森の闇に潜む`目`


 

 

 

 クリムウェイドが小屋から離れてから

かなりの時間が経過しようとしていた。


 わたしは暗くなり始めた室内で

昔のように、息を殺していた。


 最低限の呼吸の深さを維持して

心臓の鼓動の音すら極力小さく

まるで`存在してない`かのようにする。


 壁を背にピッタリと張り付き

目には見えない壁の向こう側

その気配を注意深く探る。


 これは身を守る防衛であり

相手側を探る攻撃でもある。


 森の木々の隙間からは虫の

リンリンと鳴く声が響いている

風に草木が揺れる音がする。


 そして枝から、たった一枚

木の葉が舞い落ちたのを感じた


それは二度空中ではらりと

風の抵抗を受けて反転し

やがて地面へと落ちた。


 草の根をかき分けて進む

小さな生き物たちの足音


とくん


とくん、と


 とても静かに脈打つ血管の

細やかに収縮するのが分かる


 研ぎ澄まされたわたしの知覚から

逃れられるものなど決してありはしない


 だから、わたしの耳には届いていた

遠く、遠くの背の低い草むらが


自然のものでは無い物音を立てるのを

アレは……そう、木の枝が落ちる音だ。


 そして更にそれから何回か

同じような物音が全く別の方向で

まるでこちらを惑わすように鳴った。


 この時点でわたしは悟っていた

やはり向こうは既に`監視`という

役目でだけ動いてはいないのだと。


 森の闇に潜んでいる影は恐らく

クリムが裏切った、もしくは


何らかの理由で任務を放棄し

殺害対象、トゥラはまだ生きている

という推論のもと行動しているんだ。


……わたしは確信していた、

己の見立てが正しかったことを。



 脱出するにしろクリムの荷物を

取りに行くにしろ、まずわたしたちは

森の何処かから我々を覗き見ている

監視を、どうにかする必要があった。


 とはいえヤツの居場所はこんな

小屋の中からでは探れたものでは無い

そこでわたしは計画を立てたのだ。


 `クリムには外の荷物の回収を頼み

そのまま森の外へと向かってもらい

その上でわたしが1人で監視を潰す`


そういう作戦だ。


 まず、クリムが請け負ったこの任務は

万一にも討ち漏らしがあってはならない。


 奴らにとって最も恐ろしいのは

わたしが姿を消してしまうことだ

`確実にこの場で始末を付ける`

それが大前提としてあるはずだ。


故に


 随分と長い間小屋の中で過ごした

クリムが、堂々と歩いて出ていっても

今すぐにどうなるという訳では無い。


 怪しい行動さえとらなければ現段階で

彼の裏切りは確定してない、判断するのは

わたしの死体を確認してからという訳だ。


 既にクリムはこの森から出た頃だ

もし本当にクリムが裏切っていたなら

長く放っておくのは得策ではなかろう。


 だから、ヤツは動くしかない

自分から有利を手放すしかない


姿も見えない気配も探れないわたしを

小屋の壁の向こう側から仕留めるのは

`隊長`であったとしても不可能なのだから。


 誘うような物音はまだ続いている

不規則に、元を辿られないように


ひとたび、ふたたび、みたび


そして


……音が止んだ。


 こちらの不安を煽る為に生み出された

静寂の中に張りつめる、重たい緊張感


 どれだけ探りを入れたとしても

最早どこにも気配は感じられない

凄まじい練度の隠密だ。


 このわたしをもってしても

未だに方角すら掴めないとは

正直、予想を超えている。


 隊にいた時とはとても

比べ物にならないほどに

腕を上げているじゃないか。


 わたしは、方針を変えることにした

探せない気配を辿ろうとするのでなく

1箇所しかない出入口に集中する。


 窓は存在しないこの密閉空間

どのような手段を用いろうとも

そこの扉を超えずして部屋の中に

足を踏み入れることは出来ない。


 わたしはそれから

思考することを止めた

ここから先は邪魔でしかない。


そして


ややあって


ギィッ……と扉が音を立てた


あえて錆びさせたその扉の金具は

わずかでも力を掛けると音が鳴る


 普段は気にもとめない程度だが

こういう場面には非常に役立つ。


……居る


 その扉の反対側にヤツはいる

ギィィィ、音はまだ鳴り続けている


 しかしまだ動いてはいけない

完璧に姿を捉え切るまでは

何もしてはダメだ。


 ついに扉は外の光の侵入を

少し開かれたその隙間から許した

なおも扉は開き続けている。


もう間もなくだ


もう間もなくヤツは扉を開けて……


いや?


まてよ、何処かおかしい


 もし仮に正面から家に入るとして

扉を開ける時にここまで物音が鳴れば

ほんの一瞬、躊躇うのでは無いか?


 いちども鳴り止む様子もなく

同じ力をかけ続ける、なんて


それでは、まるで

`人ではない`かのようで……?


ハッとした



 扉の開け初めは人の手でも

そこから先は何か重量のある物を

立てかけるかしているだけなのだ。


 それはつまり、ヤツはいちど

扉の前まで歩いてきたということ


 とてもすぐ近くまで来ているのに

居場所を割り出せてはないということ


 扉の方にのみ意識を集中させた

わたしの作戦が裏目に出たということ

そして、今が一番の好機だということだ。


 姿勢は変えぬまま、空気を揺るがさず

意識のみを、今度は扉の方ではなく

この木の壁の奥へと向ける。


 集中だ、集中しろ、腕の見せ所だ

わたしならきっと影を捕まえられる

我々は現在、限りなく近い土俵に居る。


 あと一歩で形勢は逆転する

向こうの作戦は今のところすべて

空回りに終わっているのだから。


 時間的猶予でいえばこちらの方がある

追い詰められているのは敵の方なのだ

わたしはただ待っていればいいだけ。


 もう、開いた目は何も見ちゃいない

床に着けた足から感触は伝わらない

わたしという存在が空間に溶け込む。


そしてついに


その姿を捉えた。


 片手に何かを持っている、武器だろうか

扉のすぐ隣に姿勢を低くして立っている


その扉が開ききるのも時間の問題だ

ギシギシと喧しい金具の音がついに

途切れた。


 内開きの扉は完全に開かれて

立てかけられていた木の枝が

その体重を支えきれなくなり


 地上の重力に為す術なく

床の上へと倒れていき……


ーー黒い風が吹いた。


 入り口から姿を表したヤツは

質素で地味な短剣を片手に持って

暗がりに光る白い光、瞳に反射した光


獲物を討ち滅ぼす必殺の姿勢だ

……だが、だがしかし。


 ヤツの視線が向いている先は


 一瞬、勝敗を分けたのは、ほんの一瞬

ヤツは最後の最後までわたしの居場所を

正確に把握するまでには至らなかったのだ。


 ヤツの姿が見えたその瞬間

わたしは、1歩間合いを詰める


 ヤツがわたしに気がついた

カッと目を見開いて驚いて

応戦しようとしてくる



もう手遅れだった


何故なら


 敵が初めの動作を起こす前に

わたしが、先にヤツの首の骨を


……へし折っていたのだから。


 ゴキッという嫌な感触があって

力が抜け、倒れ込む男のからだ

もう二度と立ち上がることは無い。


 しかし、そんな今でもまだ

その手には短剣が握られている


 わたしはその手から武器をもぎ取り

倒れ伏して動かぬ者の傍にしゃがみ込み


「さらばだ、我が部下よ」


 首の真後ろから短剣を

深く突き立てたーー。

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