scene21: 甘いひと休み

 普段は夜遅くに父親が発泡酒片手に後出しの感想戦を繰り広げるリビングだが、この今は華やかな香りが漂っている。荷物を置いた朱里はソファに腰を下ろして背もたれに寄りかかると目を閉じたまま息を吐いた。いつもの部屋の様子を知る澪は、そこに座っている朱里から少し引いたところで立ったまま、この後の声かけを迷っていた。

 しばらく固まったままの澪に気が付いた朱里は隣へ来るようにソファをぽんと叩く。誘われるままに隣で落ち着くと、朱里の腕が伸びて澪の肩を抱き込む。


「澪の家に来たらホッとしてさ……ちょっと休むね」


 ソファの端に足を乗せて朱里が横になる。それにしたがって倒された澪は彼女を両脚で挟む姿勢を強いられ、もう反対側のソファの端を枕にしながら朱里の頭を胸元に受け止めるしかない。

 そして朱里はうんともすんとも言わなくなってしまう。枕代わりにさせられた澪は、身体の下半分を彼女に独占されたまま熱くなった顔をぱたぱたと仰いだ。


「朱里ちゃん」


 呼びかけるも反応はない。

 ひたすらに自由を謳歌していた朱里は今になって初めて無防備な姿を晒していたが、一方的に下に敷かれた澪は反撃の一つもかなわなかった。ほんのり温まった朱里の身体を抱き返してみると、自分よりふっくらとした体つきがより強く感じられて緊張してしまう。

 期待と不安が入り交じり、澪の心がジリジリ焼けただれていく。朱里の頭に手のひらを乗せ、少し乱れた前髪を直してみる。


「まだ夕方だよ、ご飯だってあるのに……」

「んん……」


 時計の針が進む。朱里の身体が触れているところから“安心”が染み込んでいく。窓から差し込む光に色が付き始めている中、澪の身体は一日の疲れを思い出したように重くなっていた。

 眠くなるのは早い。意識だけ抜き取られたように、ソファの縁へ頭が落ちる。



 そして――中学生の頃の夢を見た。


 懐かしい校舎、懐かしい教室。澪は既に帰りの支度を済ませ、自分の席について先生が来るのを待っている。周りにはしばらく会っていない者もいれば高校で初めて見知った者もいるが、その中でも目を引かれたのは“教卓”に座っていた朱里だった。

 中学生の頃から同じ校舎にはいたはずだが、澪には当時の彼女の記憶が殆ど無い。そこにいたのも高校のセーラー服を着ている朱里だ。夢の中でも暇そうにしている。


『はい、皆さん帰りの準備をしてくださいね……浅海さんは反省文の提出もお願いします』


 澪は確かに、自分はそれを書いて提出しなければならなかったことを“思い出した”。そのまま机の中にあった紙を持って、教室中のクラスメイトが見ている中で香里奈のもとへ提出に向かう。教卓の前に立つと、座っていた朱里が隣に立ってわざとらしく身を寄せてきた。


『女子更衣室の不適切使用について……浅海さん、本当に反省してるんですか?』

『知ってるよ。澪、またやっちゃうんでしょ?』


 冷めた視線を向けてくる香里奈。真面目に取り合う気のない朱里。

 澪は、自分の小さな背中にクラス中の視線が刺さっている気がしてならなかった。どう言えばこの状況を切り抜けられるか、どうしたら普段通りの生活が戻ってくるか……頭の中がいっぱいいっぱいになった瞬間、夢の輪郭が崩れた。



 ソファで横になっていたせいか背中が硬い。

 現実に戻ってきた澪は目元を擦り、朱里が潰れているはずの胸元を確認する。相変わらず朱里が乗っていたが、今の彼女は目を開けて澪をじっと見つめていた。


「ん、朱里ちゃん、起きたんだ」

「かわいい……」

「え?」

「あ、特に深い意味は無いよ、ごめんね。今日は疲れてて……澪の匂い嗅いだら落ちちゃってさ」


 朱里はもう一度だけ澪の胸元に顔を突っ伏して息を吸い込むと、今度は満足した様子で顔を上げて膝立ちになる。皺の寄った青いTシャツの裾を直してからまだ眠気の残っている澪から離れ、立ち上がってから身体を上へ伸ばした。


「買い物行こうよ。もうすぐ日が沈んじゃう」

「ん、わかった……」


 遅れて起き上がった澪は財布とスマートフォンを白いトートバッグへ放り込むと、既に玄関で靴をはき始めていた朱里へ急いで追いついた。かかとを滑り込ませた澪は彼女から家の鍵を渡される。

 何の気なしに受け取っていた澪だったが、すぐにそれが自分の忘れ物だと気が付いて変な笑いを漏らした。向かいでは、朱里も普段と違った様子で照れている。

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