老婆

あれは私が中学生の頃、ゴールデンウィークに家族旅行に出かけた時でした。

その時は、急に決まった旅行でもあり、何故かあまり気が進まなかったように思います。

宿泊先である父の会社の保養所の近くには「宝塚ファミリーランド」というテーマパークがあるということで、やっと行く気になったのでした。


両親と2つ年下の妹、8つ年下の妹と私の5人家族はいつも母方の伯父と伯母を含めた7人で旅行をすることが多く、その時の旅行もこのメンバーです。

私たちの旅はいつも特に何の計画も立てず成り行き任せのところがありましたが、急な旅行を決行したのは宿泊料が破格であったというのが一番の理由で、当時はタダ同然で保養所に泊れる会社も多かったため、その安さに何の疑問も持っていませんでした。


7人を乗せたワンボックスカーは朝、そんな早くもない時間に家を出発したため、当然のごとく大型連休の長い渋滞に巻き込まれました。日差しは強く、じっとりと汗も噴き出るような気持ち悪さの中、寡黙な父はひたすら黙って運転をし、母と伯母は寝たり起きたりして気を紛らわし、伯父はぽっちゃりとした体格のせいか空腹をずっと訴えていたのを覚えています。ようやく宿泊先の保養所へ到着した頃にはお昼をとうに過ぎていました。


保養所は武家屋敷を改装したものらしく、立派な瓦屋根と漆喰の壁という外観が立派で雰囲気があります。気温が下がったかのような涼しさも手伝って、私たちは長旅での疲れも吹き飛び、気持ちも高まりました。


しかし、玄関から中を覗くと、そう広くないロビーには狸や梟などのはく製と、その宿にはそぐわない洋風の椅子やらテーブルやらが所狭しと置かれ、そのちぐはぐな感じに、妙な違和感を覚えました。

そして、そのロビーには宿の人もお客さんも誰一人いません。物音や人の声など何も聞こえず、宿全体がしーんとしていて、人の気配というものがまるでないのです。

母が「すみませーん」と中の方に呼びかけましたが返事はなく、変だなと思いながらも家族めいめい「おーい」だとか「すいません!」だとか声を張り上げていると、ようやく中から人が出てきました。

しかし、その人の姿を見た私たちは、驚きのあまり声を上げそうになりました。

出てきた人は白髪にわずかに黒が混じった長い髪を無造作に後ろで束ねた、腰の曲がったまさに老婆という言葉がぴったりなおばあさんです。

いや、これは大げさに言っているのではなく、本当にそんなおばあさんでした。

あまりにも驚いて立ち尽くしていると、その老婆は「いらっしゃい」と意外にも愛想よく普通に話されたので、そこで私たちはそこでようやく安心できたのです。

一人でこのような場面に出くわしたのなら、恐ろしい気持ちもあるかもしれませんが、そこは関西気質の家族一行。母は「びっくりしたなぁ」と言い、伯父は「面白いなぁ」と笑い、ワイワイと話しながらその老婆の後をついていくのでした。


昔のお屋敷によくある人一人通るのがやっとの細長い廊下を何度か折れ、突き当りが食堂になっています。そしてその食堂の手前を右に曲がると私たちが宿泊する部屋へとつながっています。その右へと続いている廊下の左側、ちょうどT字路だと思い込んでいた左側の壁に何やら小さな入り口があることに気づきました。私たち姉妹が何だろうと格子の隙間からのぞくと中は広さ6畳くらいの和室で、家具などはなく、特に使われている気配はありません。

当時、憧れていた隠れ家や秘密基地みたいだと思い、私たち姉妹が「忍者屋敷みたい」と盛り上がっていると、これは座敷牢じゃないかと母だったか伯父だったかわかりませんが…そう教えてくれました。

その座敷牢という言葉の意味ををなんとなく知っていた私たち姉妹は「怖い怖い」と言いながらも昔の時代の武家屋敷へタイムスリップしたかのような非日常の雰囲気を味わっているのでした。

その座敷牢を右へ曲がって、直ぐ左手にトイレがあり、その先の右手にある部屋が私たちがその晩泊る部屋でした。

部屋は2間続きになっていて、奥の部屋には床の間がありました。それ以外の三方は障子がはめ込まれ、部屋の周りを廊下と縁側で囲まれているという作りになっています。

部屋に通されるなり母が「この部屋出るよ」と言い出しました。みんな驚きはしましたが、部屋に通されるまでのいきさつを思い出すと、その言葉には説得力を感じます。皆を不安がらせないためか、「いくら何でもこんな大勢いるのに幽霊も出にくかろう」と伯母が言いました。「もし、出てきたらみんなで騒げばいい」と伯父も言いました。

予定よりも遅い到着だったため、「宝塚ファミリーランド」で遊ぶ時間を心配した私たちは、その話題もそこそこに荷物を置いて慌てて宿を出発したのでした。


GWウィーク真っただ中のテーマパークの駐車場は満車の表示が立ち、入りきらない車が長い列を作っています。私たちは、いつ入れるか分からない車の列をあきらめ、周りの路上駐車に倣い、空いた路上スペースに車を止めて入場しました。

当然、テーマパークの中もうんざりするような人混みです。2つ程のアトラクションで根を上げ車に戻って来た私たちは、タイヤの横の地面に書かれていたチョークの文字と、フロントガラスに挟まれていた駐車違反の紙を目にし、倦怠感を感じるのでした。

その足で警察に行き、父が手続きを済ませた頃には日が傾きかけています。やること全てにケチが付いた1日の暗雲たる気持ちを振り払うように、伯父がご飯を食べようと提案し、皆が賛成しました。

宿に戻ると、夕食があることを知らされます。予想以上の豪華さで食べきれないほどのボリュームのあるすき焼きを前に一日の疲れとつい先ほど食べたご飯のせいで、ちっとも箸が進まず、私たちのために作られた御馳走は出てきた時そのままにテーブルの上に残っていました。

宿の人に迷惑をかけたこと、そしてほとんど手づかずだった料理に申し訳なさと勿体なさを感じながら、「ついていなかった」今日一日の出来事を振り返って、憂鬱な気持ちで眠りにつくのでした。

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