キャンバス
ほな
第1話
ガチャ。
古びたアパートの扉が開く音を聞いて、少女は皿洗いをしていた手を止めた。
「ただいまぁ。」
玄関から魂の抜けたような声がする。慌ててタオルで手をふき、小走りで玄関に向かった。
「おかえり、お母さん。大丈夫?」
「だいじょぶ、だいじょぶ。 ちょっと疲れただけだから。」
そう言って、弱々しく笑う母親が少女は心配だった。
「そうだ、ご飯できてるけど、食べる?」
「うん、今日は何にしたのかな?」
「鯖の塩焼きと酢の物だよ。」
「健康的でいいわね。」
コートを脱ぎ、椅子に座る母親を見て、少女は白米をよそったご飯茶碗と温めた味噌汁を食卓に置いた。
「いつもごめんね、柚希。」
「ううん、大丈夫。お母さんの方が大変でしょ。」
柚希と呼ばれた少女は、母の向かいに腰かける。
「そういえば、今日、亜希と真希が幼稚園で描いた絵を持って帰ってきたんだよ。ほら、これ。」
そう言いながら、柚希は机の端に置いてあった二枚の紙を母親に差し出した。
「中庭のお花だって。上手だよね。」
「ほんと、上手ね。やっぱり柚希の才能が遺伝してるのかしらね。」
母の言葉を聞き、半ば嬉しくも柚希はツッコまずにはいられなかった。
「なにそれ。姉妹では遺伝しないでしょう。」
母と柚希は顔を見合わせてクスクスと笑う。奥の部屋で寝ている双子の亜希と真希を起こさないように小さな声で。
「そういえば柚希、あんた部活はどうするの?また美術やるの?」
「昨日の今日でまだ決められてないけど。進学校だし、勉強も忙しいしな…。」
首を傾げて悩む柚希に母は言った。
「無理にとは言わないけど、やりたいことは学生のうちにやっといた方がいいわよ。亜希や真希の迎えも部活に支障が出るなら私がなんとかするから。」
「でも、そこまでして部活やらなくても…。」
渋る柚希を見て母は優しくほほえんで話す。
「それにね、親バカかもしれないけど、柚希の絵の才能をここで潰すのはもったいないと思うの。私はもっと柚希の絵を見てみたいな。まあ、最終的に決めるのは柚希だけどね。ただ、後悔のないようにしなさい。」
「うん。」
母の言葉をくすぐったく感じてはにかむ。自分の描く絵を褒めてくれる人がいることを嬉しく感じた。
「じゃあ、後は私が片付けておくから、もう寝なさい。」
「うん、ありがとう。おやすみお母さん。」
そう言って、柚希はリビングを出て行った。妹達が寝ている横を忍び足で通り、自分の机に向かう。その途中には仏壇があり、その隣にはトロフィーや盾が並べられていた。それらはどれも柚希が高校に上がるまでにもらったものだ。小さいころから絵を描くことが好きだった柚希は、その技術が高く評価され、様々なコンクールで賞を受賞した。そんな娘の活躍を喜んでいるのか、仏壇の写真の中の父親も朗らかに微笑んでいる。
柚希は自分の机に行き、今日学校から出た課題に取りかかった。昨日入学したばかりの高校は県内屈指の進学校で、さっそく今日から授業がスタートしたのだ。ペンを動かしながら、柚希は考える。
「部活か…。明日見学に行ってみようかな。」
小さい頃から続けてきた美術。家の事情や勉強のこともあり、部活に入らない選択も視野に入れつつ、一応様子を見に行こうと思った。
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