scene8: 蒼天
土曜日の午前九時、普段より少しだけ遅い朝ご飯を終えた澪は鏡の前に立っていた。顔と腕、首元と脚に日焼け止めのクリームをのばし、黒いショートカットの端を耳に掛けて丸みのある髪型に整える。ライトブルーのシャツと青いスカートで涼しげな装いになった澪は鏡の前で回った後、ちらとカーテン越しに船場家を想った。
同じクラスにありふれる女子高生ならば海沿いを走るバスに乗って八浦を離れた中心街へ出かけるのだが、彼女はそうではない。肩に提げた布バッグには高校で使っていたテキストとプリントが詰まっている。左右反対に映る姿を見つめながら、澪は久しぶりに自分の可愛げを探そうと何個か微笑みを作る。
快晴続きの八浦町は今日も日照りが強い。鍔の広い麦わら帽子を被り、頬の横を吹き抜ける風を感じながらペダルを漕ぐ。庭植えの向日葵と鉄砲百合に見守られながら緑陰の道を
額に汗が滲む頃、「八浦町立図書館」の字が輝く自立看板が見えた。息を切らしながら日当たりの強い四車線道路を過ぎ、逃げ込むように図書館脇の自転車小屋の屋根下に入る。既に三台の自転車が残され、周りの暑気に温まっていた。
涼しさを求めて館内に駆け込むと、受付横の丸椅子に、およそ田舎町にそぐわない煌びやかさを纏った色女が座っていた。大人びた身体を好き放題に使ったトマトレッドのロングシャツと、長い脚に嫉妬させるようなベージュのチノパン、琥珀色のチャームが下がった乳白色のショルダーバッグ……艶やかな黒の長髪を隠す小麦色のペーパーハットからは相手を煙たがるような目が覗いていた。
澪は声の掛け方を忘れてしまっていた。自分の子供っぽさを思い知らされたようで格好が付かず視線を落とすと彼女の白いヒールサンダルが目に入る。足の爪まで綺麗な白だから余計に肩身が狭くなる。
「なにジロジロ見てるの」
「あっ、ごめん、朱里ちゃん……」
スツールから立ち上がった彼女が並ぶと二人の身長差が実感をもって突きつけられた。高いかかとで背伸びしていた朱里は麦わら帽子の下から覗き込むようにして澪の表情を窺い、そのまま視線を動かしながら小さな身体を舐めるように見始める。
澪は更に縮こまってしまった。両手で帽子の鍔を下げて顔を隠しても、朱里は逆に面白がる様子で彼女のコーディネイトをまじまじと観察していた。
「かわいいじゃん。自信持ちなって」
「そんなに見ないでよ」
「好きなんだけどなぁ」
びくり、と澪の身体が震える。
「へっ……?」
「これ。私の好きな色のシャツ。スカートもいい感じだし」
シャツの裾をつまんで引っ張りながら朱里が呟く。それを聞いた澪は悄然と肩を落としたまま、首を横に振って学習室の方へ向かっていった。
図書館には、早い時間から涼と勉強場所を求めてやって来た地元の中学生らの姿が点在している。青色と赤色の鮮烈な組み合わせが横を通り過ぎる度に彼らからほんの少し集中を奪っていく。
奥にある個室の一つに入ると、朱里はバッグと帽子を隅に置いて背伸びした。席に着いた二人は向かい合うが、やられっぱなしの澪は目を合わせられず、不貞腐れながらテキストや筆記用具を机に置き始める。朱里も合わせるように、先日届けてもらったプリントとその教科に対応した参考書を引っ張り出した。
そう言えば教えることになっていたのだった、と澪は恐る恐る質問を投げかける。
「……朱里ちゃん。今年の内容、どこまで勉強した?」
「全然やってない。何回か教科書読んだくらいかな」
「じゃあ、この間の一回目の定期試験は?」
「保健室で受けた。赤点はギリギリ回避」
聞き流していたことにした、あの日香里奈が口を滑らせた内容が澪の脳裏をよぎる。朱里はほとんど削れていない消しゴムを手で転がしながらご機嫌な様子だ。
「じゃあ、一年の時は」
「ん、一回も落ちてないよ。点数は……うん、まぁそこそこ」
「勉強は」
「してなかったなぁ、全っ然」
「うわあ……」
どうしようもない惨状を前に澪は渋い顔になった。
前途多難、である。
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