可能性を、頭の片隅に


時は、やや溯り


 必要なものを買い込んだわたし達は

一度宿を借りて、出発の前の準備を

しようという話になっていた。


 新しい武器をいくつも購入したし

使ったことの無い装備なんかもある

馴染ませる時間が必要だと考えてのこと。


 特に武器に関しては、調整の余地がある

1度も振るったことの無いエモノなど

到底、実戦で扱い切れはしない。


 故に、人目を避けることが出来て

落ち着くことが出来るここを借りた。


 休養、調整期間を充分に設けたあとで

日が暮れ始めた頃、出発する予定だった。


 わたし達は日止まりできる格安の

名前や身分の照明が必要ない場所を

選んで宿泊したのだが……



「――にしても、まさか部屋に備え付けの

浴槽があるとはな思わなかったな」


「アンタ世間のことに疎いんだな

かなり前から一般化されてる」


「少し前は高級品だったのに

世界の変化は早いものだな」


 元は寒冷地で働く兵士たちが

寒さを紛らわすために水を沸かし

木の入れ物にお湯を入れて浸かったのが


 人づてに広がり、物好きな貴族が

より豪勢に優雅に昇華させた形で

真似をしたのが始まりだったはずだ。


 それまでの入浴はお湯を浴びるだけ

石鹸で体を洗うだけのものだった。


 そんな道楽を楽しめる余裕がある

貴族などひと握りだったのもあり

当初は、贅沢も贅沢という扱いだった。


 それがどうだ、今やこんな所にまで

ごく当たり前の文化として浸透している

金をかけない工夫が随所に見られる。


`狭い`いや`狭すぎる`点を除けば

文句の付けようがない出来栄えだが。


 そう思ったわたしは気が付けば

不満を口にしてしまっていた。


「本当は大浴場を使いたかった」

「……無理だろうな、は」


「この有様ではな」


 お湯の中に突っ込んでいた腕を

引き上げると、水音が響き渡った

普段は衣類に隠され見えない素肌が

今この場に限ってはさらけ出されている。


そこに現れたのは


女の肌では無かった。


 肩から指先に至るまでの全てに

刀傷、矢傷、火傷痕、消えないアザ

人の命を奪ってきた`代償`が刻まれている。


 それらは腕のみに収まらず全身に

手足や腹、背中まで含めた全てにある。


 わたしは元々、ただの貴族の出で

由緒正しきライオネル家の一人娘だ

両親が`王の白い指`部隊に始末されて

路頭に迷ったのを`隊長`に拾われるまで


 食事に使う銀の食器よりも

重たいものは持った事が無かった

そのおかげで、このわたしは非常に

怪我の多い隊員であったのだから。


 初任務では、仕留め損なった敵から

手痛い反撃を貰い死にかけている。


 己の適性が`武器`ではなく`素手`だと

気が付くまでの長い期間わたしは

毎度のように重症を負っていた。


 幾度となく死の淵を彷徨い

それでも今日まで生き延びてきた

おかげで、このザマだ。


「部隊に入りたての頃のわたしは

傷が増えていくのが堪らなく嫌でな

なにせ、もとは豪勢に着飾った貴族だ


訓練や任務で、手酷くやられる度

自分がおぞましく穢れてゆく気がした」


「……アンタの気持ち、分かるよ」


 非常に気持ちのこもった彼の言葉は

同情から出たものではなかった。


 そう、彼にも醜い傷痕は沢山ある

数自体は少ないが、ひとつひとつが

私のモノ以上に目立ってしまっている。


 わたしと違い彼は単独で任務をこなす

食料や治療道具は当然持ってるだろうが

身軽でないと咄嗟の事態に対応できない。


 蓄えは常に潤沢とはいかないだろう

だから、いくら怪我が少ないとはいえ

道具が足りなくて処置出来なかったり


 任務が計画通りに運べばいいが

何かしら不測の事態が巻き起こって

そもそも、その時間が無かったり


 そうこうしている内に、傷口から

雑菌が入り込んで悪化してしまうだろう

その状態で長距離を一人で踏破するのだ。


 彼がどれだけ孤独に苦痛を耐えてきたか

いったい何度、あの世に行きかけたのか

それは到底計り知れないことだった。


「お互い、実に醜いものだな?クリム」


「果たして俺やアンタの傷が`醜い`程度で

済んでいいモノなのか、甚だ疑問だな」


「特別感があってステキじゃないか」

「悪いが俺の方が酷い、特別は俺だ」


「圧倒的な物量差で、わたしに軍配があがる」

「どうだろうな?量より質と言うじゃないか」


「ならば比べようじゃないか

どちらが凄い怪我をしているのか」


「アンタでは勝負にならん」

「言ったな?後悔するなよ?」


「俺に負けたくないならやめておけ」


「ならよく見ろ、始末屋殺しクリムウェイド

この脇の下の切り傷を、とても深い」


「そんなのは止血すればいいだけだ

俺は首元の動脈がイカれたぞ?」


「じゃあ貴様にとっておきを見せよう」

「やってみろ、返り討ちにしてやる」


「望むところだ――」




言い合いを続けながらも


わたしは


 自分がどうしてまったく

男っ気がなかったのかについて、

再認識したような気がしていた。


 わたしは今もきっと

子供の状態のままなんだ


 そして今に至るまでの彼も、

直接会ったことの無いわたしに

`隊長`づてに聞かされる話を通して


 まるで少年のように

トゥラという女に好意を

抱いたのだから。


きっとクリムもわたしと同じなんだ。


愛を受けて育たなかった子供が

愛を理解できないのと同じように


 お互いに安定とは程遠い世界で

はるか幼少の頃より生きてきたから

何処か大人になりきれていないんだ。



 目の前に裸の異性がいるというのに

やることと言えばそんな、子供じみた

`自慢対決`だということが物語っている。


 我々二人は気の抜き方を知らない

適切な加減での気の緩め方が分からない

歳相応のはしゃぎ方を出来ないんだ。


しかし


 それを自覚したところで何も

何ひとつとして変わることは無い

そして変える気だって微塵もない


だって


 わたし達は同じような境遇で

同じように大人になり損ねた子供

この幼さは生涯残るものなのだから。


 歳に見合った正しい気の抜き方など

一般的な男女が持つ恥じらいや気配り

そして、世間での恋人同士のあり方など


「――どうだ?今の話に勝てるか?」


「そんなの、ありふれたモノだよ」


「言ったなクリムウェイド

対抗策はあるのだろうな?」


「もちろんだとも」


普通なんて


知らなくても良いだろう?


 我々の子供同士の喧嘩はもうしばらく

あともう少しの間だけ続くのだった……。


✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱




 くだらない言い合いはまだ続いているが

わたしは、彼が傷の説明をするのを見て

密かに立てていた推論が確信に変わる。


 彼は後遺症を抱えているのではないか

と、わたしはさっきクリムの身体の

肌色をしていない古傷を目にした時


考えたのだ。


`弓や投擲はからっきし`

`無手の戦いは出来るが苦手だ`

`俺は主に毒武器を扱う`


 あの森で彼から共有された情報だ

確かに刺客らしい戦い方だと思ったが

ひょっとすると、クリムウェイドは


 過去の負傷が原因で、腕に力を

あまり入れられないのではないか?


 だから当たれば勝ちが確定する毒や

強い力を必要としない小物を好んで使い

逆に、肩や腕の力に依存する弓や投擲

そして無手が不得意なのではないのか。


 あの場において優先すべきは情報で

自分の苦手分野の理由はどうでも良い


という考えの元、あえて省略された

情報だとこのわたしは考えていた

……ほぼ確信に近い推論だが。


もちろん


 彼が伏せた`かもしれない`話を

わたしはあえて、つつく事はしない


 人には聞かれたくないことが

我々のような間柄にもきっとある

これは配慮というやつだった。


 現に、今この瞬間おこなわれている

`自分の方が重い怪我をした`口論で

楽しそうに傷の説明をするクリムは


 左の肩に存在する非常に小さな傷痕

他の場所にあるモノと比べてみても

不自然なほどに目立たないソレに

一切、触れようとはしないのだから。


だからわたしは


`ひょっとしたらクリムウェイドは

後遺症を患っているかもしれない`


 という可能性を、頭の片隅に

いつでも取り出すことが出来る便利な

収納道具のようにしまっておこう。


 いつか何かで、きっと役に立つ

その時までは大切に保管するべきだ

彼との口論に負けながらそんなことを


考えているのだった。

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