第88話 ドッペルゲンガー(その2)

「古谷良二君……いや、君は未成年なので名前が公表されることはないが、殺人と死体損壊の容疑がかかっている。上野署に同行願おうか?」


「えっ?」




 まさに青天の霹靂だった。

 岩城理事長から、ドッペルゲンガーについての話がついたので サンプルとしてその死体を提供してほしい。

 そう頼まれたので提供したら、俺は上野署に任意同行を求められてしまったのだ。


「こんなおかしな話がありますか! これはダンジョンで亡くなった冒険者の死体を材料にするドッペルゲンガーというモンスターの死体なのですよ!」


「ドッペルゲンガーにされている時点で、 すでにその冒険者は死んでいるって説明したじゃない」


「冒険者に犠牲者を出さないよう、ドッペルゲンガーの情報と、その証拠となる死体のサンプルを無料で提供した良二様を殺人容疑で捕まえる。日本の警察はなにを考えているのです? 真面目に事態を解決するつもりがあるのですか?」


 たまたま同じ場所に居合わせたイザベラ、ホンファ、綾乃が、俺に任意同行を求める刑事と警察官対し、立て続けに苦情を述べた。


「お嬢さん方。残念ながら現時点では、古谷良二君がイレール・アシル・シルヴァン・オリヴィエさんを殺していない証拠もないのでね。ご遺族からの訴えもあったので、取り調べをしないわけにいかないのさ」


「亡くなった冒険者の方の身元がわかったのですね」


「ああ、フランスのダンジョンで行方不明になっていた冒険者だ」


「フランスのダンジョンで亡くなったと推測される方の死体が、富士の樹海ダンジョンに出現した件に関してはどうお思いですか?」


「ドッペルゲンガーについてだが、すでにアメリカ、中国、スペイン、ブラジルのダンジョンに出現して、数十名の冒険者を殺害。有効な対策が取れず、そのダンジョンは封鎖されたという情報が入って来ています。古谷良二君を取り調べることに疑問を感じている現場の人間は多いのですが、如何せん上が……。なんでもフランス政府から、イレールさんの死の真相を必ず解明するようにと圧力がかかったそうで……。欧米人に抗議されると、日本の政治家や外交官は弱いですからねぇ……。人権と言われと、マスコミは活動が活発になりますし……」


「カエル野郎が!」


 イザベラはイギリス人なので、必ずしもフランス人とは良好な関係とはいかないようだ。

 でもカエル野郎って…… 。

 フランス人はカエルを食べるけど、俺はカエルは美味しいと思うんだけどなぁ。

 ダンジョンのカエルしか食べたことないけど。


「任意ですか。別に構いませんけど」


「ご協力に感謝します」


 ここでゴネても仕方がないので、俺は上野署へと移動した。

 どうやらまだ逮捕はされておらず、任意の取り調べということらしい。

 この先どうなるか、保証の限りではないけど……。


「そういえば、取り調べってカツ丼が出るんですか?」


 取り調べといえばカツ丼。

 刑事ドラマでは定番だな。


「いえ、それは刑事ドラマの見すぎです。自前でなら頼めますけど、我々が奢ることはありませんよ」


「そうだったんだ。残念……」


 取調室で出されたお茶を飲みながら、俺は刑事さんたちにドッペルゲンガーについて説明をした。


「ダンジョンで死んだ人間のごく一部が、ドッペルゲンガーにその肉体と容姿を利用され、世界中のダンジョンのどこかにランダムで出現し、冒険者を騙して殺す、ですか……」


「冒険者がダンジョンで死ねば死ぬほど、ドッペルゲンガーが実現する確率が上がります。ドッペルゲンガーは、この方法しか数を増やせないんですよ」


「なるほど……」


 人間が死ななければ、ドッペルゲンガーは寄生することができない。

 だが、今の世界は冒険者がダンジョンにに潜らないと文明的な生活できないので、どうにか解決策なり、ドッペルゲンガーが出現した際の統一した対策を決めないと、そのうち誰もダンジョンに潜らなくなると思う。

 社会のために働いたのに、殺人者扱いで刑務所に入れられたら堪らないからだ。


「しかし、大丈夫かな?」


「なにがですか?」


「いやあ、実はですね……」


 実は俺は、アメリカ、中国、カナダ、イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、ブラジルのダンジョンにドッペルゲンガ出現した時と、今もさらに数回、『危機予知』からくる体の震えを感じていた。

 この体の震え方は、間違いなくドッペルゲンガーがこの世界のどこかのダンジョンに出現した証拠であろう。


「すでに十ヵ所を超えたか……。ドッペルゲンガーが出現したダンジョンの大半が出入り禁止になったので、とりあえずはドッペルゲンガーはこれで打ち止めかな?」


「これ以上、ドッペルゲンガーは出ないんですか?」


 身を乗り出して嬉しそうな顔で聞いてくる刑事さん。

 だが、必ずしもそうとは言えないのだ。


「ドッペルゲンガーを殺害する許可が出せず、ドッペルゲンガーとの物理的な接触を避けるためにダンジョンを封鎖したので、もう急激に増える心配はないです。ただ、ダンジョンの封鎖をすれば、経済的な影響が大きいのは事実。とはいえ、ドッペルゲンガーをどうするのか。殺しても罪にならないという確証がないと、中に入れないダンジョンが増える一方でしょう」


 ドッペルゲンガーがいないダンジョンに入ればいいが、そこで冒険者が死ねば、また封鎖されるダンジョンが増えてしまう。


「ドッペルゲンガーは仲間を増やそうとするし、ドッペルゲンガーに殺された冒険者は高確率でドッペルゲンガーになります。奴らはどんな卑怯な手を使っても冒険者を一人でも多く殺そうとするんです。みんな、ドッペルゲンガーに気がついて逃げてくれればいいんだけど……」


 俺の嫌な予感というか、こうなるとわかっていたとおり、徐々にドッペルゲンガーが出現するダンジョンが増え、多くの冒険者を殺し始めていた。

 彼らがドッペルゲンガーとなって世界中のダンジョンにランダムに出現するまであと数日。

 時が経てば経つほど、ドッペルゲンガーのせいで封鎖されるダンジョンは増える一方だろうな。

 なにしろ、ドッペルゲンガーを殺すと殺人罪で逮捕されるリスクがあるのだから。


「ドッペルゲンガーには、どう対応すれば?」


「倒すか、冒険者に犠牲者を出したくなければ、そのダンジョンは封鎖するしかないのでしょうね」


「古谷良二君、君なら倒せるのかね?」


「倒せますけど、ちょっと遠慮したいですね」


「どうしてだね?」


「いやだって。今の俺は、イレールという冒険者の殺害容疑で取り調べを受けているんですよ。もし逮捕されて裁判で有罪になれば、最低十年はブタ箱にぶち込まれる。ドッペルゲンガーをすべて倒したあと、殺人容疑で逮捕されたらたまったものではないですし、複数人数の殺人罪で有罪になったら確実に死刑でしょ。嫌ですよ」


 複数の人間を殺害した罪人なんて、未成年でも死刑は避けられないだろう。


「他の冒険者たちも、誰も引き受けないんじゃないんですかね。俺のように警察に捕まるから」


「……」


 任意同行とはいえ警察にしょっぴかれたので、思わず皮肉が出てしまった。


「これから、封鎖されていないダンジョンでも突然ドッペルゲンガーが出現するはずなので、これからも冒険者の殉職は防げないでしょう。そしてさらにドペルゲンガーが増殖して封鎖されるダンジョンが増えていくはず。すでにダンジョンで行方不明になった冒険者は死亡しており、もし倒してもドッペルゲンガーなので罪に問わない。お上がそう発表しない限り、手の打ちようがありませんね」


 このままだと、段々と封鎖されるダンジョンが増えていき、ついには潜れるダンジョンが一つもなくなってしまうかもしれない。


「どうやらしばらく状況は動かないようなので、もうすぐお昼だから自前でカツ丼を取ろうかな?」


 テレビをつけるとワイドショーをやっており、中年の白人夫婦と若い女性に子供数名が出演していた。

 イレール氏の家族だと思われ、自分の息子の、夫の、父親の死の真相が知りたいと、懸命に訴えかけていた。


「このままだと、ドッペルゲンガーには手を出せませんよ。ドッペルゲンガーというモンスターの厄介な点ですね」


 取り調べというよりは、俺が色々と事情を説明しているだけだったが、その間にもドッペルゲンガーは増え続け、四日後の夜までに封鎖されたダンジョンは百二十七ヵ所にまで増えてしまった。

 この数日、わかっているだけで、合計三百九十六名もの冒険者たちがドッペルゲンガーにより殺害されてしまったそうだ。

 そりゃあ低階層の弱い冒険者たちが、利用した死体よりも数倍から数十倍強くなっているドッペルゲンガーに奇襲されて生き延びられるわけがない。

 そして、殺された冒険者たちもドッペルゲンガーとなり、すでにドッペルゲンガーがいないダンジョンの方が圧倒的に少ない状態だ。

 残り少ない閉鎖されていないダンジョンに多くの冒険者たちが殺到し、混み過ぎてダンジョンに入れない冒険者が続出した。

 魔石と資源の産出量が大幅に落ち、またも世界に不景気の波が訪れようとしている。


「古谷君、富士の樹海ダンジョンが封鎖になったそうだ。一階層でもドッペルゲンガーらしきものが暴れ、Reスライムを狩っていた冒険者たちが二百名近くも行方不明だそうだ」


「ドッペルゲンガーの増殖が止められませんね……」


「古谷良二君、情報提供に感謝します」


「最近、レベル500を超える冒険者が世界中で増えてきたので、ドッペルゲンガーを倒せる人はかなりいるでしょう。ですが、殺人で刑務所にぶち込まれるリスクを背負ってまでドッペルゲンガーを倒す人はいるかな? 政治家が手を打つまで静観するしかないですね」


「モンスターとしての強さではなく、社会的な問題で厄介な存在なのか……ドッペルゲンガーは……」


 向こうの世界でも、みんな苦労していたからな。

 カツ丼を食べ終わった俺は自宅に戻ったが、世界はドッペルゲンガーに対しなんの手も打てないまま無為に数日が経ち、ついには、 世界中すべてのダンジョンが封鎖されてしまう。

 しかも、すべてのダンジョンの一階層に必ずドッペルゲンガーたちが屯している状態だそうで、世界は資源と魔石の供給が止まって大騒動になってしまったのであった。

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