scene45: 幽光の道

 渚の部屋に匿われてから、二日が経った。


『鯖之山町は明後日まで晴れ、それ以降は天気が下り坂の見込みです』

『続きまして速報です』

『八浦町の女子高生が二人、行方不明になっていることが警察の発表で明らかになりました』


 民放テレビの画面に映し出される澪の写真。それを見ながら、澪と朱里はぴったりと身を寄せ合って不安を少しでも減らそうとしていた。着替えを済ませていた渚は保険医の白衣に身を包み、悔しそうに舌打ちを一つ飛ばす。

 雨雲は遠ざかり、空は時間と共に晴れやかになっていくようだった。しかし快晴とは打って変わって、澪と朱里の心の中には穏やかなでない風が吹き続けている。


「お前の親は地方議員だったか。凄い執念だ、こりゃ子供だけじゃ勝ち目無いぞ」

「嫌だ、家に帰りたくない!」

「澪……」

「……ひめちゃん、申し訳ないが、ウチは今日辺りがタイムリミットだ」


 このような事態になることはある程度想定できていた……が、それでも澪は恐怖に身体を震わせていた。朱里は彼女を横から支えながら頭を撫でている。前に、自分が渚からそうしてもらったように。その表情に宿った決意は、悪いニュース一つ程度で霞むものではない。


「分かってるよ。澪、そろそろ行こう」

「どこに行くの?」

「行きたいところに、行けるだけ」

「二人とも、しっかりしろよ。私は、お前らのことは外部の奴らには言わない」

「……ありがとうございます、青凪先生」

「助かるよ、渚ちゃん」


 二人の荷物は既にまとめられている。あとはそのまま外へ出るだけだった。渚も仕事の時間がもう間もなくまで迫っている。


「……じゃあ、私は出るよ。多分もう、帰ってきたら二人はいないんだろうね」

「はい。ご迷惑おかけました」

「ありがとう」


 バッグを肩に提げた渚は、出かける前に玄関に立ったまま二人へ見返る。寂しそうな表情と、隠しきれない不安が弱くなった目元に浮き出ていた。


「健闘を祈るよ。グッドラック」


 渚は、そう言って二人の前から姿を消した。澪と朱里はテレビを消した後、一抹の不安を打ち消すように、夢から覚めないように唇を触れ合わせる。済ませるべき事を済ませ、準備を整えてから渚の部屋を出た。




 今やお尋ね者のような扱いとなった二人は、黒いマスクをつけた上に薄手のパーカーの帽子を被ってちょっとした変装をしていた。

 自転車も、高校のシールを剥がして後から足が着かないようにしている。鯖之山町の県道に出て更に北上し、次に身体を休められる場所を探した。最早、二人が頼ることができる人は残っていない。それでも帰ることは許されなかった。


「ねえ、朱里ちゃん……私たち、どこまで行けると思う?」

「どこまででも行けるよ」

「そっか。そうだよね」


 ほんの少しの悲しみと諦め、かすかな希望を胸にペダルを踏む。

 どれも初めて見る景色だった。事前にスマートフォンで調べた道を外れないよう、二人で立ち止まって同じ画面を覗き込む。途中のコンビニでおにぎりを買って二人で食べ、自動販売機で変な飲み物を買ってはその味に二人で驚き、山奥に見えるバブル期の遺構を見つけては「なんだろうね」と首をかしげる。


 ……すると、朱里の自転車が悲鳴を上げた。


「あっ、澪、ちょっと待って」

「どうしたの?」

「そろそろ本当にヤバいかも……畜生、こいつはここまでか」


 山を登る最中、錆び付きながらも回っていた朱里の自転車のチェーンが外れてしまった。怪我は無かったが、ここまで長い距離を頑張ってくれた相棒が力尽きたことで朱里は機動力を失ってしまう。

 澪はそれを見て、自分も自転車から降りた。都合の良いことに、山道の端に誰も手をつけていないようなトタン小屋が建っている。


「朱里ちゃん。あそこに置いて、ここからは歩こう」

「……ごめん。新しい自転車、買っておけば良かった」

「いいの。さっきバス停あったから、またしばらくしたら別のがあるはず……それに乗って、行けるところまで行こ」


 太陽はてっぺんを過ぎていた。

 スマートフォンの電波はかろうじて届く。ページの切り替わり速度にイライラしながら調べてみれば、一日に二本だけここを通る路線があるらしい。


 時間はいくらでもあった。晴天の下、次のバス停まで歩いているうち、その貴重な乗車のタイミングがやってくる。眠そうにしている運転手に手を振って気付いてもらい、調べた通りの金額をポケットに入れたまま乗り込んだ。

 背を丸くした小さなおばあさんが一人、バスの前方に座っている。他に乗客の姿はない。少し色の落ちた車内広告に目を通しながら後方の席に二人で並んで座り、リュックサックを前に抱えるようにして肩をくっつける。


「海の近くの街まで行くよ。それまで、ゆっくり休んでて」


 自転車を失い、バスを使ったことで、後戻りの道は完全に絶たれていた。二人の胸の内に後悔は残っていない。それでも、二人の過ごしたかった、叶うことのなかった平和な日常がもしかしたらあったかもしれない、と後ろ髪を引かれている。それらを全てなかったこととして諦め、今こうして一緒にいられる嬉しさだけをしっかりと噛みしめた。


 荷物の下で手を握る。もう少しだけ強く、握り直す。

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