ブレイキング・ドーン
さいぐう
第1話夜明け前
――今から千年ほど前に、大きな戦争があった。
人間が、同じ人間を差別し奴隷として粗末に扱い、役目を終えたら殺していた。そんな酷い状況に憂いたとある帝国の皇帝陛下は周りの有力諸侯を引き込んで、ついには奴隷解放戦争を引き起こした。
戦争は世界に波及して、どんどん泥沼化していった。
終わりの見えない戦いの中、皇帝陛下の弟が親友の騎士兄弟を連れて立ち上がった。皇弟と騎士兄弟は世界の中心にある霊山「天の柱」に登り、その山頂にある天の祭壇に祈りを捧げ、そして神が降り立った。
神は3人の上に星を降らせて、3人を「星の守り人」と呼んで、世界を救う神言を下した。
3人の持っていた武器は、星の加護を得て星の神器となった。最後に神は言われた。残りの4つの星の下に世界を救う星の仲間がいる、それを探して戦争を止めよ。世界にまします我らが神「アストライア」は7人の星の守り人を生み出し、この世の理から姿を消した――。
一つに集まった7人の星の守り人たちは、星の神器を用いて世の理を変え世界を作り変えた。
旧世界の人類、差別をし戦いに明け暮れた旧人類は理の奥深くに封印され眠りについた。
新たな世界で、7人の守り人と封印を免れた善良なる旧人類の者たちは新たなる国と秩序を作り、守り人を棟梁に据えアストライアが望んだ善良なる平和な世界を作り上げた。
人類は星の守り人たちを崇めその存在を守った。星の神器は、それぞれの国に封印され二度と使われぬよう願った。
ここに新たなる世界「オーレンシア大陸」は誕生したのである――。
「――おしまい。どうでした? ゼトリオ、あなたのご先祖様ですよ」
「ははうえ、お星さまはそのあとどうなったのですか?」
「ふふっ、とても平和になったそうですよ。さあ、もうお休みの時間ですよ」
「……ふわああ……はあい。おやすみなさい、ははうえ」
「おやすみなさいゼトリオ」
「セシリア、ゼトリオは……寝ているな。ふふっ君に似てかわいい寝顔をしている」
「このお話を真剣に聞いている顔はセオドア様、あなたに似ていますわ。それにしても、今日は陛下に呼ばれていらして帰らない約束でしたのに」
「予定が変わってね。……兄上は、やはりゼトリオを後継に迎えたいそうだ」
「……」
「しかし私は反論した。いくら星印があるとはいえ、この子はハーフリート家に生まれた者だ。兄上には兄上の子が、サディアス殿下がいる」
「でも、星の子は代々国の王となるべしという掟がありますわ」
「私はこの子に重りを背負わせたくないのだ。それにいつまでも、星の子に頼った世界では駄目だ。いつかは我々人類は独立した人類として生きてゆかねばならない」
「星の子として生まれた以上、この子はなにか重い運命があるのだろうがそんなことは関係なく、一人の人間として幸せになってもらいたい、せめてもの親心だよ」
「私も、ゼトリオには幸せになってもらいたいのです。ですが、星の子が生まれたと言うことは世界になにか良からぬことが起きると預言者は言っていますわ。セントルシアでも、エディンブルクでも数年前に星の子が生まれたと聞きました」
「オーレンシアに何かがあるのは本当だろう、しかしその何かの対策をするのは子どもたちではなく我々大人だ。兄上とてそれはわかっているはず。……さあ今日はもう遅い。私たちも休むとしよう」
――まだ夜は明けない。
○
朝の陽光は、僕の眠く重いまぶたを容赦なく照らす。寝返りを打って、うすらと目を開けると日時計が六の刻を示していた。
僕はゆっくりと起き上がって、ふらつきながら部屋の窓を開け放った。すぅっと朝の風が駆け抜ける。一つ伸びをしたら完全に覚醒した脳内で、ようやく新しい一日の始まりを自覚した。
「ゼトリオ様、おはようございます。今日も良い天気ですね」
窓の外で庭師のスレイン・マクレガーが芝を刈りながら、僕に挨拶をした。
「おはようスレイン。今日は早い仕事だね。また父上に無理を言われたのかな」
「いいえ、わたくしが好きでやっていることですよ。この庭の管理はセオドア様から一任されていますからね」
スレインはそう言って徹底管理されているガーデンに入っていった。それを窓越しに見送った僕「ゼトリオ・ハーフリート」はテキパキと着替えを終え、家族が集まるグレートホールへ向かった。グレートホールでは使用人たちがせっせと朝食の支度をしていて右に左にと忙しない。
「父上、母上、おはようございます」
「おはよう、ゼトリオ」
「おはよう。あら、寝癖がついたままですよ」
「ああっ、すみません、よく確認したのですが」
父に似た真っ赤な髪の毛と母に似た少々くせ毛な髪を毎朝面倒見るのは、至極大変である。僕が全てを整えテーブルに付くと、家人が全員揃ったと見た使用人たちが朝食を運んでくる。今朝取れた新鮮な卵を使った目玉焼きとハムをベーグルで挟んだものだ。
「いただきます。……そういえば、父上、昨日ユーゴの方から使いが来たと聞きました。なにかあったのですか?」
僕はベーグルを一口食べたあと、昨日の来客であったユーゴ諸侯連合の使者について聞いた。ユーゴ諸侯連合とは、僕が住まう国「グレナディーン王国」と同盟を結ぶ諸侯の共同体地域のことであり、グレナディーンとユーゴはお互い何かあったときに助け合うことを建国当初から、約束事として取り決められている。僕の祖先がユーゴ諸侯連合立ち上げ人と兄弟だったらしく、諸侯連合の現盟主と、僕の実家であるこの家「ハーフリート家」と、更に言うとグレナディーン王家は親戚関係なのだ。もっともハーフリート家は祖先の建国兄弟の生家――という位置づけであり、グレナディーン王家とユーゴ連合盟主が正式な親戚関係となる。
グレナディーン王国を建国した別名「騎士王」と呼ばれる「スタード・ハーフリート」と、ユーゴ諸侯連合を組織した弟「黒騎士」と呼ばれる「サード・ハーフリート」の子孫たちが、オーレンシア大陸と呼ばれる大大陸の東側ほぼ3分の2を支配している構図になったいる。
今からはるか昔の戦争で、その騎士兄弟は親友の皇子と共に世界を救ったという言い伝えが残っている。僕の教育係である執事のヨセフ・アバルキンは、事あるごとにハーフリートの高潔な血筋を引くものとして自覚を持つよう言い聞かせてくる。
「うむ、グラナダ公爵の使いがお前にこれを渡すように言ってきてな」
「僕に、ですか」
父セオドア・ハーフリートは懐から一通の手紙を僕の目の前に差し出した。差出人は「コーデリア・ハーフリート・グラナダ」と書いてある。
「コーデリアからですね。どれどれ」
この手紙の差出人こそ、建国兄弟の片割れサード・ハーフリートの直系の子孫であり、ユーゴ諸侯連合の盟主の娘グラナダ公女ことコーデリアである。僕から見てみれば遠い親戚に過ぎないのだが、幼少のころから付き合いがありお兄様と慕ってくる妹のような存在だ。コーデリアは昨年まで、ダキア聖教国という西の果ての宗教国の女学院で花嫁修行をしていたはずだ。
「娘の行く先をグラナダ公は迷っているようだね。だからコーデリア本人がお前に相談してくるんだ」
「そのようですね。この手紙、グラナダ公の悪口しか書いてありません」
「家名を背負って行くというのは並大抵の覚悟ではできませんよ。あなたもいずれはこの家の、この領地の主になるのですから肝に銘じておいてくださいね」
母セシリアは僕に対してニコリと笑って朝食のスープをすすった。母はコーデリアのことをいたく気に入っている。といってもこの家に来てほしいという訳ではなく、一人の女の子として世話をしたいらしい。母の子は僕だけなので、母はいつも娘もほしかったと言っている。悲しいことに、母は僕を生んだあと、病に冒され生死の境をさまよい意識を取り戻したときにはもう子供の産めない体になっていたという。父は母一筋というハーフリート公爵にあるまじき信念を持っているので妾を取ることはなかった。
母が言いたいのは、コーデリアにもそこまで愛してもらえるような人と一緒になってほしいということだ。
しかし家名の手前、政略的なものも入り込んでくるのでそう簡単にはいかないのが貴族社会の常である。
僕は今年の春5の月に18になった。父がハーフリート公爵になったのは20の頃だそうなので、そろそろ息子にもそういう話をしておかねばならないという空気ができている。
そもそも、父は、グレナディーン王ルーカス陛下の実の弟であり、正真正銘のグレナディーン王国王子であった人だ。
男子がなく唯一の子が母セシリアのみだったハーフリート公爵家に先祖の実家に帰ったように養子入りしたのが父セオドアだった。ハーフリート公爵家は、建国の昔から王家を助け、私設軍である騎士団「ヴェルミオンコール」を率いて国を守るのが家訓であった。その所領はグレナディーン王国領内のおよそ4分の1にあたる。
つまり僕は、グレナディーン王家の分家筋の血を持つと共にグレナディーン開祖の直系の血筋も持っているということになる。
グレナディーン王家には第一王子の、僕から見れば従兄にあたる方がいて、その方が王位継承権を持っているのであるが、そこに一つの不具合が起きる。
グレナディーン王の証である星の印「星印」が第一王子の体のどこにも現れなかったのだ。そしてその星印を持って生まれてきてしまったのが、王家からでた父セオドアの一人息子であるゼトリオ・ハーフリート、つまり僕であった。
ルーカス陛下は悩んでいる。国民感情を考えて、第一王子である息子サディアス王子殿下を後継者にするか。古来からの掟の通り星印を持つ僕を王家に迎えるか。サディアス殿下は僕にとって兄のような存在であるし、殿下も僕のことを実の弟のように思ってくれていた。それに国民的人気のある殿下ならたとえ星印がなくても立派な王になれると思っている。
星印というものがなぜそこまで大切に扱われているのか、それは、この世界が平定された歴史に遡ることになる。
この世界を見守っている星灯神アストライアが7人の若者に星を降らせ星印を刻ませ、世界の平定を望んだのが始まりである。
奴隷解放戦争という大戦争を平定したのがその7人であり、民衆から星の守り人と呼ばれていたらしい。
星の守り人7人が各地に散らばって国を作り、未来永劫星の守り人の子孫が平和を守るべしという掟を残した。
ここグレナディーン王国を建国したスタード・ハーフリート王も星の守り人の一人であり、スターヴィーナスという星印と称号を持っていた。王家は代々このスターヴィーナスを受け継いで来たのだが、末端であるサディアス殿下にはそのスターヴィーナスの星印が出なかった。
星の守り人の子孫は星の子孫と呼ばれているが、その中でも特に星の加護を受けたものが「星の子」と呼ばれる。星の子が生まれるとその子には必ず星の加護がついた他とは違う星印が刻まれている。そう、僕の体、僕の右目には普通ならざるスターヴィーナスの星印があった。
「コーデリアだって星の子です。グラナダ公には彼女しか子がいないのですから彼女が必然的に次のグラナダ公爵になるのではないのですか?」
「難しい立場にあるお前が言えることではないよ。お前はせめてコーデリアの愚痴の聞き手になってあげなさい」
「……はい。それはそうと父上、僕は、王にはなりません。王にはサディアス殿下がなるのが一番良い解決方法なのです。僕はハーフリートの者として殿下を支えるのが使命だと思っています」
しばらく言い合いをしていて、場の雰囲気が重くなったのか、執事のヨセフがゴホンと咳払いをしてこう言う。
「セオドア様、ゼトリオ様、朝食が味気なくなりますゆえ、お早くお召し上がりください」
「む、そうだな、すまない」
「すみません、ヨセフ」
「それとゼトリオ様、午前中の騎士団演習の件ですが、団長のグレイナー様より言伝を頂いています」
「? グレイナーから? なんですか?」
「幾日か前にエディンブルクからの脱走兵を保護したのですが、演習前にその処遇を、とのことです」
脱走兵と聞いた瞬間僕はむせてしまった。喉に突っかかった食べ物をミルクで無理やり胃の中に押し込んだ。
「ゴホッ……脱走兵って。それって亡命ですか?!」
「普通に考えれば。詳しくはグレイナー様にお聞きください」
とんでもないことを聞かされた僕は、父たちとの食事を早々に切り上げて、騎士団が駐留している国境のメルヴ砦へ馬を走らせた。
「グレイナー! とんでもないことになったな」
「ゼトリオ様、この者がエディンブルクの兵です」
砦に入って僕は第一に捕虜の収監部屋へ急いだ。部屋の前には騎士団長のグレイナー・グランリートが立っていて僕を待っていた。グレイナーは僕を見るなり部屋の扉を開けて中を見せた。
脱走兵は黙って目をつぶって座っている。
「エディンブルクの方、こんな部屋で申し訳ない。私は騎士団の指揮官です。どうしてこんなことしたのですか?」
僕の問に、脱走兵はようやく重い口を開けて切り出した。
「スターヴィーナス様にお言伝を申し上げたく、西の国エディンブルクより参りました」
脱走兵は存外丁寧な物言いで、僕は少し面食らってしまった。
「言伝……あなたは誰かに命令されて亡命したのですか?」
「主の名前は申し上げられません。それよりスターヴィーナス様をお呼びください」
脱走兵の物言いにグレイナーは食って掛かった。
「この方の右瞳が見えないか! この方こそスターヴィーナスなのだぞ! 無礼な」
グレイナーをなだめつつ、僕は一つ一つ目の前の疑問を解消するために脱走兵に問いかける。
脱走兵は僕の右目を見たあと驚いたように、僕に向き直り膝をついた。
「無礼をお許しください。わたくしは主の命により、エディンブルクの元老院が戦争を画策しているということをお伝えするために参りました。亡命という形にしないとこの命は全うできないのです」
「戦争?! エディンブルクが?」
どうして、という言葉が脳内に踊っている。
「わたくしの名前は、アレス・バークレイと申します。エディンブルク王国はアクスナイツに所属しておりました。元老院が戦争を画策しているというのは本当です。元老院は王家を洗脳し東部オーレンシアを侵略しようと企んでいるのです」
「突拍子もなさすぎではないですか。エディンブルク王国が東オーレンシアを侵略する理由などないはずだ! それに亡命してまでそれを伝えるなら、我が国ではなく東の大国といえるセントルシアを目指すのが道理なのでは」
「主はグレナディーンに、と仰られました。あと半年もすればエディンブルクは動き出すでしょう。時間がないのです、主のため挙兵ください!」
「ゼトリオ様、この者の言うことが本当なら、大義なき戦争は盟約違反にあたりますぞ」
エディングルク王国というのは、西オーレンシアいちの大国であり、星の守り人の一人スターサターンこと「ユグノー・フォン・エディンブルク」が建国した国である。華やかな文化と精強な斧騎士団を誇る。はるか昔の戦争の発端となった奴隷を使った国造りをしたアウクスブルク王国が滅んだあと跡地にアウクスブルクに使えていた貴族だったユグノーが作ったエディンブルク王国だ。
ユグノーはアウクスブルクの方針とは真逆の国造りをし、差別のない理想国家を目指したはずだ。そんな国の末裔たちが今更侵略戦争などするだろうか。
「密偵を出しましょうか? 怪しい動きが見えた場合、陛下にご報告ということで」
「密偵は出そう。しかしアレスあなたの物言いだと、一刻の猶予も無いように聞こえる。これは王都におわす陛下に直ちに伝えたほうが良いだろう。誰か口の硬い者をすぐに王都に向かわせよう」
グレイナーは僕の命令を聞いてすぐに部下を王都に走らせた。僕は、脱走兵もといアレス・バークレイを一時的に砦に住まわすよう命じた。すぐにエディンブルクに返せるようにという理由もあるが、真正面で向き合ったときの人質として使えるからだ。このメルヴ砦は、グレナディーンの西端の国境に建てられている要塞なので簡単には落ちない。
「アレス、エディンブルクの元老院はなぜそのような強行ができるのですか?」
「わかりません。議員たちは前はまともな人でした。しかしある時から議員全員人が変わったように王家におかしな進言を繰り返すようになったのです」
「人が変わったように?」
「普通に見ればまともな人間に見えるようです、しかし我が主が議員を見たら瞳の中にどす黒い何かを見たと仰られるのです」
「どす黒い何か……魔術のようなものですか?」
「いいえ、もっと根源的なものだと主は考えておいでのようです」
「魔術ではない何か……ですか」
「はい。しかし主も魔術には明るく無いので、エディンブルクの同盟国であるダキアの司祭に助けを乞おうとしたのですが、すでにダキア……いえ宗主国のカレドニアまでも戦争の準備を始めているそうで」
「元老院にできることの範疇を超えています。ダキアやましてカレドニアまで動かしているなんて。そのどす黒い何かが関係していると見るしかないようですね」
魔術とは、もともとは旧時代に発明された生命エネルギーを用いた学問であり、術者となるには気の遠くなるほどの歳月を費やした修行が必要であり、魔術師や魔道士と呼ばれる者たちは、その所属する国において珍重される。ここグレナディーンでも王宮魔道士という専門職があり、普段は占星術など国の行く末を占う仕事に就いている。魔術における禁断というものがあるらしく、一つは金を生み出すべからず、一つは生死を占うべからず、一つは命を蘇生するべからず、一つは人心を操るべからず……とある。
僕が少年時代を過ごした、学問の都セントルシア王国の士官学校では魔道四訓として魔道科の学生たちが日々唱和していた。
エディンブルクの元老院が魔術を行使したという痕跡は無いそうだが、あらゆる流派の魔道に共通する魔道四訓の理念を逸脱している。
元老院、同盟国を操る謎の術式を僕は調べることにした。アレスの言ったことであるが、密偵が持ち帰った情報を陛下にお伝えし判断を仰いだ結果、全てにおいて真実であり現に一月おきに来訪する商人キャラバンが今月は来ていない。キャラバンは作物の乏しい東オーレンシアの民のために、西オーレンシアの商会が定期的に来訪する商人協定が結ばれている。
王侯貴族よりよほど世情に詳しい商人たちが、戦の匂いを嗅ぎつけたのかきな臭いやり取りをしていると聞く。
グレナディーン王都の国立図書館で、古代魔術の書物を漁っていた僕は図書館長に怪訝な目で見られた。
「公子殿下、最近よく出入りがありますな。魔道に興味がおありで?」
「人心を操る魔術……というものを調べたくて」
「人心とは……禁断の一つではありませんか。そんなものたとえ王立図書館、たとえ公子殿下といえどもお見せすることは叶いませぬぞ」
「禁断を破るものが現れないように――ですね。まあそうですよね。僕も禁書を触ろうとは思いません」
「何がどうして人心術などを……」
「良からぬ噂を耳にしまして。詳しくは申し上げられないのですが、館長、禁書はしっかりと封印できていますよね?」
「当たり前です。何度も言いますが、たとえ国王陛下がいらしたとしても禁書の封印を解くことは固く禁じられているのです」
「それはそうですよね。そうなんですよね」
「殿下、失礼を申し上げますが、近頃王宮やハーフリート城に騎士が入り浸っていると聞きました、我々民衆からしたら戦争の準備でもしているのかと怪しんでしまいます。何も無いのですよね?」
僕は図書館長の直球の進言に少しまぶたをピクリと動かしたが、冷静を保ち館長を安心させるように言い繕う。
「星の盟約の下、大戦争など起こせようものか、ですよ。騎士が出入りしているのは事実ですがそれは王宮騎士と我がヴェルミオンコールの軍団演習によるものです」
戦争準備のための軍団演習などと言えるはずもなく。
僕は調べ物を終え、館長から逃げるように図書館から出た。王都の中心部は騎士王スタードの彫像が立っている。その広場を中心に放射状に通りが形成されていて、一番街と言えるメインストリートには国の文化を集めた店屋が軒を連ねている。僕は図書館の前で待っていたグレイナーを連れて一番街を歩いている。楽しげに走り回る子供と夕食の買い物をする親がそこらかしこにいて、この民衆はまだこの国に及んでいる危機を知らない。僕が歩いていると、不意に子供が前からぶつかってきた。子供は僕の顔を見ると公子殿下だ! といってお辞儀をした。
「こらっ! 殿下に失礼でしょう! 申し訳ございません殿下」
母親と見られる女性が駆けてきて子供を諌めた。僕は片膝を付き子供の目線に合わせ子供の頬についている泥をハンカチで拭った。
「元気だね。だけれど、この道は馬車も通る道だから気をつけないと危ないよ」
「はい!」
「殿下、ありがとうごさいます」
「お母上も、子供から目を離さないよう注意をお願いします」
僕が親子から離れようとしたとき子供が僕を引き止めてこう言った。
「殿下! ぼくも大きくなったら騎士になってヴェルミオンコールにはいりたいです!」
それを聞いた僕とグレイナーはお互いはにかんで子供に向き直る。
「グレナディーンを守るヴェルミオンコール、いつでも君の席を空けて待っているよ。それじゃあね」
親子と別れる。
ヴェルミオンコールはオーレンシア最強の私設騎士団である。王宮騎士団と違い、体外交渉の場に警備に立つ役割を持ち、また、軍事では前線に立って行動する。騎士団の指揮官であるハーフリート家が夜明けの一族と呼ばれていることから、配下のこの騎士団は「明け色=朱色」という異名を持つ。
一番街を歩いているとそこらかしこから、殿下、殿下と僕を呼ぶ声がする。店屋の主人や通行人、グレイナーが曰くゼトリオ・ハーフリートはサディアス王子殿下の次に人気があるらしく、僕が思っている以上に僕という人間は珍重されているようだ。
でもそれは僕が星の子スターヴィーナスであることに他ならない。
通りの出口で待たせていた馬車に乗り込み、ハーフリート城を目指す。王都を出ると街道沿いに民家がチラホラと立ち並び、少し走ると集落が見えてくる。ハーフリート城があるハーフリート公爵領は、先述のメルブ砦をはじめとした要塞に囲まれた領地でグレナディーン王国の西側にある。僕が生まれ育ったこの地は、僕が生まれるよりはるか昔に北のセントルシア王国の方角から移動してきた民族が作り上げた地域だ。その民族の棟梁だったのがスタード・ハーフリートの更に前の祖先だ。
その民族は西オーレンシア民による奴隷売買から逃げるために大陸の東端にまでやってきた。
民族始まりの地がハーフリート領となっている。先史後、グレナディーンが王国として成立してからもハーフリートの地は守られた。ヴェルミオンコールも元はハーフリート家を守るための騎士団であったが、ハーフリート公爵が王家に絶対忠誠を誓ってからは、国そのものを守る部隊となった。
「僕が守るものは、民、土地、家、王家……たとえ戦争になったとしてもこれだけは守らなくてはいけない。それがスターヴィーナスとして生まれた者の使命」
星の子は、星の安寧が崩れるときに守り人の一族から生まれるという。
僕が生まれた。
戦争を始めんとするエディンブルク王国にも、グレナディーンの同盟国ユーゴ連合とセントルシア王国にも、同世代の星の子がいる。星の盟約は、単純に戦争をしてはならぬ他に、星同士殺し合ってはいけないという掟もある。
星の子が継承する守り人の武器「星の神器」は果てしない力を持ち、使い手によって性質を変える。それがぶつかり合うと星の終末が訪れるという言い伝えがある。
ガタガタと揺れる馬車の中で、先程図書館で調べた古代魔術のことや戦争に巻き込ませるわけにはいかない子供たちの顔が脳内で浮かんでは消えを繰り返していた。
夕刻、ハーフリート城に到着し、城門から中に入ると、他の馬車がすでに停まっていた。グラナダ家の家紋が馬にくくりつけてある。
「ただいま帰りまし……」
「ゼトリオお兄様! 遅いおかえりお待ちしておりました」
「コーデリア?! どうしてここに。グラナダ公爵は?」
「お父様の名代で参りました。我がグラナダ家もハーフリート家に賛同する、ということですわ」
「……そうか。やはり星の命運は星に託すということか」
「星の危機を救ったのが私たちの祖先なのですから、次の未知なる危機にはやはり星の出番ということなのでしょう」
――私だってスターネプチューンですわ。コーデリアはそうこぼした。
「神器はまだ、ユーゴの神殿にあるのだろう?」
「はい。星の危機に封印が解除されるという言い伝えの通りなら、神殿の深奥に封印が解除された「闇槍レーヴァテイン」が安置されているはずです。お兄様の「ザイングレイヴ」もそのはずですわ」
星の神器としてグレナディーン王家に伝わる「光槍ザイングレイヴ」はハーフリート領内のガラテア神殿に封印されている。その封印はコーデリアが言うように、星の危機に合わせて解除される言い伝えがある。千余年封印が解けなかったとされているが、僕はなぜだか直感でその封印が解けかかっていると分かっている。だからこそ、戦争が近いのだと実感している。
光槍ザイングレイヴと闇槍レーヴァテインは兄弟槍で、スタードとサードが愛用していた馬上槍に星の加護がついたとされている。その実物は当然ながら僕もコーデリアも見たことはない。書物で知るのみだった。
「今朝、セントルシアの「ヴォルフ」から手紙が来たんだ。我が国も同じ思いだ、とね」
「お兄様……歴史は繰り返してしまうのでしょうか……」
「繰り返してはならない。戦争は起こしてはならない。絶対に。最後まで抵抗して、全て策が付きたときに本当の戦争が始まるんだ。僕はなんとかしてエディンブルクの元老院の闇の正体を調べる」
ヴェルミオンコールが動くのはその後だ。エディンブルクが本格的に動く前に行動を起こす。
そういえば、あいつはどうしているだろうか。セントルシアの士官学校で僕と同期だったエディンブルク第二王子――エルトライト・フォン・エディンブルクは。
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