シラサギ、駅に降り立つ

亜逢 愛

シラサギ、駅に降り立つ

 梅雨末期を向かえた武蔵野の空は、昼だというのに暮れゆく色ににじんでいた。


 一瞬、太陽よりも弾けた光が大地を支配する。そして、雲をも震わす轟音ごうおんが、私に襲いかかってきた。


 雷。


 それだけに留まらない。

 ビュン ビュン ビュビュン ビュン!

 氷のかたまりが下界へ向けて無差別攻撃を始めた。


 ひょうが降り出したのである。


 雨ならば、なんてこともない。濡れて行こうと思うのだが、中型のビー玉くらいもある氷礫こおりつぶてとなると話は違ってくる。体に傷は欲しくない。

 私は雨宿り、ならぬ雹宿りができる空間へと間髪かんぱつ入れずに飛び込んだ。


 雷が荒れ狂う中、すっと私はその地に立つ。

 そこは居心地が悪い空間だった。 


 なぜなら、人間たちが大勢いるのだ。

 誰もが私を見ている。


 ある者は茫然ぼうぜんとして立ち止まり、ある者はただ唖然あぜんとして硬直し、ある者は表情を作ることすら忘れ、ある者は予期せぬ来訪者に目を細め、ある者は新種の生き物を発見したかのような歓喜の顔を見せ、そして、ある者は神でも降臨したかのように戦慄せんりつの色を隠せないでいる。


 彼らの反応は至極しごく当然、私は人間ではない。


 白鷺しらさぎなのだ。


 と、そこへ、

 ビュー―――ン バチバチ ヒュウ ヒュウ ヒュウ

 降りしきる雹を弾き飛ばしながら、回送電車が反対側のホームを駆け抜けていった。


 ああ、駅だったんだ。思い出した、ここは西武鉄道の狭山市駅、その1番線ホームだ。


 私は元人間だ。

 天寿をまっとうし、輪廻転生りんねてんしょうで白鷺に生まれ変わっていた。加えて前世の記憶を持っている。駅に来て改めてそれを思い出したのだ。そう、ここも生活圏内だった。


 だからか、電車の通過など気にならなず、雷光と回送電車を背景に堂々と私は立っていられたのだ。


 だが、ここは野生とは無縁の無機質な空間だ。白鷺となった私にとっては居心地が悪い。しかし、屋根があるので雹からは守ってくれるし、鳥の天敵である猫はいない。その点は安全だ。


 だが、人間は別、今はまだ驚いているだけだが、注意を怠ってはならない。鳩やからすのように追い払われるかも知れない。


 私を見ている人間の一人が気付いた。

 シャーキ シャーキ

 スマホを構えて写真を撮り始めたのだ。他の連中も思い出したかように写真にのめり込む。私の周りに人の輪ができた。


 さながら芸能人、いや、人々が憧れるアイドルの気分である。


 だが、そんな異様な空間は長続きしない。

 小さな子供が両手を私に向けて駆け寄ってきた。

 こんな奴に捕まるわけにはいかない。


 バッ!


 私は飛び立ち、雹と人間から安全そうな場所を探す。

 この駅には2階があって屋根を成し、ホームの空間は広いのだ。高い天井から照明が吊り下がっている。照明の上側には鳩けのとげが付いているが、ない部分もある。そこへ私はチョンと乗った。

 見上げるシャッター音がなおも続く。


 しばらくすると、電車が到着し乗降が始まる。私を撮影していた人間の多くは名残惜しそうに電車に乗ったが、私をもっと見ようと残る者もいた。


 電車から降りてきた人間たちも驚き、ざわざわと私を見上げている。


 そろそろ潮時だ。

 雷鳴は健在だが、雹は雨に変わっていた。


 本来の目的地、田んぼへと行こう。


 ここ狭山市駅は武蔵野台地の末端にある。その先は入間川が削った河岸段丘の斜面となっていた。

 最低斜面と入間川との間には細長い平地があり、田んぼが広がっている。そこが私のホームグラウンドなのだ。


 飛び立とうと思ったところで、あるポスターが目に入った。


 七夕祭だ。


 この狭山市では8月の上旬に月遅れの七夕祭がある。大きく派手な七夕飾りが商店街を埋め尽くすのだ。大勢の人間がその飾りを見物に来て大変にぎわい、出店でみせもいっぱい出る。


 そんな光景を思い浮かべたら、私は楽しくなった。

 その七夕祭へ行こうと心に決める。


 そして、私はスーッと滑るように、雨の中へ飛び出していった。



 七夕祭までには、まだ期間がある。

 私は予行練習のように、その日が来るまで何度もこの狭山市駅に降り立ち、しばらく滞在してから飛び去った。毎日ではないが、なるべく同じ時刻・同じ位置に訪れた。


 白鷺が来る駅として人間たちに知れ渡り、多くのギャラリーが来るようになった。そして、人間たちは私に寛容になっていった。

 人間の靴紐をくちばしで引っ張ったり、鳩を突いたりなど、少々悪戯いたずらをしても、子供や駅員に追いかけられたりすることはなくなった。


 私の存在に、人間たちが慣れていったのである。



 そして、ついに七夕祭の日が来た。


 晴れており祭日和。

 七夕祭は夜がメインだが、私は白鷺だ、純白と言うほどに白い。夜でもよく目立つ。逆に野良猫は色によっては暗い場所では目立たない。

 天敵を警戒して私は昼に訪れた。


 いつもの時刻に、駅のホームへと降り立つ。


 祭のためか、ギャラリーが普段よりも多い。

 私は彼らを引き連れ、ぴょんぴょんと階段を昇り改札口へと向かった。そんないつもとは違う行動をとっても、やはり、誰も私を妨げない。


 思惑通り、人間たちは寛容だ。

 これぞ、通い続けた成果と思った。


 そして、私は自動改札を飛び越え通路に着地。

 どっと、人間たちがどよめくが、駅員も慣れている。切符も定期券も持っていない私をとがめたりしない。

 そと通路のバルコニーから飛び降り駅前広場に立った。そこは祭会場の入り口。ギャラリーを待って、私はメイン会場である商店街へと歩み始めた。


 駅前広場から商店街の末端までは車両通行止めとなっており、大勢の人間が車道を歩いている。


 車道には七夕飾りが空を覆うほどに、そよ風に踊っている。大変きらびやかだ。


 私はそんな装飾の中へとギャラリーを引き連れて突入する。

 だが、私の周りには半径約2メートルほどの誰もいない空間が確保されている。人間たちのルールだ。これも駅に通った成果である。


 七夕飾りは柔らかい紙製の花や折り紙の短冊がひらひらとして、人間の目を喜ばせる。

 私もキョロキョロと歩くが、飾りの見物ではない。猫を警戒しているのだ。

 でも、私はギャラリー達に守られている。猫といえども、やすやすと近づけないだろう。



 私はある出店を見つけた。

 金魚すくいである。


 実は私は1回だけ金魚を食べたことがあった。

 冬は魚を捕りにくい、私は危険をおかして人家の庭先に降り、池にいた赤い金魚を食ったのだ。


 大変、美味であった。


 おそらく良い餌を食っていたのであろう。丸々と太っており、喉越のどごしも忘れられない。


 とはいっても白鷺の味覚は人間のとは違う。嗅覚が主たる感覚で、喉越しとにおいとで美味しいと感じたのだ。

 しかし、その時は猫がおり1尾しか食えなかった。


 もう、お分かりと思う。

 私が七夕祭に来た目的は金魚すくいなのだ。金魚を救わずに食おうというのだ。

 極めて野性的である。人間だった頃には思いもよらなかった。

 金魚には可愛そうではあるが、私のかてになってもらおう。



 見ると、店番は金髪のあんちゃんだ。メッチャ怖そう、なので見ただけでスルーする。白鷺は臆病だ。大声で怒鳴られたら、祭に戻って来れない気がした。


 さらに10分ほど歩くと、優しそうなお姉さんが店番をしている金魚すくいを発見! 大声の心配はなさそう。


 私は獲物を狙う野生動物に戻った。頭を低くして、そろりそろりと水槽へと一歩ずつ近づく。

 たたみ一畳ほどの木枠に青い防水シートを敷いた金魚すくい用の水槽だ。客は数人の女子小学生、危険を感じない。


 私はふわっと飛んで、その水槽の真ん中に降りた。


 小学生の女の子は声も出せない。


 店番のお姉さんは始めはたじろいだものの、ポイを私に向けて何かわめく。

 しかし続かない。

 ギャラリー達のシャッター音に囲まれたのだ。悪いイメージを残したくないのだろう。しゅんと大人しくなった。


 さっそく、私は食事にかかる。

 小さな赤い金魚たちは天敵の私を見て逃げまどっているが、狭い水槽の中だ。問題などない。

 野生の技で捕らえては喉へと流し込む。

 長い喉の中で、金魚はプルプルと踊って見せるが、スルスルと私の腹へと落ちていった。


 !!


 5、6尾ほどむさぼったところで、殺気を感じた。


 ババッ!


 猫!


 どう入り込んだのか? 飛び掛かってきた。


 バサバサッ!


 間一髪かんいっぱつ

 私は飛びたてた。


 猫も、金魚すくいの水槽も、取り巻くギャラリー達も、きらびやかな七夕飾りも、商店街を成す多くの屋根屋根も、遥か見下ろすほどに高く上がった。


 殺気を感じなかったら、私が餌になっていた。


 ホッとすると、金魚を思い出した。

 思ったほど満足感がない。

 念願の金魚を食べたというのに物足りない思いが心をよぎっている。


 そう、食べた金魚は美味しくなかったのだ。

 小さかったからか? いや、大きさではない、味だ。


 私の味覚は人間とは違う。喉越しや臭いが味覚なのだ。

 喉越しは申し分なかった。なので、臭いに満足していないということになる。


 以前の金魚とは餌が違うのか? 飼っている金魚と金魚すくいの金魚とは、餌が違っていてもおかしくない。


 だが、もっと、根本的なところから違っている気がする。


 環境? 金魚なら水か。

 そりゃ、金魚すくいの水と池の水とでは臭いは違うだろう。

 しかし、それだけではない。金魚の全身に染み付くほどの臭いだ。


 水よりも、もっと深く根本的な臭い……?


 土、土だ! 土の臭いだ!


 水道の水でさえ、川や井戸から採取されている。浄化されてもミネラルなど、土の恩恵が残っている。そんな水で育ったのなら、その土地の臭いを金魚が、まとっているはずだ。


 しかし、あの金魚たちからは、違う土の臭いがした。(奈良県?)


 私は白鷺だ。いつも近くの田んぼや川にいる魚を食べている。この土地の臭いにひたっているのだ。

 なので、違う土地で育った金魚を美味しく感じなかったという訳だ。


 ここは、武蔵野台地の端である。

 私には、武蔵野の味が一番なのだろう。


 野生生物は人間よりも土地に敏感なようだ。


 さあ、田んぼに戻ろう。私は白い翼を大きく羽ばたかせた。




 私が飛び去った後、その金魚すくいの出店は大変繁盛したという。白鷺が降りた金魚すくいとしてSNSに拡散されたのだ。

 店番のお姉さんは、ほくほくの笑顔だったそうだ。



おしまい



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シラサギ、駅に降り立つ 亜逢 愛 @aaiai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ