四話『夢のような現実』

「今度ルビィ様とデートしに行くんだろ?」 

「はい?」


 ニーナが屋敷の掃除をしていると、隣からそんな言葉が飛んできた。思わずニーナはその言葉に反応し、間抜けな返事をしながら男を見た。男はにやにやと口角を上げながら「仲良しだねぇ」と言葉を繋げる。


「……どういうことですか?」

「なに、隠さなくてもいいよ。リタさんから聞いたぜ?今度ルビィ様と街にお出かけデートしに行くんだろ?」

「いや、デートじゃないですけど」

「嘘つけ~、リタ言ってたぞ~?すっげぇニーナが幸せそうに笑いながらルビィ様と出かけることを言ってきたって」

「……何かの間違いじゃないですか?」

「くく、な~に、照れてんだよ。いやぁ、本当羨ましいぜ」


 なんてクツクツと笑う男の名前はハンス。ホワイト家に仕える執事で、ニーナの先輩にあたる。黒に近い茶色の短髪に、糸目のその顔貌はニコニコといつも笑っており、人当たりがよさそうに見える。

 ニーナは隣で同じく掃除をするハンスに、はぁっとため息を零し「違いますから」と睨んだ。


「別にデートじゃないですよ。ただ一緒に出かけるだけ」

「またまた〜、あんなラブラブなんだ、デートに決まってらぁ」

「はっ倒しますよ」

「くくく」


 ハンスは笑いながら「こえーこえー」とニーナから距離を置き「まじ羨ましいぜ」とその真っ白な歯を見せた。


「ルビィ様は本当、昔からニーナにべったりだもんなぁ」

「……まぁ、それは否定しませんが」

「くくく、一体何したんだよニーナ、お兄ちゃんに教えろよ」

「別に何もしてませんよ。ただ歳が近かったから仲良くなっただけです」

「くっ、歳の話をされると俺はなんも言えなくなるが……」

「ふふ、でしょうね」


 ニーナは顔を顰めるハンスにクスクス笑いながら手首に巻かれた腕時計を確認する。そしてそろそろ夕食の準備の手伝いをする時間だと気付き、ハンスにそのことを知らせる。ハンスはニーナのその言葉にハッとし、急いで残りの場所の掃除を終わらせ、ニーナとともに厨房に向かった。


「おう、来たか。んじゃさっそく運んでくれ」

「はい」


 厨房についてすぐ、料理人のイーサンがニーナとハンスに指示を出す。二人は返事をした後手を洗い、イーサンに言われた通り出来上がった料理を手に、食堂へ向かう。出来上がったばかりなのか、どれもユラユラと美味しそうな匂いを漂わせながら、湯気を出している。思わずハンスのお腹がクーッと力なく鳴り、ニーナは「ふふ」と小さく笑った。

 そして二人は食堂の長いテーブルに料理をコトリコトリ置いていく。白いパンに、野菜のスープと肉料理、ワインにエールなど。質素とも、豪華とも言えない普通の料理たち。だけどその味は格別で、ホワイト家の料理人たちは皆腕が良いことを示していた。

 料理の良い匂いにお腹を空かせながら配膳していると、そこにホワイト家の主であるアズールと、夫人のスカーレット、そしてルビィがそろって入ってきた。ニーナとハンス含む従者達がスッと一度、頭を下げる。


「お食事の準備、もうしばらくお待ちください」


 一人のメイドがアズールにそう伝えると、アズールは朗らかな笑みを浮かべ「いつもありがとう」と優しく目を細めた。


「ふふ、今日の食事も美味しそうね」

「そうですねお母様」


 スカーレットとルビィは同じように銀の髪を揺らしながら、美しく微笑む。やっぱり親子なんだなぁ、なんて思うニーナはルビィの分を配膳する。するとルビィが小声でニーナを呼び止めた。


「ニーナ」

「はい?」

「今夜って空いてるかしら」

「ええ、空いてますけど」

「なら今日、お仕事が終わったら私の部屋に来て」

「はい、わかりました」

「ふふ、約束よ?」


 どこか嬉しそうにニコニコ笑いながらニーナを見るルビィに、ニーナは思わず首を傾げそうになった。いつもの一緒に寝るお誘いかと思いきや、それにしては嬉しそうな表情。今夜何か特別なこととかあったかなー、なんて考えながら、ニーナは手を動かす。やがて全ての配膳が終わり、ニーナ含める従者達は一斉に頭を下げ、食堂を後にした。


「なぁなぁニーナ」

「はい?」

「今日の夜みんなで集まろうって話になってんだけど、お前も来ないか?」

「あー」


 厨房へ戻る廊下で、ハンスはニーナにそう声をかけた。だがニーナはそれを申し訳なさそうに頭を振り「ごめんなさい」と呟く。


「今日の夜はルビィ様と会う約束をしてて」

「…………」


 ニーナのその言葉に、ハンスはピキッと体と表情を硬直させ、しばらく固まっていたと思ったらニヤァっと不敵な笑みを浮かべる。その笑みにニーナはギョッとし、一歩後ずさった。


「な、なんですか……」

「ニーナァ、お前それ」


 ハンスはクツクツと笑う。


「熱い夜になりそうだな」


 ハンスの言葉にニーナは最初ポカンと不思議な表情を浮かべたが、徐々にその意味を理解したのかクシャリと顔を歪め、頬を赤くさせた。そしてワナワナと体を震わせながら、精一杯「違います!」と叫ぶ。屋敷にはハンスの楽しそうな笑い声と、ニーナの絶叫が小さく木霊していた。


△▽△▽△


「ニーナ」


 ルビィは嬉しそうに目を細めながら、その宝石のように輝く赤をいつも以上に煌めかせ、ニーナの手を引く。月は雲に隠れて見えない。真っ暗闇だというのにその足取りはしっかりしていて、何も見えないニーナは無意識にルビィと繋いだ手に力を込めていた。

 今、ニーナとルビィは真夜中の庭を二人で歩いていた。シンッと静まり返った夜は、鳥の声と木々のさざめき、そして二人の足音以外は聞こえない。コツコツと鮮明に響く足音。頬に当たる夜風の心地よさに、ニーナは息を吐いた。


「ふふ、なんだかこうしていると昔を思い出してしまうわね」

「……あぁ、だからちょっと既視感あったのか」

「懐かしい?」

「……ん、懐かしい」


 そういえば出会った頃はこんな風に二人でしょっちゅう屋敷を抜け出して、夜の庭を散策していたことを思い出した。あの頃は木が揺れる音ですら怖くて、だけど怖いもの見たさというか、それ以上に夜風の心地よさに、夜空に輝く月と星々の美しさに魅了され、頻繁に二人で夜の世界へ旅立っていた。当時はメイドとしてはまだまだ未熟で、仕事で怒れたり落ち込んでいる時によくルビィと夜空を見上げていた。そしてポツポツと互いに語り合うのだ。他の人にはいえない、秘密の感情を。


「ニーナ」


 ルビィがニーナの名前を呼んだ。


「ここ、覚えてる?」

「……わっ、懐かしい」


 ルビィはニーナの手を引いて、そこへザクザクと進む。そこは小さな丘であった。周りよりも少し盛り上がったそこは、真ん中に一本木が生えているだけの丘。だけどその丘には、ルビィとニーナの思い出が詰まっていた。

 進むたびにニーナはあの頃の情景が思い出され、感慨深くなる。あの頃感じた感情が、握った手の暖かさが、笑い合った記憶が、ニーナの心臓をじんわりと優しく包み込む。そういえば当時もこんな風に、手を引かれてここに来ていたっけ。


「本当、懐かしいよね」

「うん」

「ふふ、ここで二人きりお話をしてさ、たまにニーナが泣いちゃって」

「いや、ルビィも泣いてたじゃん!」

「泣いてないです〜ニーナの見間違いです〜」

「…………」

「…………」

「……ふふ」

「ふふふ、変なの」

「先にルビィが言い出したんじゃん」

「ふふ、そうね。なんだか子どもの頃に戻ったみたい」


 ルビィとニーナは丘の上に生えた木の根元に腰掛け、クスクス笑いあう。笑いあうたび、ニーナは言い難い懐かしさが込み上げ、今の現実がどこか夢の世界のように感じた。

 スルリ。離れた手が、再び絡みだす。ルビィからだ。まるで様子を見るように、ゆっくりと絡まれていく手。ニーナはそれを拒むことはない。ルビィのしなやかで綺麗な手が、ニーナの少し骨ばった手に絡みつく。ニーナの体の奥でトーンと、ボールが跳ねるような音が響いた。


「……ねぇ、ニーナ」

「なに?」

「…………何か、あった?」

「え?」


 そんな時であった。ルビィが唐突に、その声色を少し心配そうなものに変え、訊ねてきたのは。


「気のせいだったらいいのだけど、なんだか……」


 雲が流れ、隠れていた月が姿を現す。それはいつも以上に光を放っていて、世界を月光で照らし始める。ギラリ。月の光でルビィの赤が輝き、そのプラチナブロンドの髪がキラキラと幻想的に靡いた。夜に吹く風ですら、ルビィの美しさを引き立たせる。ニーナは静かにその耽美な光景に目を奪われ、息をすることすら忘れた。


「貴方が倒れたあの日から、ニーナがニーナじゃないような気がして」


 そして形の良いルビィの唇から放たれたその言葉に、ニーナは言葉を失った。


 ―—そうだった、彼女は、いつでも、ずっと、気付いてくれるのだ…………私のことを。


 ニーナの頭がぐるぐると回り出す。それはルビィとともに過ごしてきた8年の記憶と、先日突如焼き付けられた前世のルビィ・ホワイトの記憶。それぞれが互いに主張しあい、ニーナの頭はパンクする勢いで回転を加速させる。頭がおかしくなりそうだった。


「……ニーナ?」


 心配そうにこちらを見つめるルビィへ、ニーナはクシャリと、歪な笑みを浮かべた。

 信じたくなかった、考えたくなかった、否定したかった。自分の記憶を。否応なしに流れ込んできた前世の記憶を。ルビィ・ホワイトという存在を。目をつむって、耳をふさいで、いやいやと頭を振って。ニーナは、信じたくなかった。


「……ルビィ」


 ニーナは、8年来の友達の名前を呼んだ。

 ニーナの前世はテンセイという乙女ゲームのヒロインが推しであった。だからこそ、ヒロインへ酷すぎるいやがらせを行う邪知暴虐な悪役令嬢、ルビィ・ホワイトが大嫌いであった。…………だけど、それ以上に。ヒロインを想う気持ちよりも、ルビィ・ホワイトに対する気持ちよりも、ニーナはルビィに対して……。


 ——何故あの時疑問に思ったんだろう。リタさんのいう通りじゃないか。だって私は昔からルビィのことが……


 ニーナは絡まったルビィの手を、ギュッと力強く握った。するとルビィは少し驚いた顔をしたのち、同じようにギュッと、握り返してくれた。その瞬間、心は穏やかな気持ちで満たされ、頭の中はぐちゃぐちゃに散らかった。

 ニーナの自我が、前世の記憶によってかき乱される。例えるなら、大好きな友達の悪口を信頼できる人が言っていた時のような感覚。

 自分の前世の記憶だなんて不確かなものでしかないけれど、それでもその記憶を疑うことは出来ない。だって、確かに自分が経験してしまったものだから。

 だけどルビィとともに過ごしてきたニーナという記憶が、前世の記憶を信じたくないと否定する。

 出会った頃の笑みが、ともにに屋敷を抜け出した高揚感が、同じベッドで眠った温かさが、一緒に泣いてくれた苦しみが、手を引かれた時の安堵感が、幼いころ誓った…………決意が。前世を、否定する。


「大丈夫だよ」


 ニーナは、笑った。


「私はずっと、私だから」


△▽△▽△


 ニーナとルビィはゆっくりと歩きながら、屋敷へ戻っていた。互いに言葉はなく、だけど繋がれた手はギュッと離れないよう固く握られている。行きとは違い、帰りは月の光で足元が照らされていて、だけど二人は行きよりも遅いスピードで歩みを進めていた。


「あ」


 そんな時、ザッとルビィは足を止め、小さく声を漏らす。ニーナは不思議に思い、ルビィの視線の先に目をやれば、そこには小さな小さな蛇がジッとこちらを見ていた。


 ――そうだ、ルビィは蛇苦手だったな。


 ニーナは止まったルビィの前に出て、その辺に落ちていた棒切れで小さな蛇を追い払う。「ルビィは蛇苦手だもんねぇ」なんて言いながら。だけどニーナの発言に、ルビィはコテンと首を傾げた。


「?別に苦手じゃないわよ?」

「あれ?そうだっけ」

「ええ」


 ルビィの発言にニーナも首を傾げた。記憶違いだったか。だけど確かにニーナの頭の中には、ルビィが蛇を前に顔面を蒼白にさせ怖がっている記憶が残っていた。それはもう親の仇を見るような目で睨みながら、ぶるぶると体を震えさせて。


「迷い込んでしまったのかしら」

「まぁ広い庭だしね」


 ニーナとルビィは一目散に逃げた蛇を見送ったのち、屋敷に戻った。屋敷の中は外よりも暗く、いつもより静まり返っていた。


「それじゃまた明日」

「ええ、また明日」


 そしてニーナとルビィはルビィの部屋の前で分かれ、ニーナは自室へ戻ろうと廊下を歩く。コツ、コツと廊下にニーナの足音が響く。ニーナはくあっと欠伸。涙の滲んだ視界のまま、ニーナはユラユラ歩く。そしてもう目の前に自分の部屋が迫った時、ふと、ニーナは足を止めた。


「……?」


 真っ暗闇の廊下の奥。自身の足音しか響いていなかった廊下で、微かに音が聞こえたのだ。それはまるで咀嚼音のような、嚥下音のような、何かを食べる音のように思えた。

 好奇心は猫を殺す、なんてことわざがあるが、残念ながらニーナには猫のように9つ命があるわけではない。だが、少し眠気で微睡んだニーナの思考は好奇心に負け。ユラユラと、ニーナは音がする方へ足を向ける。

 コツ、コツ。足音が鳴るたび、音は大きくなる。やがてその音はもうすぐ目の前にまで迫り、そしてニーナはその音が厨房から響いているということに気がついた。

 恐る恐る、ニーナは中を除いた。だが厨房は真っ暗闇で、何も見えない。何も見えないが、不気味な音はずっと絶え間なく厨房で響き渡っていた。

 ゴクリ。ニーナは隠し持っていたナイフを手に、音を立てず、ゆっくりと中へ入る。音の鳴る方へ、ゆっくり、ゆっくり。

 だが、ある程度近寄った時にピタリとその不気味な音は止み、再び世界は静寂に包まれる。だが、その場に残った不可思議な空気は払拭されることはなく。

 忍足でゆっくりと近づいた時、不意にピチャリと水音が響いた。そしてもう一歩踏み出した時、ニーナの足に何かが当たる。それは大きくて、重くて、少し柔らかい。ニーナはじっと暗闇の中目を凝らし、足に当たったものを確認して、そして思わず声を漏らした。


「……リタ、さん?」


 リタさんの長い髪が赤に染まり散らばっていて、その子どもみたいな手と腕が冷たい床に投げ出されていた。顔は見えず、首元は異様に腫れていて、その腹は……。


「うぐっ」


 目を凝らせば凝らすほど、ニーナの頭は混乱し、そして吐き気が込み上がる。足に当たった感触が、鼻腔をくすぐる鉄臭さが、目の前の光景が。

 まるで走馬灯のように頭に流れ出した。それはリタさんと過ごした記憶。小さくて、子どもっぽくて、すぐ怒って、だけどちゃんと見てくれていて。頑張ったら褒めてくれて、誤れば正してくれて、間違えたら叱ってくれて、悩めば抱きしめてくれる。ニーナにとって、彼女はまるで姉のような存在であった。


『ニーナ!』


 その瞬間、ニーナは気付く。リタの食べ散らかされたような死体と、先ほどまで響いていた不気味な音。それが厨房に入ってすぐに止み、自分以外にもう一つ、呼吸音が聞こえることに。


「っ!!!」


 ニーナはナイフを構え後ろを振り返る。だがその刹那、目の前にまで迫った緑の目はギラリと異様な輝きを放つ。


「あっ」


 ニーナはその熱さを知っていた。ドクンと、心臓が異様に跳ねる。煩い、煩い、煩い。ビリビリと震え、熱いのに寒くて、全身に言葉も絶する痛みが走る。まるで体をめぐる血がすべて固まっていくよう。白濁する視界。自由の利かない体。首筋から伝わる、地獄のような熱さ。この熱を、ニーナは知っていた。


 ――あぁ、これも夢なのだろう。じゃなきゃ、こんな事、現実で起きちゃいけないのだから。


 ニーナは徐々にブラックアウトしていく意識の中、ただただこれが夢であることを願った。だけどその熱さは、痛みは、感覚は、どこまでも現実で。夢であることを根本から否定する。

 ラッパの音が鳴り響く。崩れる体。動かない。動かない。ゆっくりと、ニーナの体は倒れる。緑にジッと睨まれながら、ニーナの体は倒れていく。ニンマリといやらしく細められた緑の輝きは、まるで夢の物とは思えなかった。


「ぁ…あ」


 喉から洩れた声を最後に、ニーナの意識はプツリと途絶え、そしてその命も静かに活動を停止させた。だけどそのことにニーナは気付かない。何故ならニーナはもうすでに死んでいるのだから。

 真っ暗闇の中、ただただ緑の瞳が煌々と、妖し気に光るだけだった。







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