その3 アイ・アム・ヒーロー?

 この地下世界をどう扱うべきか。所詮は「佐藤の内面世界」でしかないのは理解している。佐藤さえ目覚めてしまえば、夢が覚めるように全ては無かったことになる。

苦しさも、そこにあったという空想も。

 普遍的な正しさのない問題に悩みつつも、眼鏡妖精は偽物について話してくれる。

コボルトたちが運んでいるものは「ピクシーの魂」。眼鏡妖精の両親が殺された時の魂はまだこの地下世界に多く残っており、今でも残留している。それを捕え、偽物を維持するための燃料として使っているらしい。


「その魂って、キミみたいな元の姿に戻すことはできるの?」


「それは……無理、だよ。一度流れの一部になればまた一巡して新たな生を得ることでしか肉体を持つことはできないんだ。でも、あの偽物の太陽を維持するための燃料として使われてしまえば……」


「もう、蘇れない?」


「正式にはもうピクシーになれない、って話なんだけど。……もしも救出さえできたのなら、ティターニア様がきっとまた循環の中へ還してくれるはずなんだよ!」


 眉間が焼けてしまいそうなほど見つめてくる姿には、つい腰が引けてしまった。不用意に眼鏡妖精の提案に加担してしまうのは、直感的に危険な匂いがした。だが、このまま地下世界を探索してもまた佐藤と出会える確率は低い。その間に一か月も経ってしまえば苦労が水の泡になる。

 息を吸い、小指を差し出す。すぐにその意図を理解したらしい眼鏡妖精は、開花したように目を輝かせ、コツンと小指をぶつけてきた。小さな小さな「誓い」。所詮は全てが覚めてしまえばどうでもよくなる「約束」。これで良いのかという不安を抑えつつも、この行動は”正しい”、何もしなければ何も起こらない、なんて鼓舞を自分で自分にかけていた。


 二人の目標を整理するが、私と眼鏡妖精の最終的に到達したいのは「太陽への燃料供給をやめさせる」ことだ。手段としては幾つか考えられるが、まずは一番簡単な方法。それは「運んでいるコボルトを強襲すること」だ。そうすれば自ずと運ばれた妖精も助けることができるし、どこに運んでいるのかも探し出すことができる。武器を持っていないコボルトなんて、ただのでくの坊も同じだ。倒すことは容易だ。

 早速計画をまとめると、まずは人目に付きづらい場所を探した。何度か魂を詰めた袋を運ぶコボルトを見つけると、路地裏に引きずりこんで頭をかち割る。正直戸惑いがなくはなかったが、そうしなければ、コボルトたちは巨大な音を立てて破裂してしまうらしい。そんなことになれば武器持ちに見つかってしまうし、そもそも彼らとて他者の命を犠牲にしているのだ。その論理には多少の破綻があると自覚しながらも、ピクシーたちのためにと殺していく。どうせこれは虚無だ、終われば無かったことになる。

 数日間そんな行為を繰り返している内に、彼らが魂を運んでいる場所が分かった。その施設はちょうどあの太陽の下にある高い建物だった。どうせ私も佐藤を見つけるために行かなければならない場所だったので一石二鳥だ。そこの入り口までやってくると、カタカナとひらがなが生んだ子どものような文字の看板があった。陰から何と書いてあるのかと睨んでいると、耳元の眼鏡妖精が「”ヴォル・モスラの燃料投入施設”って書いてるよ」と教えてくれた。ヴォル・モスラ。どこか既視感が覚えたが、特に思い出すことができなかったので諦めた。

 自動ドアの兵士がお昼ご飯を食べに行ったのを確認すると、その隙に中へと忍び込む。中にはお昼なので人気……コボルト気が少なかったが、奥の方で赤色の肉を緑色のパンでサンドされたものを食べるコボルトが一人いた。ちょうど二階への階段の前に座っており、避けることはできない。


「おいら、殺してしまった方が良いと思うな。なんなら、陽動しておいてくれたら殺しておくけど?」


「別に殺しても良いけど。……彼、何もしてなくない?」


「そうかな? 今生きてるコボルトたちって皆、他の妖精たちを殺しているんだよ? だったら、殺されても仕方がないよ。そういう覚悟もないのにそんな行為をしているのって、おかしくないかな?」


「それはそうだけど……でも、作戦には関係ないのだし、やっぱり彼を殺す必要はないよ。彼だって、ほら……コボルトの王様? とか貴族? みたいな人たちに強要されているかもしれないしさ」


「……知らないよ、そんな誰かの事情なんて。あいつらは過去に他の妖精を殺していて、今も犠牲にし続けている。だったら、悪い奴だよ。そんなに複雑に考える必要はないし、単純な話だよ」


 そうかもしれない。そう、なのだろう。誰かを殺すことは「悪」であり、それで大きな犠牲を生み出しているのならそれもまた、「悪」であるはずだ。だったら、彼らを殺すことだって「正しい」はずだ。「正義」であるはずだ。……うん。私は眼鏡妖精が懐から小刀を取り出したのを確認すると、身体能力を生かし、彼の目の前に姿を見せる。案の定部外者が入って来たのに驚いた表情を見せたが、タイミング悪く私のお腹が鳴ると、食べていたパンをこちらに向けてきた。


「えっと……なに?」


「一口、たべ……る? その……お腹、空いてそうだから」


 答えに口が淀んだ。受け取ってはいけない。情を持ってはいけない。だが、心臓は求めていた。肉に振りかけられた香ばしいスパイスの匂い、バンズに練り込まれた赤色で辛そうな粉。食欲をそそる見た目に手を伸ばしそうになったが、でも、”ダメ”だった。眼鏡妖精は嬉しそうに彼の脳天へ小刀の先を向けると、勢いよく刺した。まるでその頭が風船だったように弾けると、緑の血が私の頬を濡らす。ねちょねちょして人外じみているが、それでも、生きていた。その感触が人間ではないが、確かに今さっき、彼が生きていたことを証明していた。残った身体部分はまだ動いており、まるで頭を探しているかのように動く。何をしているのかと思っていると、吹っ飛んだあのハンバーガーみたいな食べ物を、掴んだ。それを私の前まで持ってくると、震える手で渡してくる。怖い。次の瞬間には死んでいるはずなのに、どうしてそんな行いができるのか。理解できない。なのに、身体はその食べ物を受け取っていた。肉体もやがて弾けてしまうと、ただ緑の液体だけがその場に残った。


「そんなものは汚いし捨てちゃいなよ。あいつらの血はただでさえ穢れているんだから、お腹壊すだけじゃすまなくなるよ?」


「うん。そう、だよね。……行こっか」


 先へ先へと飛んでいく眼鏡妖精の姿から目を逸らすと、私は手に持ったハンバーガーらしき食べ物を見る。無意識の内に唇を寄せ、歯で砕いた。……うん、美味しい。唇の端に付いた緑を手の甲で拭うと、残った分はその場にお供えした。全部を食べられるほど、私は驕れなかった。今からすることは、もっと傲慢で、コボルトをたくさん殺す行為であるはずなのに。調子が狂うなと自分の頬を叩く。

 二階にも三階にも人気はない。あまりの緩いセキュリティに怖くなったが、眼鏡妖精は「あいつら平和ボケしているんだよ!」と大声で笑っていた。バレたら洒落にならないしそこまで自惚れるほど驕ることはできなかったが、正直、私の心はそんな気分じゃなかった。それがどんなに憎んでいる相手とはいえ、ついさっき、初めて誰かを殺したのだ。心が引き摺るようなことはないのだろうか。あれほど親しみ深かった眼鏡妖精のことが、どんどん理解できない存在へと変わっていく。怖くて、恐ろしくて、もうこんな計画を降りてしまいたい。なのに、一度投げたサイコロは、私の思惑を無視して最悪も最高も生み出してしまう。その勢いに逆らえるほどの強い意志もなく、「IF」を心臓の中心に据えて前へ前へと進んでいく。

 五階までやってくると、太陽ともほぼゼロ距離だった。コボルトの言葉で「コントロールルーム」と書かれている場所を見つけると、さっさと入った。中には青を基調とした服にネクタイを丁寧に付けたコボルトが、操作盤の前で眠っていた。口元から漂ってくる匂いを嗅ぐ限り、お酒を飲んで泥酔しているのだろう。起こさないように気を付けて操作盤を見ると、ちょうど「緊急停止」と書かれた赤色のボタンがあった。眼鏡妖精に目配せすると目を輝かせて、そういう感慨もなくガラスを割ってボタンを押した。鼓膜を破ってしまいそうなブザー音に心臓が裏返ったような心地になると、コボルトが起きて、私たちの方を見る。


「し、侵入者だぁー!」


 眼鏡妖精が殺す数秒前、それだけ言い残して彼も弾けて死んだ。また血が私の頬を濡らし、心の鼓動は激しくなっていく。あのハンバーガーを食べてしまってから、色んな物事の是非が余計に分からなくなっていた。太陽が完全停止したのを確認すると、下の階から完全武装した兵士たちがやってきていることに気付く。


「あれも、全部殺さないといけないの?」


「いやぁ……どうにかおいらたちみたいに空を飛んだりとかできないの?」


「どうやって?」


「それは……こう、胸のあたりに力を込める感じで?」


 言われた通りにやってみたが、まったく変わらない。眼鏡妖精と顔を見合わせている内にも兵士たちは続々とやってくる。もう最上階までやってきてどうしようかと目を離すと、その刹那、ダクトが開く音がした。


「おいら、絶対増援連れてくるから! それまでは……頑張って!」


 そんな無茶なと思っている内に眼鏡妖精は行ってしまう。今の私は強いのでドアの前に詰めかけている武器持ちでも、三人程度なら勝てる自信はあった。だが、この量をどうにかできるほどこの身体も無敵じゃない。完全武装相手なら尚更だ。ちょうどさっき弾けたコボルトの席へと座る。私は……こんな血ばかり見るような争いをする選択をして、本当に”正しかった”のだろうか。正しいと、そう思いたい。そう自分を信じてあげたい。だが、胃腸の中にあるものが消化される感覚がそれ妨げる。数多の事実が私に突き付けられる。荒れ狂う心を必死に堪えながらも、私は深い息を漏らした。

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