scene46: 座礁船

 バスは、鯖之山町にある電車駅近くの終点で止まった。眠っていた二人はそこで目を覚まし、決して潤沢ではない財布の中から交通費を払う。まるで見たことのないビル街の空は夕焼けで赤く色が変わり、これが世界の終わりだと言われても頷いてしまえた。しばらく、二人は近くのベンチに座ったまま、何も言わずに空を眺める。

 がっと燃え盛る空を見ていると意識が溶けていきそうで、寝起きの頭も相まって現実感が薄れていく。ただ、隣にいる人の手を握っていることだけが、かろうじて彼女たちを今の世界に繋ぎ止めている。周りの帰社時刻が重なっているせいか人通りはあるが、その誰もが二人には目もくれなかった。

 度々眠りについているとは言えど、互いにこれ以上の遠征は厳しいことが分かっている。澪は、ここまで連れてきてくれた朱里を労るようにそっと抱きしめた。


「ありがとう。朱里ちゃん」

「……ごめんね、澪。こうするしかなかった」

「ううん。朱里ちゃんが私のために考えて、助けてくれて、とても嬉しかった。私のことをちゃんと見てくれたのも朱里ちゃんだけだったから、一緒にいられるだけで嬉しくて……他に、何もいらないよ」


 懐も寂しくなっていた。燃え尽きた朱里の代わりに澪が近くの泊まれる場所を調べ、一件のホテルを映して朱里に見せる。瞳に僅かに色が戻った。


「あと一泊だけできるよ。あと一日、朱里ちゃんと一緒にいられる」

「……そうだね」


 残った力で立ち上がる二人。せめてあと一日休もうと、澪の調べた場所へ向かう。街には青色の灯りが浮いていた。水の中を進むように、ゆっくりと人混みの中を逆流して目的の場所へ辿り着く。

 そこは、鈍色になった細いコンクリートビルだった。バブル期の遺構とも呼べるその建物に、ホテル「マリンブルー」のネオン看板が輝いている。見渡せば他にビジネスホテルが何軒か見えるせいか、わざわざここを訪れるような好き者は見受けられなかった。

 夏にしては肌寒かった。二人は、それから逃れるようにホテル「マリンブルー」の中にこっそりと入る。無人の受付とタッチパネルの待つ部屋が二人を出迎えた。


「ここは、私に任せて……えっと、これを……うん、これでよし」

「部屋は選べるの?」

「うん。どれがいい?」

「これがいい!」


 澪と朱里は荷物を持って選んだ部屋に入る。水色の大きなベッドが一台鎮座するダブルルームだった。部屋の中を透明な色の魚が泳ぎ、澪と朱里の周りをくるりと一周しては泡のように消えていく。澪は目をぱちくりとさせたが、朱里はそれが見えていないように荷物を置いてベッドに倒れ込んでいた。


 遠くから、波の音が聞こえるような気がする。

 澪はすぐにベッドへ潜った。そして、大好きな人の身体に縋り付いた。


「朱里ちゃん、好き」

「……ねえ、澪」


 しんと静まり返った部屋の天井を、大きなエイが泳いでいる。壁際ではウミユリが気ままに揺れていた。その中、朱里は半ば正気を失った目で澪を見つめている。


「セーラー服、持ってきたでしょ」

「うん。着る?」

「着てよ。その姿の澪をぐちゃぐちゃにしたい」

「……わかった。ちょっと待ってて」

「あたしも着る」


 リュックサックの中に丸まっていたセーラー服を引っ張り出す。そして二人で服を脱ぎながら視線を送り合い、水色の部屋で冷えた身体を火照らせていく。声を掛け合うこともない。それよりも深いところで繋がった二人は、いつも見ることしかできなかった憧れの姿を見せつけ合った。

 久しぶりに袖を通したセーラー服。二人の帰属する集団を示すはずの服は、今やお互いを高ぶらせるための道具に過ぎない。


「澪、すっごくかわいい。頭おかしくなりそう……」

「朱里ちゃんも綺麗……」

「手、繋いでいい?」

「うん、いいよ」


 朱里がそっと手を伸ばす――前に、唇が先に重なった。後から追いつくように絡み合った指はきつく握られて離れようとしない。誰の邪魔も入らない中で憧れの人と重ねる逢瀬に、少女たちの未成熟の頭が快楽で焼けただれていく。そして、もはやそれだけでは飽き足らず、今度は相手を抱きしめながら甘い唾液を送り合った。


「朱里ちゃん、もっと」

「うん。澪の……触るね?」

「ぁ……」


 蕩けた彼女たちの周りをカラフルな熱帯魚の群れが抜けていく。

 夢に限りなく近い現実。吹けば飛ぶような幻。二人きりのひととき。

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