六話『太陽の光』

「ねぇニーナ、今日の夜空いているかしら」


 太陽の光がさんさんと照り付ける昼下がり、バサッと洗濯物を広げたニーナへルビィが話しかけた。その表情はどこか楽しげで、ニコニコと微笑むその表情はまるで女神の微笑のように思える。が、ニーナはその笑みをなんだか子どもが浮かべるもののようだと思った。そしてだからこそ、ニーナは眉を寄せ、申し訳なさそうにルビィへ向き直る。


「……ごめんなさいルビィ様、しばらくの間夜はちょっと空けることができなくて」

「あら、そうなの?」


 ニーナは少し寂しげに揺れたルビィの瞳に罪悪感を覚えながら「申し訳ございません」と頭を下げた。そんなニーナの様子にルビィは慌てて「いいのよ!」と側に駆け寄り、片手を握る。


「ただ今夜、ニーナとお話したいと思っただけだから」

「……主人の想いに応えられず、申し訳ございません」

「だからいいってば!これはただの私の我儘だもの。謝罪されるよりも、寧ろ私がニーナに感謝すべき事よ。いつも私の我儘に付き合ってくれてありがとうね、ニーナ」


 しっかり目を見据えながらふわりと笑ったルビィのその姿に、ニーナはズキリと胸の痛みを覚えた。それは木の杭で心臓を突かれたような、はたまた誰かに心臓を鷲掴みされているような。

 それはここ数日、頻繁に起こっている現象であった。


「…………」


 ニーナは繋がれたルビィの冷たい手をキュッと握ったのち、すっと薄い笑みを浮かべた。


「どういたしまして」


 胸の痛みを無視しながら、ニーナはそう口にする。そしてゆっくりとした動作で手に持っていた洗濯物を籠の中へしまい、もう片方の手で繋がれたルビィの手を引いた。向かうは影になった庭の一角。そこには小さなベンチが設置されており、ニーナはそこにルビィを座らせる。


「…………ここじゃお話しできないわ」

「出来ますよ。大丈夫です」

「私はニーナの側に居たいのよ」

「ダメです。ルビィ様は肌が弱いのですから」

「でも日傘があるわ」


 ルビィは手に持った日傘を見せつけるようにユラユラと揺らす。日傘にあしらわれたレースがニーナの視界にチラチラうつり、ニーナはフルフルと被りを振った。


「日傘だけじゃダメですよ。今日はもうこの場所が日向になることはないでしょうし、ルビィ様はここで休んでいてください」

「……別に大丈夫よ?」

「ダメです。本当は屋敷に戻ってほしいところなんですよ?」

「…………わかったわ」


 不貞腐れながらもそう応えたルビィの言葉にニーナは満足し、元の場所に戻って再び洗濯物を干し始める。風が吹くたびパタパタと靡き、ニーナの鼻腔をシャボン玉の匂いがくすぐった。


「それでニーナ」

「はい」

「その……今日の夜について訊いてもいいかしら」

「今日の夜……っていうのは」

「予定について。しばらく空けられないのよね?」


 ニーナは「そうですね」と答えた。パンッ。洗濯物を広げる音が二人の間に響く。


「しばらくリタさんと一緒に夜の密会をですね」

「……密会?」

「あ、別に怪しいことをするわけじゃないですよ」

「いやそれはわかっているけれど……というか私に話しちゃったら密会じゃ無くなるじゃない」

「……確かにそうですね」


 ニーナの言葉にルビィは小さくクスリと笑ったのち「ニーナはリタの仲良いわよね」と、少し羨ましそうに呟いた。


「そう……ですね。仲良いとは思います」

「年齢の関係ない友情って素敵よね。羨ましいわ」

「確かにリタさんとは年離れていますけど、リタさんは年上に見えないので」

「……まぁわかるけど、リタには言っちゃダメよ?」

「…………そうですね」

「ニーナ?」


 ルビィの言葉にプイッとニーナはそっぽを向き、何も言わず黙々と洗濯物を干し続ける。


「……でも本当に羨ましいわ。私ニーナ以外にお友達っていないんですもの」

「友達っていうより姉に近いですかね」

「姉……」

「屋敷に来た頃から色々お世話になってますからね。先輩であり、姉でもある。本当色々気にかけてもらってありがたい話です」


 目を細め、暖かい日差しに体を差し出すニーナにルビィは嬉しくなって一人優しくはにかんだ。それはニーナが幸せそうに見えたから。だからこそルビィはニーナのその姿に嬉しくなり、そして安堵した。


「姉……いいわね、そういう存在がいるの」

「ルビィ様にもお兄様がいらっしゃいますよね?」

「そうね。でも物心ついた頃にはもういなかったんだもの。妹だなんて実感は無いわ」

「今はどこを旅してらっしゃるのでしょうか」

「さぁ?でもきっと私には想像もつかないような世界を渡り歩いているんでしょうね。羨ましいわ」


 それはきっと憧れなのだろう。ニーナは何も言うことなく、手を動かす。微かな沈黙がニーナんとルビィの間に流れ、それは麗かな日差しを含んだ風となってルビィのプラチナブロンドの髪を靡かせた。


「……ねぇニーナ」

「なんですか?」

「……いつか、私が旅をしたいと言ったら、貴方はついてきてくれる?」


 ニーナは思わず振り返りルビィを見た。彼女の鮮血色の瞳がギラリと光る。その奥では妙な炎が揺らめいていて、ニーナは燻るようない感情を覚えた。


 ——なに、その表情。


「…………」

「…………」

「……冗談よ。そんな顔しないで」


 ルビィは小さく笑った。


「私にはこの家を守る義務がある。ホワイト家を守る義務が」

「……あまり無理しないでくださいね」

「無理なんてしてないわ。その証拠にほら、今休憩してる。親友とのお話なんて、最高の休憩よ」

「まだ私はルビィ様のメイドですよ」

「でも今は二人きり」

「ダメです」


 ニーナのキッパリと言い切ったその言葉にルビィはムッと顔を歪ませ、ニーナを恨めしそうな目で睨んだ。


「……主人の想いに応えるのが良き従者じゃないの?」

「私はルビィ様の良き友人として言っているのですよ」

「ここでそれを出すのはずるいわ」


 いじけたように赤色の瞳で見つめるルビィへ、ニーナは呆れたような目を向けた。思わず溢しそうになったため息をなんとか飲み込み「子どもですか」と呟いた。


「こんな姿ニーナにしか見せないわ」

「私以外が見たら目を丸くするでしょうね」

「ニーナのこと、信用してるってことよ?」

「ありがたいお言葉ですね」


 ニーナはパンッと最後の洗濯物を干し終え、ゆるりとルビィの方を振り返った。影になったベンチで、日傘を持つルビィの髪がサラサラと靡く。その髪が……太陽の光にあたればさぞ綺麗だろうと、ニーナは酷く残酷なことを考えた。


「ルビィ様」


 ニーナは少し濡れた手を拭ったのち、スッとルビィの方へ伸ばした。


「帰りましょうか」

「そうね」


 その手をルビィは何の疑問も抱くことなくギュッと掴み、ゆっくりとその腰を上げた。ユラユラ。日傘が揺れる。太陽の光が、ルビィに当たることはない。


 ——そういえばゲーム内でもルビィ・ホワイトはずっと日傘を持っていたっけ。


 ニーナはルビィの手を引き、出来る限り影になった道を歩いていく。


 ——プレイ中はただの悪役令嬢としてのキャラ付けだと思っていたけど、本当はちゃんとした理由があったんだな。


 ニーナはぼんやりと、ルビィについて考えた。


 ——やはり私には、知らないことがたくさんある。


 それはルビィについても、そしてルビィ・ホワイトについても。


 ——私は、彼女のことを……


 今後、ルビィがさんさんと照りつける太陽の光を浴びることはあるのだろうか。……少なくとも、ルビィ・ホワイトは太陽の光を浴びることなく、全ルートの最後に命を落としてしまっている。


 ——ならば彼女も……私の知るルビィ様も、同じ結末を辿るのだろうか?


 同じようにヒロインに嫌がらせをして、同じように報いを受けて、同じように最期を迎えてしまう。ルビィはルビィ・ホワイトとして、ゲーム通りの展開を迎えてしまうのか?太陽の光の暖かさを知らないまま。


 ——私は、何も知らない。


 誰かの声が聞こえた。

 ルビィ・ホワイトは悪である。

 誰かの声がそう言った。

 大切なヒロインを悪役令嬢から守れ。

 誰かの声がそう言った。

 大切なヒロインをルビィ・ホワイトから守れ。

 誰かの声がそう言った。

 誰の声なのかニーナは知っていた。

 だけどニーナにはわからなかった。

 ルビィ・ホワイトという存在を。

 ルビィという存在を。

 悪役令嬢という存在を。

 自分という存在を。


 ——私には何も、わからない。


 あの日抱いた決意が揺らぐ。ヒロインを守ると誓った決意が揺らぐ。それは本当にニーナの決意であったのか、と。誰かの囁き声が聞こえる。知らない記憶がニーナを引っ張る。ニーナは、握った手の冷たさに、泣きたくなった。


「ニーナ?」

「はい?」

「どうしたの?手が震えているわ」

「なんでもありませんよ。なんでも」


 ニーナは笑った。その笑みは、本当にニーナのものなのか。ニーナ自身わからなかった。何故ならニーナは、まだ何も知らないのだから。

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