第2話時は告げる
真っ赤な炎が灯された神殿の前に僕はいる。グレナディーン王国の隠れ里にある特別な神殿――ガラテア神殿の奥深くには、スターヴィーナスの血縁のみが入ることを許される一室がある。
その一室にはスターヴィーナスの星印が刻まれた石棺があり、大昔にここに埋葬されたハーフリートの者なのだろうと想像がつく。棺の中は一体の遺骨。豪華な副葬品とともに眠っている。そして、この遺骨にはある魔術がかかっている。
星に異変が起こると、今まで見えなかった最大の副葬品――星の神器・光槍ザイングレイヴが姿を表す。
僕はその部屋で棺を開けてみた。遺骨と豪華な副葬品の他には「まだ」なにもない。だが部屋の明かりが少し揺らぐと、魔術が解けるかのように一瞬遺骨が暁の光を放つ。明かりが戻ると、遺骨は何も無かったかのように静かに眠っている。
「……まだ、か」
僕はガラテア神殿の中で一つ息を吐く。ザイングレイヴが顕現してしまえば、それは本当に戦争が始まるということだ。
かつて星の守り人スタード・ハーフリートはザイングレイヴを振るい、星に仇なす者たちを封印していった。
ザイングレイヴから放たれる光は眩しく神々しく、人はその光を「暁の星」と呼んだ。
夜明けの空に輝く金星(ヴィーナス)がハーフリート家やグレナディーン王家の紋章となっている。ゆえに、ハーフリートは夜明けの一族と呼ばれる。
このガラテア神殿にもいたる所に金星の意匠があしらわれている。現在において神殿を直接守っている隠れ里の民たちは夜明けとともにこの神殿に祈りを捧げている。
僕は神殿の入口に戻ると、一度振り向き直り胸に手を当て祈りを捧げた。誓いのようなものだった。静寂の中、一陣の風が吹き僕の服を巻き上げる。森に囲まれた神殿で、僕は何かと対話するように、胸に手を当てたまま祈りを続けた。
「ゼトリオ様、お疲れのご様子ですが……」
神殿の出口で待機していたグレイナーが、僕のやつれた顔を見て心配したのだろうか供回りのものに何か言っている。
「大丈夫。少し、変な気がするだけだよ。それより早く行こう。今日はセントルシアの使者が陛下に謁見する予定だ」
「はっ」
セントルシア王国は、かつて大戦争で滅びたサマルカンド帝国の第二王子であり、星の守り人に選ばれた「フレリック・ヘルギ・サマルカンド」が興した王国である。
フレリックはスタージュピターと呼ばれ、その手には「始まりの聖剣デュランダル」が握られていたらしい。もちろん始まりの聖剣というのは、ザイングレイヴと同じ星の神器である。一般的に知られているのはフレリックが親友のスタードとサードを伴い、戦争を止めるために兵を挙げたというものだ。なので我々の時代では、フレリックは星の守り人のリーダーであり、星の英雄という称号で呼ばれている。
さて、今のセントルシア王国というのは、フレリックの直系の子孫が治めていてセントルシアの別称である学問の都の名に相応しい立派な王族であると聞く。
僕はかつてセントルシアの士官学校に留学していた。そこで知り合ったのが、セントルシア王国王位継承者「ヴォルフガング・アーデル・サマルカンド」である。
彼は星の子の一人で、神話に伝わるフレリックの生き写しとさえ言われている人物だ。 僕と彼はすぐに意気投合した。
「ヴォルフは……たとえ星の意思でも戦いなどするだろうか」
「ヴォルフガング殿下は己の使命宿命を理解しておいででしょう。それはゼトリオ様あなたも同じではありませんか?」
「星の英雄の子孫と言われ、しかしセントルシアの軍はフレリックの率いたサマルカンドの解放軍とは力が違う。だから精強な軍を持つ我が国と同盟を結んでいるんだ。僕はヴォルフが、起こるやもしれない戦争の旗頭に担ぎ出されるのではないかと不安なんだ」
ヴォルフは頭は良いが、体を動かすのが苦手な部類の人間だ。セントルシアの剣術師範が曰く、考えていることと実際の動きが合っていないんだそう。だから、剣の腕も普通以下だし、馬術も並以下だ。しかし僕は、ヴォルフが諦めの悪い人間だということも知っている。だから、僕宛の手紙にセントルシアも同じ考えと書いたのだろう。
今日のセントルシアからの使者は、ヴォルフの右腕といえる士官で、セントルシアが誇るソードナイツの騎士団員だそうだ。
隠れ里から出てきて街道にある宿屋に繋いでいた馬に跨り、王宮へ急いだ。街道にはやはり大きい商人キャラバン隊の姿は見えない。馬を走らせていて、王都とハーフリート領ユーゴ地方どちらかへ向かうための分かれ道に至ったとき、分かれ道に馬車が横転して停まっていた。
「グレイナー、事故だ」
「見たところ、普通の事故馬車のようですが……」
「何でもいい助けよう」
そんな時間はないとばかりにグレイナーは僕を見やったが、僕はそれでも下馬して横転した馬車に駆け寄った。馬車に繋がれていただろう馬は木に激突して怪我をしている。あれはもう駄目だろう。人間のほうはどうなのか、僕は歪んだ馬車の扉をこじ開けた。
中には少女らしき人物が一人、気を失って蹲っている。服装から商人階級に見える。
僕はどうにか馬車内に侵入して少女を助け出した。少女にまだ息がある。
抱き上げた少女を道脇の安全なところに下して手当をする。少女がうぅっと唸って意識を取り戻す。
「わ……私は……ここは、どこ……ですか」
「ここはグレナディーンとハーフリート、ユーゴ地方を繋ぐ街道だ。動かない方がいい、脇腹を少し怪我しているみたいだ」
「あなたは……?」
「僕はただの通りすがりのグレナディーン人だよ」
手当てが終わり、少女は近くにあった木に身を預け肩で息をしながら事の顛末を僕に話した。
「追われていました。……グレナディーン領に入る直前に馬を追手の魔術にやられて……それからの記憶がありません……」
「この街道は国境からここまであまり蛇行していないんだ。馬が何とかここでストップしたんだろう。しかし、追われていたって、いったい何があったんだい?」
「すみません。それは言えません」
「ゼトリオ様、もうすぐ陛下との約束の時間です。早く王都に向かわねば日が落ちてしまいますぞ」
しびれを切らしたグレイナーが僕と少女の間に割って入る。少女は僕の名前を聞いて少し動揺しているようだ。
「ゼト……リオ様。もしかして、ゼトリオ・ハーフリート様ですか?」
少女は真剣なまなざしで僕を見る。
「そう、だけど。君は国外の人間だね? なぜ僕の名前を?」
「ハーフリート様は有名なお方ですから……」
なぜか少女は不自然に話を逸らす。しばらくすると、ハーフリート城方面の街道から馬車がやってきた。グレイナーが部下を走らせて父に知らせたのだ。
「まあとにかく、この馬車に乗ってください。ハーフリート城に医者がいるのでちゃんとした処置をしてくれますよ」
少女は腰を上げようとするが脇腹の怪我が思いのほか悪いらしく、上手く立てないでいる。僕は腰を落として少女を抱き上げた。こんなところでグレイナーに鍛えられた体を使うとは、思いもよらなかった。
少女は顔を赤くして申し訳なさそうに謝る。
「気にしないで。これもハーフリート公子の務めなので」
少女を馬車に乗せハーフリートに引き返していくのを見送った。グレイナーが機嫌を悪くして悪態をつく。
「あのような怪しげな娘を城に通して良いのやら悪いのやら」
「グレイナー、僕は何も悪いことはしていない。さあ、陛下のもとへ急ごう」
あの少女の正体をこの時の僕は知る由もなく、セントルシアの使者と国王陛下が待つ王都へ急いだ。
グレナディーン王都のメインストリートをまっすぐと行くと周りを堀に囲まれた城郭がある。過去、籠城戦に使われたらしいその古風な城は、東オーレンシア最強の城郭と呼ばれている。この堀と呼ばれる備えはオーレンシア大陸でもこのグレナディーンでしか見られないもので、どうやら築城主が海を渡った東の国から移住してきた者だそうで、この城塞の造りはグレナディーンにだけ脈々と受け継がれている。
城門をくぐると中は普通にオーレンシアによく見られる城郭でとても堅牢に見える。
この難攻不落の城がグレナディーン王国の王宮である。戦うためだけの城塞に、申し訳なさげに調度品が置かれている。
王の間に到着すると、すでにセントルシアの使者が国王陛下に謁見していた。
「おお、ゼトリオ。丁度よい時に来た。コンドラート殿、この者がハーフリート公子ゼトリオだ」
ルーカス陛下のいきなりの紹介に僕は形式通りの挨拶をする。コンドラートと呼ばれたこの人物がセントルシア王国の使者であり、ソードナイツの団員、そして僕の親友ヴォルフガングの右腕だ。
「ゼトリオ公子、お初にお目にかかります。私はコンドラート・リーシンと言います。わが主フセスラフ国王陛下、ヴォルフガング王子殿下の名代で参りました」
セントルシアの国王はフセスラフ・イヴァン・サマルカンド様といい、オーレンシアきっての賢王と称されている。
「初めまして。ゼトリオ・ハーフリートです。セントルシアからの長旅でお疲れと存じますが、このまま話を続けてもよろしいでしょうか?」
「はい。大丈夫でございます」
「ふむ、ゼトリオ、今朝のことだがエディンブルクへやった密偵が帰還した。かの国はやはり、商人から馬や武器を買いあさり、西部オーレンシアの諸侯や傭兵をエディンブルク王都に集めているそうだ。まず間違いなく、何かが起きるだろう」
ルーカス陛下は密偵が持ち帰った情報を軽く僕に説明した。大方、僕が思っていた通りであるが、横にいたコンドラートが付け足すように言う。
「我が国と国境を接する、ローゼンベルク地方のウインザー王国がエディンブルクに下ったとの情報が入っております」
「ウインザー王国……あの国は確か、反戦を謳って絶対に戦争に与しないのでは……」
「はい。ですから奇妙なのです。ウインザーが星の盟約を破るとも思えません。エディンブルク元老院が絡んでいなければ、ウインザーからアクションを起こすことは絶対にありません」
ウインザー王国には奴隷解放戦争で戦死したり戦いに巻き込まれた者たちを祀った墓がある。墓の正式な名称は無いが現代のオーレンシアの人間は恐れずに戦った先人に敬意を表して戦士の墓と呼んでいる。
そんな墓があるウインザー王国なので自然と反戦の主義が芽生えるのもおかしくない。しかし今回はウインザーからエディンブルクに下ったという。なんとも気味が悪い。
陛下、コンドラート殿、そして僕が重苦しい空気を醸し出しながら黙り込んでいると、王の間の扉がいきなり開かれた。扉の向こうにいたのは。
「陛下! セントルシアからの使者がくると何故私に教えて下さらなかったのですか!!」
「サディアス殿下?!」
「ああ、ゼトリオ、君もいたのか。と言うことはよほど事態は重そうだな」
「サディアス、騒がしいぞ。もっと静かに入ってこぬか」
「申し訳ございません。しかし、このような重大なことなぜ私には黙っていたのですか」
「お前は、日が昇らぬ間にヴェルミオンコールと王宮騎士団の軍団演習の視察に向かったではないか。使者の一報が入ったのはその後だ」
この方こそ、グレナディーン王国の王位継承者であるサディアス・アダムズ・グレナディーン王子殿下だ。
殿下は今朝、わがヴェルミオンコールと王宮騎士団の軍団演習の視察に出ていた。演習は正午過ぎに終わる予定なので、殿下は使者の話を聞いてすぐに戻ってらしたのだろう。
「殿下、お察しの通りですが、確かに情勢は悪いです」
僕の隣に立っていたコンドラート殿を殿下に紹介する。殿下は丁寧に頭を下げて返礼する。
「ゼトリオ、お前のところの騎士団は相変わらず統率が取れているな。見習うべきところが多い。一連の他国のきな臭い動きに少しでもけん制できていると良いのだが」
「ありがたきお言葉にございます。しかし騎士団の強さだけではけん制には足りえません。偏に陛下や殿下の手腕にかかっております。わたくしどももそれをお助けする所存でございます」
「心強いな。してコンドラート殿、セントルシア王はなんと言っているのですか」
「我が主は戦争に反対の立場ですが、民に害が及べば戦もやむ無し、と」
「ふむ。よし。ゼトリオ、サディアス、今からすぐに諸侯と連絡をとり、出兵の可否を問うのだ。エディンブルクがウインザーやカレドニアを手中に収めたのだとすれば、次の可能性は東オーレンシアの征服に違いない」
今まで目をつぶり考え事をしていたかのようなルーカス陛下が、カッと目を見開くと僕と殿下にそんなような命令を下した。
グレナディーン王国を守護する諸侯は国の各地に領地を狭いながらも所持している。ハーフリート公爵家は王族の親戚どころか初代王の生家なので、他の諸侯とはかなり違った立場の家である。グレナディーン諸侯の殆どは王宮騎士団や我がヴェルミオンコールに所属している。王が諸侯の領地と仕事を安堵する代わりに諸侯は、王国を守護するという関係性が長らく続いている。
ひとたび戦が起これば、諸侯は国の招集に乗じて集結し、騎士団を筆頭とした軍隊で戦いに臨む。
グレナディーン王国でハーフリートを除く、一番広い領地をもらっているロバートソン侯爵家は王宮騎士団の騎士団長を何人も排出している家柄であり、ロバートソン家に次ぐ領地をもっているジェファード男爵家は現在の当主が王国の内務大臣であり、その息子はヴェルミオンコールの、グレイナー・グランリートの右腕として働いている。
ちなみにだが、僕の守り役であるグレイナーは四代前にロバートソン家から出た男子が興した分家にあたる。分家を興すにあたり本家とひと悶着あったようで、ロバートソンという姓をもらえず当代のハーフリート家当主が口利きをし、グランリートという姓を与えた歴史がある。だから、グランリート家はハーフリートに忠誠を誓っているのだ。
「やはり父上はお前に期待をしているのだなあ……」
殿下の部屋に呼ばれたので僕は久しぶりに部屋にお邪魔する運びとなった。殿下の部屋は歴史書や政治関係の書物であふれている。文机には「騎士王軍記」という本が置かれていた。
殿下はやや肩を落として溜息を吐いた。
「殿下……そのようなことは」
「俺とお前の時だけは堅苦しい口調はよせと言っているだろう」
「では、兄上。兄上は自分が国をまとめ上げる素質がないと思っているのですか?」
「俺は生まれてからこれまで色々なことを叩き込まれた。しかし、父上が見ているのはいつもお前だ」
殿下は僕の目を、星印が刻まれた右目を見ながら、自嘲するように笑った。
「国を統べるのに星印など本来は必要ないはず。兄上は民の信頼厚く、僕よりも政治や外交に強い。僕は戦いでしか己の証明はできません。星の守りなど必要ない世界がいつか来たなら、そこに立つのは兄上でしょう」
大戦を収めた星の守り人が再び戦乱を呼ぶのなら、星同士が戦うのなら、星の守護などないほうが良い。それに星のせいで継承問題が起きるのだ、優秀な王子である兄上が継承できないならそんな慣習など無くしてしまった方がいい。
「兄上、僕は兄上の下で兄上のお助けをしたいのです」
諸侯の間では、サディアス殿下派か、僕ゼトリオ公子派かで分かれているらしく、何方につくかかで出世だの何だのと騒いでいる。継承問題などあってはならない。民を不安に陥れ、内部分裂を引き起こしてしまう。
だから僕はハーフリート公爵、父上の跡を継いで国を陰ひなたに助けたいのだ。
「実は、カレドニアの王女を妃にどうかと誘いがあったのだ。この様なことになってはそんな話など吹き飛んでしまうが」
「カレドニア王女ですか。コーデリアがカレドニアの第一王女と友人だと聞きましたが、世界がきな臭くならなければ今頃は話が進んでいたでしょうね」
「お前もそろそろ、そんな話が来ても良いだろうな。俺が紹介してもいいのだが、世間的にはそうもいかないだろうな」
「僕はまだそんな話など遠い先の話です。今は民のことしか考えられません」
殿下は小さく「そういうところだ……」と呟いたが、僕は気づかなかった。
殿下の部屋で殿下の話を聞き終わり、退出すると時間はもう昼を過ぎて時計は3の刻を告げていた。
グレイナー他、お供の者が僕の体を案ずる。
「ゼトリオ様、食事は大丈夫ですか?」
「城に帰ってから戴くことにするよ。それに、先ほどの事故馬車の少女が気になる。早く帰ろう」
ハーフリート城に送った事故馬車の少女。パッと見ると小綺麗で、そもそも馬車に乗せられていたのだからさぞ高名の家の人間なのだろう。僕は商人の娘と見たが、グレイナーは違っていた。
「あの佇まいはどう見ても貴族のそれですぞ」
「貴族? では国外の貴族がなぜ我が国の街道を走っていたのだろう」
「まさかとは思いますが、密偵では?」
「大胆不敵な密偵だなあ。追われていたと言うし、確かに馬車に魔術の残滓があった」
「ゼトリオ様、油断なきようお願いいたします」
「うん」
ハーフリート城につく頃には時間は夕刻となっていた。夕食の支度をする使用人たちの横をすり抜け、僕は父上に今日の報告をし、少女が通された部屋に向かう。
ノックをすると透き通った声色で返答が来た。ドアを開けると、ベッドに横たわる少女と少女の手当てをしていた使用人と医者が同時に僕の顔を見る。
「元気そうで何より」
「なんとお礼を申し上げてよろしいのやら。公子殿下に無礼を働き誠に申し訳ございません」
「ハーフリート城ではゼトリオでいいよ。まあそれで本題なんだけれど、どうして追われていたのか。どうして我が国に来たのか。答えられる範囲でいい答えてくれないかな」
「わたくしは西オーレンシアの弱小領主の娘です。この度、父から家を出て東に逃げろと言われたので身一つで出てまいりました。しかし追手に見つかり、馬車馬に魔術をかけられて……」
「あの街道で事故を起こして今に至ると」
「はい」
少女は悔し気にシーツを握る。
「ところで君の名前はなんと言うんだい?」
少女は少し迷ったように視線を泳がせるが、キッと僕を見つめて発言する。
「フィニア……。フィニア・クレールと申します」
フィニアと名乗った少女は、長い金髪をはらりと揺らして西オーレンシアの貴族式の挨拶をした。
「改めて、僕の名前はゼトリオ・ハーフリート。ハーフリート公爵の息子です」
僕は東部の方式で返礼する。
「もし誰かに狙われているのなら、ハーフリート城にいると良いよ。父上には僕から言っておこう」
もし、密偵だったのならなおさら王都には行かせられない。正体がはっきりしない今ここに留めおくしかない。
しばらくフィニアと話して、外が暗くなった頃使用人がフィニアの食事を持ってきたので僕は退出して、執事のヨセフが呼びに来るまで自室にいることにした。文机の前に座り一枚の紙を取り出してペンを執る。セントルシアのヴォルフに手紙を送るのだ。きっとあちらも大変だろう。本音を話せる相手が僕しかいないのだから愚痴の聞き手になってやるのだ。
しかし、こういう情勢になってはやたらめったら変なことは書けない。いくら同盟国と言えど、検閲は入るから公私どちらの立場でも差し障りのない文面になってしまう。だから愚痴くらいしか書けない。
三日前ヴォルフから手紙が来た。どうやら御父上ことフセスラフ陛下に剣の手ほどきを受けたそうだ。フセスラフ様は大陸一の剣の使い手として有名だ。さすが聖剣の担い手である。行く末はその聖剣をヴォルフが受け継ぐのだから、フセスラフ様も気が入るだろう。昔、幼少のころ、コーデリアとヴォルフと一緒にユーゴ連合にあるコロシアムを見学した。見るからに強そうな剣闘士たちが剣を打ち合うその光景に、僕とコーデリアは興奮して見ていたが、ヴォルフは退屈そうに嫌そうにしていたのを思い出す。
「戦わないことに越したことはない。ヴォルフは戦士というより軍師なんだよ」
そんなようなことを書き連ね、封筒に入れ封をする。
「ゼトリオ様、お夕食の支度が整いましたので、グレートホールに参られますようお願い申し上げます」
手紙を書き終えると丁度よくヨセフが部屋にやってきて食事の時間を告げた。
「分かった」
部屋から離れて、タンタンと静かに響く石造りの階段を下ってゆく。ハーフリート城は王都の王宮以上に戦略的な城塞の造りをしていて、至る所に矢を射るための狭間がある。高い城壁の外側には、これまた王宮のような立派な堀が一周ぐるりと掘られていて実に攻めにくそうだ。住み慣れるとそうでもないが、戦いにすべてを振り分けている城なので日常生活はまあ、し難い。前オーレンシア暦からの遺産なので仕方ないことだ。
「遅くなりました」
よっこいしょとひと声かけて座ると、すかさず母上が一言入れる。
「随分とやつれていますね」
「そうでしょうか。今日は色々と駆け回ったものですから」
「兄上が無理難題でもおっしゃられたのか?」
「陛下ではなく、どちらかと言うと殿下のお悩みの方です」
父上がため息を吐く。父上も殿下の悩みを知っているのだ。むしろ父上こそ殿下の悩みを理解できるのかもしれない。父上はルーカス陛下と違い星印を持たざる者だ、周囲の期待はそれほどでもなかったのだろう。
持たざる者の悩みは僕には理解できない。出来ようもない。生まれたときから星印を持ちハーフリート公爵家の一人息子として生きてきたのだ。恵まれた環境にいた僕に父上や殿下の悩みを解きほぐす資格はない。だから僕は星の守り人など必要のない世界を欲するのだ。
「兄上に悪気はないんだ。王子殿下に星印が出なかったのを自分のせいと思っておいでだ。ゼトリオ、私はお前に王を継げとは言わない。だが、最後まで殿下の味方でいてほしい……そう思っている」
「僕は、最初からそのつもりで生きております」
「あなた、ゼトリオも、夕食が冷めてしまいますわ。早くいただきましょう」
微妙な空気を察したのか、母上がパンと柏手を打って一瞬にして空気を換えた。
「そうそう、母上、殿下ときたら僕に許嫁でも作れというのです。僕にはまだ早すぎますよねえ」
「む、殿下がそういったのか」
「はい。お断りしましたが」
「まあ確かに、お前にはまだ早いな」
「あらそうかしら。私はあなたと許嫁になったのは十六の頃ですわ」
「そうだったか? ということは私が十九の頃か」
「あなたが父の養子になったのは次の年のことですのよ。ゼトリオに早いなんてことはないのではなくて?」
「そ、そうか? では、いつかは考えておこう」
「父上! 母上も! 段階を踏まない話は僕は嫌いです」
「ふふふ、冗談よ。それより、今日のお客様のこと大事な話ではないのですか?」
「そうだ。いきなり怪我をした少女の馬車がやってきたので驚いたぞ」
「は、はい! 彼女は西部の弱小領主クレール家の娘と自称しておりますが、定かではありません。事故を起していたので救助をしたのですが、どうやら追われていたらしく、馬車馬に魔術がかけられていたそうです」
「なに、魔術だと? エディンブルク元老院といいその少女といい、西部は何かと魔術の怪しい匂いがするな」
「古代魔術の中に人心を操る術や魂を抜き取る術があると歴史書に記してありました。古代魔術書そのものは禁書ですので閲覧は不可能ですが」
父上がはっとして昔のことを思い出すように語り始める。
「昔、父上、いや……先王に聞いたことがある。古代魔術を脈々と繋ぎ解放戦争前の暗黒神を信仰する教団が大陸のどこかにあると」
「暗黒神?」
「ああ。大陸の負の歴史である奴隷文化を築き上げたのが暗黒教の開祖で、その開祖が旧西オーレンシアの王侯貴族をたきつけて旧東オーレンシア人を迫害しだしたというそうだ。解放戦争終盤その開祖は磔火あぶりにあったが、弟子や信者が暗黒神に祭り上げ、教団は地下深くに潜って姿を消したのだ」
「セントルシアの士官学校ではそのようなことは習いませんでした。初耳です」
「あくまでも民話の世界の話だ。本気にするような話でもない。第一、そんな黒い歴史があるならどこかの国の歴史書に負の歴史として大々的に書かれているだろう」
確かに古代魔術というものもおとぎ話の世界に出てくるのみである。今、一般的に知られている魔術は五つの星の要素を持った現代魔道で、火・水・風・地・空のそれぞれの属性に由来する力を行使する……と書物に書かれていた。
しかし、現代の魔導士は占星術士としての側面が多く、そういった戦いで使うような魔術を行使する者は居ないことになっている。なっている、というのは表面上そうなだけで各国にはだいたい抑止力として存在することを許されている。当然、我が国の宮廷魔導士もその一人である。
「その少女、フィニア・クレールと言ったね? よろしい、しばらくハーフリート城で面倒を見よう」
客人としてな、と父上は続ける。
「ゼトリオ、あなたがフィニアさんを守ってあげてね」
正直、母上の言わんとすることが分からなかった。フィニアは僕とそう歳が変わらないように見える。母上はきっと自分の子供のように見ているのだろう。
僕は夕食を終えると、フィニアの様子を見に客間へ向かった。先ほどと同じようにノックの後に透き通った声がして、少し上機嫌で部屋に入る。
フィニアはやはりベッドの上で養生している。怪我の具合から、しばらくはこの城からは出られないだろう。
「無骨な部屋で申し訳ない」
「とんでもないですわ。助けて頂いただけでもありがたいのに、しばらく置いて下さるなんて、何度お礼をしてもしきれません」
「お礼だなんて。僕はお礼目当てに人を助けないよ」
「ゼトリオ様はお優しいのですね。こんな素性も知れぬ女を匿うのですから」
「正直に言うと怪しんではいる。でも追われていて怪我をしている人を放っておけるほどのんきな性格はしていないからね」
「怪しまれるのは当たり前のこと。ですが助けてもらわなければ私はあの場で死んでいたでしょう。星灯神に、ゼトリオ様に感謝です」
「星灯神と並べられても困るけどね。それより西オーレンシアが、君の国はどんな国なのか聞きたい」
西オーレンシアへは一度も行ったことがない。そもそも西と東は山脈で分かたれていて容易に往来はできない。山脈に切り開かれた二本の街道が東西を繋いでいる。
その街道も大陸一の天下の険と呼ばれていて、しっかりとした準備なしには乗り越えることができない。
フィニアの乗っていた馬車は途中まで護衛がついていたらしく、その護衛も天下の険を越えるときにフィニアを先に行かせてそのままはぐれてしまったという。
「とても美しい国です。国を治める王もそれを助ける民も、みんな美しい心を持っています」
「そうか。民の心が豊かということは国が豊かである証拠だからね。うらやましいよ」
「? グレナディーンは豊かではないのですか?」
「グレナディーンだけでない。東部すべてが毎年不作にあえぎ、食べるものも西部から頼っている始末だ。人間としての安定した暮らしを民に提供できない僕たち貴族は、主要産業である金鉱から排出した金を西部に送り、食べ物や安心を買っているんだ」
フィニアは言葉に詰まったのだろうか、うつむいてしまった。重い空気を一変するために僕は話題を変える。
「エディンブルクの華やかな文化は僕も興味がある。フィニアはエディンブルクの文化を知っている?」
「ええ、はい。エディンブルクは西オーレンシア一文化が発展した国家ですわ。歌劇、文学、芸術、私が知る限りのすべての文化があの国にはあります」
「いつか行ってみたいものだ」
「是非に。きっとお気に召すと思いますわ」
フィニアとの談笑に夢中になりすっかり夜も更けてしまった。けが人をここまで起こしておいてはダメだ。僕は客間を後にし自室に戻った。
フィニアのあの様子では、彼女は密偵ではないだろう。確たる証拠もないが、何となく僕はそんな気がしていた。
しかし、グレイナーが言っていた彼女の佇まいと僕が見た立ち居振る舞いから、ただの弱小貴族の者ではないという確信があった。何かの違和感を覚えているが、危険性は感じない。
「なんだろう……この違和感は」
夜は更けてゆく。
ブレイキング・ドーン さいぐう @SaiguWRITE
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