第93話 有名税

「しかし課長、よくも毎日毎日、飽きもせずに沢山提出されますね。婚姻届、養子縁組届、認知届の数といったら……」


「古谷良二さんの資産を考えたら、こっそりと結婚しようとしたり、養子にしようとしたり、自分の子供を認知させようとする人が出ても不思議じゃないな。我々しがない役人には縁のない話だが、向こうにも優秀な顧問弁護士がついているんだ。不受理届で対向くらいするさ。そこに気がつかないような弁護士は使えないだろう?」


「しかしおっかない話ですね。気がついたら、知りもしない人と結婚していたり、養子にされていたり、子供を認知したことになっているのですから」


「あまり公にはされていないが、この手のトラブルは定期的にあるんだよ。こちらとしても、書類がちゃんと書いてあって判子が押してあれば受理するしかないんだから。古谷良二さんのみならず、冒険者でこの手のトラブルに巻き込まれる人が増えている」


「人間って怖いですね」


「ああ……ダンジョンに縁がない俺たちからしたら、モンスターよりも人間の方が怖いのさ」




 上野公園ダンジョンがある特区内に新設された役所に勤めている我々は、冒険者ではない数少ない例外だろう。

 冒険者に役所仕事をさせても効率が悪いので、台東区役所から出向してきている。

 なにより稼ぐ冒険者が、安定しているとはいえ、薄給の公務員にはならないだろう。

 職員数が減った台東区役所は大変そうだが、臨時で職員を募集したら沢山応募があったそうだ。

 このところ、ゴーレムが飲食店、工場などに配置されるようになり、AIやロボットの導入も始まっているから、失業者が増えているおり、えらい求人倍率だったと聞いた。

 だがそのうち、役所でもゴーレムやロボット、AIの導入が始まるから、職員の部署転換や出向が盛んになるだろう。

 リストラは……まあ、お役所にも労働組合があるから、政治家もそこまでしないかも。

 一応我々公務員も票田の一つだからな。

 こうして我々は、またもマスコミや世論から『役人天国』だと批判されるわけだ。

 そんな事情で、私たちは台東区役所から上野公園ダンジョン特区の役所へと出向となっていた。

 ここは特区なので、規制緩和の実験もしている。

 役所も極力人間を減らすことが決まっており、運用データを集めて全国の公官庁でも実施するのだとか。

 ただ、リストラはしないらしい。

 人手不足の部署へと配置転換していく方向だそうだ。

 出向組の私と後輩の相田は、数十体のゴーレムたちが静かに仕事をする役所の中で、全国の役場で却下された婚姻届、養子縁組届、認知届の多さに絶句していた。

 勝手に、古谷良二さんの妻になろうとする女性。

 勝手に、彼の義親になろうとする老人。

 勝手に、自分の子供を古谷良二さんが認知したことにしようとする母親。

 ここで働いていると、人間の良心や理性を少し信じられなくなってくるのだ。

 他の冒険者で同じような被害に遭い、わざわざ手間暇かけて取り消しの裁判をしている人たちもいた。

 はっきり言って、今の社会を支えている優秀な冒険者の足を引っ張る行為なので、私はそういう人たち嫌悪している。

 一部マスコミやリベラルを自称している人の中には、そういう人たちを庇い、なぜか被害者である冒険者を批判する人たちもいるけど。

 人間としての器が小さい。

 持てる者として、そういう人たちに手を差し伸べるべきだ。

 ご大層なことを言うのだが、彼らには共通したものがある。

 他人には滅私奉公を要求するが、自分は口だけでなにもしないことだ。

 ようするに、彼らの言い分など気にする価値もないのだ。

 勝手に結婚させられたり、子供を認知したことになっている冒険者の方が圧倒的に可哀想なのだから。


「不受理とされた古谷良二さんとの婚姻届の多さに驚きますが、ゴーレムに仕事を任せると楽でいいですね」


「ああ、人間よりもミスが少ないからな」


 それに、ミスを指摘したらすぐに改善してくれるのはいい。

 そんなの当たり前だって?

 会社でも役所でも、世の中にはとんでもない人間がいるんだ。

 何度も同じミスをして、それを指摘すると逆ギレする人間が。

 最初、おかしなところに出向になってしまったなと思ったが、今ではよかったと思っている。

 変な上司、同僚よりも、ゴーレムの方が仕事が順調に進むのだから。


「そういえば最初、私たちじゃなくて大石さんに出向の打診があったそうですが、断ったそうですよ」


「大石さんはなぁ……」


 彼は悪い人間じゃないんだが、いわゆる体育会系の人間で、部下とのコミュニケーションを重要視する人だ。

 飲みニケーションにも熱心で、私はちょっと苦手なでもある。

 彼は人間を重視するので、ここのような人間よりもゴーレムが多い職場は生理的に合わないのだと思う。


「それに彼は、マネジメント能力に長けているわけではないから」


 部下たちに『頑張れ!』と元気に声をかけ、一緒に長時間残業し、帰りに彼らを飲みに誘うような人だ。

 高い場所から部下たちを俯瞰しつつ、業務の効率化を進めるような人ではない。

 そういうやり方をする人……私のことだが……『冷たい』と言って嫌う。

 軍隊でいえば下士官レベルの人であり、人間好きの彼がゴーレムたちに囲まれるのは苦痛だろう。

 私たちは大石さんのような上司、同僚が苦手なので、今の職場環境は好都合だった。

 なにより楽だからな。

 大石さんたちのような連中が私を怠け者だと陰口を叩いていると聞くが、ゴーレムたちに的確に指示を出していかなければならない。

 管理職なのに管理職の仕事ができない大石さんのような人には、ここは地獄だろうな。

 この実験は、人間すら一人も置かず、ゴーレムのみで役所を運営する実験も同時に行っていた。

 つまり、役立たずの人間はそこで置物のような扱いを受けるのだ。

 楽でいいと考えられる人はいいが、 プライドが高い人にはかえって苦痛かもしれない。


「ここが上手くいけば、役所も大幅に人手を減らすだろう。その時に、大石さんがどう思うのか……」


 リストラはないと思うが、人手不足の部署に異動させられるだろう。

 断ればどうなることか。

 民間企業も同じで、どう足掻いても人員の削減は進む。

 正社員をいきなりクビにはできないので、最初は部署転換で対応すると思うが、もしそこが合わなければ辞めるしかない。

 酷い話だが、どうせゴーレムがなくてもAIとロボットに切り替わる予定だったので、防ぎようのない未来とも言えた。


「大石さん、リストラされないといいですね」


「それは、彼のマネジメント能力によるかな。しかしまぁ、次から次へとよくも……」


「うわぁ……ついに、ここにも……」


 ついにここにも、古谷さんに対する届け出を出そうとする人たちが押し掛けるようになった。

 彼が住んでいる、この上野公園ダンジョン特区の役所なら届けが受理される可能性が高いと判断したのか?

 多分、観光名目で入り込んだのだろうが……。

 それにしてもまぁ……。

 本人にも知らせず、勝手に婚姻届けを出そうとするとか……。

 もはや世界一の富豪となった古谷良二さんだが、色々と大変なのはよくわかった。

 それは、不受理届けを出しているわけだ。

 私たちじゃなく、受付に配置されているゴーレムが相手をしている。


「不受理ですって! 私は古谷良二と結婚するのよ! そしてセレブの仲間入りになるのよ!」


「ですが、不受理届けが出されていますので無理です」


「そこをなんとかしなさいよ! 私を誰だと思っているの? あの古谷良二の婚約者なのよ!」


 最近、古谷良二の妻、恋人、親戚、親友、冒険者の師匠などと自称する人たちがあとを絶たない。

 あちこちに出現して騒ぎを起こすので、古谷企画のHPで『事実ではありませんので、彼らの言い分を本気にしないでください』と注意喚起するまでに至っていた。


「今、世界で一番有名なインフルエンサーなので大変ですね。ああいう輩の相手をする我々もですけど」


「きぃーーー! ゴーレムなんて出さないで、職員を出しなさいよ!」


 この手のクレーマーの相手は、人間でなければ駄目かもしれない。


「ですから、古谷良二さんは婚姻届けの不受理届けを出されていますので、その婚姻届は受理できません」


「どうすれば、古谷良二と結婚できるのよ!」


「二人でこちらにいらして、不受理届を下げてから婚姻届を出せばよろしいのでは? あなたは、古谷良二さんの婚約者なのですよね? ご本人と連絡を取れば……」


「ここに古谷良二を呼び出して!」


「無理ですよ。そもそも、あなたは古谷良二さんの婚約者なのですよね? それなら、あなたが自身が呼び出された方が……」


「きぃーーー!」


 女性が暴れ出したので、警備員……じゃなくて、ゴーレムたちが彼女を拘束した。

 する。

 これからそういう女性が増えそうだな。


「役所の横暴よ! 訴えてやるから!」


「……」


 ゴーレム警備員たちは、人間を傷つけないために導入が進んでいる。

 武器を持たなくて済むからだ。

 もし銃撃されても、傷がつくくらいで故障もしないからな。

 人間の警備員の仕事を奪う存在だと批判も大きいが、元々人手不足の業界なので急速に導入が進んでいた。


「(あんたの言動はすべて録画されているって、それは役所の入り口にも表示されているんだけどなぁ……)これ以上騒ぎを起こされますと、出入り禁止とさせていただきます」


 ゴーレムを介して様々な情報を集めて分析、活用されているので、今日のようなクレーマーを出入り禁止にするのも楽だった。

 他の役所でそれをすると問題かもしれないが、ここは冒険者特区で規制が緩い。

 色々な社会実験をしているので当然とも言えたが。

 外の世界でも、飲食店、病院、民間施設などがこのシステムを導入しているので、おかしなクレーマーは容易に出入り禁止とすることが可能となった。

 マナーの悪い客は排除した方が、商売が上手くいくからだ。

 彼らの分の売り上げを惜しんで従業員にストレスを与えたり、対策でコストをかけるのなら、出入り禁止にした方が利益率は上がる。

 ゴーレムの導入と共に、このシステムを導入するところが増えた。

 当然騒ぐ人たちもいるが、彼らの暴言や悪行はすべて録画されており、もし裁判になっても向こうが負けるだけだ。

 おかしなクレーマーが来ないお店は、質のいい客がよく利用してくれることがわかった。

 逆に、そんな客でも我慢し受け入れるお店もあるので、そういう人たちが行けるお店がなくなるわけではない。

 上手く客を分けられているからいいと思うが、そんな社会へと進む原因となった古谷良二かぁ。

 色々と思わなくもないが、彼と勝手に結婚しようとする人の多さを見ると、インフルエンサーというのも案外大変なのかもしれないな。

 本当、有名人は大変だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る