七話『真夜中の従者たち』
その夜、ニーナはリタの部屋に来ていた。その姿はメイド服ではなくラフな寝巻きを着ており、いつも後ろで結われている黒髪はおろされている。彼女と同じようにリタもまた楽そうな服装をしていて、その表情はえらくご機嫌そうだった。
「ふふ、なんだか新鮮ですねぇ。二日間連続で、しかもしばらくの間毎日ニーナと一緒に眠れるだなんて」
「確かに、こういうの幼少期ぶりですよね」
「あの頃はニーナがとにかく甘えたで、可愛かったなぁ」
「…………覚えてないですね」
ベッドにゴロンと寝転がるリタを見ながら、ニーナはシラッと嘘をついた。勿論その嘘をリタはわかっているけど、クスクス小さく笑うだけ。揺れる茶色の髪は、淡く光るランプの光で照らされていた。
今、ニーナがリタと一緒にいる事には理由があった。それはあの夜、きっとこれから起こるであろう未来のあの夜に、リタは謎の侵入者によって殺されてしまったからだ。そのやり方は吐き気を催すほどに無惨で、リタに対し何かしらの憎悪を向けているような殺し方であった。
——この先、本当にあんな未来が待ってるなんて確信はないけど。
けれど確実に、この世界も前と同じような展開を丁寧になぞっていた。動き、言葉、場所、時間、口調、全て一緒なのだ。それは不気味なほどに一緒で、それはデジャヴという言葉だけで片付けられるようなものではなかった。
普通の考えなら時間が戻ってる、なんて信じないだろう。だけどこの世界は乙女ゲームの世界。魔法も使える世界なのだ。だからもしかしたら本当に時間が戻っていて、この先の未来あの時の同じようにリタは侵入者に殺されてしまうかもしれない、そうニーナは思ったのだ。
——本当はあの夜だけ警戒すれば良い話なんだろうが、念には念を。
なんたって相手は不特定多数で、男なのか女なのか。それどころか人間かどうかすらもわからないのだから。
「ふふ、なんだかワクワクして眠れないです」
「子どもですか」
「仕方ないじゃないですか。そういうニーナだって全然眠くなさそうですよ」
「昔から夜更かしは得意ですから」
「いやちゃんと寝てくださいよ……」
寝ろって言われてもルビィ様に合わせているから仕方ない、とは口が裂けても言えない。言ってしまえば最後、その幼子のような顔はニヤニヤといやらしいものに変わり、きっとハンスのように揶揄ってくるに違いないから。だからニーナは口をぎゅむっと噤み、目を逸らす。
けれど長年の付き合いなのか、リタはすぐにハッと何かに気づき、思い描いていた通りの笑みを浮かべた。
「そうですよねそうですよね、二人はラブラブですもんねぇ」
「はい?」
「もう!隠さなくていいのに!お姉さんはなんでも知ってますからね!」
「いや、何か勘違いしてません?」
「ふふふ、大丈夫ですよ!偏見なんてこれっぽっちもありませんから!」
「話を聞いてください!」
ケラケラとえらく楽しそうに笑うリタは寝転がっていた体を起こし「この事ハンス君にも伝えないとですねぇ」なんてニヤニヤと笑う。そして腰掛けていたベッドから立ち上がり、同じように座っていたニーナの手を取った。
「わっ、とと!」
「てことで今から出発です!」
「えっ、え、どこに」
「ふふふ」
リタの小さな体で無理矢理手を引かれたニーナは少しよろめきながらそう問いかけた。だがその問いかけにリタは答えることなく、ただただ上機嫌に笑うばかり。その目はまるで「お楽しみです!」と言いたげにキラキラと煌めいていて、ニーナはそんなリタの姿に小さくため息を吐いた。
——こうなるともう止まらないんだから。
リタはニーナの手を引き、部屋を出てズンズンと廊下を歩き進める。廊下は真っ暗闇だというのにその歩みには迷いは無く、一直線にある場所へ向かっているようだった。
「こんな時間に歩くだなんて、まるで世界に二人きりになったみたいですね!」
「……リタさんってロマンチストなんですね」
「あら?乙女には大事な要素ですよ?いつだって女の子は白馬の王子様に憧れるし、キラキラの美しいドレスに憧れるの。それはメイドだって例外じゃない」
「女の子って……リタさん成人してますよね」
「成人したって心は子どもですから」
「それダメなやつじゃ」
ペタペタ。静かな廊下に二人の話し声だけが響く。窓の外からは鳥の鳴き声が微かに聞こえてきて、ガラス越しに差し込む月光はあの夜よりも力がなかった。
「というか本当にどこへ」
「お楽しみですよ〜?お楽しみ!」
「本当子どもっぽいですね」
「ま~たそんなこと言って!ニーナが私の事お姉ちゃんみたいだって思ってること知ってるんですからね~?」
「子どもっぽい姉はちょっと」
「拗ねますよ?」
二人だけの廊下。ニーナはリタの言葉に耳を傾けながらも、その周囲を警戒する。何もない、とは思うがそれでも脳裏によぎるのはリタの倒れた姿。あんなことが屋敷内で起こった。ホワイト家の厳重な警備をかいくぐって侵入者が屋敷に忍び込み、そしてリタを殺害した。
——もう二度と、あの惨状を目にしたくはない。
ゴキュッと喉の奥がニーナの中で反響をし、無意識で服の中に隠されたナイフをすっと撫でた。
「っ!!!」
その瞬間、ニーナは体を硬直させ歩みを止めた。
トンッ
「ニーナ?」
トンットンッ
廊下の奥からだった。その音が聞こえたのは。
トンットンットンッ
暗闇の中、一定間隔で響き渡るその音にニーナは寒気がするほどの既視感を覚えた。
トンットンットンットンッ
カラカラに乾き始める喉。ダラダラと流れ始めた汗は頬をつたい。無意識にリタと繋いだ手に力が込められ、心臓がバクバクと異様な速さで体を叩く。首筋が熱くなり、思い出される泣きたくなるような熱さに、ニーナは息すらできずにいた。
——この奥は……
ニーナは体全体で当たりを警戒しながら、リタに見えないようナイフに手をかけた。
「リタさん、ちょっとここで待っててもらえますか?」
「え?なんで?」
「お願いですから。ここで」
「っ!」
ニーナは声を顰め、リタにそう伝えた。それは懇願とも呼ばれるもので、ニーナの微かに震えた声にリタは気づく。
怯えているのだ。ニーナは。
だがリタは何故ニーナが怯え、怖がり、恐怖しているのかわからなかった。一体何が彼女をこんな姿にさせたのか。先程までいつも通り、普通に会話していたと言うのに、何故唐突に様子が変わったのか。リタは全く理解ができなかった。
「……わかりました」
でも、だからと言ってそれはニーナの懇願を聞き入れない理由にはならない。声を震わせるほどに恐怖しながらお願いされたのだ。リタにはそれを聞き入れる以外の選択肢が無かった。
リタの返事にニーナはホッと溜息を溢したのち「すぐに戻ります」と音のする方へ足を向ける。先程とは違いその歩みは慎重で、彼女から発せられるすべての音が死んでいた。やがて、ニーナは辿り着く。
——明かりがある。
ゴクリ。カラカラに乾いた喉を鳴らしながら、ニーナはゆっくりとその部屋を覗いた。いつでも動けるよう、ナイフを片手に慎重に、慎重に。息を潜めて、息を殺して。じとっと背をにじませながら。そしてニーナは、目を見開いた。
「……ハンスさん」
「っうぉ!びっっっくりしたぁ。なんだニーナか」
びっくり顔のハンスと困惑顔のニーナが互いに見つめ合う深夜の厨房には、肉が焼ける良い香りがふんわりと漂っていた。
△▽△▽△
「うっははははは!侵入者!この俺が!はっははは」
「あーもー!そんなに笑わないでください!」
「いやはははははっ!笑うだろそんなの!くっくく、本の読みすぎなんじゃねえか?」
「ニーナにそんな可愛らしい一面があっただなんて……」
「仕方ないじゃないですか!そもそもこんな真夜中に厨房にいるハンスさんが悪いんですよ!」
真夜中の厨房に響き渡るは男の笑い声と少女の羞恥に満ちた怒鳴り声。ゲラゲラと大袈裟すぎるほどに大笑いするハンスへ、ニーナは珍しく顔を赤くさせ声を荒げていた。
「くく、まぁ怖がらせたことは悪かったよ。まさかそんなことを思われるとは思ってなかったもんでな、くくく」
「はいそこそろそろ笑うのをやめてください」
「すぐに戻ります……キリッ」
「リタさん!」
「がははははははっ!!!」
ついには目尻に涙を溜めるほどに大笑いをするハンスへ、ニーナはキッと睨んだ。その姿は年相応で、ニーナのそんな様子にリタは心の中で優しく、温かい感情を芽生えさせていた。
「というか本当、こんな時間に何してるんですか」
ニーナはじっとハンスに胡乱な目を向け、問い詰めるように言葉を吐きた。「あー」と居心地悪そうに目を逸らしたハンスはしばらく言い淀んだ後観念したように薄く笑う。
「秘密」
「はい?」
「まぁ料理だよ料理。お前ら知ってるか?料理できる男ってモテるんだぜ?」
「……リタさんはハンスさんのこれ、知ってたんですか?」
「え?知らなかったですよ?別に夜な夜な会いに行って料理の味見させてもらってたとか、そんなことないですよ?」
「……はぁ」
にししと子どもみたいに笑う大人二人に、ニーナは大きな溜息を吐いた。
「怒られますよ」
「ばーか。ニーナは真面目ちゃんだなぁ。あのな?こういうのはバレなきゃ大丈夫なんだよ」
「いやバレますから。現にリタさんや私に見つかってますよね」
「…………まぁ食材は自費だし、無問題よ」
「問題しかないですけどね」
ニーナの正論すぎる正論にタジタジになるハンスであったが、二人の会話の最中カウンターに並べられた料理の数々に目を煌めかせるリタに気づき「それよりニーナも味見してみるか!?」と歪な笑みを浮かべた。
「俺の料理割とうまいらしいから食べてみるか?」
「えぇ、こんな夜中にですか」
「ここにきたってことは腹減ってたってことだろ?何、遠慮はいらんさ」
「いや私はリタさんに連れられて来ただけなんですけど」
ニーナの言葉を聞きながらハンスは「いいからいいから」と自信が作った料理を見せる。それは肉厚ジューシーな厚切りハムのステーキで、湯気と共に空気に混ざる香ばしいソースの香りがリタとニーナの腹の虫を刺激した。
くーっと力なく響いた腹の音は、リタのものだったのかニーナのものだったのか。ハンスはクツクツと笑う。
「やっぱ腹減ってんじゃん」
「……違いますよ」
「でも食うだろ?」
「…………美味しいですか?」
「ニーナ、ちゃんと美味しくなってますよ」
「…………」
リタのその言葉でニーナは考える。脳裏に浮かぶはこの屋敷に来てすぐに食べたハンスの料理。甘くて、辛くて、酸っぱくて、エグ味があって。あまりに複雑な味のせいで味覚が狂い、思わず涙目になった記憶が呼び起こされる。チラリ、ニーナはリタを見た。リタはキリッと真剣な眼差しでニーナを見据えながら、コクリと頷く。
「…………いただきます」
「よしゃ!」
ニーナの返事にハンスは嬉しそうに笑い、上機嫌に「上達したからなぁ?」とこぼした。
そしてハンスの言葉を皮切りに三人はそそくさと準備。ハンスは使った痕跡がわからないよう掃除をし、リタのニーナはハンスの料理たちを階下の従者共有スペースへ運び込む。
「……ここじゃ見つかるんじゃないですか?」
「仕方ないだろ、ここしか場所無いんだから」
「ハンス君の部屋はダメなんですか?」
「ダメだな」
「見られて困るものでもあるんですか?」
「おいおい、俺は男だぞ」
「うわ」
軽口をコソコソと叩きながら準備ができた三人は真ん中に小さなランプを灯し、薄暗い部屋の中料理を突く。そしてニーナはこの時、ハンスの料理が本当に美味しくなっている事実に驚いた。一口大にカットされたハムステーキは甘辛く、えぐみはない。あるのは絶妙な旨味だけ。ニーナは「美味しいです」と思わず言葉をこぼした。
「ふふん、そうだろ」
「本当、いつの間に練習したんですかって感じですよねー」
「そりゃあ自分の部屋でコツコツとだな」
ハンスの料理に舌鼓を打ちながら頬を緩ませるリタへ、ハンスは得意げに破顔する。
「どうやって部屋で料理の練習したんですか?」
「おっと、それは極秘情報だぜ」
「何気私ハンス君の部屋一度も行ったことない気がします」
「私も」
「おいおい、女が気軽に男の部屋知ってちゃダメだろ?」
「でもハンス君は私の部屋知ってますよね?」
「…………」
リタのその発言でハンスは笑みを浮かべたまま固まり、すっと顔を逸らした。その姿にリタとニーナはじーっと訝しげな目を向ける。
「……まぁまぁ、気にするな。俺の料理これからも食べたいだろ?」
「……そうですね。まぁまぁ、この話は今度にしましょうか」
「ですね」
張り付けたような二人の笑みにハンスは気付かないふりをして笑う。その実、ハンスの心臓はバクバクと煩く鳴り響いていたわけだが。
「それしても本当に美味しい……お酒が飲みたくなっちゃいますよ」
「リタさん?」
「わかってます!ちゃんとわかってます!飲みませんよ飲みません!」
「そう言いながら一口だけ、とか言うんでしょ」
「うぐ……そ、そんなこと、ないですよ?」
「バレバレな嘘を……何年一緒にいると思ってるんですか」
ニーナはじとっと見つめながらはぁっとあからさまなため息を溢した。ハンスは二人のその会話を聞きながら「もう八年か」と、感慨深そうにボソリと呟く。
「あれ?そんなに経ってましたっけ?」
「経ってる経ってる。いやぁ懐かしいなぁ……今でも鮮明に思い出せるよ、ニーナが来た時のこと」
「……私実はあんま覚えてないんですよね」
「あれ?そうなんですか?」
「はい。というか屋敷に来るまでの記憶もかなり朧げなんですよね。断片的には思い出されるんですけど」
「まぁ人間そんなもんだろ。俺だって物心つくまでの記憶ぜーんぜん覚えてねえし」
ハンスはそう言うと、ハムステーキをハグっと口に含み、もぐもぐと咀嚼。ゴクリと嚥下して、太い喉が脈打つように蠢いた。その姿を、ニーナはボーっと見つめる。
「でも本当当時は驚きましたよ。まだ小さかったルビィ様が同い年の女の子を連れて帰ってくるんですもの」
「あの頃はバタバタしてたよなぁ。ニーナのこともそうだし、レオ様のことも」
過去のことをなぞりながら、しみじみと語りだすリタとハンスに、ニーナは若干の疎外感を覚えた。だがニーナはその感情を表には出さず、水の入ったグラスを傾けながら「私レオ様に会ったことないんですよね」と呟いた。
「……あぁそうか、お前が来たのと同時期にレオ様は旅に出たのか」
「急でしたよねぇ。元当主様と一緒とは言え、まだまだ幼かったと言うのに」
「変なところで肝が座ってたもんなぁレオ様は」
クツクツと哂うハンスに、ニーナはレオ様の姿を思い出す。スカーレット譲りのサラサラの銀髪に、紫の瞳。幼いながらもシュッとした顔立ちで、全てのパーツがバランスよく配置された顔面。一見女性にも見えそうなほど美しい彼。流石ルビィの兄であり、ホワイト家の息子だと考えたことをニーナは思い出した。
「写真で見たことあるんですけど、めちゃくちゃにイケメンですよね、レオ様」
「んな。あの頃であーんなイケメンなんだから、今どうなってるか。同じ男として恐ろしい話だぜ」
「ハンス君とレオ様じゃ比べものにならないでしょ」
「リタさん流石の俺も傷つくことはあるんだぜ」
「事実でしょ」
「おいこら」
リタとニーナはハンスを弄り、クスクスと楽しげに笑った。ハンスはそんな二人を前に最初は怒ったふりをしていたが、フッと呆れたように苦笑い。彼の細い目がスッと静かに開眼する。
「まぁでも話戻るが、本当時が経つの早いよなぁ」
「ですね。あの頃の人見知りちゃんがこんな風に軽口叩けるようになるなんて……お姉さん感激!」
「何馬鹿なこと言ってるんですか」
「……流石に口悪くなりすぎたけどな」
「あら?そこがニーナの可愛い所じゃないですか」
「やめてください」
自分のことを話題に出されると少し小っ恥ずかしいものだな、とニーナはそっぽを向いた。ちょっとばかし熱が帯び始めた頬と耳。きっと赤くなっているだろう。ニーナはこの時、今が夜で、光がランプの灯だけでよかったと心底思った。
「というかなんですかこのしんみりとした空気。二人ともらしくないですよ」
「いやいや、私たちだってしんみりするときくらいありますよ」
「そうだぞ。妹みたいに育ててきたニーナがこんなに大きくなった」
「それだけで私たちは涙が……」
「そこまで来ると狂気を感じますよね。怖いですよ二人とも、怖い」
「ははは、照れ隠しか?」
「違います」
ハンスは翡翠色の瞳を揺らしながらゆっくりとニーナは手を伸ばし、そのゴツくて大きな手でわしゃっとニーナの頭を撫でた。ニーナのサラサラな黒髪が踊る。
「大きくなったなぁ」
「…………」
異様なほどに優しい目をした二人がニーナを見つめる。何だかその視線や、この空気感がどうにもくすぐったくて、ニーナは顔を俯けたまま何も言わなかった。
「そういえば」
そんな時、リタがニタリと笑った。
「ニーナったらルビィ様と夜を共に過ごす仲なんですって」
ニーナの頭を撫でていたハンスの手がピタリと止まり、ぐぐぐっとまるで油をさしていない鉄人形のような動きでリタの方へ顔を向けた。
「夜を共に……過ごす?」
「それはもう熱い夜を」
「なん……だと?」
頭から離れた手をワナワナとさせながら、にやけ面でこちらに目を向けるハンスに、ニーナは胡乱な目を向け首を傾げる。二人のその表情はなんなのか。ニーナはしばらくの間考えた。そして一つの結論に至った時、ニーナは言葉を失いカーッと顔を熱くさせる。
「俺らの妹が大人になってたなんてなぁ」
「違います!!!」
そしてハンスのその嬉しそうな言葉に被せるように、ニーナの絶叫が屋敷の中を木霊した。
悪役令嬢のメイドは死に戻りの力で世界を救う 浪漫型筍 @romancetakenoko
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