第6話

 翌日から、私は心機一転して働く事にした。

そして今も続いている其れは、くだらない事にいちいち腹を立てない事。

そう決めたんだ。

いつもの様にぺペンギンさんに起こされながら顔を洗って出勤する。

それだけでいい。

あの時、ヘベレケになって布団の中で泣いていた時、ぺペンギンさんが言った言葉、其の言葉を聞いてからは、腹を立てない事に決めたんだ。


「あんなぁ、腹立ててしまう事って、結構くだらん事が多いの知ってる? ほんまにヤバい事って腹立つどころか恐怖やで。腹立てれるくらいの些細なことやったら、何をしょーもない事を、くらいでええんちゃう」


 全てが其の様にいくわけでは無い。

しかし、いちいち腹を立てるくらいなら「何をしょーもない事を」くらいが丁度良い。

其れでも此の方法が全てに共通してうまく行くわけでもないのなら、其の時は少しくらいは怒ってみよう。

其れくらいは許されて然るべきであろう。

そう思いながら過ごしている。


 そう、其れでも上司から理不尽なことを命令された時は、やっぱり怒りを覚える。ひとつの組織の中で働いている限りは理不尽な命令でも従わなければならない時もある。

そういう時は怒りを堪えて働く。

そして次第に無表情になり、無口になり、態度に現れてしまう。

怒りが鎮まるまでは仕方がない。


 ただ今は逃げ道がある。

そういう時は仕事が終わるとビールを買って帰る。

自分の分だけだ。

何故なら、今の私の部屋にはウイスキーが置いてある。

ぺペンギンさんが一緒に飲んでくれると言ったが、ぺペンギンさんはビールを飲まないらしい。

ウイスキーをショットグラスに一杯、しかもシングルモルトでないと駄目だそうだ。其の一杯で最後まで付き合ってくれるから高いウイスキーでもランニングコストは些細なものである。

そして今夜はそんな夜だ。


 部屋に帰るといつもの様に、お椀にシラスと氷を置く。

そしてウイスキーを入れたショットグラスを目覚まし時計の前に置く。

ぺペンギンさんが時計から出てくるまでに、自分のための肴を用意していると、微かに煙草の匂いがする。

ぺペンギンさんは、以前に注意した日から窓際で煙草を吹かすという約束は絶対に守ってくれている。

私は小さなテーブルに肴と缶ビールを置くと手酌で飲み始めた。

やがてぺペンギンさんが戻ってきて、


「いつもの事やけど、寝る前にもう一回、氷持ってきてな」


 ぺペンギンさんは、お酒を飲む時は最初の氷をチェイサーみたいにしてウイスキーと交互に飲む。


「ええ、承知してます」


「最近、お前、ええ顔になってきたなぁ」


「こんな仏頂面のどこがいい顔なんですか」


 私は、相変わらず無表情なままで答えた。


「笑うてみ」


「あはは、そんなの無理ですよ」


「今、笑たやんな?」


「ちょっとー、人の揚げ足取るような言い方しないでくださいよ」


「で、今日は何があったん?」


「つまらない事ですが、ちょっと尾を引いていて」


「つまらん事でも言うてみるか?」


「いえ、いいです、こうやって一緒に飲んでるだけで忘れてしまえそうですから」


「そうか、ほんなら、ワイが話ししたろか?」


 ぺペンギンさんは独り言のように喋り始めた。


「尾を引いてる、で思い出したんやけど、孔雀明王さんって知ってる?」


「知り合いなんですか?」


「アホか、なんで宇宙の片隅の地球の片隅の日本の片隅に住んでるワイが神さんと知り合いやねん。冗談も休み休みにせいや」


「はあ」


 と曖昧な返事をすると、グラスについだビールを飲み干した。

ぺペンギンさんもショットグラスのウイスキーに少し嘴をつけると喋り出した。


「孔雀ってな、人間の味方らしいねん」


「ふーん」


 またしても曖昧な相槌を打った。


「畑とかで害虫おるやん、其の害虫を食べてくれるねんて」


「へー」


 返事の曖昧さは変わらない


「其れどころかな、毒蛇とか蠍とかも食ってくれるらしいねんで」


「へー」


 ぺペンギンさんは、ちょっと嘴をショットグラスのウイスキーに当てて喋り出す。


「毒食べんねんで、凄い、思わへん?」


「凄いですね」


「ほんでな、毒を食べて消化する程に尾っぽの羽の色が鮮やかになっていくねんて。凄いやろ」


「凄いですね」


「ほんでな、孔雀明王さんの話しやねんけどな、明王の中でも唯一笑うてる顔してんねんて。いっぺん見に行ってみたいなぁ。今度連れてってくれる?」


「ええ、そのうちに」


「でな、なんで笑てる顔してるか知ってる?」


「いえ、その孔雀明王ってのも初めて聞きましたから」


「ほな教えたるけどな、孔雀は毒食べるけど、孔雀明王は悲しみ、苦しみ、怒り、そんなんを飲み込むねんて。凄ない?」


「凄いですね」


「そんなん食ってたら死にそうになるやん。ってか神さんが死にそうやって可笑しな

話やねんけどな」


「ですね」


「死にそうや、って言いたいんやけどな、それを表に出さんと笑顔で誰にも悟られんように内に秘めて消化していくねんて」


「其れって、大変な事ですよね」


「せやろ、さっきの孔雀の話、お前がなんぼアホや言うても、ついさっきの話やから

覚えてるやろ?」


「ええ、毒を食べて美しい色の翼になっていくって話しですよね」


「其れや、孔雀は人に害を与えるであろう害虫や毒持ってる生き物を食べて、死にそうやって言いたいねんけど、我慢して、自分で消化して、より美しい翼になっていくねん。どや?」


「其れって、その孔雀明王さんが、人の苦しみとか悲しみとか、えーと怒りとかを食べてくれるっていう話しと共通点がある、っていうことを言いたいのですよね?」


「惜しい! 近い! もう一声や!」


「うーん。孔雀は毒を食べて、より美しくなっていくけど、孔雀明王は、そんな辛い思いを食べても笑顔を崩さない、で良いでしょうか?」


「あと一歩やねん、あと一歩や」


「そうか、分かった! どんなに辛くっても笑顔を忘れずに頑張ればより美しい笑顔になっていくんだ! でどうでしょうか」


「当たりやー、大当たりやー、最近のお前、ごっつう成長してきるやん」


「そんな事ないですよー、おだてないでくださいよぉ」


 私はビールも手伝ってか、ニヤニヤしながら言った。


「よっ総理大臣! 地球連邦総督! 宇宙防衛隊隊長!」


「もうぉ、やめてくださいよぉ」


「・・・・、お前、やっぱりアホやな」


「え? 何か言いました」


「いや、何んでもない。ただな、其の笑顔、いつまでも忘れんといて欲しいな」

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