五話『新たな決意』

「——ニーナ」

「…………」


 それを、人はデジャヴと呼ぶのだろう。

 豪華なベッドに、装飾の多いドレッサー。煌びやかなドレスが沢山収納されたクローゼットに、高級そうな調度品の数々。窓から差し込む太陽光は部屋を明るく照らし、その部屋はニーナの見慣れた、ルビィの部屋であることがわかった。

 そして目の前で怪訝そうにニーナを見つめる彼女、サリアはニーナへこう問いかけるのだ。


「こんなところでどうしたのですか?」


 っと。


「………………」

「ぼーっと立ちすくんで……なんだか顔色が良くないわね」

「………………」

「もしかして体調あまり良くないのかしら」

「………………」

「……?ニーナ?」

「……あの、メイド長」


 ニーナは首筋を手で摩りながら、深く深く息を吸う。熱さは感じられなかった。寒さもなかった。痛みも……。

 ニーナは、サリアの青の瞳を見た。心配そうに揺蕩う青の奥で、真っ青な表情のニーナが、自分自身を見つめていた。


「今日って、何月の何日ですか?」


 そして訪れた沈黙を破ったのは、サリアの素っ頓狂な、困惑した声であった。


△▽△▽△


 ——時間が戻ってる。


 ニーナは焦る気持ちを必死に落ち着かせながら、廊下の掃除を行う。この感覚に、ニーナは既視感を覚えていた。

 それはあの時の同じ感覚。前世の記憶を思い出した時と同じ感覚。それはあの時と同じ感覚。ルビィから街に出かけないかも誘われた時と同じ感覚。

 所謂デジャヴというもの。にしてはそれは断片的なものでは無く、きっちり記憶としてインプットされていて。つい先程まで感じていた首元の熱さだって、鮮明に思い出すことができるし、この後起こることだって予測できる。


 ——身に覚えのある廊下の掃除中、窓ガラスを拭いている最中に私は……。


「よぉ」

「…………」


 予想通り過ぎる展開に、ニーナはくしゃりと顔を歪ませ、ゆっくりと後ろを振り返った。そこには黒に近い茶髪を揺らし、人当たりのよさそうな笑みを浮かべるハンスが立っていた。


 ——あぁ、やっぱり。


「おい、なんだその表情。俺と話せて嬉しいだろ?」

「いや、ちゃんと掃除してくださいよ」

「俺のところはもう終わったんだよ。なんたって俺は仕事のできる男だからな」


 くくくっと笑いながら、トントンと胸を叩くハンス。ニーナはそんな彼をじっと見つめながら「あの」と声をかけた。その黒の瞳は、不安げに揺れる。


「ん?」

「前に、似たような会話しませんでしたか?」

「……?さぁ、俺は覚えてないな」


 ハンスの不思議そうな表情と、返ってきた返事にニーナは落胆をした。どうしてそんなことを聞くんだ?と言いたげなハンスの表情は気付かないふりをして、ニーナは再び掃除を再開する。窓を布巾で拭くキュッキュッという音が廊下に響きわたった。


「あぁ、そうだ聞いたかニーナ」

「何がです?」

「最近屋敷の庭で蛇が出るんだと」

「蛇……ですか」


 思い出されるのはあの夜の記憶。感覚的にはつい数時間前の出来事のように感じるが、きっとそれすらも誰も知らない。それどころか無かったことになっているのだろう。ニーナとルビィが夜の屋敷を抜け出して、ルビィと手を繋いで、夜空を眺めて。ニーナしか知らない出来事。ニーナは「怖いですね」と、言葉を零した。


「ニーナは蛇が怖いのか?」

「まぁ、噛まれて毒とかあったら怖いじゃないですか」

「それもそうだな」


 ハンスはニーナを見つめながら「だがまぁ」と言葉をつづける。


「蛇は基本的には臆病な性格なんだ。噛まれたりするのは人間側が攻撃したときだけ。本来あいつらは無害なんだよ」

「へぇ、そうなんですか。詳しいんですね」

「好きなんだよ、蛇」


 ハンスはくくっと笑いながら愛おしそうに表情を和らげる。そんなハンスの表情をニーナは初めて目にし、目を静かに見開く。


「カッコいいよなぁ蛇」

「……ちょっと私にはわかりません」

「なんでだよ。かっこいいだろ蛇。だって蛇だぞ?蛇はいいんだぞ?それに蛇はすごいんだ。東方の国では神様としても崇められてるらしいし。」

「いやそんな熱弁されても知りませんよ」

「お前も蛇好きになればわかる」

「今のところ蛇に対して特別な感情は抱いてませんよ」


 珍しく翡翠色の瞳を輝かせながら蛇について熱弁するハンスを、ニーナは呆れたような目を向け、掃除を黙々と行う。ハンスのそんな姿はまるで膝小僧にいつも傷がある少年のようで、その声は大好きなことを母親に話す子どものよう。


 ——リタさんもハンスさんも本当に年上なのだろうか?


 ニーナはなんて事を考え、その瞬間はっとあることを思い出す。はたっ。ニーナの手から布巾が落ちる。熱弁していたハンスがニーナのその様子に気付き、パチリと一度瞬きをした。


「……?どうしたニーナ」

「…………ハンスさん」


 ——どうして忘れていたのだろうか。嫌な事には、蓋をしたかったのだろうか。


 ニーナはゆっくりとした動作で体をかがませ、布巾を拾った。そしてそれをハンスに手渡す。ぽかんと困惑するハンス。ニーナは止まった呼吸を再び行いながら、ハンスを見た。


「ちょっと、リタさんに、用事が、出来たので」

「あっ、え、え?」

「リタさんのところに、行ってきます」


 ニーナは未だにぽかんとしているハンスを残し、廊下を駆けだした。


 ——もし、時間が戻っているのならっ。


 そしてニーナは見つける。その鮮やかな茶髪を揺らしながら、小さな体でせこせこ動く、彼女の姿を。その瞬間、目頭が熱くなり今にも涙が零れそうになった。


 ——あぁ、よかった。


 ニーナはその場で立ちすくみ、何も言えないままリタを見つめ続ける。あの時、あの瞬間流れた彼女との思い出が、ニーナの喉を締め付けた。


「あれ?ニーナ?」


 そんなニーナの存在に気付いたリタは、不思議そうに首をかしげながらトテトテとニーナの側による。その刹那、ニーナの鼻孔をくすぐるのは鉄の匂い……ではなく、花の匂い。リタの匂いであった。

 ツンと、鼻の奥に痛みが走ったことを、ニーナは気づいた。


「リタさん」

「ん?どうしました?泣きそうな顔して」

「……別に、そんなことないですよ」

「ふーん」


 ニーナは静かにリタを抱きしめた。子どもみたいに小さな体。だけどその体は暖かくて、小さく心臓の音が聞こえる。生きている、音が、聞こえる。

 そっとニーナの体にリタの腕が回された。ギュッと抱きしめられる。ニーナもギュッと、抱きしめた。


「大丈夫ですよ、大丈夫」

「…………」

「私が、ついててあげるから」

「…………」

「だからニーナ」


 鉄の匂いもしない。抱きしめる手も温かい。体もちゃんと綺麗なまま。声が聞こえる。リタの声が。


「泣かないで」


 リタとの記憶が流れ出したと同時に瞳から零れた涙は、リタの肩を濡らした。


△▽△▽△


 その夜、ニーナはリタの部屋にいた。二人共の服装はキチッとしたメイド服ではなく、ラフな寝巻姿。互いに長い髪を下ろし、ベッドに腰掛け楽しくおしゃべりをしていた。


「昼間はビックリしましたよ。あのニーナが急に抱きついてきて、しかも泣きだすんだから」

「昼間のことは忘れてください」

「ふふ、無理な話です。しばらくはニーナを揶揄うことができますからね!」

「…………」


 ニコニコと笑うリタは上機嫌にユラユラと体を揺らす。反対にニーナはジッと半目でリタを睨み、悔しそうに眉をひそめている。そのニーナの姿にリタは更にクスクスと笑い、ポンっとニーナの頭に手を当てた。


「冗談ですよ。そんな顔しないで」

「…………」

「でもビックリしたのは本当。一体どうしたんですか?本当珍しい」

「……なんでも、ないですよ」


 一瞬開いた口を閉じ、ニーナは首を振る。ニーナはリタに泣いた理由を言えるわけがなかったから。それに生きているなら知らなくていいことなのだ。ニーナが見てしまった光景は。

 リタはそんなニーナの様子を前に、スーッと目を細め「そうですか」と優しい微笑を浮かべる。


「ニーナが喋りたくないなら私は聞きません。だけど、いつか。喋れる時が来たなら、喋ってほしいなって、思います」

「……そう、ですね」


 ——そんな日は、きっと一生来ないのだろう。


「ニーナは昔から一人で溜め込んでしまうから、お姉さんはいつも心配なんですよ」

「別にそんなことは」

「今は昔とは違う。私も、ハンスも、ルビィ様も、みんないる」

「…………」

「私的にはもっと頼ってほしいんですよ、ニーナ。貴方は私の後輩で、妹のようなものですから」

「…………」


 隣で語るリタの手をニーナは取り、きゅっと絡ませた。子ども体温が手のひらに伝わって、ニーナはリタを見る。リタの茶色の目が優しく揺らめいていることにニーナは気が付いた。

 スッ。息が吸う音が響いた。


「リタさんのことは、いつも子どもみたいだなって、思ってます」

「えぇ!?なんですか急に!!!酷くないですか!?今私はとっても大切な話をしているというのに!」

「ふふ、そういうところですよ、子どもっぽいの」

「うぇぇぇ!?そんなことは!」

「でも」


 握った手に力を込めた。


「私も……リタさんの事、お姉ちゃんみたいだと、思ってますよ」

「!!!」


 リタの目は真ん丸に見開き、ニーナは恥ずかしそうに目を逸らした。だけどニーナが口にした言葉は紛れもない事実で。一度失ってしまったからなのか、リタの大切さをニーナは十二分に理解していた。


 ——だからこそ。


「リタさん」


 ニーナはふっと息を吐き、逸らした目を戻した。驚いた表情のリタの眼房にはまった瞳には、決意が滲んだメイドが映っていた。


「しばらく、私と一緒にいてくれませんか?」


 ——もう二度と、彼女を殺させやしない。

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