scene27: 沼に溺れる

 マット運動の最中、澪と朱里が体育着姿で合法的に互いの身体に触れ合っていると時間は矢のように早く過ぎていく。徐々に熱を持っていく身体があらぬことをしないよう気を張りながら、他のクラスメイトや体育教師がいる中で禁断の果実の表面をこっそり舐めるように甘美へ酔いしれる。

 二人で、前転、後転、開脚前転……それらを一通り見せ合った後、朱里が倒立前転をしようと言い出した。とてもそこまで辿り着けない澪はサポート役としてマット横に立つ。


「んじゃ、うまくいったら足持ってね」

「うん。頑張ってみる」


 胸の高さに両手を上げて澪が準備していると、朱里は少しだけ勢いをつけて地面に手を付けてみせた。綺麗な半弧を描いた足はおよそ真っ直ぐに天井を向き、澪がその足首を捕まえる。

 ぺろん、と垂れた髪が澪の脛をくすぐった。抜けそうになる力を堪える。


「いいね。その調子で、よろしくっ……!」

「きついかも……」


 腕が腫れるように痺れてくると、朱里を支えている澪の姿勢が下がっていく。すると今度は朱里の身体が澪の方へ傾き、丸みを帯びたお尻がなだらかな胸元へぴたりと付く。


「え、澪? 待って――」

「ごめん、朱里ちゃん……!」


 加速度のついた足が扇の弧をなぞるように倒れ、澪の身体は朱里のそれに押しつぶされてしまった。

 朱里が慌てて上体を起こすと、下半身に潰された澪を見て冷や汗をかく。しかしすぐに満更でもなさそうな澪の表情が現れると、気の張っていた頰に愛おしさを滲ませた。




 授業時間が終わり、いち早く昼休みの時間を過ごすために皆が更衣室へ戻っていく中、澪は朱里の体育着の裾を掴んで俯いていた。


「朱里ちゃん……トイレ、行かない?」

「……うん。私も、したかったところ」


 ゆっくりと歩きながら、二人は少し遠いところにある女子トイレへ滑り込む。並ぶ個室はすべて空いていた。逸る気持ちを抑えながら、澪は朱里の手を引いて一緒に一つの個室へ姿をくらました。

 鍵がかけられる。直後、澪の両腕が朱里の首の後ろへ回り込む。ちょっとだけ背伸びしていた澪が口を開くと、荒く熱い息を吐いた朱里が歯の間から長い舌を覗かせた。


「朱里ちゃん、好き……」

「私も、澪のことが好き……」


 誰も通りかからない校舎の隅で、二人は二日間の生殺しに温まった情欲リビドーを発散し合っていた。朱里はセーラー服よりも柔らかい体育着の表面に手を乗せ、澪の重苦しい身体を優しく癒やすように撫で回してみる。


「やっぱり、我慢、できなかったね」

「澪のせいだからね」

「私も、朱里ちゃんのせいで……」


 その時、二人の他に誰もいなかった女子トイレのドアが開く音がした。どこか急いでいる様子の息遣いと足音は、澪と朱里の逢引が繰り広げられている甘酸っぱい香りの個室の二つ隣に入っていった。

 唐突にお預けを食らった澪は、朱里の顔を見つめたまま切なそうに口を開ける。音がしないようゆっくりと呼吸する中、二人は至近距離で互いの暖かい息を吹きかけ合った。


「もしもし……あー、あと5分待って。済ませたらすぐ行くから……」


 二人にとっての"邪魔者"は誰かと電話をしているようだった。5分、とあまりに残酷な言葉を聞いた澪は泣き顔に変わる。

 これだけ近いところにいて誰かに見られることもないのに、一番したいことを満足にできず見つめ合うしかない――澪は口寂しさを慰めるため、かつての親友の頬に吸い付く。じゅ、と微かな音がしたが、向こうに気づかれてはいないようだ。


 朱里は心配な様子で首を横へ微かに降る。だがそのメッセージは弾かれてしまった。目の色を無くした澪は、あとほんの少しで暴発しそうなのを堪えながら彼女の素肌にキスを贈っていく。


「ふー、なんとかなったかも……」


 カラカラとトイレットペーパーが回る。華奢な肩がいよいよ震える。口付けを終えた澪は期待を込めながら朱里の目を見つめていた。

 個室のドアが開く。身体全体の神経感度が高まっていく中もう少しだけ辛抱していると、その誰かは女子トイレから出て行った。


 二人の他に、音を立てている者はいない。それがわかった瞬間、澪は朱里を壁へ押し当てるようにして唇を重ねに行った。


「ん……」

「〜〜〜〜〜〜〜〜!」


 行き場の無い電流のような力が澪の身体を駆け巡る。脚が一瞬だけピンと伸びた後、力を失ったように膝は折れ、崩れ落ちた澪の肢体が朱里に支えられる。


 動けなくなった澪を朱里の手が優しく撫でる。だが、自分の身体を枕にしてずっと動かない様子に、朱里の穏やかな顔が崩れた。

 気絶している。そう言えば、今日は体調が悪いと言っていた……そのことを思い出すと朱里の顔がみるみるうちに強張っていく。


「……澪?」

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