scene28: 保健室

「んー、こりゃ貧血が原因かもね。大丈夫だよ、少し横になればそのうち元気になる」

「そっか、良かった……」


 体育着姿の澪を白いベッドに乗せた横で、朱里は白衣を着た背の高い女性と話をしていた。髪が長く、煙草の似合うような女だった。澪がこうなった経緯を(二人だけの秘密は伏せて)聞いた彼女は面倒くさそうにため息をつく。


「しっかし、ひめちゃんが久しぶりに来てくれたかと思えば、私の知らないところで女を作ってたとはねぇ」

「あー、なぎさちゃん、話聞いてた?」

「ちゃーんと聞いてたよ。ひめちゃんみたいな子と一緒にいてくれるなんて運命の人じゃん。早く付き合っちまいなって」


 渚と呼ばれた保険医はの頭を手のひらで雑に撫で回す。それを彼女は嫌そうに払いのけた。

 その辺りで澪がぱっと目を覚まし、ベッドの上で軽く全身を心地良く痙攣させる。


「んんっ……!」

「澪、やっと起きた……」

「気絶してたみたいだな。にしても、お前ら二人で何やってたんだ……」

「そういうのじゃないってさっき説明したじゃん。余計に深掘りしないでよ」


 朱里が口を酸っぱくして誤魔化している間、澪は目の前の景色が一瞬で変わったことに驚いていた。そして少しだけ考えたあとに自分が気を失ったことを悟り、朱里のことを申し訳無さそうに見つめる。


「朱里ちゃんごめんね、心配かけちゃって。それと、青凪あおなぎ先生……」

「いいんだよ澪、そういう日だってある」

「二人は同じクラスだよね? アイツの――」


 ガラ、と保健室の戸が横に滑る。

 そこには、澪と朱里の担任である香里奈の姿があった。彼女はベッドの上で目を丸くしている澪を見つけると安心したように一息つく。


「浅海さん、目が覚めたんですね。良かった……船場さんもありがとうございます」

「そうだよ、珍しくひめコイツが誰かと一緒につるんでたみたいでな」

「コイツって呼ばないでよ」

「いい友達を持ったのね、浅海さん」

「あはは……」


 事を面倒くさくしないように澪は適当な笑みを浮かべる。すると一瞬のうちに澪の頭に痛みが走った。頭を手で抑えている彼女を見て渚は腕を組んだ。


「澪ちゃんは、午後の授業休もっか」

「はい……」

「お大事にね、浅海さん。船場さんは――」


 香里奈が朱里を見る。ここから先は任せて教室に戻ろう、の意味だった。朱里もそれをわかってはいたが、腹の中を毛むくじゃらの生き物が這っているような感覚に面白くなさそうな顔をした。

 やり取りを聞いていた渚が澪を向く。彼女はずっと朱里のことを気にしていた。


「んー、香里奈」

「青凪先生、どうしましたか?」

「実は、ひめちゃんも保健室に用事があってね……ほら、まだ復帰してそんなに経ってないじゃん? それに、澪ちゃんのことが心配で心配でたまらないらしい」

「ちょっと、渚ちゃん!」

「そうだ香里奈、少し二人で話したいことがあったから外に出よう。ひめちゃん、保健室の使い方はわかってるね……」

「え、ちょっと、青凪先生ぇ――」


 渚は香里奈の背中を押しながら一緒に保健室を出ていった。部屋で二人きりになった後、朱里は澪の横の丸椅子に座って顔を覗き込んだ。


「はぁ、やっと二人きりになった」

「朱里ちゃん、青凪先生と仲いいの?」

「まあね。一年の時によく世話になったんだ。あんな感じだし、他の先生と違って話しやすかったけど、なんか得意じゃないんだよね……」


 慣れた手つきで体温計を差し出した後、布団の端に手を突っ込んだ朱里は澪の両足を探り当てると、しっとりと湿り気を帯びた靴下を引っこ抜いた。二本とも丸めてベッド横の内履きの中へ丁寧に詰める。


「去年の秋辺りから保健室登校してたんだ。だからあの時、澪は私のことを覚えてないと思う……学校でも話をするのは渚ちゃんだけだったし」

「そうだったんだ」

「だから、保健室のことなら任せて。アイツの代わりに、私が面倒見てあげる」

「うん、ありがと……」


 棚の中からカイロが一枚取り出される。それを受け取った澪は暗い色の目を細くしながら微笑んだ。

 澪が一息吐いて目を閉じる。それが優しい寝息へ変わった後、朱里は表情を曇らせる。膝立ちになって顔の高さを合わせ、早く良くなるようにと両手を組んだ。この時ばかりは、神に祈る気持ちが生まれた。




 廊下に出た渚はきょとんとした様子の香里奈を連れて宿直室へ入っていった。懐から取り出した加熱式たばこを口に咥えた後、思い当たるものがあったように今度は香里奈へ差し出した。当然、断られる。


「それで、こんなところで何の話?」

「あの子についてだよ、ほら……」

「船場さんのこと?」

「ちがう」


 香里奈は目を丸くした。


「浅海さん?」

「そ。今日ぶっ倒れたって子」

「浅海さんがどうかしたの?」

「香里奈は担任だから、彼女が普段どんな子か知らないかなって」


 渚がこのような質問をする時は、何かしら彼女の中で引っかかっていることがある時だ……経験的にそれを知っていた香里奈は当たり障りのない言葉を捻り出す。もっとも澪は真面目な生徒の印象が強く、自分の中のイメージを覆されるのが気に障るだけかもしれなかったが。


「浅海さんは真面目な方で、定期試験でも他の方と比べて良い点数を取っています。大人数のグループに属している人ではなさそうですが、私の見る限り問題とは無縁かと」

「十分だよ、ありがと。だとしたら……ふん……」

「青凪先生、また変なことを考えてますね」

「失礼なことを。確かひめちゃんが彼女と仲良くなったのは最近で……んんん」


 渚は宿直室の窓辺――ブラインドで外から見えなくなっている場所へ寄りかかり、隙間から外の景色を覗き込む。


「あの浅海って子はヤバいかもな」

「それはどうして?」

「保険医、そして元不良女子高生の勘で」


 次の瞬間、香里奈はギロリと睨まれた。


「ああいう子は、"爆発"すると面倒なんだ」

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