死ねない蛇の暇潰し
おくとりょう
嫉妬深い嘘つきの朝
空が白ばみ始めた頃。
まだまだ街は寝てる頃。小鳥たちも夢の中。徹夜のセミが遠くで嘆く。
そこにはいくつもの鉢植えが並んでいた。無機質な狭いスペースを
若芽の緑はより優しい。深い緑が眠る中、淡い黄緑は柔らかで、ぐんぐんぐんぐん空を目指す。静かな夜を吸い込むように。
摘まれた若芽は根を伸ばす。暗い地面に白いひげ。ずんずんずんずん張り
これは、暑く眩しい日のこと。
涼しく心地いい朝のお話。
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東の空が眩しくて、青が鮮やかになった頃。
ガラガラガラガラ。
部屋の掃き出し窓が開いた。ふわふわした癖毛の男。ぴょこんと跳ねた寝癖頭。寝ぼけ眼でベランダへ降りると、長身を折り畳むようにして、鉢植えたちへ水を蒔く。
土が潤い、緑がきらめく。
並んだ緑の茂みの中から、鮮やかな赤が顔を覗かせる。
男はうっとり手を止めた。
それは一口ほどの小さな赤。はち切れんばかりの甘い赤。鈴なりに
穏やかに射し込む朝の陽が小さな赤を輝かせる。宝石みたいに艷やかに。炎みたいに鮮やかに。
男は自慢げに苗も見つめる。
その
その葉は、元の茎から伸びた一本に可愛らしい葉が何枚か生えている。それが、あんどん仕立てを中心に扇風機の羽のように放射状に広がっていく。
枝葉が茂っても、丈は出ない。狭い場所でも大きく育つ。黄色の可憐な花も咲き乱れていた。
垂れた葉先に男は小さくうなずく。
のほほんと眺めていた彼は、不意にメガネをクイっと押さえた。
視線の先には、無数の星を
「あらもう、やだわ」
手で口元を隠してそう呟くと、彼女、いや彼はテントウムシへ、そぉーっと手を伸ばす。そして、優しく指先でつまみあげ、ぐしゃりとそのまま押し潰した。滑らかな指先に挟まれ、朱色の虫はなす術もなく、ただただ黄緑の液を噴き出す。まるでそれが彼らの中身のすべてのように。あとには軽い朱色が残る。
もう動かない朱の欠片。
彼らが齧ったあとの葉は、緑が削られ葉脈標本のようにペラペラになる。男は軽いため息とともに、くすんだ朱色を土の中へと押し込んだ。
そして、茂った葉や茎へと視線を走らせる。葉の陰や裏側の隅々にまで。赤を弱める朱は許さぬと。
しばらくすると、艷やかな実へ優しく片手を差し出した。何も殺してないように。
「みんな美味しそうね」
特に鮮やかに熟れたものをいくつか見繕い、満足そうに呟いた。採れたての赤を見つめながら、部屋の中へと戻っていく。汁と泥にまみれた片手はぐっと後ろで握り締めて…。
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日がもう少し高くなった頃。
再び窓を開けた彼の手には、卵の殻やパン粉の乗った平皿。それを室外機の陰に置かれた
部屋へ戻りかけた彼は何を思ったか、突然コンポストへと手を突っ込んだ。腐りかかった割り箸で、酸っぱい匂いの立ち上る生ゴミを掻き分ける。そぉーっと優しく。
すると、姿を見せたのは無数のシマミミズ。
暗い桃色をしたその環形動物は、黒い土の中でうねうねと
何がそんなに嬉しいのか、彼はそれを見てニコニコ微笑むと、彼らのことも優しくどけた。さらに掘ると、そこにはまるで夜のように深い黒。きめの細かい黒い土。そぉーっとすくうみたいに、一掴み、二掴み…。
そして、大きな身体を折り曲げるようにかがみこみ、今朝見ていた赤い実の鉢にそれを流し込んだ。根元から離れた場所に埋めるように。
満足げに鉢を眺めた彼が立ち上がると、周囲にはたくさんのコバエ。コンポストから漂う腐敗臭に集まってしまったようだ。慌てて蓋をするも、数匹のハエが彼の鼻の中に入ってしまい…。
ぶへぇっっくしょーん…っ!!
大きなくしゃみとともに、小さな火の玉を吐き出した。無数のコバエたちは焼き殺され、直撃を
彼にとっては本意でなかったのか、頬を掻き掻き…。鼻から小さな雲のような煙をモコモコ洩らしながら、申し訳なさそうな苦笑いを浮かべていた。
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日がてっぺんに届く前。
じんわり汗ばむお昼前。再び彼は窓を開けた。
なんとはなしに窓枠に腰かける。そんな彼の半袖からスッと伸びた腕へ、明らかな熱量を持った日差しが注がれる。白く照らされる健康的な肌は、成人男性にしてはきめ細かく、どこか妙に
「…海が恋しい」
緑の鉢植えたちをぼんやり見つめていた彼はふと寝言のように呟いて、そっとハンカチで目尻を押さえた。長いまつ毛を
よく見ると、目の縁に線、肌には薄い粉、唇も少し鮮やかで、薄く化粧をしているようだった。寝癖も直っている。このあと、どこかに出かける予定でもあるのだろうか。
空は突き抜けるように爽やかな青色で、ところどころに綿菓子みたいな雲が浮かんでいた。アブラゼミもひと休みしたくなるような、心地よい快晴。航空機の音が空に響く。
ばっと何かを振り切るように、何かを思い出したように、彼は不意に立ち上がる。が、すぐにこめかみを押さえるようにして座り込んだ。ぐっと眉間に皺を寄せる。不快な何かと向き合うように。
「…あぁ、そういえば、もうすぐ選挙があるんだったかしら」
そう呟いて、しばし手のひらを見つめた。一瞬、目をぎゅっとつぶると、深いため息を吐く。そこに混じった小さな火の粉が、ちりちりと彼の手の皮膚を焦がす。
「いつの世でも変わらない…」
ぎゅっと口元を吊り上げると、二股のような舌がチラッと覗く。眼鏡の奥には、
ふと視線を感じた彼が鉢植えに目をやると、小さな小さなカマキリがじぃっと見上げていた。その胸元にはショウジョウバエが抱えられている。生ゴミに集まるコバエ目当てで、狩り場にでもしているのだろうか。
彼がじぃっと覗き込むと、少し小首を傾げて、葉っぱの下に潜り込む。明るい葉陰から、不思議そうに彼を見つめる。
ふたりの間を風が通り抜けた。彼の癖毛と草木がそよぐ。小さな狩人はじっと見つめて動かない。
いつの間にやら、頬を緩んだ彼の頬。パチパチと瞬きすると、部屋の中へと戻っていく。小さな彼を脅かさないよう、そぉーっとそっと…。
空は青く、燦々と夏の日差しが照りつける。雨の気配は全くない。じわじわとセミたちも声をあげ始めた。
遠くから
人のいなくなったベランダを生温い風が通り抜ける。
どこからともなく、弧を描くように朱色の虫が飛んできて、トマトとは別の草にピタッと止まった。その葉はトウガラシのようでありながら、ナスによく似た白い花を咲かせていた。
きっとその実も、毒があるに違いない。
死ねない蛇の暇潰し おくとりょう @n8osoeuta
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