第2話 『ふっ、ふっ、ふっはっはっはっはっはっは!』

 夜も明けぬ暗闇の中、東の都から西の都へと通じる、海沿いに伸びる街道を、旅姿の少年は走っていた。

 途中、街道から外れ、森の中を突っ切る。森の中は自分の庭。とはいえ夜の森など危険しかないのだが。


 寄ってくる獣たちをつぶてで追っ払い、湧いて出るあやかしどもは後ろに置き去りに、華奢な体躯で飛ぶように駆け抜ける。


 夜が明けて来た頃、森を抜け、まだ誰の往来もない街道に戻り、ようやく歩みの速さを緩めた。

 かなり距離を進んできたのにも関わらず、息の乱れひとつないその姿は、手練れの武芸者を思わせる。


 ふと立ち止まり、菜の花色をした旅用の羽織の襟を正し、頭に巻いた頭巾をちょいと上げると後ろを振り返った。


「ふふっ」


 口元に微かな笑みを浮かべるその顔は、少女とも見紛う美しさを湛えている。


「ふっ、ふっ、ふっはっはっはっはっはっは!」


 まるで、悪い組織の首領のような高笑い。もとい見事に追っ手を撒いた改心の笑み。

 その身体の一部を犠牲にして、身代わりとしてきたのだ。しばらくの間は時も稼げようというものである。


 次は旅の仲間探しだ——。


 頭巾を目深に被り直すと、少年は足取りも軽く、いまや目と鼻の先にある宿場町を目指すのだった。



  ○ ● ○ ● ○



 旅人の朝は早い。しかし、その若い侍の朝は遅かった。旅人の多くは、とうに出発してしまったような時間。

 長身痩躯、漆黒の髪を後ろ頭の高い位置で、すっと結わえ、同じ色の瞳はきっと意思の強そうな光を湛えている。


 煤けた柳のような色の小袖胴着に地味な旅装備。腰には柄巻きを革で拵えた木刀を一振り。

 何の木で作られたものか、黒光りするそれは、ただの木刀とも思われぬ存在感を放っていた。


 急ぐ旅でもない——。


 端正な顔立ちを鹿爪しかつめらしい表情で覆っているものの、それとは裏腹にその若い侍の足取りは、至極のんびりしたものだ。

 日ごとに強くなる夏の始まりの日差しに目を細め、この町一番の大通り、その脇を流れる水路のせせらぎに耳を澄ませる。


 しかし、そんな平穏な風景に身を任せるには、この町中は、妙に旅人や商隊の往来が多く、喧噪に溢れ過ぎていた。


「新しい『お代官様』が通行料、また上げたみてえだな」


 彼の後ろを歩く商人たちの、少し声を潜めた噂話が聞こえてくる。


「払えない連中がこの町に引き返してきてるって話だ」


「本職の方も、ここんとこ、とんとやってねえらしいぜ」


「しかも怪しげな刀を神棚に祀って、拝んでるそうじゃねえか」


 困ったものだ——。


 ゆったりとした足取りの彼の横を、噂話を続けながら、商人たちは足早に通り過ぎていくのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る