秘密基地の隊長になった夜
くれは
秘密基地の隊長になった夜
夏休みのある日の夜、父さんが家に帰ってこなかった。
父さんは夜遅くまで仕事をしてることもあるし、それでたまに朝まで帰ってこない日もある。だからそんなに心配することじゃないんだけど、今日は違った。遅くなる日はいつも家族あてにメッセージが来るのに、それがない。母さんからもメッセージを送っているけど、返信もないし既読にもならない。
夕飯はコロッケとキャベツの千切りで、母さんと二人で食べた。先にお風呂に入ってパジャマ代わりのTシャツと半ズボンを着て歯磨きをした。それでもまだ父さんは帰ってこない。
なんとなく落ち着かなくて、テレビをつけてソファに座っている母さんの周りをうろうろしていたら、母さんが「
「夏休みだからって夜更かししない」
母さんは俺に向かってはいつもと同じ顔だったけど、でもずっと心配そうにスマホの画面を何度も確認していた。俺も何かしたかったけど何もできなくて、結局「おやすみ」とだけ言って自分の部屋に行った。
自分の部屋のドアを開けたはずだった。ドアを開けたら脇にランドセルがかかった学習机がまず目に入って、その奥に棚とタンス、そしてベッド。それ以外のスペースはほとんどない、狭い、けど俺の部屋。
そのはずだったのに、そこにあった見知らぬ光景と足の感触にぽかんとする。
俺の部屋に比べたら、ずっと広い部屋。足元は冷たい床だ。つるりとしていて靴を履いたまま出入りするような床に見える。
左手奥の壁にモニターがたくさん並んでいる。その下には大きな机。机の上は一面、ボタンやスイッチみたいなものが目一杯に並んでピカピカと光っている。その前に、立派な背もたれと肘置きの椅子が一つだけ、ぽつんと置かれていた。
それ以外は、がらんとした部屋だった。照明は明るいけど、足元に感じる床の冷たさのせいでひどく寂しく感じる。
「なんだこれ」
ぽかんとしたまま部屋の中に踏み出すと、ドアが手から離れてばたんとしまった。その音にびくりと振り返って、ドアノブを掴んだ。がちゃがちゃとドアノブを回すけど、鍵でもかかったのか、ドアは開かない。
──すまない。
急に聞こえてきたその声に、びくりと動きを止めた。声だけだと、男の人か女の人かわからない。大人の人っぽいとは思ったけど。
──突然のことで驚いたかと思う。
部屋の中を見ても、やっぱりがらんとしているだけだ。もしかしたらスピーカーがどこかにあるのかもしれない。それなら、どこかにカメラがあって、見られているのかも。
──私は君に危害を加えるつもりはない。どうか落ち着いて、話を聞いてくれないだろうか。
それは俺への問いかけみたいだったけど、俺はまだ何も言えないでいた。
──用事が終われば、君を君の家に戻す。約束する。君に力を貸して欲しいんだ。
「力を貸す?」
ようやく声を出すことができた。俺の言葉にほっとしたかのように、頷くような声が返ってきた。
──そう。とりあえずは、椅子に座って説明を聞いて欲しい。
ドアは閉まっているし、他に出口はなさそうだった。俺は言われるままに、ぽつんと置かれていた椅子に座った。
そっと座ったらぐっと体が沈んで慌てたけど、そうやって深く座る椅子みたいだった。立派な背もたれは俺の身長には大きすぎたし、肘置きの高さも合わないし、座ると足が床に届かなくなるけど。
俺が椅子の上で落ち着かずにもぞもぞしていると、また声が聞こえた。
──私は、秘密基地だ。
「秘密基地?」
意味がわからなくて聞き返す俺に、その声は説明を続ける。
──この世の中には、たくさんの秘密基地がある。それらは大抵、子供が作るものだ。そして、その子供が飽きたら、あるいは大人になったら、打ち捨てられる。誰かの手によって壊されるようなこともあるだろう。私は、そんな秘密基地の一つだ。
「よくわからないんだけど」
──私はこの部屋そのものだ。昔、私で遊んだ子供がいた。私の本当の姿は、もっと狭くて、壊れた椅子だけがある、ただの空間だった。でも、その子にとっては、これが私の姿だったのだ。
その声は、どこか自慢げに、誇らしげに、そう言った。
「よくわからないけど、俺は今、この部屋と話してるってこと?」
──そうだ。実際にもうこの空間は存在しないが、秘密基地の思い出だけが残っている。そして、私のような秘密基地がこの世の中にたくさんある。君は、秘密基地に必要なものはなんだと思う?
突然の質問に、俺は困って首を振る。部屋と話しているってだけでもなんだかよくわからないのに、その部屋に必要なものなんてわかるわけがない。
──秘密基地にはそこで遊ぶ子供、持ち主が必要だ。持ち主を失って暴走した秘密基地の思い出が、人をさらって閉じ込めて、無理矢理自分の持ち主にしてしまっているんだ。
「え」
その言葉に、俺は今の自分の状況を重ねてしまった。俺だって今、閉じ込められている。
──安心してくれ。私は君を閉じ込めるつもりはない。暴走した秘密基地は、自分の持ち主の思考を奪い、死ぬまで閉じ込めてしまう。私はそれを止めたいと思っているんだ。そのために君の力を借りたいだけだ。それは信じて欲しい。
「でも、同じことができるんだろ?」
おそるおそる、俺はそう聞いた。返事はすぐに返ってこなくて、俺は不安になって開かないドアの方をちらりと見る。
何秒か経ってから、また声は喋り出した。
──できるかできないかで言えば、できる。でも、私はしない。信じて欲しい。あの子が私の中で遊んでいたとき、私は巨大怪獣から人々を守るための秘密基地だった。あの子は正義のために戦っていた。もし私が人を閉じ込めるようなことをすれば、あの子の正義はきっと失われてしまう。そうなればきっと、私はもう私ではなくなる。だから、私はそれをしない。
その「秘密基地」と名乗る声の言っていることは、めちゃくちゃだと思った。だって、やっぱり今の俺は閉じ込められている。そうするつもりはないって言ってるのに、そうしてるじゃないかって思った。
でも、人を守るための秘密基地だったというのは、きっと嘘じゃないんだろうなとも思った。
「俺は、何をすれば良いの?」
──協力、感謝する。
俺に返ってくるのは声だけだ。でも、俺はその声を聞いて、表情が見えた気がした。きっと、とても嬉しそうに笑っている。
──君の近くに、暴走した秘密基地の気配を感じた。誰かが引き摺り込まれて、閉じ込められている。秘密基地の持ち主の思考は、外からの刺激で戻る。そうすれば、私が二人を現実に戻す。君には、その持ち主を刺激する役目をお願いしたい。
「それって、どうやるんだ?」
──その持ち主に直接、それが現実ではないと理解させて欲しい。秘密基地がただの想像だと、現実ではないと思わせるのは、人にしかできない。私にはできないことだ。
「いまいちわからないけど、その持ち主のところに行けば良いってことか? 俺まで戻ってこれなくなるとか、ないよな?」
──君はあの秘密基地の持ち主ではないから戻ってくることができる。私が必ず君を呼び戻す。そして必ず、君を君の家に送り届ける。必ずだ。
俺が頷くと、背中側の壁の一部がスライドして、そこにドアくらいの穴が開いた。その向こうに、細長い廊下が続いている。
──あの通路の先に、目指す秘密基地がある。出動だ、隊長!
「その隊長って俺のこと?」
──私は「隊長」のための秘密基地なんだ。
隊長、と口の中で小さく呟く。なんだかしっくりこないけど代わりの言葉は見付からないし、まあ良いかと思って俺は椅子から降りた。
通路を進む間に、俺はいつの間にか特撮に出てくる制服のような格好になっていた。
突き当たりのドアを開けると、暗闇の中。先に、ぽつんと明かりが見えたので、そこに向かって歩く。
その揺れる明かりは、焚き火だった。俺と同い年くらいの子が、その焚き火の前に座っている。その後ろには、大きなキャンピングカーのような車があった。
その子は俺を見てびっくりした顔をした。
「お前、どこから来たんだ? 地底人か?」
地底人? 俺はさらに近付いて、焚き火の側に立つと首を振った。
「違う。秘密基地の持ち主を助けるようにって頼まれて、それでここまで来た」
俺の言葉に、その子はじっと俺の顔を見た。しばらくそうやって黙っていたけど、やがて不思議そうに首を傾けた。
「どこかで会ったことあるか?」
俺は瞬きをして、その顔を見る。見覚えがあるような気もするけど、わからない。少なくとも、同じ学校じゃない気がする。
「わからない。あるかもしれない」
その子は立ち上がって、また俺の顔をじっと見る。けれど思い出せなかったみたいで、首を振った。
「まあ、良いや。助けに来たって言うなら、俺の秘密基地を見せてやるよ」
そう言って、その子は焚き火を踏んで火を消した。しゅんと真っ暗になったかと思うと、白い強い光が周囲を照らし出した。どうやらその子が車のライトを付けたみたいだった。
車の中は快適だった。家が丸ごと移動しているみたいだ。小さな台所も、シャワーもトイレもある。二階建てになっていて、二階は天井は低いけどベッドがあった。
その子は運転席、俺は助手席。その子は形だけハンドルを握った。道がデコボコなのでガタガタと揺れる。
「自動運転なんだ。でも、ちゃんと進んでるのか、ときどきはこうやって様子を見ないといけないからね」
その子はそう言って、運転席の隣のモニターを覗き込む。カーナビのような画面が映っていた。俺も一緒に覗き込んだけど、どこに向かって進んでいるのかはわからなかった。
「この先に、地底湖があるんだ。その地底湖はすごく深くて、沈んだら戻ってこれない」
その言葉通りに、突然ライトが照らす先に地面がなくなった。あ、と思っている間に、その水の中にどぷんと沈んでいった。地面の振動がなくなって、代わりに妙な浮遊感がある。窓の外は相変わらず暗いけど、車のライトの中を時折、大きな魚の影が横切る。
「この車は水の中も走れるんだ、だから大丈夫。この地底湖の途中に横穴があって、そこから入っていくと洞窟があるんだ」
その子はそうやって次々に、地底世界のことや車がいかにすごいものかを俺に教えてくれた。
硬い岩があれば、車はドリルを出してそれを削った。突然の落石にだって潰れることはない。凶暴な巨大ワニに襲われたときは、その子が自分で運転して、走って逃げた。
めちゃくちゃだった。めちゃくちゃだったけど、楽しかった。落石を利用して巨大ワニを振り切った後、また自動運転に任せて、その子と俺はしばらく笑っていた。
そしてふと、名前を聞いてなかったと思い出す。
「名前、教えて。俺は
「ハジメ……」
俺の名前を呟いて、その子は何かを考え始めた。
「知ってる気がする。やっぱり、どこかで」
そう言って、まじまじと俺の顔を見てくる。その目付きに見覚えがあると思った瞬間、俺はその子が誰なのか気付いた。
「ひょっとして、
俺の言葉に、その子は目を見開いた。
「そうだけど」
俺は助手席から身を乗り出して、その子の腕を掴んだ。
「父さん、帰ろう。母さんがすごく心配してる」
その子は小さく口を開けて、「あ」と声を漏らした。もう同い年には見えない。父さんだった。
──隊長の活躍に感謝する。ありがとう。
気付いたら、自分の部屋だった。脇にランドセルがかかっている学習机。棚とタンス、ベッド。狭い俺の部屋。
部屋の外でばたばたと足音がする。振り返って恐る恐るドアノブに手をかけたら、あっさりとドアが開いてほっとする。
廊下を覗いたら母さんと目が合った。母さんはどこかに出かけるみたいな格好をしていた。
「何かあったの?」
「お父さんが倒れてたって。病院に行ってくるから。朝ご飯、一人だったら冷凍庫見てね」
「俺も」
一緒に行きたいと思ったけど、言わせてもらえなかった。
「大丈夫だから、
それで結局俺は、「おやすみ」とだけ言って、自分の部屋に戻った。
暗い部屋でベッドに寝転んで、そこでようやく俺は父さんを助けたんだと気付いた。ほっとしたし、自分が何かできたことが嬉しかった。
そして、あの不思議な声に「隊長」と呼ばれたことを思い出す。俺はあの秘密基地の持ち主じゃないけど、でも「隊長」にはなれていたかな。
俺はその夜、モニターいっぱいに映る巨大怪獣と、たくさんのボタンやスイッチを操作して立ち向かう「隊長」の夢を見た。
秘密基地の隊長になった夜 くれは @kurehaa
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