!」
「向井先生、この人ってバカなんですか?」
「少なくても尊敬できる人ではありませんね」
「向井! 井原様よりもそのガキの治療を優先した罪は重い! この病院にいられなくしてやるからなぁーーー!」
頭に血が昇って周りが見えていないのか、大森院長はカメラマンが撮影しているのに、人間として、医者として、問題がある発言を繰り返していた。
ジョージの治療に懸命にあたっていた向井先生に対しクビにするぞとパワハラめいた発言をするシーンなんて、これが世間に流れたらマズいような気がするんだけど……。
「古谷良二! 一秒でも早く、井原様を治す魔法薬を調合しろ! もし日本の宝である井原様になにかあったら、お前など日本にいられなくなってしまうんだぞ!」
「本当にそんなことあるんですか? あの井原せんせーが日本の宝? 随分と傲慢でシワだらけの日本の宝ですね。そもそも俺は、この病院にジョージを治療するために訪れたんです。魔法薬は先に診療したジョージに優先権があるわけで、井原さんの分も頑張って用意はしてみますけど、材料がねぇ……。あと数年で手に入るかな?」
「ふざけるな! もし井原様になにかあったら、〇〇県の人間全員を全員を敵に回すことになるんだからな! 死ぬ気で材料を集めてこい!」
「一ついいですか?」
「なんだ?」
「もし井原せんせーの病気を治療する魔法薬が間に合わなかった場合、俺は〇〇県の人たちを敵に回してしまうわけですか?」
「そうならないよう、一秒でも早く魔法薬を用意するんだな」
「滅多に手に入らない材料なんだけどなぁ……。恐ろしく低い確率でしかドロップしないから、正直なところ運次第なんですよ。きっと、井原せんせーは神様にも愛されている素晴らしい政治家だから、材料が手に入るかもしれませんけどね。そうかぁ。将来俺は、〇〇県の人たちに嫌われてしまうのか。じゃあ、今のうちに○○県の取引先との仕事を減らしておくかな。頑張ってみますけど、ダメだったら運がなかったと思って諦めてください」
完全に大森院長をおちょくりながら話を続ける俺。
さすがに向こうも気がついたようで、顔をピクピクさせているけど、どうやら同時にテレビカメラで撮影されていることにもようやく気がついたようで、徐々にトーンダウンしてきた。
残念ながら、もう間に合わないけど。
そして、彼にトドメを刺す出来事が発生する。
「古谷良二ぃーーー! 〇〇県が生んだ偉大な政治家井原新五郎をコケにしおって! ワシを敵に回して、 この日本で生きていけると思うなよ! 日本を追放されたくなかったら、今すぐワシの病気の治療薬を作るんだ!」
「作らないとは言ってませんよ。ただ俺は、 治療を望んだ患者さんに、順番どおり魔法薬を投与しただけですからね。まさか今の世で、 政治家を優先するなんてバカな話はないでしょう」
「建前と本音を理解できない愚か者め! こういう時は政治家が最優先に決まってるだろうがぁーーー!」
「へえ、そうなんですねもう終わりだな。この爺さん」
御年八十八歳で、徐々に体が衰弱していく原因不明の病にかかったのに、わざわざこの病室まで怒鳴り込んできた井原新五郎。
まだそこまで病状が進んでいないとはいえ、随分と元気だな。
ついさっきまでテレビ番組で生放送をしていたのに、カメラマンが残っているという考えに思い至らなかったのだろうか?
彼が政治家である自分の治療を最優先しろと怒鳴る姿はすべてテレビカメラで撮影されており、翌日から俺の動画サイトと、プロデューサーさんのテレビ局のニュース番組やワイドショーででずっと放映され続け、爆発的な視聴回数と視聴率を稼いだ。
一局の独占スクープなので当然だし、一応俺が短時間とはいえ初めてテレビに出演したので、それも繰り返し流されて視聴率を稼いだと思う。
『無事に病気が治ったジョージ君ですが、古谷良二さんから東京ディズニーランドのチケットをプレゼントされ、今日はお母さんと楽しそうに遊んでいます』
「よかったですわね、リョウジさん」
自爆した井原の映像ばかり見ていても飽きるし、彼の政治生命が終了するきっかけとなった発言は目の前で聞いているので、今さら映像で見ても楽しくない。
それよりも、俺が作った魔法薬で完治したジョージが元気に遊んでいる映像の方が心も癒されるというものだ。
死に損ないのジジイの自分勝手な怒鳴り声なんて、一回聞けば十分なのだから。
「小さい子供が病気で亡くなるとちょっと嫌だものね。それにしても、生き汚い老政治家って哀れだね。晩節を汚すってものじゃないよ。ボクも年を取ったら気をつけないと」
「肝心の井原新五郎の選挙区では、彼のリコール運動が行われているとか……。彼は半世紀以上にわたって〇〇県の大物政治家として君臨してきたのですが、元々傲慢で評判が悪かったうえに、テレビで全国にあの発言が流されてしまいましたからね。加えて、良二様の動画チャンネルでも流されて世界規模で恥をかきました。地元の方々も、自分の故郷の評判を地の底に叩き落とした井原新五郎を絶対に許さないでしょう」
「失言で消える政治家って、最近世界中に増えてきたわね。そういえばリョウジが、〇〇県の会社には商品やサービスの提供を控えるって言ったら、すぐにイハラの支持者たちが離れたみたい。本人が思ってるほど、彼に力はなかったみたいね」
「長年政治家なんてやってると、自己評価が上がりすぎるんだろうな。なんにせよ、俺が調合した魔法薬がちゃんと利いてよかったよ」
ニュースやワイドショーで糾弾され、選挙区ではリコール運動も始まっている井原だが、そういえば運がいいことに、魔法薬の材料が手に入ったのだ。
井原という政治家……人間か……は本当に運に恵まれているというか、それとも悪魔に魅入られているのか。
「良二、本当にあんな奴に魔法薬を渡すのか?」
「渡すさ。いくらあんな奴でも、治療しないというのは人間として問題があると思うんだよ」
「お前は人がいいな」
「まあ魔法薬師の修行を続けている剛なら知っていると思うけど、あの病気を治す魔法薬に必要な材料『シーゲルニの葉』だけど、俺なりにその価値を計算してみたら、一枚二十億円なんだよ。その他の材料と、魔法薬の調合に必要な機材、魔石、人件費など。諸々合わせると三十億円ってところだな」
「金を取るのか?」
「おいおい、当たり前だろう。俺はまた、苦労してシーゲルニの葉がドロップするまでモンスターを狩り続けないといけないんだぞ。シーゲルニの葉なんて、他に使い道がないってのにさ」
シーゲルニの葉は、滅多に患者が出ない特別な病気の治療薬の材料にしかならないのに、計算してみたらドロップ確率は一億分の一だ。
俺はむしろ、よくこれまでに複数枚手に入れられたものだと、自分の運に感心していることなのだから。
「ジョージの家庭は決して裕福ではなく、向井先生が自分の医者としての未熟さを世間に知られても構わないと覚悟して、世間に助けてくれと訴えたのです。リョウジさんがそれに応えたからこそ魔法薬は無料なのです」
「半世紀以上も政治家やってて、財産を貯めに貯め込んでいる政治家に無料で高額の魔法薬を渡すわけがないよね。ちゃんと三十億円払えばいいと思うよ」
「ホンファさんのおっしゃるとおりです。彼が選挙回数を重ねた大物政治家なのに、これまで与党の役職や閣僚職に一度もついたことがないのは、身体検査で必ず引っかかるからだと言われているそうです。政界で汚職事件があると、必ずリストに載る方だそうで。地元の反社会組織との関係も噂されていたそうですから、三十億円くらい余裕で払えるでしょう」
「イハラに請求書渡したらどんな顔するのかしら? 楽しみよね」
そのあと、俺たちはジョージ君と井原が入院している病院へと向かう。
すると……。
「古谷さん、テレビでご覧になったと思いますが、ジョージ君はすっかり元気になりました。本当にありがとうございます」
「向井先生? 院長になったんですか?」
俺たちを出迎えた向井先生のネームプレートを見ると、そこには院長と書いてあった。
それにしても恐ろしい出世スピードだな。
「ええ、前任者の木村先生は勝手に自爆しましたからね」
テレビカメラの前で井原に忖度しまくり、外人のガキよよりも政治家の治療が最優先だと叫んでしまったので、世間から批判が集中する前にこの病院が大森院長をクビにしてしまったようだ。
「この病院は区立なので、あんな物言いをした木村院長は昨日のうちにクビになってしまいました。もともと大した腕もない人ですし、全国に恥を晒しましたからね。多分、医者としての再就職は難しいでしょう。ところで、井原さんの魔法薬ができたのですか?」
「ええ。実は悪魔的な確率で材料が手に入って、無事に魔法薬の調合に成功したんですが、この魔法薬の値段を聞いたら、彼の頭の血管は切れてしまうかもしれませんね」
「ジョージ君だから無料ですけど、政治家に無料で魔法薬を投与する義理はありませんからね。あの人かあと何年生きられるかわかりませんけど、全財産を差し出してでも治療を受けるかどうか。ある意味興味深くはあるのですが……」
その後、井原に運良く材料が手に入って調合に成功した魔法薬の値段を伝えたら、再び激昂して大騒ぎだった。
だがその魔法薬でなければ完治しないという事実は動かず、他に作れる冒険者もおらず、仕方なしに彼は、これまでに貯め込んだ資産の大半を支払って病気を完治させることに成功する。
ところがその後は、これまでの一連の騒動で地元の選挙民たちから愛想を尽かされてリコールされ、魔法薬の代金で資産の大半を失って没落し、貧乏になったので家族にも見捨てられ、人生の最後は死ぬまで生活保護に頼って生きていく羽目にになったそうだ。
それでも井原は死ぬ直前まで健康で、百八歳まで生きたから二十年か。
大物政治家とは思えない人生の終わり方だったが、それも自業自得ということで。
俺も、ああいう老人にならないように気をつけなければ。
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