4.〝蛇の道は〟

『技の鉦巻』の二つ名は伊達ではなく、彼は兄である『力の忠邦』はおろか、師である彦市以上に門弟へ物を教え、新たな術理を考える能力が高かった。

 おまけに技という物の価値を分かっているのかいないのか、まだ実戦の場でも深くは掘り下げられておらず明快でない技を語る事もしばしば。

 ――右から振りかぶって左から剣を大振りで当てる術理。

 ――木の枝が跳ねる仕組みを利用した刀運び。

 様々な術理が鉦巻の掌の中に合った。

 こんな天才がいるなら刃鳴流は安泰だと――兄弟が双璧として収まって、十年。

 ……運命の日、とも言える。

「「「「おはようございますっ‼」」」」

 その日――白髪すら抜け、老爺の禿頭へとなり果てた彦市が、弟子を集めた。

 恐らく免許皆伝、その為の秘剣開帳であろうと誰もが考えていた。

 ――刃鳴流の免許皆伝は独特で、その代の師範が頼みとしていた秘剣を初伝から奥伝のどこかへと落とし込むというものであった。

 開祖、田越鴻三郎が単純な初伝技しか残さなかった事が起源であるという。

 終えれば、また多くの門弟が刃鳴流から巣立っていく。

 それはやや長めの期間をかけて行う、卒業試験のようなものだった。

 生憎、忠邦は幕府の偉い方に出された遣いで、道場を出払っていたが――それが幸か不幸であったのか、今となってはもう誰にも分からない。

 何故なら彦市が術理を述べて、その技を受けるべく鉦巻が指名されて立ち上がり――彦市の喉を、蛇の様な刀で斬り裂いた事で式は強制的に閉幕させられたのだから。



    ◆



「やあ、嘉助」

「鉦巻さん……まだ……こんな所に……!」

 雪化粧に彩られ始めた北埠頭は明るく、鉦巻の姿はすぐに見つかった。

「その足はどうしたんだ? ……まさか、怪我を」

 足を引き摺る嘉助に対して、心底から気遣う様子を見せる鉦巻。

「何でも、ありません! それより――どうしてまだ船に乗っていないのです!」

「……口の悪さが祟ってね、向こうに渡してくれる船頭が見つからなかったんだよ」

 身から出た錆だなと、笑って返す顔に嘘はない様に見えるが――

(嘘だ)

 ――きっと最初から船頭を探してなどいないと、嘉助は確信していた。

 口の悪さもごく最近から始まったもので――藪をつつくように、人の至らぬ部分を指摘し、気分をわざと逆撫でする事で悪辣に思われるよう仕向けているだけだった。

 ……街の子供には、優しい人だった。

 隔絶した才覚が、人と繋がる事を希求させるが故の優しさだったのかもしれない。

 つい先程までこの場で行われていた弦一との会話と死闘を知っている者が見ていれば、別人としか思えぬ振舞いの鉦巻に――嘉助が必死に足を引き摺り、近寄ろうとする。

 しかし、最初は三間離れていた鉦巻がいつの間にか、すぐそばに立っていた。

 衣擦れの音も聞こえない、正に瞬間移動としか思えない現れ様である。

 ――何かの移動を見る時、人は両目で立体視を行うが故に左右への揺れや、衣擦れに足音、そして歩幅を用いて物との距離を測っている。

 であれば歩幅を一定にせず、揺らぎといった要素を消せたのならば――剣士の歩みは水面を滑る鳥か虫のように、相手の距離感を狂わせる事ができるであろう。

 刃鳴流――水面。

 そして体を揺らさず後ろ足の爪先のみで跳び、大きく距離を詰める、刃鳴流――跳脚。

 二つの初伝技が組み合わせられ、不可思議なほど早く見切り辛い移動となっていた。

 ふわりと、その小袖袴から漂ってくる血の臭いに、弾かれたように嘉助が顔を上げる。

「鉦巻さん、こそ怪我を――いやまさか、もう師範代と――!」

「ああ、大丈夫だ……斬ったのは兄貴じゃなくて、弦一だから」

「――⁉」

 穏やかに告げられた凶行の痕跡を見つけるべく、喜助が視線を巡らせると――程なく、積もり始めた雪に覆い隠され始めていた弦一の姿を捉えた。

 後戻りや弁明など、最初からするつもりがなかったのかと嘉助の顔が悲しみに歪む。

 双璧の伊草兄弟が別れる事を何としても止めたかったのに、どうしてこんな。

「……疲れているね、少しだけ休んでいきなさい」

「っ、ぁ――」

 嘉助の後頭部狙って鋭く、鉦巻が小指球を固めた手刀を見舞う。

 刃鳴流――木槌。

 後頭部を普通に殴っても人は気絶はさせられない。

 だが対象が疲労困憊している状態であるならば――弾力ある後頭下筋群を叩き、軽い脳震盪を起こさせて、浅い眠りへと落とす事はできる。

 単なる強打にしない繊細な力加減があれば、それは然程難しい事ではなかった。

「さて――」

 鉦巻が右の袖を捲り、鯉口を軽く切って――そこに、手首を這わせる。

 途端にぽたぽたと、少なくない量の血液が倒れた嘉助へと滴る。

 喜助の着物がみるみる汚れ――地面さえも、月明かりで分かるほどに赤く濡らしていく。

 ある程度の量を降り注がせた所で脇を占めつつ、満足そうに手拭いを巻いて止血。

 寒さを鎮痛剤代わりにしつつ、筋は避けているので――兄を前にしての抜刀に、何の支障もないだろうとして微笑む。

(それにこれ位あれば、暗くても――そこそこ映えるだろう)

 一太刀。

 あと一回だけで、いいのだから。



    ◆



 南を探しても、密航者は見つからなかった――が、そこである事実に忠邦は気付く。

 果たして、本当に……あの時、嘉助は諦めていたのだろうかという可能性に。

 気付いた瞬間。今まで自分がとった行動の全てが愚かしく思えた忠邦が頬を強く張る。

 不甲斐無い……伊草兄弟に憧れていると公言して憚らなかった嘉助が、素直に鉦巻の所在を明かす筈がないではないか。

 簡単な事に気付けなかった事を悔いつつ、忠邦は北へと走った。

 そして――辿り着いた場所に待っていたのは。

「……よぉ、兄貴」

「鉦巻……!」

 寒さからか、僅かに頬から血の気が失せた弟。

「いやさ……そんな怖い顔すんなって。古傷が開いちまうぞ?」

 そして頸の無い巨漢――恐らく弦一の亡骸と、血の海に伏している嘉助の姿だった。

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