その2 甘い・酸っぱい・辛い

 亀裂を埋める。名残惜しさもあったが、それだけで済むなら簡単だ。一応他にも聞いてみたがそれ以上でもそれ以下でもなく、下手したら土でこの亀裂を埋めても良いらしい。こんなサービスミュトスがあって良いのかと喜ぶ。折角簡単なので面白い方法で埋められないかと悩んでいると、鳥さんが良い場所があると言って山の頂上へと連れて行ってくれた。同じ頂上だし前のミュトスの気配があるのかと思ったが、特にそういう訳ではない。海もなければ、町もない。森しかない。人の気配がない。


「地上って広いのに狭いよね」


「どういう?」


「いや、深い意味はないよ。空はこんなにも広いのに、人は地上にいる限りは地上にいる以外の選択肢がない」


「ヘリコプターとか一応あるけど」


「分かってる。でもね、誰もが平等に持ち合わせているわけじゃない。それに機械の翼は自由なように見えて自由がないんだよ」


 思わせぶりなコメントはいつだって面倒だなと髪を掻く。片足ずつ地上に身体に重力を預けると、足と足の間に赤い花があることに気付く。わっと声を漏らして尻餅をつこうとしたが、今度はお尻の先にも花がある。なんとか爪先に力を入れると、その場に身体を維持することができた。安らいで肩の力を抜くと、その気持ちを踏み台へするように鳥さんは花を折ってしまう。つい「あぁ」と声を漏らしたが、全く聞こえていなかったようだ。言及するタイミングを逃すと、もういいやと亀裂を埋めるのに良いものがないか探す。

 森の中は今までの陰鬱で実際薄暗かったミュトスは違い、とにかく明るい。夏を擬人化ならぬ疑ミュトス化したような雰囲気だ。相変わらず位置の変わらない太陽に造られた世界なんだという事実を感じていると、手を掴まれた。気持ち悪さから咄嗟に振り払ったが、相手は気付かずにもう一度掴んでくる。あまりのしつこさに感情が思わぬ爆発を起こしそうになったが、目前の物体に目を丸くする。

 亀裂のために作られたような、目。一瞬本物なのかと思ったが、横から見てみるとただの絵であることに気付く。質感がリアルすぎると、「すごい」よりも「怖い」という感情になってしまう。「多分これが正解なんじゃないかな」という彼の言葉に同意すると、思ったより重いことに辟易としながらも、二人で両端を持つ。

 土を蹴り、空へ羽ばたく。絵の重さで自由には飛べなさそうだったが、それでも飛べないわけではない。今回は最速でミュトスをクリアできて良かったなと感心している内にも、亀裂の元へ辿り着く。手を挟まないように気を付けると、亀裂へと押し込む。本当にぴったりで、少しもスキが見えない。完璧さにパズルの最後のピースをはめた時のような感覚に震える。ハイタッチを求められたので無表情で返すと、そろそろ意識が落ちる時間かと待機する。


「そういえば、貴女はミュトスの意義って何か分かっているんですか?」


「ミュトスの……意義?」


「はい。ミュトスはこの身体の主の無意識と種が生み出した、言わば疑似世界です。ですが、そのミュトスを証明……クリアすると、もちろんですが本体にも影響を与えます」


「それは……分かってます。他人の内面世界に入って来ているんだし、そもそも私は佐藤を現実に戻すために来ているんですから」


「それはそう、なんですが……ミュトスの修復自体が、、んですよね?」


 それはどういう意味なのか。そう問おうと思った瞬間、意識が揺らぎ始める。タイミングが悪い。歯切れの悪さに唇を噛む。聴覚が失われ、ただ問題を宙ぶらりんにしたまま意識が途切れた。

 暗闇の中で悩んでいると、またあの映画館にいた。だが、様子がおかしい。映画が流れていないというのはまだしも、映画館自体が老朽化していた。カバーが一部破れた客席、黒ずんだ壁、人気がない……のは最初からか、と思い直す。中にいないならドアから外へ出れば佐藤に出会うことができるかなと思っていると、天井から砂っぽいものが降り注いできた。頬に触れた粉に小首を傾げていると、明らかに映画館からしてはいけない音がする。直感的に出口へと走ると、つい数秒前までいた場所にコンクリートの塊が落ちてきた。心臓が震えるのを感じつつも、ここにいては死んでしまうとさっさと出口から逃げた。

 外へ転がり込んだ瞬間、映画館は崩れた。結局この建物はどういうものだったのか。崩れた残骸を見て存在意義に頭を悩ませていると、そういえば周囲の様子がおかしいことに気付く。「虚無」なら今までにもあったが、その逆。風邪を引いた時に見る夢みたいに、今度は「私」が溢れていた。どれもこれもが、覚えのある記憶。まるで映画館という箱が潰れたことによって、解き放たれたみたいに。それでも、自分がたくさんいるというのは正直気持ち悪い。

 目を背けて何が起こったのかと縮こまって考えていると、また弾ける音が聞こえてくる。耳を塞いで振り返ると、さっきまでいた「私」が跡形もなく消えていた。どんどんと壊れ、消え、やがて映画館の残骸すら消えた。虚無へと戻る。

 これはどんな意味があるのかと考えていたが、唐突に、あれと思考が止まる。精神の動きが止まるというか、金縛りの時に呼吸が苦しくなる感覚に似ている。なんだか何もできなくなる感覚に襲われ、口がすぼんでしまう。そんな私を嘲笑うように、佐藤が目の前に現れる。それも、目が痛くなりそうな数を引き連れている。


「どれが本物だと思う?」


「分からな……右から三番、目」


 おかしい。全く顔も同じで、動きも、声も、言葉も、呼吸すら同じなのに。なのに、分かってしまう。まるで私自身と同じ糸で操られた、マリオネットみたいに。分からないのに、勝手に分かってしまう。意味不明さに振り回されていると、佐藤が私の頬に触れる。


「他人のミュトスを修復すると何が起こるのか、って話だよね。……もう分かっているかと思うけど、繋がるんだよ。布を継いでちゃんちゃんこを作るみたいに、例えば、みたいに、ね」


「それは……その台詞は……なんで……?」


「これでも分からないの? だったら……そうだね。共感を絶対的なものにしたいなら、どうするべきだと思う? それはね、繋がるんだ。二つの意思を一つにすれば、二人は分かり合える。お互いに相手の感情を分かり合う必要がなくなるんだよ!」


 頭がグルグルする。思考がジャックされそうなのを、なんとか別方向に逸らして維持しようと努める。そもそも、どうしてこのミュトスというもので「佐藤を救える」と思っていたのか。そもそも、この「ロゴス・ユーリカ」という名前を出してきたのは誰なのか。その存在が誰かを思い出してくると、同時に一つの考えに収束してくる。


「もしかして……最初から……私、は……」


 執事さん、あるいはメリープさん。いつも有能だったのでそういう知識があるのも当然で、佐藤を助けるために私へ助けを求めに来たと思っていた。だが、ここまでくると、それでは理由として足らないものであったような気がしてくる。佐藤は私の頬に触れると、満面の笑みを浮かべる。


「変わりたくないんだよ。変わってほしくないんだよ。ずっと永遠のままでいてほしい。ずっと、二人だけの世界で笑っていたい」


「それは……それは、無理だよ。私と佐藤は本来、交わることがなかったんだよ。明日も分からない貧乏人と、明日があることを確信しているお金持ちじゃ、永遠に不変であることは無理なんだよ」


「できるよ! ここだったら、そんなしがらみがないんだよ。現実みたいに境遇という差がない。お互いに不都合なことも、お互いの見たいものが見れる。好きな”役”になれるの。二人で一つになれば、同じ瞬間に同じ魂として死ぬことができるんだよ? それって、幸せなことじゃん!」


 分かり合えない。平行線だと思った。そんなことは会った瞬間から分かり切っていたことなのに、言葉がもう出なくなる。こういうのって、今までの旅路に「意味」があって、だからこそ言うべき「言葉」があるはずなのに。そうすれば、「ハッピーエンド」へと導かれる。

 そんな対話をしている内にも、私の精神の中に彼女が混ざってくる。思考の乱雑さに吐きそうで、それは同様で、目の前の佐藤も額に汗を滲ませている。


「苦しいなら……止めなよ」


「それは……幸せに至るためなら、多少の苦しみは我慢できる……から」


「それだったら、どうして目を……背けるの? 幸せは……不幸を……踏み台にしないと……ダメ、なんだよ」


「あぁ……もう……分かんないよ、もう!」


 佐藤の声に呼応するように、たくさんの「私」が虚無から現れる。それら全てに顔がなくて、代わりに「好」「嫌」「大」「い」という文字が書かれている。文字のパズルみたいなそれらは、お互いに手を繋ぎ合うと、合体して、また泡沫のように消えていく。悪趣味とはまた違った気持ち悪さがあったが、それよりも、思考がかなり軽くなったことに気付く。しかも、おあつらえ向きのように現実が見える丸い穴がある。今回は膜がなく、代わりに透明な水で満たされている。

 選択肢は二つに一つ。このまま残って精神錯乱を起こした佐藤の説得を試みるのか、あるいは自分だけ帰るのか。どちらを取っても「正解」のようでいて、「間違い」のようでもある。

 それでも、今までの旅路に「意味」を見出すなら、正しい選択はもう分かり切っていた。私は現実の見える穴に触れると、佐藤の方を見る。まだ苦しんでいる様子で、もう私の方を向いてくれる気配がない。


「そういえばさ、佐藤」


 声を途切れさせると、水の中へと飛び込んだ。

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