虚無型ミュトス「クソ髑髏と虚無の怪物」
その1 メタ視点を持つクソ髑髏
私は映画館の客席に座っている。手足の拘束も復活していた。まさかあんな馬鹿な失敗を起こすとは思っていなかったし、まだまだあの地下世界には未探索の場所があった。後悔した所で戻れないことは分かっていたが、やはり心にモヤモヤは残る。これであの地下世界は「無かったこと」になり、私が感じた苦痛も殺したという感触も全てが夢の前の塵に同じと成り果てるのだろうか。胸が息苦しくなるのを感じながらも、肺の奥底から息を吐き出して気持ちを整理する。
前方にある巨大なスクリーンにはセピア色の映像が流されていた。少しバージョンアップしたなと思いつつ映像を見ると、今回は放課後の一シーンだった。これはいつ頃だろうか、と思ったが、すぐにおかしいことに気付く。そんなことはありえない。私と佐藤が出会ったのは、高校卒業後の六月である。前のトイレ騒動が七月のことであったのだし、佐藤の通う大学は私学の賢い某有名校だ。「放課後」なんてものは存在しない。ありもしないシチュエーション、ありもしない二人だけの空間。一周回ってこれが佐藤という人間の中にあることを怖く思っていると、彼女は私の手首を引っ張って、屋上へと連れて行く。雲一つない空を眺めながら、夕焼け色に染まる私を見て目を細める。
『アタシたちの青春も、あと三ヶ月もないのかー。 それが過ぎたら全部終わり』
『当たり前。やっと、キミとの日常も終わる』
『……鈴木はさ、アタシと過ごした日常のことをどう思う?』
『楽しかったよ。とても楽しくて、幸せだった』
『そうなんだ。鈴木ってそんなことを思っていたんだ。珍しいね、そういう事を自分から話すなんて』
『じゃあ例えばさ……今言ったことが冗談だって言ったらどうする?』
『どう、って。さっきのは嘘だったの?』
そこで無声映画のように音が消える。口をパクパクと動かす私の姿からはどう言っているのか判断がつかず、言い終わるとまた音が戻った。……それにしても、他人が理想化した自分というのはこう、どうにも歯がゆさを感じてしまう。佐藤みたいな元気なタイプからすればそう見えているのも理解できるが、実際の私は絶対にそんなことを言わないし思わない。佐藤との日常は苦痛だし、恨みもあったし、言葉にできないような憎悪がたくさんあった。汚くない自分というのは、怖い。
他愛のない会話がそれから続けられたが、どこかぎこちない。あの聞こえない空白の間に存在した理想化された私が言った言葉に、何かあったのか。理想化された私はそんな佐藤に小首を傾げる。
『どうかしたの?』
『……ううん、なんでもないよ』
それは全てを封じてしまう魔法の言葉。どこにもいけない閉塞感があって、誰も通さない堅牢な要塞へと心を変えてしまう呪いに限りなく近い。映像が消えると、また世界が歪んでいく。本当にこの映像で佐藤は、あるいは佐藤の無意識は。何を伝えたいのだろうか。
『思考発見――ロゴス・ユーリカ――設定完了。第二のミュトスを開始します』
「水の中」に落ちた。現象としてはそう表現するしかなく、水の感触に私は焦る。窒息死してしまう。早く、水面へと上がらなければいけない。だが、どれだけ上に向かっても水面は見えてこない。それどころか、肉体が疲弊し、意識を失ってしまう。
次に目を覚ますと、私は「水の中」だった。だが今回は気付く。私は呼吸ができる。肺の中にはしっかりと酸素が行き渡るし、山の上みたいに息が苦しいというわけでもない。杞憂に踊らされたと自分のことながら恥ずかしく思う。
周囲を見渡すと建物の残骸ばかりだった。崩れた館と運良く生き延びた柱、壊れた石畳にボロボロの布切れ。それと、うず高く積まれた
前の世界のことを思い出して気分が悪くなってきたが、何もしないというのも違うような気がした。なるべき目を合わせないようにして黙禱だけ捧げると、そそくさと背中を向けた。その瞬間、背後から私の背中に勢いよく固いものがぶつかってくる。痛む部分をさすりながら何かと思っていると、それは髑髏だった。拾い上げると、ちょうど手の平サイズだった。おそらく、一番上から落ちてきたのだろう。元の位置に戻してあげたいが、さすがに髑髏たちを踏むのは心が引けた。しばらく持っているとなんだか嫌な感覚が背中を走ってきたので、心の中で謝りながら山の下へと戻した。
離してからも身体がぞわぞわしていたが、前の世界のことを思い出して少し気分
が悪くなっているだけだと思うことにし、気分転換がてらに町の探索へ向かうことにした。
前の世界……ミュトスの時は案内人がいたが、ここでは誰もいない。一人でこの広大な場所を歩いて探していると、自分でも思った以上に大変だ。なんだか身体も前より疲れやすくなっている気がする。体感で数時間町を探して何も見つからないでいると、適当な布切れを毛布にして壊れた建物の中で仮眠することにした。自分で思っていた以上に疲れていたらしく、目蓋をつむった瞬間に意識は途切れる。次に目を覚ましたのは、あたまに感じた激痛のせいだった。起きてすぐに髪を抑えると、手の甲に固いものが触れる。石でも掴んだのかと手で掴んでみると、なんだか丸っこくてくぼみがある。変な石だなぁと思って目の前に持ってくると、その造形につい壁へ投げ捨ててしまった。髑髏。しかも、地面へ落ちた瞬間に目の部分が紫に光り、顎の骨がカタカタと動いていた。今度のミュトス? には妖精のような可愛いものではなく、骸骨みたいなハロウィンの仮装にでもいそうなのがいるのか。最悪だと思い、ひとまずこの場から逃走しようとしたが、ズボンの裾を思いっきり引っ張られて転んでしまう。
「全く、出会い頭に暴力とは酷いじゃねぇか。地元では有名なヤンキーなのかい?」
「ど、髑髏なのに喋るの?」
「そらそうよ。前のミュトスでも見ただろう? あんな空想みたいな妖精が喋るんだ。俺みたいな髑髏が喋ってもおかしくないだろ」
言われてみれば確かにそれもそうだ。自分でも分からない内に冷静になった思考に戸惑いつつも、ひとまず謝ると、正座をして向き合った。とても気まずい。どんな話題を切り出そうかと考えていると、向こうが先手を打ってくる。
「俺もさっき目覚めたばっかりなんだが……なんでこんなくだらない”役”をやらされているんだろうなぁ。お前はちゃんと人間の”役”をもらえているのに」
「……役?」
「役っていえば役だよ。我らが本体である佐藤が生み出した、ミュトスという世界に存在する証明書? みたいなもんだよ」
あたかもそれを知っているのが”普通”であるかのように振る舞う姿に困惑を浮かべる。証明書というのだしポケットの中にでも入っているのかとジーパンに両手を入れると、右手の人差し指に薄くて細長いものが触れた。引き上げると、それは一枚の切符だった。「2022」という年だけが書かれており、他は気持ち悪いぐらいに真っ白だ。白紙の白というよりは、絵の具で塗り固めたような白。
「これが……証明書?」
「い、いやいやいや、ちげえよ! 証明書は比喩表現。そういう形あるものじゃなくて概念的に付与されているものだ!」
つーかそれなんなんだよ、と言ってきた髑髏にも覗かせてみたが一向に分からないし見覚えもないらしい。どこからどこへ向かう切符かも分からない、謎の物体。銀河鉄道にでも乗ることができるのだろうか。捨てるのも勿体ない気がしたのでポケットの奥にもう一度押し込んだ。それで再度、髑髏から話を聞く。
まず彼の知っている情報を整理すると、ここは「第二のミュトス」。どんな場所であるかよく知らないが、周囲を山で囲まれている。いくつか整備された山頂があり、その上には、ここからだと豆粒ほどの人工物がいくつか見えること。そして、「役」についてのこと。これは重要だと思って背筋を直して聞こうとすると、彼は私の方にやってきた。
「まず、俺の役はこのミュトスの”核”だ。俺を殺せば第二のミュトスは終了するし、次……がどうなるのかは知らねえが次にいける」
「それは……殺しても良い、ってことですか」
「怖えぇよ。それはそうなんだが……良心とか、痛まないのか? 先へ行くためにこんな善心を持った髑髏さんを殺すなんて……っ! みたいな感じで」
「痛みません。こういうのは情を持てばダメになりやすいので。……それに、キミを殺すだけの犠牲で済むのならそれで十分です」
不意をついて骨を鷲掴みにすると、”いつも”の感覚で壁に頭蓋骨を叩き付ける。これでこのミュトスは終わりだ。無駄な犠牲もでないし、心もあんまり痛んでいない。一息つこうとしたが、おかしなことに気付く。髑髏にヒビが入ってない。それどころか、指先から転がり落ちる。これではまるで”いつも”の私みたいだ。そんな私に髑髏……いや”クソ髑髏”は冗談めかして「HAHAHA」とテンプレート的なアメリカの笑い方をすると、私の頭の上に乗ってきた。邪魔なので離れさせようとしたが、今度はまったく離れてくれない。小一時間格闘した末、結局諦めて頭の席を譲った。
「……さて、だ。どうやら本気で気付いていないようだから言うが、ここは”第二のミュトス”だ」
「それはさっき聞いたけど」
「だから、ここからが重要なんだよ。”ミュトスごとに役は変わる”。今のお前さんは……そうだな、俺からは”人魚”に見えるね」
人魚。そう言われて身体を見たが、別に足に尾ひれが付いているというわけではない。身体に鱗があるわけじゃない。だからって、魔女から人間になれる薬をもらった記憶もない。首を傾げる私に教えてくれる。どうやら、”役”というのは本人以外にしか分からないらしい。ミュトスの完全なる”一部”の生き物たちは認識と姿が同じだ。だが、ミュトスから乖離してその一部にならなかった生き物は”役”となる。自分の視点から見れば”いつもの自分”なのだが、他者から見れば全く異なる”役”になる。ややこしさに頭が絡まっていたが、「要はミュトスごとに”役”は変わるんだよ」と言われて理解した。まったく、面倒な言い回しをするものだ。これだから髑髏はダメなのだ。私が一人で怒りを募らせていると、「そろそろいいか?」と小声で話しかけてきた。あぁごめんと雑に頷く。
「さて俺もこんな髑髏? で良いのか、その”役”を降りて、さっさと元の世界の一部として眠りたい。だが一つ、問題がある」
「早く言って」
「気持ちは分かるが、そう急かすな。……じゃあ端的に言うが、次のミュトスへ行く方法は二つある。まずは俺を殺すこと。それはもうお前には無理だ」
「もう一つは?」
「ミュトスに仕掛けられたギミックを作動させ、”物語”を終わらせる」
「どうすればいいの?」
「いや……それだったら前の世界では”役”に選ばれなかった俺じゃなくてお前の方がよく知っているんじゃないか?」
思い出されるのは、あの短くて長い出来事。思い出されるのは、あの記憶。思い出されるのは、思い出す度に心臓が狂う。鼓動と自分の境界が分からなくなり、私の意識はダメになってしまう。震える手にどんどん中へ中へと飲まれていくのを感じていたが、頭に走る激痛で目を覚ました。何をしたのか髑髏に触れると、鼻筋に一房の髪の毛が滑り落ちてくる。頭の上では「お礼は?」としつこく迫る声が聞こえてくる。
「……そんなものは、ない、し。ハゲになったらどうするの! うちの家庭、ただでさえ皆順調にハゲていっているのに……っ!」
「大丈夫、大丈夫。ミュトスは精神的に干渉してくるが、肉体には干渉してこねぇ。遺伝は知らねえがこれが原因でハゲることはねぇよ」
それでも気分の問題があったので仕返しに口の中へ布を詰めてやると、死ぬ! 死ぬ! すまん! と自主的に謝ってくれた。分かればいいのだ、分かれば。布を引き抜いてやると、建物の外へと出る。向かうべきは、あの祠たち。……だが目を凝らして見てみると、その数は数個ではなく、最低でも二十はあるように見えていた。
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