暇を潰すための短編集

士鶴香慈

歴史に名を刻んだ男


ある国に野心に満ちあふれた男が住んでいた。

富や地位もさることながら、男が最も欲したのは名声だった。幼子の口にすら上るかつての名将達のように、歴史に名を刻みたい。それが彼の生涯をかけた望みであった。


男が生まれたのは、戦乱が遠くなって久しい時代だった。そのため彼はひたすら勉学に励んだ。名門校に入学した彼は一心不乱に知識を吸収し、人脈を深めた。卒業後は熟考の末、とある組織の一員となった。何百年も続く古い組織だ。選んだ理由はただひとつ。その組織が取り仕切る百年に一度の祭典が、三十年後に開催される予定だったからである。


決して努力を惜しまず、また天賦の才もあった男は若くして頭角を現した。出る杭は打たれるのが世の常ではあるものの、上役の機嫌を取る手間を惜しまなかったため、彼は出世の階段を順調に上った。

同期には男に劣らぬ能力のライバルも何人かいたが、あるものは急に上役と反目し、あるものは多額の横領が発覚して、いつしか全員姿を消した。ここで男の薄暗い手口を詳しく語ることはしない。ただ、横領事件を起こしたものは最後まで身の潔白を主張していたとだけ記しておく。


血の滲むような努力が実り、男は祭典が開催される数年前に組織の頂点へ上り詰めた。

男はこれまで以上に意気込んで祭典の準備を指揮した。さまざまな対立や予期せぬ障害を乗り越え、ついにその日がやってきた。祭典の開催式である。祭典はこの日を皮切りに数ヶ月続く。開催の演説は、組織の長たる彼の仕事だ。一世一代の大舞台。国民全員が式場の広場で、あるいは自宅で、彼の話を聞くのである

男はこの日のために苦心して演説を練り上げた。彼がこれまでの人生で得たあらゆる知識、あらゆる経験を総動員して。くぐり抜けてきた修羅場は数知れない。人々は彼の見識の高さに敬服し、国中が賞賛の声で溢れかえるだろう。男はそう確信した。


開催式は快晴で、暖かい日だった。彼の演説は日の出とともに始まり日の入りまで続いた。

広場に詰めかけた聴衆は皆、目を閉じ頭を垂れて演説に聴き入っているようであった。

演説が終わった瞬間は静寂に包まれていた。やがて津波のように大きな歓声が沸き上がり、男はそれに応えて手を振った。かつてない充足感が全身を包んでいた。

壇上から下がった男を腹心の部下が出迎えた。

「このような演説は生まれて初めてです」

部下は涙を滲ませてそう言った。その目は、まるで長時間閉じられていたかのように充血していた。


祭典が始まってしまえば後は部下達の仕事だ。男は自室に帰って祝杯を挙げた。

(この演説は千年後も語り継がれるに違いない)

その夜の酒はことのほか美味であった。



さて、その千年後。男の名はひとつの慣用句となり幼子の口にすら上るようになった。主に説教の長い親へ、反抗的な態度とともに使われている。

歴史書にももちろん、男の名がしっかりと記されている。

史上最長の演説時間とともに。


なお演説の内容は、一言一句たりとも残ってはいない。




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暇を潰すための短編集 士鶴香慈 @shizuRukouji

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