来し方。行く末。

伯木 深

来し方。行く末。


 

 マーメイドプリンセス

     

「それでは授業はここまで、じゃあこのままホームルームにしましょうか。文化祭委員は前に出て経過報告をお願いします」

 小野寺涼風が担任を受け持つ2年4組は文化祭でドーナツ屋さんをする事になっている

 たこ焼きやフライドポテトにかき氷、様々な意見が飛び交った末にクラスのマドンナが

 ボソッと呟いたドーナツ屋さんになった。

 それまでの大激論はまるで嘘のように。

 私としては早くに意見が纏まってくれて有難い話なのだが、発言したマドンナは「私なんかの意見でいいの?」と謙虚に振舞いながらも何処か満足気であった。

 居たな、私の学生時代にも、あの子は今何してるんだろうか。医者と結婚したとか、妊娠して大学を中退したとか様々な話を耳にするが実際はどれが本当なのかわからない。

 ただ一つ言える事は、どうか私より少しだけ不幸であって欲しい。そうでないと青春の一ページを一つの呟きで奪われたこの子達が救われない。「じゃあホームルームはここまで。最近また不審者が出てるらしいから気を付けて帰るように」さよなら、号令と共に部室に走る生徒やクラスに残り放課後の予定を立てる生徒、そんな中一人の生徒が相談があると話かけてきた。「先生は何歳差まで恋愛対象になりますか?」クラスでは大人しめな生徒である立花拓人からの大胆な質問に動揺する。「えっと、私の意見だけど成人を超えている事が条件かな。ほら私もうアラサーだし」すまない少年、だがこの失恋も大きな財産になる日がきっと来るさ。

「ですよね。そうですよね。それなら良かった。先生ありがとうございます」あれ、この子振られておかしくなってしまったのだろうか。

「良かった?どうしてそんな質問を?」

「実は幼馴染みの女の子が8歳も年上のおじさんに恋してるみたいで、しかも路上ライブしているミュージシャンみたいで」

 おっと、胸が痛い。

「そうだったのね。まぁそれは恋というよりも憧れが強いんじゃないかな。ほら、女子高生って年上に憧れる時期があるから」

 何を張り合っているのだろう大人げない。

「そういうものなんですか。ありがとうございます。危く僕もミュージシャンになる所でした」良いではないか。君からは大物になるオーラが出ているよ、うちの人とは違って。


 「ただいま」帰宅すると玉葱が炒まるいい匂いがした。「おかえり。今日はスズが好きなハンバーグだよ」陽気な声で迎えてくれたのは同棲して三年になる河本聡であった。

 彼との出会いは大学に入学した春の事だ

 大学で思うように友人が出来ずに一人食堂で昼食をしていた時の事だった。

 合コンでの失敗談、誰が浮気しただのされただの。周りから聞こえてくる会話はどれも私には興味が持てずにヘッドフォンを付ける

 音楽はどんな時も私の味方でいてくれる。私は一人ではない。そう寂しくはない。

 そんな事を考えていると突然肩を叩かれる

「音漏れてますよ」

 ヘッドフォンを外し振り向くとそこにはギターを担いだ男が立っていた。

「お隣空いてますか?」断りを入れ、隣の席に座る。

「ブルーハーツなんて女子大学生にしては珍しいですね」そんなに音漏れしていたのかと少し恥ずかしくなる。

「完全に父の影響なんですよ。幼い頃から当たり前のように流れていたので」私の父は音楽教室でギター講師をしている。若い頃はバンドを組んでそこそこ人気だったらしい。

「素敵な家庭ですね。あ、挨拶が遅れました。文学部一回生の河本聡です。音楽をしてる者でついつい反応しちゃいました」

「こちらこそ。私は小野寺涼風です。というか同い年だよ」「そうなの?じゃあ友達になってよ。どうも馴染めなくて・・・。」

「私もだよ。大学ってもっとキラキラしてるものだと思ってたよ。というかコウモトって甲本ヒロトと同じじゃん」

 私の中での永遠のヒーロー甲本ヒロト、THE BLUE HEARTS のボーカルである

 彼の言葉は何度も何度でも私を救ってくれた。

「同じコウモトでも河原の河と絵本の本で河本、残念ながら一文字違いだよ」

 それから彼と親しくなるのに時間は掛からなかった。

 彼の音楽はとても芸術的な音楽では無かったが真っ直ぐで嘘のない音楽が私はとても好きだった。

 そして私達はお互いを好きになり付き合う事になった。ミュージシャン志望という決して安定のしない夢を持つ人と付き合うなんて現実主義な私には想像も出来なかったが、将来の事などちっぽけに思える程彼とその音楽が好きだ。

「スズ?」聡の呼びかけにハッとする。

「ごめん。なんだっけ、ハンバーグか。お腹ペコペコだからご飯もおかわりしちゃうかも」彼は心底優しい、そんな彼が唯一譲れない音楽はきっと彼自身のようなものなのだ。

「どうしたの?仕事で疲れちゃった?」

「そんな事ないよ。料理何か手伝おうか?」

 音楽活動をしている聡は就職はせずに楽器店でアルバイトをしている。その事を少し後ろめたく思っているのか、私より帰宅が早い時は必ず晩ご飯を作ってくれる。

「土曜日のライブ来れそう?」

 聡は熱そうなスープを冷ましながら私に問いかける

「その日は休みだから行けるよ。大舞台なんでしょ?」今週の土曜日は聡の後輩がボーカルを務めるバンドが主催するフェスに出演する事になっている。「500人くらい入る会場だからね。まぁほとんどが後輩目当てだろうけどね」聡はため息をつく。

「そうだとしても私は聡を観に行くし後輩のファンも総取りする気持ちで行かないと大物にはなれないぞ」聡の肩を叩き茶化してみる。そう、重く考えなくていい、聡にはずっと夢を追いかけて欲しい。もちろんバイトでも何でも稼ぎは欲しいが私も高校教員だし生活は贅沢をしなければやっていけるだろう。

「今度のライブで音楽を辞めようと思うんだよね」

 突然の引退宣言に言葉を無くす。

「俺らもう25歳じゃん?自分の才能にも底が見えてきたし。何よりも就活して涼風との将来の事も考えたい」

 何故か満足げな顔をしている聡に腹が立つ

「別に、今でもちゃんと生活費も半分出してくれてるし、私には何も迷惑をかけてるわけじゃないよ」

 怒りを抑えてなるべく優しい声で話す。

「そうだけど。でも結婚もしたいし。子供が出来た時の事を考えるとしっかりしないとなって思うんだよ」

 ダメだ。この感情は止められない

「何で?何で私が喜ぶ前提のような顔で話すの?しっかりしないとダメ?じゃあ今までは音楽ごっこをしていたの?夢ってそんなに軽かったの?私はあなたとその音楽を愛していた、それが何?私の為に夢を諦める?

 自分を殺して社会に出ます?何で悲劇の主人公のような顔ができるの?まるで私があなたの大切な物を奪うような言い方だよ」

 何も言わない聡に余計と腹が立つ

「私は私の好きな物をこの手で潰してしまうくらいなら貴方とは一緒に居られない」

 自分が子供なのもわかっていた。聡の気持ちも嬉しくないわけでは無かった。それでもこの感情を抑える事は出来ずに一人で突っ走ってしまう。私はお金が無くても贅沢でキラキラしていなくてもクラスのマドンナだったあの子よりも幸せでいたかっただけなんだ。

「そうだよね。俺はスズを逃げ道にしているのかもしれない。ごめんね」そう言い残して聡は家を出て行ってしまった。

 

 桃色のプリンス

 

 私には王子様がいる。

 悲しみのどん底にいた私を魔法のギターと歌声で救い出してくれた。王子様に見合う為に化粧を覚え髪を染めた、今日も王子様に会う為に世界で一番可愛いお姫様に変身して家を出る。

「あの子中学では虐められてたらしいよ」

「そうなの?なのに髪まで染めちゃって、高校デビューもいいところだね」

 わざと私に聞こえるように言っているのかそれとも音量調整の出来ない馬鹿なのか。前者であれば私はどう反応すればいいかの知識を持ち合わせていないので辞めていただきたい。陰口は陰で言ってくれ。

 そんな事を思いながら机に顔を突っ伏していると、前方から視線を感じる。

「いつまで寝てるの?次は移動教室だよ」

 声に顔を上げるとそこには横峯詩織が立っていた。「ごめん、もうそんな時間なの?すぐに用意する」あたかも今まで眠っていたかの様に体を伸ばし教科書の用意をする。

 詩織はおとなしい性格でクラスでもあまり目立つ性格ではないが面倒見が良く詩織の事を嫌う者は居ないだろうと思える程の善良な心の持ち主だ。そんな子が私なんかと居たら変な噂が立たないだろうかと心配な気持ちはありながらもいつも世話を焼いてくれる詩織の優しさに甘えしまっていた。

「また夜更かしして王子様のライブ映像を見てたの?」

「そうだよ、今日は路上ライブをするみたいだから放課後に観に行かないと、詩織は来ちゃダメだからね」

「行かないよ。その王子様に恋をするの良いけどもっと同年代の子に興味はないの?ほら、この間駅で会ったあの人とか」

「あー。拓人?あいつはただの幼なじみだし今更恋愛するなんて考えられないよ」

「あっちはそんな事ない感じだったけど?」

「少女漫画の読みすぎだよ」

 私を好きだったのなら何故あの時私を救ってくれなかったのだろうか。苦しい時に手も差し伸べないくせにこの人の事を想ってますなんて薄っぺらすぎて笑える。

「へぇ、漫画みたいにはいかない物なんだね」詩織は少し残念な表情を浮かべる。

「残念でしたね。あ、急がないと次の授業遅れちゃう」だらだら話していて時計を見ていなかったが次の授業まであと三分だった。

「やばいじゃん。八木先生超怖いんだから、早く行くよ」焦った表情を見せながらも私の手を引いて次の教室まで駆けてくれる。

 きっと詩織は私の初めての友達なのだろう

 授業が終わり急いで帰る支度をする。

「桃華、今日の路上ライブは何時まで?」

 詩織が髪を結び直しながら問いかけてくる

 ちなみに八木先生の授業には遅刻してその日の朗読を全て読み上げさせられた。

「19時までだけど、どうかした?」

「なら丁度良いや、私もそのくらいにバイトが終わるから待っててよ、アイス持っていくからさ」詩織は私がいつも路上ライブで通っている駅の近くでアイスクリーム屋さんのバイトをしている。その事もありお互い時間が合う時は近くの公園で待ち合わせをして詩織が持ってきてくれるアイスを食べて帰る事になっている。

「わかった。じゃあいつもの公園でね」

 ライブが行われる駅前に到着すると王子様が準備をしていた。開始の15分前だがその周りには私と王子様しかいなかった。

「お疲れ様です」

「あ、お疲れ様。桃華ちゃん今日も来てくれたんだね」聡は準備の手を止めて桃華の挨拶に答える。「いえ、もうこの1日の為に生きてるような物なので、」「大袈裟だな。そんな事を言ってくれるの桃華ちゃんくらいだよ。相変わらず誰も見に来てないし」聡が恥ずかしそうに笑う。「みんな気付いてないんですよ。こんなに素敵な歌を歌っているのに本当に勿体ないです」桃華は頬を膨らまして見せる。「今から歌うのにそんな事を言われると恥ずかしいな」「今日も楽しみにしていますよ」

 ライブが始まると少しずつだが通行人が足を止める。仕事終わりであろうサラリーンや買い物袋をぶら下げる主婦、立ち止まる人々は皆、自然と笑顔になり手拍子をしていた。

 間違いない。彼はきっと魔法を使う。

 どんな人も笑顔にしてしまう魔法。

 どんな人の心にも寄り添える魔法。

 どんな悲しみも洗い流す魔法。

 彼の音楽は街中で流れる流行の音楽よりも暖かく人間味があった。

「聴いてくださっている皆さん、本当にありがとうございます。次の曲は自分が一番苦しい時に書いた曲でもあり、僕が初めて完成させた曲でもあります。あの時に味わった悲しい過去がこの曲のお陰で大切な思い出に感じる事ができます。だから皆様にもこの曲で少しでも前を向くきっかけになれば良いなと思っています。聴いてください…」

 何十回と聞き慣れたMCと共に心地の良い音が流れ出す。私はこの歌に魔法にかけられた。当時、中学でいじめを受けていて誰も私を救ってはくれなかった。いつまで待っても白馬に乗った王子様は現れずに下駄箱にはガラスが入った上履きが入っているだけであった。そんな毎日に耐えきれなくなり、学生達が大勢集まる駅で死んでやろうと向かった駅で彼の音楽に出会った。真夏に汗をかきながら叫ぶように歌う彼は確かにそこに立ち生きていた。その存在感に思わず立ち止まり彼の歌を聴いていると何故か、涙が止まらなくなってしまった。曲が終わると彼は困った顔で私に近づき、大丈夫かとハンカチを渡してくれた。そんな彼に私は思わず「私、生きてても良いのかな」なんて突拍子もない質問を問いかけてしまった。そんな質問に一瞬困った様子を見せたがすぐに微笑み答えてくれた

「君は今自分の為に涙を流してる。それが答えなんじゃないかな。君は自分をしっかりと愛してあげられている、自分が可哀想だと涙を流してあげられている。君の質問に答えるなら、生きてても良いかは問題じゃない、生きていたいかが問題なんだと思うんだ。そして君は今、生きたいという顔をしているように僕には見えるよ」そうか、私は生きたいんだ、誰かのせいで死ぬのが堪らなく悔しいのだ。「わがままに生きなよ。君にはそんな偉大な事ができる」

 あの日私の前に立っていたのは確かに白馬に乗った王子様だった。あの日から私は髪を染め化粧を覚え、自分を大いに可愛がってやった。それはまるで醜いカエルと化してしまう呪いが溶けていくかのように。

「桃華ちゃん!」聡が呼びかけて来たのはライブが終わり詩織との待ち合わせの公園に向かおうとしていた時の事であった。「聡さん、どうしたんですか?片付けは?」突然の展開に頭がついて行かずに聡を見ていると聡は息を切らしながら話し始めた。

「ごめん、どうしても桃華ちゃんに話しておきたい事があって」まさか、遂に私の恋が実る瞬間が来たのか、どうしよう、どんな顔でなんと返事しようか、そんな淡い期待とは裏腹に聡の口から出た言葉は物語の終わりを告げた。「俺、音楽を辞めるんだ」

 姫はブランコに揺られていた。

 突然王子様が別の絵本に飛んで行ってしまったような感覚であった。王子は私にこう言った。「君が見ていてくれたから俺はミュージシャンになれた」「君には感謝しているからしっかりと最後に礼を言いたかった」と、どれも嬉しい言葉ではあったがそれにはどれ一つとお姫様にかける言葉は無かった。私はやはり姫にはなれない脇役Bなのだろう。

 詩織から遅くなりそうだから先に帰ってて良いとメッセージが入っていたが、どうしても一人になりたくなくて詩織を待つ事にした

 お昼は子供たちが砂の王国を作る公園もこんな時間では人の声一つ聞こえない程静かになっている。ブランコから降りベンチへと移動しようとしたその時だった、「騒ぐな」

 突然背後から口を塞がれ、首元にはナイフのような物がチラついた。

 静かに後ろに目を向けるとそこにはニット帽にマスク姿の男の姿があった。

 力では勝てないと悟った桃華が静かに頷くとナイフが首元から離れ、男は桃華を自分の方へと振り向かせる。「桃華ちゃん、いつもこの公園にいるよね、桃華ちゃんみたいな可愛い子がダメじゃないか、こんな遅くに」男が息を荒くしている様子で全てを悟った。この男は私を女として見ている。恐怖で体が動かない桃華を男が押し倒す。こんな事になるなら化粧なんか覚えなければ良かった、

 髪なんか染めなければ良かった、お姫様になんてなれない、私が自分にかけた魔法は王子様の為ではなく、このバットエンドを辿る為の序章だったのか、もうどうでもいい。

 桃華が全てを諦め、目を閉じたその瞬間、バキッ!という木製物が折れる様な音が鳴り男はうめき声を上げて倒れ出した。

 何が起こったのか理解出来ずに前を向くとそこにはギターを背負った男の人影が見えた

 

 天つ空の王子

 

「ギターかぁ…」立花拓人はため息をついていた。「なんだよ、そんな辛気臭い顔しやがって、俺まで気分が悪くなるよ」イチゴミルクを飲みながら瑠衣が呆れた様に首を振る。

「お前が体調を崩した時は間違いなくその口に含んでいる物が原因だよ」瑠衣は極度の甘党でいつ見ても何かしらの糖分を口に入れている。「しかしお前も単純だね、好きな子がミュージシャンに恋をしてるから自分もギターを始めようなんて」「だってこんな事しか振り向いてもらえる方法が思いつかねぇんだもん」中古ギターの販売サイトでも安くて一万円程度の値段、高校生にしては簡単に手を出せる物ではない。「でも小野寺ちゃんも言ってたんだろ、年上マジックなだけで音楽は関係ないって」「そうだけどさ、でもよくよく考えたんだよ、音楽って世界を救うっていうじゃん?ほら戦争を止めたボブマーリンとか」不思議そうに拓人の顔を見つめる瑠衣に目を輝かせて続ける。

「世界を救える音楽なら好きな子を振り向かせる事なんて訳ないと思うんだよね」

「お前ってさ、成績はいいのに頭は悪いよな」瑠衣がため息をつく。「その子、幼馴染なんだろ?そもそもそんな事で気を惹かなくてもある程度の親密度はあるんじゃないのか」「いやぁ、それが話しかけても完全に無視されてるんだよね」「はぁ、何したらそんなに嫌われるの?音楽以前の問題だろ」

 物心ついた時から桃華の事が好きだった。

 中学に上がってすぐに勇気を出して告白をした、しかしその時桃華には他に好きな人が居たらしくあっけなく振られてしまった。

 その頃からなぜかお互い距離を取る様になってしまい、別クラスだった桃華とはほとんど会う事が無くなってしまっていた。そんなある日、隣の席から聞こえてきた会話に耳を疑った。「桃華ちゃん、今日も下駄箱にガラスを入れられてたらしいよ」「マジ?さすがにやりすぎでしょ」

「あの聖奈の彼氏に手を出そうとしたんでしょ?」「うわ、それは相手が悪すぎるね」

 拓人は慌ててその女子達に話を聞くとそれは聞くに耐えない様ないじめの内容であった

 急いで桃華のクラスに行き桃華を探すがどうやらもう帰ったらしく急いで桃華の後を追う。駅まで走るとそこにはギターを抱えた男に涙を拭われる桃華の姿があった。

「なんだよその話、結局お前に根性が無かっただけの話じゃん」桃華に口を聞いてもらえなくなった経緯を話し終えると瑠衣が口を開いた。「そうなんだろうけど、あの時思っちゃったんだよね、桃華を救えるのは俺じゃない、救う方にもその資格が必要なんだって」

「じゃあなんで今もまだ桃華ちゃんを振り向かせとうとしてるわけ?」「あの時から桃華はすごく変わったんだ、すごく綺麗になって、きっとあのミュージシャンのおかげだと思う。だから今は桃華の中の王子様になれなくてもいいから、いつかまた桃華が傷ついた時にあの子を救える男になりたいんだ」

「よくそんな恥ずかしい事を堂々と言えるな。でもまぁ気持ちは伝わるよ」帰り道に楽器店に寄ろうぜーと言いながら瑠衣は飲み切ったイチゴミルクをゴミ箱に捨てに向かう。

 瑠衣は本当にいい奴だ。

 五万円、七万円、二十万円。店に並んでいるギターの値段に面食らう。「拓人お前今いくら持ってる?」瑠衣は恐る恐る拓人の顔を見る。「一万円…」「よし、帰ろう。君は君だ。音楽なんか出来なくても良いところたくさんあるよ。魚を食うのが綺麗とか」

「フォローになってねぇよ」「でもどうすんだよ、一番安いギターでも二万するじゃんか、俺も今金ねぇぞ」瑠衣は空の財布を見せつける。「借りる気もないよ、やっぱネットで中古品を買うしかなさそうだなぁ」拓人が途方にくれていると店の店員と思われるおじさんが声を掛けてきた。「アコースティックギターを探しているのかい?」胸元の名札には「kitani kanade」とローマ字で名前が書いてある。「はい、ですが手持ちが一万円しかなくて…」「中古品でも良ければ裏に安いのもあるよ、五千円くらいなら出せるかい?」「え、中古でもなんでも大丈夫です。是非、お願いしたいです」「よし、それじゃあ持ってくるから現物を見てみるといい」

 そう言っておじさんは奥の部屋から真っ黒のアコースティックギターを持ち出してきた

「カッコいい、こんなに綺麗なのに五千円でいいんですか?」「あぁいいとも、メーカー物じゃないが初めてで弾く分には何の支障もなく使える、メンテナンスだけしたいから少し待ってもらえるかい?」椅子に案内され、ギターのメンテナンスを見つめる。

「君は誰に憧れてギターを?」ポロンと心地の良い音を響かせながらkitaniが話しかける

「憧れ、というか対抗心ですかね」

「ほう、対抗心ねぇ。どうだい?ギターを奏でる事が出来たら勝てる見込みはあるのかい?」「どうでしょう、でもリングに上がらないと戦う事も出来ない」待ち時間にと出されたコーヒーを一気に飲み干す。

「これはあくまでおじさんの意見だと思って聞いてくれるかい?」kitaniはギターを優しく磨きながら続ける。

「音楽で誰かに勝とうとしても意味がない事だと思うんだ、だってどんな音楽が良いものなのかなんて聞く人によって変わってしまうものなんだから、そうなると正解が見つからなくなってしまう。そんなつまらない事じゃなくて、誰かを勝たせてあげられる音楽の方が何千倍も価値のあるものだと僕は思うんだ」

「勝たせてあげる音楽?」拓人が不思議そうに首を傾げるとkitaniは少し微笑み話を続けた。

「何だっていい、自分自身は鼓舞させるものでも悲しんでいる人に悲しみから乗り越える為の力を与えるものでも、君の音楽が魔法の様に誰かを強くしてあげられるならそれはきっと君が誰よりも素晴らしい音楽家だという証だよ」

 

「ありがとうございました」

 店を出る頃には日が落ちかけ、綺麗な黄昏時が訪れようとしていた。

「また分からない事があったらいつでもおいで、君の音楽を心底楽しみにしているよ」

 ペコリと一礼を済まし店を後にした。

「お前が本当にギターを始めるなら俺はドラムかなぁ」駅までの帰り道、瑠衣がドラムを叩く真似をしながら笑いかける。

「何でバンドを組む前提なんだよ」

 瑠衣の空を切るドラミングを手ではたき落とす。「馬鹿だねぇ、お前はいつも一人で突っ走って空回りするんだから俺が後ろから見ておいてやるんだよ」瑠衣は拓人の背中をドンと叩き、前へと走り出す。

「じゃあなー、明日までにバンド名でも考えておけよー」そう言って瑠衣は帰路である曲がり角に消えていく。

「うるせぇわ」そう言いながらも笑顔で手を振る。

 バンド名かぁ…、いや違う違う、まだバンドにするなんて決めてないし…桃華はバンドも好きなのかなぁ、何て事を考えていると駅前の公園へと差しかかる。そういえばこの間はここで桃華と詩織ちゃんが話してたっけ、

 もしかするとまた桃華がいるかもしれないそう思い、人気のない公園の階段を上がる

 以前桃華達が座っていたベンチには誰も座っていなかった、こんな時間にいる筈ないか、諦めて階段を降りようとした時だった。

 ブランコの前に黒い影が見える、目を凝らして見ると女性?に馬乗りになっている男の姿が見えた。襲われている?いやいや、もしかしてカップルの類かも…どうすればいいのか少し考えようとしたが、その瞬間横に落ちていた太い木の枝を手にその男へと駆け出していた。男の横に落ちていた鞄に見覚えがあった、桃華の物だ。拓人は走りながら木の枝を大きく振りかぶり男の首元へと振り下ろす

 バキッと木の枝は折れたがダメージはあったらしい、男はうめき声をあげながら倒れた

 男が倒れた先に倒れ込んでいた桃華は月のスポットライトに照らされ、まるで王子の救いを待つプリンセスの様であった。

 ただ呆然と僕を見上げる桃華の手を取る

「俺が王子様になるから」

 

 それから二人は

 

「暑い、暑すぎる」見渡すと気が遠くなる程広い野外公園、今日ここで行われるのは飛ぶ鳥を落とす勢いのシンガーソングライターkohmoto satoruが主催する野外フェスである。真夏という事もあり気温は三十度を超えていた。「大丈夫?ほら水を飲みな」聡は鞄からペットボトルを取り出し私に手渡す

「ありがと、でも本当にこんな広い所で音楽を出来るのね」

「ああ、本当に長い道のりだったけど諦めないで良かった、心から思うよ」聡は腕を組みステージを眺める「でもあなた、音楽を辞めようとしていたじゃない」鈴風が微笑みながら聡を覗きこむ。

「そうだよ、あの時の俺は何のために歌っているのかも分からなくて音楽を手放しかけた。でもね、あの時にスズは言ってくれたんだ。何のために歌うのか分からなくなったなら私の為に歌ってくれ、私を感動させ続けてみてよ…ってね、その言葉にハッとさせられたよ、あの言葉が無ければ今俺はここには立ってない」ありがとう…と鈴風の肩を寄せる。

「そんな完結したみたいな言い方をしてるとすぐに追い越されていくわよ、ほらあなたの一つ前に歌うバンド、すごく上手なんでしょ?」

「あぁ、あの子達はこれからもっと大きくなる、きっと世界を股に掛けるほどにね」

 聡は嬉しそうに笑う。

「本当に大好きなのね。今日のライブが楽しみ、名前は確か…」 

 

「Little Prince 」 

 

 夏風に運ばれるギターの音が胸を高鳴らせた

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