アムネシアデイズ

小早川早玖

第1話

 「___あっ、起きた!意識戻った!」

「なんですって!ちょっと待ってなさい、今行くから___」

 目覚めてすぐ見えたのは、頭に白いスカーフを巻いた少女の顔と、真っ白な天井だった。少女は患者の目覚めに気づくと、お下げ髪とエプロンを揺らしながら部屋の奥の方に飛んでいった。

 体がうまく動かなかった。何かを考える気にもならず、しばらく木製ベッドの上で固まっていた。

 しばらく時間が経つと、先程の少女とおそらく少女よりも10は歳上に見える女性が、揃ってやって来た。どちらも同じデザインのエプロンを付けていた。

 「あ、あんた、軍の人がここの診療所に運ばれてきたの、覚えてる?」

「…覚えてない」

少女の問いに、ぼそりと答えた。ベッド横の姿見に映った自分の姿は、顔が真っ白でまるで死人のようだった。

 「こら、患者さんに失礼な言葉遣いしないの…それで、覚えてないっていうのは…あの、ぼんやりと覚えてたり、する?」

「しない。何も…覚えてない」

「何もって…記憶喪失ってやつ?もしかして、自分の名前も言えないとか?」

「…いいえ。自分の名前は覚えている」

「そ、そうなのね。あなた、お名前は?」

「アイヴィ。アイヴィ・レツィア・シャーロット」

「そ、そう。他に覚えていることとか、ある?」

「ない。名前しか覚えてない。でも、ものの名前とか、言葉の意味とか、そういうのは理解している」

ここに来るまでの記憶は一つも残っていないのに、少女が頭に巻きつけているものをスカーフと認識できたし、彼女らが身につけているそれはエプロンという名前だということも分かった。だから、そういう「知識」は抜け落ちていないはず。

 「…記憶喪失、ってやつか。じゃあ、あんたがここに来るまでに何があったか説明したあげるわ」

「こら、口調」

と、お下げ髪少女を女性が嗜めた。そういえば、二人はどのような関係なのだろうか。

 「ごめんなさいね。この子、いっつもこんな調子なの。…えっと、まず自己紹介するわね。私はメリー・テイラー。メリーって呼んでね。それでこの子は…」

「私はエマ。エマ・ロバーツ」

「…メリーさん、エマさん」

と、アイヴィは呪文のように呟いた。メリーは満足げな表情と対照的に、エマは無表情だった。

 「ここは診療所。といっても、ろくに知識もない素人が集まって町医者ごっこをしてるだけなのだけどね…資格もないから闇医者と同じ。軍からは物資の補給があるのだけどね」

「こんなご時世だから、今更闇医者だとか闇じゃない医者だとか言ってらんないのよ」

「…こんなご時世、とは」

「嘘でしょ?戦争のことも忘れてんの?あんな大変なことがあったのに?」

「こら、エマ」

メリーがエマを嗜めるのは、もう三回目だった。

「…えっと、簡単に言えばね。今、戦争が起こっているの。貴方はね、軍からはこの診療所に運ばれてきてね、そのときには怪我が酷くて…だからね、多分貴方、戦闘に巻き込まれてしまったのよ。そのときに、頭を打ったりして…」

アイヴィは、自分の頭を右手で触った。今は特に違和感や痛みはないが、確かに包帯がぐるぐる巻にされていた。

 「…私、記憶を失ったの」

「ええ、残念だけど多分ね…」

「…いいえ、何を失ったのかすらも覚えていないから、残念とはあまり思わない。…ただ、少しだけ寂しい」

アイヴィの言葉に、メリーは切なげに俯いた。エマも何か思うところがあったのか、唇を噛み締めている。

 「…私、これからどうなるの」

「普通にしばらく治療を受けるだけよ。そのくらいなら1ヶ月くらい休んでれば治るわ」

「…その先は」

「へ?」

「治療が終わって、怪我が治ったらどうなるの」

「…あ、えっと」

「軍に引き取られるの。それとも、施設にでも送られるの」

「あー、そっか。でもあんた、家族は?」

「…エマ、多分アイヴィさんの家族は…」

メリーが遠慮がちにアイヴィの目を見た。

「ふーん、身寄りがないのか。だったら確かに、そういうことになるのかも」

「も、もう!エマ!」

相変わらずお構いなしに物を言うエマに、メリーはおそらく静止するのもうんざりしてきただろう。

 「…あっ、そうだ!」

と、突然メリーが叫んだ。何かを思いついた、みたいな顔だった。

「あ、あの、エマ。2階にまだ空き部屋あったわよね?」

「あったけど。…メリー、まさか」

エマの顔が途端に歪む。どうやら、何か察しがついたらしい。それも、あまりエマにとってプラスになる案ではなさそうだ。

「…あのね、アイヴィさん。これは、あなたみたいな患者さん全員に提案していることなのだけど…」

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