scene49: 罪重ね

 澪と朱里は数日を病院で過ごし、八浦町の家へ戻ってくる。それぞれ親と何かしら腹を割って話すことはあったのだが――その結果については語らずとも、である。


 八月に入っていた。その日の朝、浅海家のベルを鳴らしたのは他でもない朱里だった。セーラー服を着ていた彼女は荷物を持って澪が来るのを待っていたが、予定の時間が来る前に痺れを切らして彼女を呼んでしまう始末である。

 母が澪を呼ぶと、すぐに階段を駆け下りてきた。クリーニングされて前よりも綺麗になったセーラー服を身に纏い、慌ただしい様子で澪は朱里のもとへやってくる。


「澪、遅いよ。学校まで乗せてってくれる約束じゃん」

「遅いって、まだ時間なってないよ! びっくりした!」

「別にいいじゃん。ほら、早く行くよ」

「うん。じゃあ、いってきます!」


 気をつけて行きなさい、と母親らしい言葉を背中に受けて、澪は朱里と一緒に家を出る。あの古小屋から渚が持ち帰った自転車が、浅海家のいつもの場所に戻ってきていた。かつてのように澪が乗り、朱里がその後ろから腕を回してぴったりと身を寄せるようにして二人乗りする。

 高く伸びた雲を遠くに見ながら、夏らしく色の濃い風景の中を風のように流れていく。身も心も随分と軽くなったもので、このまま坂道を上って空を飛べてしまいそうだった。二人は他愛のないことで笑いながら八浦高校前の半螺旋の坂へたどり着くと、一緒に自転車を押すようにして歩いて上り始めた。


『二人に非があるわけではないのだけど、一応騒ぎを起こしてしまったから、校長先生宛に反省文を書いて、とのことです。勿論私の方から事情は説明しており、先生もそれを分かっているので、あくまで形式上のものです――』


 夏休み、職員室に呼び出された二人が香里奈から言い渡されたのは、今回の一件に関してのとりあえずの落とし前についてだった。他に残っていた教師たちは澪と朱里に一応目は向けるが、何があったかについては全く知らないようだった。

 いつもの教室に戻り、二人で一つの机を使うように向かい合って座る。窓の外にはサファイアブルーの海、テーブルの上にはまっさらな原稿用紙が一枚。


「……澪って、反省文書いたことある?」

「ないよ。朱里ちゃんこそ、書いたことないの?」

「いやー、ないんだよね。いつもギリギリのところ狙ってたからさ」

「えーっ」


 スマートフォンを取り出して「反省文 書き方」などと検索し、とりあえずの文面を固めていく。慣れないことに頭を捻る澪を、朱里はぼんやりとした暖かい目で見つめていた。


「でも、反省って、何のことを反省したらいいのかな」

「そりゃ……え、なんて書けばいいんだ?」

「うーん、二人で海に入ったこと……」

「あ、そっちか……」

「……"そっち"?」


 澪が聞き返すと同時に朱里が視線を逸らす。


「なに考えてたの」

「……澪と、ずっと一緒にいたいって、思っちゃったことかなって」

「ほんとになに考えてたの……って、それは流石に書けないよ」

「書けない、じゃなくて、根本的な原因はそこだったかなぁって。でも、それに関しては澪も共犯だからね」

「う、なにも言い返せない……私も、朱里ちゃんのこと、好きだったから」


 のろけ話に頬を焼き染める澪。

 朱里はその熱を確かめるように手を伸ばし、片手をそっと横に添える。


「澪の家に行ったあの日……あたしたち、キスするの我慢できなかったから、親友じゃなくなっちゃったんだよ?」

「そのこと、書く?」

「別に書いて、湊先生に出しちゃおうよ。私たちの関係コト、多分バレてると思うし」

「……『朱里ちゃんとのキスが我慢できなかったから、悪いことで、頭がいっぱいになってしまいました』」

「天才、めっちゃそそる。もっかい言って」

「やだよっ」


 消しゴムに手を伸ばそうとする澪を見て、朱里はすぐさま顔を近づけた後に唇を重ね合わせた。一瞬の隙を突かれた澪は何の抵抗もできずに朱里のペースに持って行かれてしまい、先程まで真面目にものを考えていた頭をピンク色に曇らせていく。

 くちゅ、ちゅっ、ぷちゅ……およそ高校の教室には相応しくない水音を立てながら、二人は夏休みだけできる秘密の学校遊びに耽る。シャーペンを持つ澪の手はすっかり止まっていた。


「……はあっ、はぁ、もう、いきなりやめてよ」

「やめてよかったの?」

「そういう話じゃない……」

「ねえねえ、我慢できなくなるくらいキスしたかったんだったら、そのキスがどういうものかちゃんと書く必要があると思わない? そしたら湊先生も分かってくれるはずだよ……多分、渚ちゃんともうまくいく」

「青凪先生との話はお節介だと思うけど……」


 どくり、と澪は自分の胸の鼓動を聞いてしまった。

 既に、真面目に反省文の内容を考える頭では無くなっている。運命を共にした、目の前の大切な人とふしだらな遊びをしたい気持ちが綿雲のように湧き出ては膨らんで止まらない。


「……じゃあ、キスの味、ちゃんと書こっか」

「ふふ、いいよ。"ちゃんと"書かないとね」


 澪は自分から顔を前に出して、今度は彼女から朱里の唇を奪った。ペンを置き、互いに両肩に手を掛けて引き寄せ合う。冗談めかしていた朱里も次第に余裕を失っていき、両者ともに止められない気持ちのいい時間が延々と続けられる。

 そんなことをしているとちょっとした天罰は下るもので……教室の戸に手を掛けた誰かが、中で盛り上がっている二人を見てビクリと震え上がってしまった。朱里の目が動いた先には――


「……あ、湊先生」

「えっ、本当だ」


 二人の様子を見に来たのか、そこには香里奈が立っていた。彼女はすっかりお熱になった生徒たちを前にして何を話せばいいか分からなくなってしまったようで、気恥ずかしさに顔を赤くしながらも目を離せずにずっと立ち尽くしている。

 とんとん、と朱里が澪の肩を叩いた。

 お腹の中で悪い虫が動く。澪は、香里奈が見ている前で朱里とのキスを再開した。


「んっ……朱里ちゃん……」

「澪……」


 泡を食った様子の香里奈は最初こそ両手で顔を覆って見ないようにしていたが、それでも指の間からちらちらと二人の不真面目な遊びを様子見してしまう。教師としての彼女はなりを潜めてしまっていた。


「ねー、湊先生」

「は、はいっ」

「先生は、キス、したことあるの?」


 朱里はそれを意地悪と分かって聞いていた。香里奈は思い直したように「二人とも、真面目にやりなさい」と言って場を離れる。教室に残された彼女たちはくすくす笑いながら、特製の反省文を作るための材料探しに没頭する。

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