鮫々とした彼女

涼月

彼女の話

 僕の彼女は鮫々としている。


 いやこれは決して誤字などではなく。寧ろそのままの意味だ。鮫々としている。

 なら最近流行りの人外かと言われれば、それも違う。彼女はれっきとした人間だ。上半身が鮫だとか、そういうわけではない。

 じゃあどういうことだよ。そう思うだろう。では説明しようか。


 彼女は鮫にそっくりなんだ。


 *


 ――説明になっていないと苦情が来そうなのでそろそろきちんと彼女の話をしよう。

 さっきも言った通り、彼女は鮫にそっくりだ。何が、と言えば生態が、と言うしかない。生態と言っても勿論彼女は人間だから、実はエラ呼吸をしているとかいう類ではない。無意識に起こす行動みたいな、生まれ持った要素的な”生態”だ。


 第一に彼女は肉食だ。これも食べ物的な意味ではなく、恋愛的な意味だ。彼女に狙いをつけられたらまず逃げ切れない。かく言う僕もその被害者の一人で、友達に人数合わせで無理矢理連れて行かれた合コンが彼女との出会いだった。

 合コンと言えば冴えない男を具現化したような僕にいつも勝ち目は無く、飲みすぎたフリをして二次会の前に離脱するのが常だ。尤も、僕自身「彼女」という存在に必要性を感じていなかったし、誘う方も人数合わせが目的だから無理にくっつけようとはしない。要は単なる付き合いの延長でしかなかった。大学生という枠の中で生きる為の、言わばある種のライフハックだ。

 けれどその日は違った。いつもなら誰も見向きもしない僕に彼女は視線を送った。不意に交わった視線に絡め取られて、目線を外せない。黒々とした瞳に吸い込まれるように、僕は彼女だけを見つめた。虚空を見ているようで、それでいてどこか強い意志を湛えたその瞳はあまりにも美しかった。

 彼女は僕と同じで二次会へは行かないらしかった。彼女が行くなら自分も行こうと思っていた僕にとって、これはかなり僥倖だ。二次会は決まってカラオケで、歌に自信の無い僕には地獄でしかなかったからだ。

 自分の分の会計を済ませ、先に店を出た彼女を追おうと暖簾をくぐると「ねぇ」と軽やかな声が耳を突く。


「さっき私のこと見てたでしょ」


 ふふと微笑みながら首を傾げる彼女に、さっきまでの酔った様子は微塵も感じられない。瞳の奥に宿るのは完全に捕食者のそれだ。僕は雰囲気に気圧されて、気が付くと頭を縦に振っていた。


「じゃあLINE交換しようよ」


 既に画面にQRコードを呼び出している彼女は、僕に選択の余地を与えてくれないらしい。僕はわたわたとポケットからスマホを取り出すと、カメラを起動させ読み込んだ。ぱっと画面が切り替わり表示されたプロフィールを見ると、アイコンは可愛くデフォルメされた鮫のイラストだった。

 そのイラストがどことなく彼女に似ていて、思わず凝視していると彼女はそれを遮るようにスマホを突き出した。


「これがキミ?」


 映し出されているのは紛れもなく僕のプロフィール画面で、実家の庭で撮った花をアイコンにしているのが急に恥ずかしく思えてくる。数年前に変えて以来、変える理由も無くてずっとそのままだ。


「ふぅん、綺麗だねこの花」


 頷くと事も無げに彼女はそう返した。そして手元に視線を落としたまま何やら操作をすると、僕のスマホがぽろんと音を鳴らす。


『よろしくね』


 通知を開くとまっさらなトーク画面にそう表示されていた。こちらこそよろしくお願いします、そう打って送ると彼女は笑いながらタメ口でいいよと言った。唇の縁から覗くぎざぎざした歯が嫌に印象的だった。

 その後電車だという彼女を途中まで送って家路を一人歩いていると、ポケットの中でスマホがぶるりと震えた。駄目だと知りつつ画面を開くと、


『自己紹介がまだだったね』


とフルネームが打ち込まれていた。

 生真面目なのかあざといのか。その真意は図りかねたけれど、どうしようもなく口元が緩んでしまったから僕はその時既に彼女に喰われていたのだと思う。


 ――かなり逸れてしまったが話を戻そう。彼女の鮫に似ている所その二だ。

 彼女は行動も鮫に似ている。さっきの話の後まもなくして僕らは付き合うことになった訳だけど(この詳細はまた別の機会に)、関係が変わってから分かったのは彼女はよく僕の上に乗ってくるということだ。

 僕がうつ伏せになって本を読んでいると彼女は決まって背中に乗ってくる。そうしてまるでコバンザメがおこぼれを預かるように、僕の肩越しに本を読むのだ。

 毎回そうするものだから、一度コバンザメみたいだと言ったことがある。すると彼女は「コバンザメは鮫の仲間じゃないんだよ」と勝ち誇ったように笑った。――と言ってもやっぱりコバンザメに似ているとしか思えなかったのだけれど。


 こんな具合に彼女は鮫にそっくりだ。特定の鮫という訳ではないが、行動一つ一つが総じてそう思わせる。犬や猫っぽい人がいるように、彼女もまたそうなのだ。


 ……そろそろ最後に”生態”ではなく彼女自身が意識していると言うことを紹介しよう。


 彼女はジンベエザメのような人になりたいらしい。

 これだけではよく分からないだろうが、説明を聞けば恐らく納得してもらえると思う。

 彼女曰く、ジンベエザメこそ人が目指すべき姿なのだそうだ。広大な海をゆったりと泳ぎ、人を襲うことはない。眼差しは穏やかで全てを慈しんでいるようで。そうして海を優しく統べるようなそんな姿に憧れるのだ、と。

 だからだろうか、彼女は青地に水玉の柄が入った服をよく着ている。彼女が言うには「水玉」でも「ドット」でもなく「斑点」らしいのだが。ワンピース率の高い彼女は会う度に綺麗になってまた一歩憧れに近づいて、ゆらゆらと裾を揺らしてワルツのステップを踏むがごとく歩き出す。目に映る全てに温かな眼差しを送る姿は、不本意かもしれないが聖母のようだ。道行く人々の視線を一身に集め、彼女は歩を進める――。


 *


 ……これで彼女がどんな人か分かってもらえただろうか。最初に言った「鮫々としている」のは正しく言葉通りの意味だったと思う。そして決して誇張などではないということも。


 ずっと話していたけれど、そろそろ時間だ。彼女の話はここまでにしようか。


 この話の続きは、またの機会に。

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