第2話
朝、習慣で自然と目を覚ました柚希の目に映った掛け時計は、六時二分を指していた。隣で寝ている妹達と母を起こさないように着替える。肩まで伸びた髪を櫛でとき、一つに結んだ。
「うぅ、寒いなあ。」
玄関の郵便受けから朝刊とチラシを取るついでに、扉を開けて外の空気を吸い込む。これは柚希の日課だった。暑い日も寒い日も、外の新鮮な空気を吸い込めば自然と頭が冴えてくる。 気持ちを切り替えて、今日も良い日になりそうだと思いながら、一日をスタートするのだ。
「よしっ。あれ、なにこれ。」
今日も一日気合いを入れて頑張ろう。そう決意した柚希は、部屋に戻りながら手にしたチラシを見ていた。町の画材屋さんの広告。どうやら月末に改装する関係で、現在セール中だそうだ。画用紙や色鉛筆セット、水彩絵具や油絵具など色々な画材がラインナップされている。
「油絵具って、こんなに高いんだ。」
柚希はチラシを見て呟いた。油絵具は一本五百円~千円はする。水彩絵具やアクリル絵具に比べてそれは高価だった。
「たしか、高校では油絵描くんだよなあ。」
柚希は不安だった。中学までとは違い、高校では油絵という新たな画材が必要になる。油絵を描いてみたいのは山々だが、今の柚希には手の出ない代物だ。
「やっぱり美術はもう無理かな。」
好きなことをずっと続けていられるほど現実は甘くない。柚希一人ではどうすることもできない壁があるのだ。
「まあ仕方ないよね。 …おっ今日は食パンが安い。これは逃がせませんな。」
柚希は頭を切りかえ、画材屋の広告の下にあった近所のスーパーのチラシを見た。今日の特売を見て、買いたいものに目星を付けていく。
「さてと、今日のお味噌汁の具は…。」
チラシを机に置いた柚希は、冷蔵庫の中を確認していく。一通り見てから、一丁の豆腐と大根、人参を手に流し台に向かう。手際よく下ごしらえをし、 根菜類を水から煮ていく。 沸騰するのを待つ間、柚希は次の作業に取りかかった。冷蔵庫の中身と相談しながら四人分の朝食と二人分の弁当を作る。中学までは給食があったが、高校に上がってからは自分で昼食を用意しなければならない。それまで母一人分だった弁当も、昨日から二人分になったのだ。 弁当と朝食を作り終えて、ホッと一息。エプロンをとった柚希は一人食卓につき朝ごはんを食べた。
「あっ、今日燃えるゴミの日だっけ?」
ごはんを食べながら柚希はそんなことを思い出していた。
「柚希おはよう。」
「おはよう、お母さん。」
朝食後、柚希が皿洗いをしていると母が起きてきた。
「いつもごめんね。」
「いいよ。お母さんだって、朝早くから夜遅くまで働きづめで大変なんだから。」
しっかりした娘だと母は感じる。子供に苦労はかけたくないが、一人で三人の娘を養う母にとって、柚希の助けはとてもありがたかった。
ベランダで洗濯物を干す母を見ながら、柚希も学校に行く準備に取りかかる。と、その前に双子の妹達を起こさなければならない。
「亜希、真希、朝だよ。起きて。」
肩をゆらされて、幼い子供たちは夢から覚めていく。
「おねえちゃん、 おはよう。」
目をこすりながら、大きなあくびをする亜希と、その横で布団にくるまる真希。団子のような真希を見て、 柚希はいたずらっ子のような笑みを浮かべる。
「このっ、起きないとこちょこちょするぞー。」
「きゃー、あははっ、くすぐったい。」
いたずらしてくる柚希に、真希も布団から出ずにはいられなかった。
「よし。じゃあ、一緒に着替えよっか。」
「うん。」
双子はそれぞれ、自分の着たい服をタンスから選んでいく。といってもそれらは、ほとんど柚希のお古だったり、親戚からもらった子ども服なのだが。柚希も学校の制服に着がえて、持ちものの確認をする。
朝ご飯を食べに、リビングに行った妹達の背中を見送り、柚希は仏壇の前に座った。
「お父さん、行ってきます。」
手を合わせ、父に話しかける。何も返ってはこないが、私たち家族をあたたかく見守ってくれている。そんな気がした。
柚希はカバンを持って、部屋を出る。
「じゃあ、行ってくるね。」
「うん。行ってらっしゃい。気をつけてね。」
「いってらっしゃーい。」
「おねーちゃん、かえったらあそぼー。」
「うん、またあとでね。」
家族と言葉を交わし、 玄関に向かう。妹達に手を振りながら、玄関先に置いてあったゴミ袋を持って家を出た。
「おはようございます。」
「おはよう、柚希ちゃん。」
アパートのゴミ捨て場に燃えるゴミを置いていると、向かいの家のおばあちゃんに会った。
「柚希ちゃんや、今日帰る時、うちに寄っていきなさいや。今、春キャベツがぎょうさんなっちょーけん、もらってごさんかね。」
「ほんとですか。でも何もお返しが…。」
「いいけん、いいけん。どうせ食べきれんで腐っちまうなら、柚希ちゃん所で食べてもらえたほうが、こっちとしても作りがいがあるってもんだわ。」
「じゃあ、ありがたくいただだきますね。帰りにお伺いします。」
「ん、待っちょーけんね。」
おばあちゃんは、にこにこしながら、柚希に手を振る。柚希も手を振り返しながら会釈をして立ち去った。帰りにおばあちゃんの家に寄らなくては。 忘れないように心に留めて歩き出す。アパートから徒歩十分の所にある最寄り駅、そこから二十分間電車に揺られて到着する高校。家から一番近い学校でも、結構な時間がかかる田舎町に柚希は住んでいる。歩きながら辺りを見渡せば、建物はほとんどなく、家と家との間には田んぼや畑が広がっている。住民同士の距離が近く、地域コミュニティーが形成されている。何かあれば互いに助け合い、協力し合う、そんなあたたかな世界。柚希は、道中で出会う近所の人に挨拶をしながら駅へと向かった。
一時間に一本しか走らないローカル電車。朝は、それを逃さないようにと多くの学生や通勤客がホームで待っている。やってきた電車は、ほぼ満席で座れそうになかった。昔ながらのボックス席のため、より収容可能人数を少なくしているように感じる。柚希はしかたなく、ドア近くの手すりにつかまっていた。
「まもなく発車しまーす。」
発車の合図が聞こえ、ドアが閉まろうとしていた、その時だった。一人の少年が電車に駆けこんできた。
「はあ、間に合った…。」
息を切らしながら呟くその少年は、柚希と同じ高校の制服を着ていた。
「あ、ゆずじゃん。」
「えっ、空くん⁉お、おはよう。」
「ゆずも同じ学校だったんだな。」
「これで幼児園からずっと一緒だね。ていうか、もっと余裕持って家出なさいよね。」
呆れた顔で見てくる柚希に、空は困った顔で頬をかいていた。
電車に揺られながら、二人は談笑する。
「どうせまた、夜遅くまでパソコンに向かってたんでしょ。」
「あっバレた?」
「バレるもなにも、中学の頃からゲーム作りやら、プログラミングやらに没頭してたじゃない。てっきりそういう系の高校に行くのかと思ってた。」
窓の外を見ながら空は首を振る。その横顔は凛々しく、決意に満ちていた。
「俺、東京の大学で、もっと詳しくプログラミングについて学びたいから。だから、進学率高いうちの高校にしたんだ。」
「ヘえ、 東京か…。」
空の目標を聞いた柚希は、少し表情を曇らせた。二人の間に少しの沈黙が流れ、電車の揺れる音だけが響く。空気を変えようと話し出したのは空だった。
「そっちは?美術続けないの?」
「うーん。画材も高いし、勉強や家の手伝いもあるしな…。」
「でも、もったいなくね? おまえ、中学の美術部で色々賞もらってたじゃん。」
「あれは小規模だし、中学生枠だから大したことないよ。高校に入ったら、もっと上手い人いっぱいいると思うし。」
「なら尚更、自分の実力試してみればいいじゃん。やって損はないと思うけど?」
空の言葉を聞き、少し考えた柚希は一度うなずいた。
「そうだね。とりあえず今日、部活の見学行ってみるよ。」
「おう。」
二人は同じ駅で下車し、学校まで並んで歩く。道中、お互いのクラスの先生や、クラスメイトの話、授業の話などで盛り上がった。自分のクラスの前で空と別れた柚希は教室に入った。
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