幽霊の足音 (完)

こういう心霊体験などは運や巡り合わせが必ずあると思います。あの日も予兆めいた嫌な流れはあったのですから、もっといろいろ考えればよかったのかも知れません。


寝る場所を決める時、母は絶対出るから壁のある奥の部屋がいいと言いました。そのため、両親と伯父が奥の部屋で、好奇心旺盛な私たち姉妹と霊の存在を信じていない伯母が手前の障子の部屋で寝ることになったのです。


私はその日の出来事が頭の中でぐるぐる回ってなかなか寝付けずにいました。ようやくうとうとしかけた頃、その座敷牢の方向から音がすると怯えた妹の声に起こされたのです。時間は夜中の2時ごろだったでしょうか。座敷牢からギィィという扉を開けたような音がして、中からだれかが出てくるような気配がしました。

そして、そこから人が歩いているような廊下がきしむ音が聞こえます。

ギシ…ギシ…と一歩一歩ゆっくりと歩いている音は鳴りやまず、しかもだんだんと私たちの部屋へ近づいてきているような気がするのです。誰も声を出せず、息をひそめていました。なんとなく、声を出したら見つかってしまうような気がして、自分たちの存在を知られたくないという思いで息を殺していました。突然、妹が我慢できずに私の布団の中に入ってきました。母は「やっぱり出てきた」とつぶやいて布団を頭の上からかぶってしまいました。

その足音は一定の間隔で聞こえ、やむ気配はありません。そして、とうとうギシ…ギシという音は私たちの部屋の前までたどり着いたのです。障子1枚隔てたその向こう側に人のいる気配を感じます。皆が布団の中で凍り付いたようにじっとしていました。

廊下はそのまま真っ直ぐ行けば私たちの部屋を通り過ぎるはずです。

しかし、再び聞こえてくる足音は私たちの部屋の周りを囲んでいる廊下に沿って、再び歩き始めました。私たちの足元の障子の向こう側の廊下のきしむ音が庭側に向かってゆっくりと移動していきます。

私は、恐々と障子に目を凝らしましたが、障子には影などは映っていません。

そうして、庭側の廊下を折れて今度は伯母の寝ている横を進んでいきます。

ちょうど伯母の真横に来た時、足音がふと止まりました。

その瞬間、伯母は「きたー」と叫んで私たち姉妹の布団のところに飛んできました。

そして、私たちは障子が今にも開くのではないかという恐怖に泣きそうになりながら、足音が止まった場所のあたりを祈るような気持で見ていました。

どれくらい時間が経ったのでしょうか。障子は開かず、何も起こりません。足音の主がそこにいるのかどうなのかわからないまま時間だけが過ぎていきました。誰もが怖がって、障子を開けようとはしません。

そこにまだいるのか、それとももう消えてしまったのかわかりません。しかし、寝てしまってはいけないような気がしてそのまま朝までやり過ごそうと考えていると、妹がもぞもぞしながら「トイレに行きたい」と言いました。

一時の緊張が緩んだこともあり、やっとそう言ったのだと思います。ずっと我慢していたであろう妹を慮りましたが、その障子を開ける勇気は私にはありません。朝まで我慢しようかとも思いましたが、あとどれくらいで明るくなるか…この時私たちは何故か時計を見てませんので、音が聞こえ始めてからどれくらいたったのかわかりませんでした。ただ、障子の向こうが早く明るくなることを祈るばかりでした。

しかし、妹はとうとう我慢が出来なくなったらしく、伯母が足音の止まった障子と反対側のトイレに一番近い障子を開けることにしました。

奥の部屋の両親と伯父は寝ているのか、じっとしているのか、布団をかぶったまま何の反応もなかったと思います。声をかけたかどうかは思い出せず、私はこの時の奥の部屋の三人の様子はすっぽりと記憶からは抜けています。

伯母はゆっくり障子を開けました。開ける時、私は瞬時に瞼を閉じました。


伯母が息を吐いて「誰もいないよ」と声をかけてくれました。

もし、他の人には見えていないものが私だけ見えたらどうしよう…

そう思いながら、私はこわごわ目を開けます。

そこには確かに何もおらず、伯母の影からそっと座敷牢の方を覗くと、格子は昼に見た通りしっかりと閉まったままでした。

トイレから部屋に戻ると障子の外は夜の暗さが薄れてきて、スズメの鳴き声も聞こえたような気がします。

ようやくほっとして、緊張の糸が切れたように眠りについたのでした。

目が覚めた頃には太陽がすっかり昇っていて、昨日の夜の出来事が嘘のように晴れやかな気持ちになっています。庭に出て、「昨日の夜は怖かったな」とそれぞれ言い合った皆の顔もあの恐怖の一夜を乗り越えほっとしたような笑顔。あれは夢ではなかったのかと確認し合い、貴重な想い出が出来たね、なんてことも言っていました。

後で話を聞くと、伯父は最初から寝ていたと言います。昨日の夜の出来事は全く知らないという伯父の話に半信半疑でしたが、それもまた、伯父らしいかもとも思いました。父は途中までは起きていたそうです。寡黙な父らしく、夜は特に何も騒ぎもせず、じっとしていたらそのまま眠ってしまったようで、どうしてあの状況で眠れるのかと不思議でなりません。母は、反対に眠れず、朝まで起きていたようです。ずっと布団をかぶってやり過ごして、朝になってやっとトイレに行ったのだとか。母はいろいろな体験をしているので、私たちよりももっと怖かったのだろうなと思いました。


 ◇◇◇


しかし、私は当事者ぶっていますが、最初に言った通り、実際は何も体験していないのです。

どういうことかと申しますと、確かにあの部屋にはいましたが、座敷牢から出てくるような音、廊下をギシギシ踏み鳴らす音、そういうものは全く聞いていません。それは伯母や妹たちからこういう音がする、今ここの廊下を通っている音がすると言っているのを聞いて怖がっていたのです。私は、ただその夜の恐怖の雰囲気と、そう言われたことによって感じる気配のみ体験したのでした。

しかし、それだけでも怖がりの私には恐ろしい心霊体験なのです。

その後、庭で家族の写真を撮り、旅の記念にしました。


それから日が経つにつれ、私はあれは、もしかしたら家族の壮大ないたずらなのかと思うようにもなりました。私にだけに聞こえないことってあるのでしょうか。

反対に、私もみんなと同じようにあの音が聞こえたらよかったのにとも思いました。

そんなある日、現像された写真をみんなで見ていたら、母が「あっ!」と叫びました。

それはあの武家屋敷の庭で父を撮った写真でした。

笑顔の父の胸元には彗星みたいな尾をひいた光の塊が映っていました。

それを見た時、あぁ、あの夜の出来事は本当だったのだと悟ったのでした。


このことがあって、私は霊と聞くとすっかり震え上がるようになってしまいました。

体験してないけれど体験したこの夜の思い出は私たち家族の話題には上がりませんが、あの日の出来事は一生忘れられな思い出になっています。

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武家屋敷の幽霊 くまりす @jun-risu

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