その2 妖精たちの理想郷
「肉体と精神は表裏一体」なんて話がある。実際に廃人と化した人間は本当に生きているのか、みたいなのは哲学っぽい命題でありそうだが、この世界では両方が死んでも生き返ることができるらしい、しかも、五体満足で。だが、残念ながら服までは戻らなかったらしい。血が付いたままなのも嫌だったので服を棺桶の上に投げ捨てると、ブラジャーとパンツ一枚になる。羞恥心がないわけではないが、見られてもどうせ佐藤の一部なのだ。現実だと死んでも嫌だが、同性相手ならよく見られているので気にならない。
だが、これから行方知れずになった佐藤をもう一度探すにしても、こんな限りなく水着に近い姿で探すのは、さすがにそういう性癖は持ち合わせていないので無理だ。どこかに衣装でも落ちてないかと淡い期待を抱いていると、棺桶の下から空気が通る音がした。咄嗟のひらめきで退けてみると、下へと続く階段がある。しかも、壁に「衣装室」とまでご丁寧に書かれている。こういうのを作ってくれているのは、やっぱり服にこだわる佐藤らしさを感じる。一度死んでもアフターケアはばっちりだ。
階段を降りて行くと、まるでアニメキャラのクローゼットかと思うぐらいにびっしりと同じ服が並んでいた。同じ格好の人間を量産でもしていたのかと思わせるほど精巧かつコピー&ペーストをしたような見た目だ。その癖、肌触りは悪くない。寒いのでさっさと袖を通してしまう。
「……ん? なんだろこれ」
マントを羽織った時、襟の部分に白いタグが付いてることに気付いた。何が書かれているのかと見てみると、「吸血鬼役用サイズ」としてスリーサイズまで記載されていた。そんなのいつ測らせたのかと思いつつも、こればかりは記憶がない。ただ、そう言われてみれば、ロシアにチェルノボーグが実在するのか!? という話で探索へ行った時にやけにぴったりの服を貸してくれたことを思い出す。偶然なのかなぁと思っていたが、その後に思い返せば「うちの専属デザイナーさんお手製なんだよ」と笑っていたのを思い出す。まさか、佐藤の内面世界に来てからそんなことに気付くなんて、思いもよらなかった。衣装室から上がってくると、ちょうど部屋のドアが閉まる音がした。まさか、佐藤が様子を見に来たのだろうか。なんにしても、絶好の手がかりを逃すわけにはいかない。全速力で追いかけることにした。
部屋の向こう側には前と右、二つの方向へと廊下が伸びていた。縦長の窓から見える限りだと、向こう側でぐるりと一周に繋がっているらしい。手がかりがどっちにいたのかは全く不明だが、人から逃げるにあたって右に曲がるやつもおるまい。前へと進むことを決める。
窓の向こうではすこぶる天気が悪い。ごろごろと雷が鳴っており、時折目の前が真っ白になってしまうほど近くに落ちる時がある。その時は反射的に耳を塞ぎ、音を遮断する。もう大人だし苦手、というわけではない。そういう設定があるだけで、一気に「あたしぃー雷怖くてぇ」という実在してほしくないのに実在するタイプの、なんかやけに媚びるタイプとかではない。怖くないわけでは……ない、が。少しでも雷の恐怖から遠ざかるために壁側に頬を擦りつけるようにして歩く。
棺桶のあった部屋からはもう数十分が経過していた。雷が無理な私からすればさっさと手がかりを見つけてこんな佐藤の内面世界からはおさらばしたい所だったが、この館にある部屋には鍵がかかっているものばかりだ。防犯意識があって偉いと思う反面、こんな面倒な手間をかけさせるなんて大昔のゲームにあるお使いクエストなのか、と溜息もつきたくなる。
「いつまで迷っているのかしらね」
背後からの高い声に背骨が千切れてしまいそうになる。佐藤のものではない。しかもキラキラとうるさい音が聞こえてくる。
「いつまで迷っているのかしらね」
「いつまで迷っているのかしらね」
「いつまで迷っているのかしらね」
耳が千切れてしまいそうなほどのキラキラ音。これでヘッドフォンでも付けていたら鼓膜が破れていたかもしれない。一周回って雷の音が気にならなくなったが、三人も出てくると不快度指数がマッハで上昇する。一体何者なのかと振り返ってみたが、誰もいない。幻聴なのかと身を震わせていると、足の爪先を思いっきり蹴られた。痛みに廊下でのたうち回っていると、ちょうど”彼ら”と目が合った。スマホよりは小さくて、かりんとうよりは大きいサイズ。人型ではあるのだが、背中に羽が生えている。
「もしかして……妖精?」
「そうだよ。私たちはピクシー! とってもいたずら好きでキュートな妖精!」
「キュートじゃないよクールアンドビューティーだよ!」
「違うよ! オーガニックの有機栽培無農薬だよ!」
「……言葉の意味、本当に理解してるの?」
「酷いな、人間って」
「違うよ、今は”吸血鬼”じゃない?」
「オーガニックの有機栽培無農薬だよ!」
妖精たちは口論を広げると、そのまま飛び去っていこうとする。さすがにむざむざに手がかりと「さよなら!」をするわけにもいかないので話しかけてみたが全く聞き耳を持ってくれない。このままだと不味いと思ったので、咄嗟に一番低空飛行をしていた一匹を両手で捕えた。これは……「オーガニックの有機栽培無農薬」の子のようだ。老眼鏡みたいな小さな眼鏡をかけており、狐みたいなとんがった目をしている。
「わーわー妖精への虐待? 児童相談所へ訴えるよ?」
「妖精にも児童相談所があるの」
「それは……ないけど? でもティターニア様ならいるけど」
「シェイクスピアの空想でしょ?」
「それを言ったら全ての神話やおとぎ話に”確かな根拠”なんてないよ」
「それは……そんなことより、なんか私みたいに大きいサイズの人間を見なかった? こう……長い赤髪、みたいな」
「他の人間? うーん、おいらたちって面白そうなやつ以外は歯牙にもかけないからなぁ。……あっでも、ティターニア様なら分かるかも」
「その人には会える?」
「うん。どうせ今から追加の”甘い水”を貰いに行く所だったから、連れていってあげてもいいよ」
ズレた眼鏡を直すと、私の方へ小指を出してきた。なんだか某映画っぽいなと思いながら右手の小指を差し出すと柔らかい感触が指先に触れた。拘束から解き放ってあげると、オーガニックの妖精……眼鏡妖精は水を得た魚のようにして「こっちこっち!」と自由気ままに空を飛び回りはじめた。
ティターニアの元へ至る道中は館だし平坦な道かと思っていたが、本棚の裏、ベランダからベランダ、ちょっとぷっくり膨らんだお腹で詰まらないか不安になる細いダクト……とおよそ人間が通るには向いていない通路ばかりだった。向こうは小さくて自由だが、こちらは大きくて不自由な肉体である。ピーターパンではないが、魔法の粉で飛べるようになったりしないかと尋ねてみた。だが、返答は芳しいものではなかった。「そもそもおいらたちはピクシーだし、この館に他にいるのはコボルトぐらいだよ」が彼らの主張らしい。ティンカーベルはもはやティンカーベル、という種なのか。
最後のダクトまでやって来ると、直前で眼鏡妖精からストップをかけられた。
「これ、妖精の領域に入るなら飲んでおいて!」
渡されたのは白濁の液体だった。サラサラとしていて、桃の水みたいだ。正直怪しさ満点だと思ったが、ここで従わなくて入れてもらえなくなれば、私は完全に道を失う。それは避けたいので大人しく飲む。味はとても甘い水だった。麻薬ではないようだが、身体がふわふわとしてくる。軽いトリップ状態に至っている、のだろうか。これをいつも飲んでいるんだよと笑う眼鏡妖精に背中へ悪寒を走らせる。
ダクトを抜けると、理想郷を体現したかのような庭園へと出てきた。いくつか設置されたライオンの口からは水が流れており、庭園の溜池へと流れ込んでいる。その上では数十匹ものピクシーたちが舞い踊り、笑い、イタズラをし、怒り、鱗粉を撒き、また笑っていた。ここだけ切り取って写真にすれば「妖精のスナップ写真です!」とこういう宇宙人は実在すると思っているタイプのマニアへ高値で売れるのかなと下賤なことを考えたりする。
眼鏡妖精の指示に従って中央にあるお茶する場所へやってくると、その奥地ではギリシャ神話に出てくるタイプの美しい女性が金色のお茶を飲んでいた。眩しさに目を細めつつ耳打ちしてくれた通りに膝をつくと、女性はアルカイックスマイルみたいな微笑みを見せる。
「神聖なる理想郷へようこそ。わしは妖精女王であるティターニアです。人の子よ、そなたの名は?」
「えっと、はい。私の名前は……ケイカと申します」
「なるほど。かの”忌まわしき異教”の花に取り込まれた弊害でこちらの世界に来たようですね。肉体は大丈夫ですか?」
「は、はい。向こうの世界で一カ月は延命してくれる、と約束していただいています」
「そうですか。……それでそなたが探しているという人の子なのですが、つい数時間前にやってきてとても面白い話を話してくれました。お礼にこのあたりの伝承についてお教えすると、コボルトたちが住む”地下世界”というものに興味を持たれました。人の子は”一人で行くのは危険です”と静止するのも気にせず行ってしまったのです」
”地下世界”。いつかアガルタを探しに行ったこともあったが、今回は手の届く範囲にある。服の襟を正すと、引き続き眼鏡妖精を案内役として連れていくことを許可してくれた。本人はかなり不服そうな顔をしていたが、ティターニアから何か特殊な言語(妖精の言葉だろうか?)で耳打ちされて手紙を押し付けられると、身を震わせて頷く。私の方へやってくると、「誓いの印だ」と小指を差し出してくれた。今度は親指で突き返すと、思いっきり足で蹴られた。小さい癖に力は強い。
「ほらケイカ、さっさと行くぞ?」
「……うん」
今の痛みでふと冷静に帰ったが、何かがおかしい。眼鏡妖精の後を歩きながらも、その違和感を上手く形にできなかった。いつもならできる思考が強烈なモヤモヤによって阻害されている。そんな感覚があった。やはり、あの白濁水を飲んだせいなのか。悩みに悩んでいると、額を思いっきり蹴り飛ばされる。何事かと思っていると、いつの間にか目の前に巨大な門があった。これが”地下世界”への入り口だよと眼鏡妖精は説明してくれる。門の前にはピクシーとは違う、緑の肌と犬に似た顔を持った生き物がいた。いわゆる個人的な認識としては「ゴブリン」に近いのだが、彼らがそう呼んでいるのでここは「コボルト」としておく。
門を通ろうとすると、身の丈の二倍ほどある槍を私の喉に突き付けてきた。
「この先は神聖なる神が実在するコボルトの国、”ヴォル・モスラ”である。汝ら、どのような用で参ったのか?」
「女王様からの令状ちゃんと持ってきてるし、いちいちそんな文言を言う必要ないよ。何のために不可侵条約結んだか分かってるの? ……全く。これだからコボルトはダメなんだよねぇ」
「そのような軽薄な言葉ばかり重ね、瞬間的な快楽によがり、何者も信仰しないピクシーどもの方が妖精として劣っていると思うのだが?」
「はぁ? 難しい言葉ばっかり並べて異界の神に心酔して自分の無いコボルト如きには言われたくないよーだ!」
あっかんべー! と子どもみたいな挑発をすると、門番たちは眼鏡妖精から渡された手紙を、あろうことか、ビリビリに破いてしまった。そのまま私の喉元へ向けていた槍を振り回すと眼鏡妖精と喧嘩し始めた。二対一で不利な状況だし助けるべきなのだが、中途半端に関わって地下世界立ち入り禁止! とかされると面倒だ。遠目から見守っていると、やがて三人はぜぇはぁと呼吸をして、その場に倒れ込んだ。私はそっと眼鏡妖精を拾い上げると、「それじゃあ通りますー……」とだけ言って門を通った。
壁に松明が一定間隔で設置されているとはいえ、一寸先が暗闇の世界は怖い。平安時代の夜が怖かったのも理解できてしまう。坂を一歩下る度に音が反響して、不本意な響き方に自分で怖くなる。眼鏡妖精は手の上で休憩して少しずつ元気を取り戻していたが、肉体的疲労とは別に元気を失くしてる様子だった。元気付けるつもりで頬を突いてみたが反応はない。
「……大丈夫?」
「体調不良、ってわけじゃないんだけどさ。……ここの地下世界ってあんまり好きじゃなくて」
「どうして?」
「それはほら、あの……ね? コボルトたちはただの雑魚だし気にならないんだけど、その……探している人が見つかればすぐに外へ出るからね? おいら、ここに長くいたくないからさ!」
ドライアイ人間の瞬きみたいな、不自然な羽の動かし方。疲れているのなら私が持っていてあげるのだが、どうにかピクシーとしての尊厳を守りたいのか、頑張って飛び始める。時々落ちかける度にキャッチすることになるので、正直、大人しくしてほしいという気持ちの方が強い。
坂も終わると、暗闇を打ち消すような明かりが見えてきた。近距離にある太陽のようなもので、視認しようとすれば目がおかしくなること間違いなしだった。せめてもう少し光量を抑えてくれたら良いなと思っていると、向こうに膨れ上がった袋を持つコボルトの集団と目が合った。露骨に嫌そうな表情を一瞬見せたが、やはり関わりたくないらしく、あの光の方へと走っていた。フラフラとしている癖にその背中へあっかんべー! をすると、すぐに私の手の上でへばってきた。
「そこまでコボルトが憎いの?」
「憎いよ! ……実はおいらの両親、コボルトたちに殺されたんだ。幸いおいらは床下に隠れていたから生き延びることができたんだけど、でも……やっぱり、許せないよ」
小さな身体に宿る激しい憎悪。目の中に潜む”怪物”は目の飛び出た深海魚のような迫力で、反射的に身体が仰け反ってしまう。よく分からないが、コボルトたちとピクシーたちの間にはそういう争う「原因」みたいなものでもあるのだろうか。頭に軽く小指を当ててぐりぐりすると、嫌そうな表情を浮かべた。
「……なに?」
「なんでもないよ。……ただ、全員が全員そうというわけじゃないよ、きっと」
「そうだとしても、殺したのがコボルトであるという事実は変わらないよ。恨むべきが個人だとしても、そういう風に決めたのは”皆の雰囲気”……なんだから」
手の平であくびをすると、彼女はそのまま眠ってしまった。そういう所は子どもらしい。せめて宿場まで案内してほしかったが、起こすのも可哀想だ。服の内側にあったポケットの中へ彼女を入れると、時折見かけるコボルトたちの邪魔にならいようにとなるべく壁に沿って町へと脚を踏み入れる。
入り組んだ道を歩きながら、暇そうにしているコボルトたちへ佐藤について聞いた。だがどのコボルトたちも「知らない」「見たことがない」の一点張りで、全く情報が得られない。道端に座り込んで考えてみたが、確かに紹介状がなければあの門を通ることも難しいだろう。まだ起きない眼鏡妖精に溜息をつきながらも町を眺めていると、ふと、前方に茶色のフードの者が見えた。それも、コボルトサイズではない。明らかに人のサイズである。私はすぐに立ち上がると、前方を通過しようとしていたコボルトたちへ衝突しそうになりながらも、そのフードの人物を追いかけていく。
だが向こうもこちらの存在に気付いたのか逃走を図る。全速力で走ったが、それ以上に相手の足は速かった。いくつか路地裏を曲がる行為をした末、ついぞ姿を見失った。思わず「クソっ」と言葉を漏らしてしまうと、ポケットの中で寝ていた眼鏡妖精が起きた。
「何かあったの、ケイカ……?」
「……何でもない。それより、このあたりで隠れられそうな場所ってないの?」
「ありすぎるけど。……あっ、だったら”絶対に見つけられる方法”があるよ」
そう言って案内してくれたのは町の中央にそびえ立つ太陽の……真下。そこではコボルトの集団がなにやら太陽へ向かって土下座している姿が見えた。いつの間にか肩で休憩していた眼鏡妖精の肩を叩くと、あぁと声を漏らした。どうやらあれは「偽・太陽礼拝」と呼ばれる文化らしい。どこが「偽」なのかと思っていると、私が言わなくても勝手に語りはじめた。
まず前提ではあるが、この地下世界の太陽は「偽物」である。本物はこの佐藤の内面世界においても、館の外にあるらしい。それじゃああの偽物はどういう経緯で生まれたのかという話になると、私へ路地裏に入るように迫ってきた。そこまで厳重にして話すことなのかと思っていると、耳たぶに手を当てた。こそばゆい。
「おいらの両親が殺された話はしたよね? アレってね、どうして起きたのか分かる?」
「えー……コボルトたちの中にピクシーが嫌いな人がいて、みたいな話ではないの?」
「それもあるよ。でも、おいらの両親が殺された時期って他のピクシーたちも大量虐殺されていてね? だからある時、ティターニア様に聞いてみたんだ。どうしてコボルトたちはあんなひどいことができたんですか、って。そうしたら、”異教の神が太陽を求めたから”、って」
「……待って。それじゃあ、あの太陽の中身って」
「そうだよ。その時に死んだピクシーたちを燃料にして、あの太陽は光り続けているんだ」
つい見てしまうと太陽の眩しさに眩む。だが、同時に辛さが込み上げてくる。怒りが込み上げてくる。恐怖が込み上げてくる。この眩しさは、命の輝き。酷く美しくて、とても醜い、恒星なのだ。佐藤の内面世界の出来事でしかないと理解しているはずのに、どうしようもない感情が胸を蝕んだ。
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