第5話

二人の妹にテレビを見せている間、柚希は夕ご飯の準備に取りかかる。ロールキャベツのタネを作りながら、柚希は考えごとをしていた。

「部活どうしよう。」

帰りに空に言われたことを思い出す。息抜きをする場所と時間は、自分で作らなくてはならない。確かに、家にいる時は家事や妹達の世話、学校の勉強などで精一杯だ。そのため、中学の時は、部活をしている時しか、自分のやりたいことに時間を当てられていなかった。空のお姉さんが言っていたという、学生のうちしか、一つのことに一生懸命になれないというのも分かる気がする。大きくなるにつれて、やるべきことが増えてきて、自由な時間はどんどん減っていく。これからも、もっと忙しくなったら好きなことをする時間も確保できないのだろうか……。

行き場のない不安を抱えながら、柚希は手を動かした。小一時間ほどして、四人分の夕ご飯を準備し終えた柚希は、妹達と食卓を囲んだ。いつも通りの楽しい食卓。亜希と真希と話ながら柚希は楽しいひとときを過ごしていた。絵を描かなくなった今となっては、妹達と一緒に過ごしているこの時が一番心の休まる時間なのだ。

三人でお風呂に入り、双子を寝かし付ける柚希。昼間の疲れが出たのか、真希はすぐに寝てしまったが、亜希はまだ寝れそうになかった。

「どうしたの亜希?眠くないの?」

真希を起こさないように、小さい声で尋ねる柚希に亜希は首を横に振った。

「ママに絵渡すの。」

そう言って布団から出て、今日幼稚園で描いた絵を持って来た。

「そっか、でもママはもうちょっと待たないと帰ってこないよ。」

「亜希、待てるよ。」

うーん、と柚希は考える。母が帰ってくるのは夜十時をまわることが多い。早くてもあと四十分は待たなくてはならない。

「じゃあ、お姉ちゃんと一緒に待ってよっか。でも、真希を起こさないようにね。」

「うん。」

結局、起きて母を待つことにした亜希と一緒にリビングに戻る。夕飯の片づけをしながら、柚希は机で絵を描く亜希を見ていた。

使用している紙は広告の裏紙で、鉛筆もかなりちびっていたけれど、亜希はとても楽しそうに絵を描いていた。その姿を見て、自分も小さい時は広告の裏紙を探して、そこに絵を描いていたことを思い出す。中学に入ってからは、部活でもらったスケッチブックを使うようになったが、やはりそれまでは、落書きには広告紙の裏を使っていた。

「亜希、絵描くの楽しい?」

「うんっ。おねえちゃんは絵描かないの?」

「えっと、それは…。」

歯切れの悪い柚希のもとに、亜希がかけよってきた。

「おねえちゃん、一緒に絵かこう!」

下から見上げられて、柚希はたまにはいいかと思う。すばやく片付けを終えて、エプロンを外しながら、柚希は椅子に座った。机の端に置いてある、広告の裏紙を一枚と、ペンを手にとる。何を描こうかと悩み、亜希のほうを見ると、亜希はまた人の顔を描いていた。

「それは、私かな?」

「うん、おねえちゃんだよ。驚かせようと思ってたのに、バレちゃった。」

「あはは。ありがとう、亜希。嬉しいよ。」

そう言って、亜希の頭をポンポンと撫でる柚希。亜希は、恥ずかしそうしに下を向きながら呟いた。

「亜希ね、おねえちゃんみたいに、みんなを喜ばせられるような絵描きたい。」

「私みたいに?」

「うん。亜希、おねえちゃんの絵大好き。空にいちゃんも、おねえちゃんの絵はみんなを元気にするって言ってたよ。」

「ヘえー、空くんがね。」

「だから、亜希もおねえちゃんみたいにうまい絵描けるようになる!」

真っすぐに、純粋な目でそう言う亜希の心には曇りがない。

「うん、応援してるよ。きっと亜希ならすぐ私を追い越しちゃうだろうなー。」

そう言いながら、やはり自分は亜希のためにも、絵を描くことを止めちゃだめなのかもしれないと感じる。自分の絵を目標としてくれる子がいる。せめてこの子が自分の絵を見つけられるまでは、私は前を進んで見本となれる存在でなければならない。そう柚希は思った。

自分の手元に向かってペンを走らせる。久しぶりに絵を描いただめだろうか、手の動きが少しぎこちない。でも、慣れてくるとやっぱり楽しかった。どんどん形になっていく頭の中のイメージ。線の濃さ、太さ、丸みのつけ方一つで、全然雰囲気が変わってくる。 集中すると、時間を忘れるくらい、自分の世界に入り込んでしまう。それが絵を描くことの 魅力なのだ。

一通り描き終えて、なんだか静かだと思い顔を上げると、横で亜希が寝ていた。手に鉛筆を握ったまま、紙の上にほっぺを乗せている。このままでは頬に鉛筆の跡がついてしまうと思った柚希は、亜希を起こそうと立ち上がった。その時だった。

「ただいまぁ。」

玄関から母の声が聞こえてきた。

「おかえり、お母さん。」

「あら亜希がいる。 どうしたの?」

机でつっぷしている亜希を見て、声をひそめながら母は尋ねた。

「あはは、さっきまで起きてたんだけどね。お母さんに似顔絵プレゼントしたくて、帰りを待ってたんだよ。」

そう言いながら、柚希は亜希の隣に置いてあった画用紙を指す。

「亜希、お母さん帰ってきたよ。」

「…むにゃ。」

「ダメだこりゃ。」

柚希は亜希をおこそうと肩を揺らすが、全然起きない。仕方なく亜希を抱き上げて、寝室に向かった。

柚希の背中を見送った母は、さっき柚希が指していた画用紙を手にとった。

「あら、すてき。」

亜希が心を込めて描いた自分の絵に、思わず笑みがこぼれる。プロのように、リアルな絵ではないが、それはとても温かく、心を穏やかにしてくれる。仕事の疲れを吹き飛ばす、元気をくれる絵だ。

「ありがとう、亜希。」

そう呟いて、絵を大切に胸に抱いた。

「あれ、これは柚希の絵かしら。」

ふと、机に目を移すと、広告紙の裏に描かれた絵が置いてあった。亜希の絵柄とは異なる迷いのない線で、きれいな絵だ。

「柚希の絵、久しぶりに見たわ。」

そう言って微笑む母。そこには、亜希と真希と思われる二人の女の子が、楽しそうに遊んでいる絵が描かれていた。



翌朝、母に直接絵を渡せなかったと、拗ねていた亜希をなだめて柚希は家を出た。絵を描くことは続けようと思った柚希だが、いざ部活を立ち上げるにも、どうしたらいいか分からない。ポスターでも描いてみようか。でも掲示するにも先生の許可が必要だ。一年生の私が書いても許されるだろうか。とりあえず、放課後もう一度裕先輩のもとに行って、相談してみようと思った。

放課後、美術室のある四階に向かうため、階段を上る。吹奏楽部の子たちだろうか 楽器のケースを持った子たちが上から下りてきた。そういえば、美術室と同じ階には、音楽室と書道室も配置されていたことを柚希は思い出す。文化部が主に使用するフロアなのに四階というのは些かひどくないか。いや、逆に普段運動しない文化部員たちに少しでも体を動かしてもらうために、四階にしたのだろうか。そんなことを考えながら、昨日と同じように柚希は、美術室の扉を開けた。やはり誰もいないが、今度は驚かない。教室に入り、奥の準備室の扉に手をかける。

「失礼します。」

「おっ、ゆず、いいところに来た! お客さんだよ。」

「お客さんって…。」

裕の言葉に教室を見渡すと、そこには色白で腰くらいまで髪を伸ばした一人の女の子がいた。昨日の柚希と同じように、裕のデッサンのモデルをしている。

「美術部入りたいんだって。」

手を動かしながら言う裕に、柚希は少女の顔を見た。どこかで見たことがあるような気もするが、自分の気のせいかもしれない。

「そうなんですか。はじめまして、一年の出雲柚希です。」

「ゆずきちゃん?ほんとにゆずきちゃんなの?」

「えっ…。」

突然立ち上がって、柚希につめ寄ってくる少女。柚希は少し圧に負けそうになるが、間近で見た彼女の顔に昔の記憶がよみがえる。

「えっ、椿ちゃん?椿ちゃんだよね。」

「うん。会いたかったよ、ゆずきちゃん!」 そう言って柚希の手を両手で握る椿。

「おや、知り合い?」

モデルがいなくなって手持ち無沙汰にしていた裕が、手を止めて話しかける。

「友達です。小さい頃の。でも、もう六年ぐらい会ってなかったですけど。」

「ヘえ、じゃあ、運命の再会ってやつ?」

柚希と椿は顔を合わせるが、お互いにまだ再会できたことが信じられないといった顔をしている。

「そうですね。確かにこれは運命かもしれませんね。」

懐かしそうに笑う柚希を見て、椿は過去の記憶を思い出していた。

大切で忘れられない思い出。

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