Logos-Eureka「私」

その1 現実と虚構を隔てる膜

 耳元に残るのはアラームの音。今までのミュトスからミュトスへの移動の時は謎の映像を見せられる以外には何も起こらなかったはずだ。なのに、どうして今回はこんな変な現象が起きているのか。やけに痛む頭を抑えながらここがどこなのかを判別しようとしたが、おかしい。目の前の景色全てが歪んでいて、それでいて出鱈目だ。まるでピカソの絵みたいだ。


「これなんだったけ……キュビスム?」


 そう言葉にした途端、白い輝きで前が見えなくなる。視界が戻ったかと思うと、今度は理路整然とした現実がそこにあった。いつもの月、いつもの夜空、いつものカフェの前。目の前には、佐藤が私の前に立っていた。泣きそうな表情で、それなのに唇をギュッと噛んでいる。私が触れようと手を伸ばすと、突然抱きついてきた。

 さすがに気持ち悪い。いくら佐藤でもそういう肉体的な触れ合いは嫌なはずなのに、どうしてこんな、町を歩くカップルみたいなことをしてくるのか。振り払おうとすると、一瞬息が止まった。佐藤の、顔がない。つるつるで、なのに涙だけは見える。動揺する私をよそに袖で涙を拭うと、また顔が戻る。


「ねぇ鈴木。アタシって、何?」


「知らないよ。……それよりも、どうしてこんな世界にいつまでも籠っているの?」


「だったら、答えて。鈴木が思うアタシって何? ベタベタしない? 高潔? バカ? 天才? 優しい? 怒りっぽい? 人道的? サイコパス?」


 いつもより近い距離で、このやけに良い顔が迫ってくるというのは二重に辛い。こんな性格じゃなくても、もっと、こう。人間の性格というものを言語化するのは思ったより難しいなと頭を抱えつつ佐藤を引き離そうとすると、突然目の前の彼女がパーンと弾けてしまった。鼓膜が破れるかと胸を大きく上下させていると、周囲に何人もの佐藤が現れる。その数、総勢にして三十、いや四十だろうか。それぞれがそれぞれのポーズを取っていて、思い思いのポーズをしている。そして、私が全員の顔を”認知”したかと思うと、全員が私に視線を向けてくる。


「どれが本物の私?」


 同時にぱーんと全員が弾けてしまう。せめて耳を塞ぐ猶予がほしいと眉をひそめていると、今度は私の周囲に手を繋いだ佐藤がかごめかごめをし始める。前例から学んでいるので先んじて耳を塞いでいると、「後ろの正面だーれ?」の瞬間、案の定、全員が弾けた。もうどんな感情になれば良いのか分からないまま、今までのミュトスがまともであったという錯覚を覚える。狂気の煮凝りというか、精神的拷問に近い。いつになったら終わるのかと思っていると、背中を突かれた。背後を見ると、ニコッと笑う佐藤の姿。また弾けるのかと構えていたが、「大丈夫だよ」と自分の爪で手首を刺す様子を見せてくる。


「ごめんね。今、ちょっとミュトスの様子がおかしくてさ。その影響でアタシもバグっていたみたい」


「バグって。……それ、本当に大丈夫なの? もしかして、死にかけているとか」


「大丈夫、大丈夫! アタシは肉体も精神も強靭だからね。太陽の光にはちょっと弱いけど、それはまぁご愛嬌というか」


 そう話す佐藤の背後では、別の佐藤Aが佐藤Bとぶつかり、弾けていた。程よく狂っているというか、エナジードリンクを飲んで三日ぐらい起きていた時の夜テンションに近い。狂気も分析できはじめると慣れてくるものだなと思いつつ、あぁそうだと私がわざわざこの佐藤の内面世界までやってきた理由を思い出す。


「もう一度聞き直すけど。どうして現実に戻ってこないの?」


「うーん。現実が嫌になったから、とかじゃダメかな」


「それは本当に?」


「もちろん嘘だけど? 現実が嫌なのは今に限った話じゃないしねー」


「……それじゃあ、どうして?」


 佐藤はいかにも気だるげで、言いたくなさそうで、重すぎる口の重量で顎が外れてしまいそうな表情をしていた。そんなに言いたくないのか。佐藤が口をつぐむような事情とは何なのか。唾を飲み込むと、彼女は私の瞳をしっとりと見つめてきた。


「前にも言ったけど、鈴木のことがになったからだよ」


 瞬きをして、呼吸をして、自分の小指にある黒子ほくろを見る。それからもう一度呼吸し直すと、改めて言葉の意味を飲み込んだ。「鈴木」「大嫌い」「なった」。思いも寄らない理由というか、こういう内面世界に陥る理由とは往々にして家庭問題とか、もっと深い理由があるものだと思っていた。なのに、そんななことに頭を悩ませていたのか。びっくりした、というよりも呆れる。

 今度は私が佐藤の瞳を見つめると、腹の底にある荒熱を吐き出した。


「それ、私のセリフでもあるんだけど」


「……えっ?」


「私も佐藤のことが会った時からずっとだよ」


 佐藤は完全停止したように動かなくなったかと思うと、そのまま目の前の佐藤は他の佐藤たちによって運ばれていった。代わりに棺に入った別の佐藤を運んでくる。目をつぶっていたので眠っているのかと覗くと、起き上がろうとした佐藤とおでこをぶつける。痛みの余韻にお互いその場で息を殺し合うと、引いてきた頃に見つめる。


「えっと……えっ? 鈴木ってアタシのこと大好きじゃなかったの?」


「もちろん大嫌いは嘘だけど。……でも、全てが嘘というわけでもない。嫌いなのは嫌いよ」


「えぇ……冗談でしょ? なんだかんだいって、好きとか」


「勘違いしているかもしれないけど。……私が今まで佐藤に付き合ってきたのは、単純な息抜き。それ以上の理由はないし、佐藤じゃなくても別に構わなかった」


「それじゃあ、アタシがこのミュトスに賭けた可能性は全部無駄だった……の?」


 目を点にしてまた動かなくなった姿に、あぁと声が漏れる。私が今までいくら塩対応してもめげずにこっちを向いて来たのは、素で私が好きだと信じ込んでいたのか。腐れ縁みたいなもの、だと思って縁切りもできないままズルズルと関係性を続けていた。そんな私の対応を、好意として解釈していたなんて。……もしかして、ドМタイプなのか。なんだか覚えのある感覚に小首を傾げると、目の前でまた棺の中に引きこもろうとしているのに待ったをかけた。ここまで来て引き下がるわけにはいかない。というか、この感触だったらいける。私のペースに持ち込んで、説得ができる。そう思っていた。


『修復率99%』



『思考発見――ロゴス・ユーリカ――修復完了。第三のミュトスを開始siまsu』



 ダメだった。あと一歩の所で、視界が歪む。もうあと一手だったのに歯ぎしりをしつつも、無常にも次のミュトスへと引きずり込まれる。

 次のミュトス……三つ目のミュトスは、「空中」だった。これで陸海空の制覇かと思っていると、おかしなことに気付く。空に大きな亀裂があったのだ。今までのことを思い出して今回はあそこまで飛んでいくことができたりするのかと思っていると、案の定、水平に動けた。そうでもないと空中にいられるわけないよなと自分で自分を納得させると、思い切って亀裂の向こう側へと入ろうとする。だが、いけない。薄い膜が張られている。仕方なく向こう側に何があるのかぐらいは見ようかと膜に鼻先を凹ませてみると、目を疑った。

 そこにあったのは、まさしく現実だった。それすらも作られた虚構なのではないかと言われたら言い返せないのだが、その事実を決定づけるかのように、私と佐藤が隣あって眠る姿が映し出されていた。しかも、丁寧にもお互いから生えた植物が絡み合っている。中央に支柱が立てられているのもシュールで面白い。

 こうやって生存確認ができたのなら、次に考えるべきはミュトスを突破する方法だ。今までの前例を考えると、ほぼ確実にこのミュトスにも「人」なのか「物」なのか分からないが、そういう案内系のキャラがいるはずだ。小一時間飛び回って探してみる。

 だが、いない。前回も大概見つからなかったが、今回は髑髏みたいな目に当たる物体がない。強いて言うなら亀裂は存在するが、これが喋るとは思えない。どうしたものかと迷いつつ、膜の向こう側を見つめる。私たちの眠る場所に忍び寄る影。誰かと思っていたが、見たことがある。佐藤の両親だ。私の蒸発して消えた両親とは違い、ワックスをかけて枝毛一つもなさそうな金髪の女性とアニメに出てきそうな茶色の髭を生やして正装をした男性。どちらも品が良さそうで、絶対に良い香りがしそうだという確信があった。さすがに匂いまではこの膜を超えて伝わってこなかったので、妄想で補う。二人は私には目も暮れず、佐藤の容態を心配そうに見つめている。


「……あー、もう」


 そういうものだと分かっていても、感情は揺らぐ。こんなにも愛されている癖に、少しも愛情を返さないのは、やはり。ブレーキをかけると、目を逸らして青空の方を見た。直視すれば目が焼けてしまいそうな太陽と、白い雲と、あとは鳥。


「……鳥?」


 目の前を飛ぶ鳥。大きい鳥。クトゥルフ神話から北欧神話と来て、次に来るのは鳥。思い付くのはホルスだろうか。あるいは、太陽神ラーとか。そうなるとエジプト神話なのだが、これは調査するにも「砂漠を横断するのは嫌!」という佐藤の一声があってやることはなかった。なので、佐藤本人の記憶にないものが存在するのはおかしくなる。それだったら、これは何なのか。悩んでいる内に、鳥の方がこっちに来てくれた。赤い羽根をした、オウム、だろうか。


「おいおいおい! あれだけ露骨に主張していたんだから、気付かなかったのかい?」


「あー……ごめんなさい。それで、キミがこのミュトスの案内人?」


「そう。第三……多分最後のミュトスの案内人、なんだけど。名前が分からないんだよ。冗談とか権謀術数を張り巡らせた嘘ではなく、ね」


「自分がどの神話由来とかも?」


「そう。……本来なら、こういう少人数構成のミュトスってシステムの性質上、全員が”役”の扱いになっているし、名前とかミュトスの特質を頭に叩き入れられているはずなんだけどね」


 何が悪かったのかなと真剣に悩む姿は、どこか馬鹿らしい。一瞬佐藤の面影が重なったが、いやそうでもないな、と解釈の袖を戻す。

 それじゃあ名前以外の要素は覚えているのかと聞くと、なんとこのミュトスのクリア条件まで覚えていた。こんな親切で良いのか、裏切って来ないかと不安に思ったが、今のふわふわしたオーラを見る限りだと無さそうかと信じてみることにした。裏切られたら、まぁその時だし失敗することにはもう慣れた。


「それで、クリア条件って何なの?」


「あぁ、それなんだが……僕の記憶には”亀裂を埋めること”ってあるんだ」

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