scene11: 似たもの同士

 眠ってしまいそうな雰囲気の喫茶店で待つこと十分、二人の注文したメニューが運ばれてくる。

 澪の元には口を大きく開けてやっと食べられる程に分厚いサンドイッチがやってきた。温かく分厚い白身魚フライを餅のように柔らかい食パンが挟み、隙間からは粗みじん切りのタマネギと卵の混ざったタルタルソースが溢れ出ている。一方で、朱里の元にはトマトベースのソースが絡まったパスタがやってきた。細切りにされたサーモンと丸く大きなエビが添えられ、中央には飾りねぎが散らされていた。


 既に何度か口を付けていたアイスカフェオレを横に、澪は空腹に任せるようにサンドイッチへかぶりつく。カラッと揚がった歯触りの良さと淡泊な白身に詰まった旨味、そこへ乗った食感豊かなタルタルソースが頬を満足感でとろけさせた。


「ん、美味しい……」


 ひとときの幸せで僅かに表情を緩ませる澪。その向かいでは、朱里がパスタを口へ運びながら窓の外に気を取られていた。澪は、先程の声かけが不発に終わったこともあってじっと口を結び続ける。

 整った横顔を見ていると澪は少しずつ腹が立ってくるようだった。複雑な心境に小さく唸っていると、当の本人が突然視線を横に向けて目を合わせてくる。


「もしかして、妬いてる?」

「そんなことないし」

「それ、嘘じゃん。さっきからずっと寂しそうな顔してる」


 澪の肩身が狭くなった。周りの音や会話が聞こえなくなった中、朱里の瞳が萎縮した姿をじっと捉えている。


「昨日のお返しだよ。澪、夕日ばかりだったじゃん」

「……ごめんなさい」

「別に謝らなくてもいいって。はい、この話は終わり。そうだね――」


 急に下を向いた朱里は、トマトソースのからんだエビにフォークを刺すとそのまま回してパスタを巻き付けて一口分を作り、居づらそうにしていた澪にそのまま差し出した。ケチャップに近い香りが仄かに漂っている。

 目を丸くした澪は朱里とパスタを交互に見た後、瞼を閉じてゆっくり身を乗り出しながら口を開いた。ぷるぷるした唇に温かいフォークが当たり、パスタを残してするりと引き抜かれる。トマトクリームの甘しょっぱい味が口内に広がった。


「はい、間接キス」

「あ……」

「え、今気付いたの? 流石に鈍感じゃない?」


 朱里から伸びる黒い手が間もなく絡め取ろうとしていた。誘い込まれ、逃げ道を塞がれた後に追撃を食らった澪は慌ててアイスカフェオレで口の中を冷やす。その様子を見ていた朱里はほくそ笑みながら、澪の手元にあるサンドイッチの皿を指さした。


「私にも一口ちょうだい」

「うん……」

「いや、そっちじゃなくてこっち。澪が食べてた方」

「ええっ」

「別にいいじゃん、気にすることじゃないでしょ」


 店内の雰囲気は変わり、そっと寄り添うような優しいピアノの旋律が流れていた。澪が、先程まで自分が食べていたサンドイッチを差し出すと、朱里は目を閉じたまま静かに口を大きく開いて一口分を噛む。

 そのまま手まで食べられてしまいそうだった。そんな官能的な所作を前に澪の呼吸が速くなる。彼女はよく噛んで飲み込んだ後、目を合わせて照れ笑いになる。


「なに、澪ってそういうの気にしたりするの」

「……いきなり変なこと聞かないでよ」

「じゃあさ、私のことどう思う?」

「どう思うって」


 澪の目が泳ぐ。


「……親友?」

「え、もう親友でいいの? やったー」


 素直に喜びながら朱里は細切りのサーモンをフォークに巻いて口の中へ滑らせる。

 間もなく午後三時に差し掛かる時刻だった。光る白波の景色を遠くに見ながら、澪は歯跡のついたサンドイッチに口を付ける。


「また勉強したら、今度は上の展望室に行こうよ。澪も夕焼け見たいでしょ?」

「うん、見たい」

「早く行って、いい席取っておかないとね」




 遅めの昼食が終わった後、澪の試験勉強に区切りが付いたところで二人はウミノ珈琲を出た。そのまま道の駅二階にある展望室に入り、何列かあるベンチのうち一番前の二席を押さえる。近くの自動販売機でアップルジュースのペットボトルを買い、椅子に腰掛けたまま日が傾いていくのを待つ。

 空の端は琥珀色に染まり始めていた。日の入りまではまだ時間が残されている中、二人並んでゆったりとしたひとときを過ごす。


「もうそろそろ他の人たちも来るかも」

「澪、今日は連れ回してごめんね」

「え? 大丈夫だよ。どうしたの?」


 肘置きの上にあった澪の白い腕に朱里が触れる。すべすべと滑らかな感触を楽しみながら、くすぐったそうに口元に力を入れる澪へ寄りかかった。シャツ越しの熱で、肩の温かさがもう一人分だけ増える。


「さっき、私のこと親友って言ってくれたじゃん」

「うん……」

「だったら、一つやってみたいことがあるの」

「いいけど、何するの?」


 朱里は一瞬の間に周りを見て誰も居ないことを確認すると、澪にもう少しだけ近づくように手招きする。そのまま、朱里は自分の右手と澪の左手を絡ませ、指の間に差し込むようにしてしっかりと握ってきた。


 はっ、と眉の上がった直後――

 朱里の唇が、頬の上に優しく乗せられた。


 呆然と、数秒の間何も考えられなくなった澪は、しばらくしてからようやく朱里のしたことを理解して顔を熱くする。手の甲がひりひりして落ち着けない。


「朱里、ちゃんっ」

「ありがとね。私の、親友になってくれて」

「……うん」

「私、こんなんだから、昔から一人でいることが多かったんだよね」


 灼けた西日が窓から忍び寄る。澪は、朱里の手を握り返す。


「一年の時もずっとクラスに馴染めなくて、母さんはあんなで……もしかしたらあの日、澪が居なかったら死んでたかもしれなかった。相変わらず毎日しんどいけど、澪と仲良くなってから、もう少し頑張ろうって思ったの」

「私だって、クラスで一人でいること多いし、お父さんやお母さんも……」

「澪も私も、似たもの同士じゃん。私が助けてもらったように、今度は澪のことを助けてあげたいんだ……もちろん"親友"としてね」


 一階から子供の活気ある声が聞こえ始める。それでも、二人はお互いをじっと見つめ続けていた。日が傾いていく中、少ない言葉で、手を握るだけで――

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