scene47: 夢の終わり

 ……

 ……いつから見えていたかは分からないけれど、イルカが、目の前を泳いでいる。


「澪、こっち」


 すっかり爛れた二人は、それからおよそ一日をホテルの中で過ごした。残っていたお金をほぼ使い切る形で支払いを済ませた後、澪は朱里の案内で夕方の海を訪れる。

 透明なエイが空を覆い隠すように横切る中、二人を先導するように二匹のイルカが宙を舞っている。間もなく日が落ちようとしている頃だ。海水浴場からかなり離れたこの沿岸は訪れる人も殆どいない。セーラー服を着た二人は、赤く濡れる空を見つめていた。


「ねえ、澪」

「なに?」

「私のこと、最後の最後まで、信じてくれるよね」


 突然朱里がそんなことを言い出した。澪はいつものように笑って応える。


「朱里ちゃんも、私のこと、信じてくれる?」

「そりゃもう。ずっと、信じてるよ」


 波の音が包み込んでくる中、いつものローファーを履いた二人は波打ち際に立つ。その正面では黄金色の太陽が輝き、海上に一本の光の道を映し出していた。周りでは海の泡が浮いては弾け、彼女たちの視界にささやかな虹を作っている。


「……なんか、暑いね。朱里ちゃん」

「うん。暑いね」


 ぴちゃり、ぴちゃり。革靴のつま先が浅波を蹴り砕いていく。

 かたく手を握ったまま逆光を受ける二人を海神が祝福する。


「暑い……」


 水の中を伸びる白い手が少女たちの足首を掴む。海風は彼女たちのきめ細かな首筋へ吐息となって吹きかかり、迫り上がる水面が暖かくその身体を出迎えた。周りには光が舞い、空も海も金色の恵みに溶けてすべてを包み込む。

 腿が溶け、腰までとっぷりと浸かる。下半身を冷たく心地よい感触が撫でる。


「澪」


 朱里が澪の腰を指でそっと押すと、彼女は水の中を漂うように朱里の胸元へ飛び込んできた。暖かさを探り当てるように抱き合って、常世との境で愛を確かめる。すっかり呑まれた様子の澪は夢中になった目で朱里を見ていた。


「朱里ちゃん……」

「大好きだよ、澪」

「私も、朱里ちゃんのことが、大好き」


 唇を重ねる。遠くで鐘の鳴る音がした。

 金色に揺れる世界の中、薄目を開けていた朱里は澪とさらにきつく抱き合う。


 朱里は目を閉じて海と一つになると、澪を抱いたまま一緒に海の中へ身体を沈めていった。夢にまで見た、母なる海の光景。周りを色とりどりの魚が泳ぐ中、ここまでずっと一緒に来てくれた彼女と目が合った。

 ゆっくりと海を漂う中、朱里の視界で澪の脚に一瞬だけ魚の尾ヒレが重なる。遠い昔に読んでもらった「にんぎょひめ」の挿絵が重なった。


 誰も着いてこられない、澪と朱里、二人だけの世界。うっとりとした目で見つめ合っているうち、澪の表情が徐々に苦しそうなものに変わり始める。


(朱里、ちゃ……ぁっ……)


 口から泡を吐きながら、それでも朱里から離れまいと力を入れようとするが、ついに目を閉じたまま気を失ってしまった。少女の身体はされるがまま、無防備に海中を漂ってどこかへ攫われようとしている。


(澪……)

(澪は、死ぬときも、可愛く死ぬんだね)


(でも――)





 朱里は、祈るような思いで、あまりに魅力的な姿の澪を引き剥がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る