第10話
お昼休み。いつも一緒に昼食を食べる友達に断りを入れて、柚希は杏子に声をかけた。
「杏、一緒にご飯食べよ。」
「えっ、でも。」
「大丈夫、三人組だから。私が抜けても一人にはならないよ。」
「お人好し。」
「自己満足とも言うね。」
お互い笑いながら、 ベランダに出た。ポカポカと温かい日が降りそそいでいる。口数は多くないが、お互いにとても居心地が良かった。
「生きるのって難しい。」
突然、杏子が呟いた。それは、昨日柚希も考えていたことだった。
「お、やっぱり杏もそう思う?」
「人類が皆、柚みたいな人だったら生きやすいのに。」
「うふふ、名前呼んでくれたね。」
杏子の顔をみてニヤニヤ笑う柚希に、杏子は目を背ける。
「『あなた』は他人用だから。」
ということは、自分は杏にとって他人以上の存在になれたということだろうか。 柚希は言葉足らずな杏子の心を理解しようと推測する。
「でも、周りが皆同じ性格だったらつまらなくない?いろんな個性があるから、いろんな物が存在するし、創り出せる。絵だって、そうでしょ。」
「柚は絵描くの?」
「うん。中学では美術部だったよ。」
「美術部か。 オレ、わざわざ集まって絵描く意味が分かんない。絵は一人でも描けるのに。」
杏子の言葉にしばし柚希は考える。
「確かに描くだけなら一人でもできるね。でも、美術部の一番の醍醐味はそこじゃないんだよ。互いの絵を鑑賞し合ったり、同じ志を持つ人が集まることでしか語れない、分かりあえない苦労もあるでしょ。それに、皆が全く違う絵を描くわけだから、そこから得られる技術やアイデアも大きいんだよ。」
杏子は、基本的に人の作品に興味を持つことがない。自分の描きたいように描くことで 美術を楽しんでいる。でも、柚希の話を聞いて、少し他の人の絵にも興味が出てきた。
「柚は高校で美術部入らないの?」
「それが、この高校美術部ないんだよ。部員がいなくて。」
それを聞いて、杏子は少し驚いた後、柚希をチラッと見て言った。
「柚が入るなら、オレも入ってもいいよ。美術部。」
「えっ、ほんと?」
「その美術部の醍醐味ってやつを教えてよ。柚の絵も気になるし。」
ボソッと呟いた杏子の声は、柚希の耳にも届いており、柚希は頬をかきながら言った。
「まあ、私の絵はともかくとして、杏が入るなら美術部復活も夢じゃないよ。」
裕先輩に、杏に自分、それから椿。最低人数四人には達するものの、ここで柚希は、椿とのギクシャクした関係が心にひっかかっていた。美術部に入りたいと言っていた椿。部活として正式に活動を始めれば、頻繁に顔を合わせることになる。自分のせいで椿が体を悪くしたことがトラウマになって、柚希を踏みとどまらせる。
「どうしたの?なんか、浮かない顔してる。」
顔に不安が表れていたのだろうか。杏子がこちらを見つめている。
「いやなんでも。」
「本音は隠さない約束でしょ。」
そんな約束したっけ、と思う柚希だったが、心配してくれる杏子の気持ちが嬉しかった。
「小さい頃の友達で、その子美術部に入りたいみたいなんだけど。 私がいると迷惑かけるから。」
「それ、その子に言われたの?」
「いや、その子のお兄さんに、ずっと前にだけど。」
「じゃあ、それは柚が逃げてるだけだよ。本人に直接嫌われるのを恐れて逃げてる。」
柚希は杏子の言葉にああそうか、と納得する。確かに、自分は直接椿から拒絶の言葉を言われた訳ではない。でも、本人に確かめるのも怖い。だから、不安から逃げているのかもしれない。
「まあ怖いのも分かるけど。直接、腹を割って話さないと相手の本音も分からないし。」
「うん。」
「それに、こんなことで立ち止まる柚じゃないでしょ。体育のときの柚の行動に、心動かされたオレがバカみたいじゃん。」
そう言う杏子は、言葉に反して優しい笑みを浮かべていた。まるで、子どもを応援する母親のように。
その時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。急いで片付けをして、ベランダから教室に入る。
「ありがとう、杏。頑張ってみるよ。」
別れ際にそう言う柚希に杏子もうなずく。それから、午後の授業を終え、終礼をして放課となった。
やはり少し気が進まないが、なんとか自分を鼓舞して席を立つ。と、その時だった。
「出雲さーん、先輩が呼んでるよ。」
教室の出入口付近で、同じクラスの女子が呼んでいる。急いで廊下に出ると、そこには 裕がいた。柚希を見つけるなり、近付いてくる。
「いたいた。ゆず、今日は逃げたらダメだよ。」
そう言って、柚希の腕を引っ張って歩いていく。そんな裕と柚希の背中を見て、クラスの女子たちは盛り上がっていた。
「ねえ、今の人先輩だよね。カッコよくない?」
「うん、背高いしスタイルいいし。女子だけどイケメンだよね。」
「出雲さんすごいね。もう先輩と仲良くなって。」
「今日も体育の時、カッコよかったよね。私もあの場の雰囲気嫌だったから、出雲さんがちゃんと注意してくれて安心した。」
「わかる。頼りになるよね。同じクラスでよかった。」
「ねー。」
後ろで騒ぐ女子たちの声を聞きながら、柚希は裕に連れられて美術室に向かった。
「うちはここで待ってるから、二人でゆっくり、納得いくまで話してきな。」
そう言うなり、裕は美術準備室の扉を開け、柚希を手招きした。中に入ると、裕の描きかけのデッサンの奥に椅子が二つ並べられており、一つに椿が座っていた。 後ろの扉が閉まるのを確認し、柚希は中に歩を進める。
「椿ちゃん、昨日はごめん。」
柚希は座る椿の側に行き、頭を下げた。せっかく再開できたというのに、急に逃げるように帰ってしまい、椿の心を傷つけたかもしれない。人を傷つけるようなことは絶対にしたくない柚希は、自分の未熟さを責めるばかりだ。
「大丈夫だよ、柚希ちゃん。ちゃんと話を聞かせて。」
頭を上げると、昔と変わらない優しい笑顔の椿がいた。椅子に座るよう手招きしている。柚希が腰かけた所で、椿が切り出した。
「柚希ちゃん、正直に話してほしいんだけど、昨日突然帰ったのは私が原因だったりする?」
椿の問いに柚希は首を振る。
「違うよ。椿ちゃんは何も悪くない。ただ…。」
口ごもる柚希をせかすことなく、じっと椿は待つ。
「私がいると、椿ちゃんがまた体調を崩す原因になるんじゃないかと。」
「やっぱり、先輩の推測は正しかったんだ。」
「へ?」
椿の呟きに柚希は驚いた。
「常松先輩に私と柚希ちゃんのことを話したんだ。そしたら、もしかしたら柚希ちゃんは 自分のせいで、私が心臓発作を起こしたり、悪化させる原因を作ったって思ってるんじゃ ないかって、先輩が教えてくれて。」
「そうなんだ。」
「ごめんね、今まで気づいてあげられなくて。」
申し訳なさそうに話す椿に、柚希も首を振る。
「椿ちゃんが謝ることじゃないよ。」
「でもね、柚希ちゃん。これだけはちゃんと覚えていて。私にとって、柚希ちゃんはとっても大切な友達だから。自分の体調管理の甘さで、柚希ちゃんを一人にした私が言える立場じゃないけど、離れちゃった分、これからはもっと一緒にいたいの。」
柚希に訴えるように言う椿。そんな椿の目は純粋で一つの曇りもない。柚希は椿が友達だと思ってくれていたことが嬉しかった。自分は嫌われてなどいなかったのだ。
「私も椿ちゃんと一緒にいたい。でも、私といると迷惑かけたりしない?」
「私そんなこと、一度でも言ったかな。」
「ううん、椿ちゃんのお兄さんに言われた。もう椿には会わないでほしいって。」
その言葉を聞いて、椿は少し考えていたが、意を決したように真っすぐに柚希を見て口を開いた。
「柚希ちゃん、お兄ちゃんの発言については、本当にごめんなさい。でもね、今後は絶対に私の気持ちに関しては、私以外の人の言うことを信じないでほしい。たとえそれが、お兄ちゃんだとしても。私の気持ちは私にしか分からないから。ほかの人が何と言おうと、 私に直接確認するまではそれを信じちゃだめだよ。」
「うん、分かった。」
納得してくれた柚希に椿は安心する。
「よし、お説教はここまで。これからは、会えなかった分いっぱい仲良くしよ。」
「うん、 ありがとう椿ちゃん。」
「ありがとうはこっちの言葉。柚希ちゃん、これ覚えてる?」
そう言いながら、椿は一枚の画用紙を取り出してきた。A4サイズの小さいもので、少し古さを感じる。差し出された画用紙を見た柚希は驚きで目を見開いた。
「これ、私が昔、椿ちゃんにあげた絵。」
「そう。」
そこには、色鉛筆で描かれたツバキの花があった。当時の記憶が走馬灯のように流れてゆく。
「私、柚希ちゃんの絵が大好きで、この絵からいつも元気もらってたんだよ。」
自分の絵を椿が大切にしていてくれたことが、柚希はとても嬉しかった。さらに、椿に元気を与えられていたことに誇らしくなる。自分が描いた絵を介してつながっていた。離れてなどいなかったのだ。
「柚希ちゃんの絵を見てると、柚希ちゃんの優しさや温かさが伝わってくる。すごいことだよね。言葉でなくても何かを人に伝えられるって。実は私もね、柚希ちゃんの影響を受けて絵を描くようになったの。」
「そうなの?」
「えへへ、柚希ちゃんみたく上手くは描けないんだけど。」
そう言いながら、カバンから一枚のハガキを取り出す。柚希の絵に比べてずいぶんと小さいそれを椿は柚希に手渡す。
そこには、白黒で描かれたユズの花があった。黒の濃さを変えるだけで、明暗を表現している。
「すごい、これ水墨画だよね。」
「うん、私小さい時書道を習ってて、一回筆で絵描いてみたら、それが意外と自分に合ってて、色塗るより白黒のほうが得意になったの。」
「優しい絵、椿ちゃんみたい。」
「えへへ、柚希ちゃんはツバキの花の絵くれたから、私はユズの花の絵をプレゼントしたいと思って。ハガキなのは、柚希ちゃんに郵便で送ろうと思ったんだけど、そういえば私柚希ちゃんの家知らないなーって。」
そう言いながら困ったように笑う椿。柚希も、そう言えば椿の家に行ったことはあっても、椿が自分の家に来たことはなかったなと思い出す。
「今度遊びにおいでよ。狭いけど、妹達も喜ぶだろうし。」
「行く行く。柚希ちゃんの昔の絵も見たいな。」
「えー、下手っぴだから嫌だよ。」
「大丈夫。私、柚希ちゃんの絵の大ファンだから。」
「理由になってないよ。」
柚希はツッコミながら、美術部のことを椿にも聞いてみようと思った。
「裕先輩から聞いてると思うけど、今、美術部は部員がいなくて休部状態なんだよね。椿ちゃんは、もし美術部が復活するなら入部する気はある?」
「もちろん。柚希ちゃんもいるならなおさら入部しない理由はないよ。」
「良かった。実はね、私以外にも裕先輩ともう一人、美術部に入ってもいいって人がいるんだ。これで最低人数四人は集まったから、部活として認められるよ。」
「そうなんだ。裕先輩は面白い人だし、もう一人の子もどんな絵描くのか楽しみ。」
その椿の言葉に柚希もうなずく。そう、これが部活の一番の意義なのだ。自分以外の人の作品を見て、学び、互いに評価しあう。みんなの作品に触れることで、さらに技術に磨きがかかる。そして、絵を描くことが好きな者で構成される空間だからこそ、分かりあえることもある。そんな時間を大切にしていきたいと柚希は思うのだった。
「何より、また柚希ちゃんの絵が見れるのがすごく楽しみ。」
「私も、椿ちゃんと一緒に過ごせて嬉しいよ。」
まるで、止まった時間が動きだしたみたいだ。あの時の続きを、二人は今歩んでいる。ゆっくりでいい。会えなかった時間を埋めるように、これからたくさんの思い出を作っていけばいいのだ。
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